5 お前も自業自得でよいのだな、
「グルグルグルウゥウウ、」
飛び掛かってきた牛頭男の咆哮が聞こえた時には、ひどい衝撃を体に受けてフリッツは地面に倒されて、両手両足を押さえつけられていた。
一瞬のことで、重い圧力と地に打ち付けられた衝撃と頭をぶつけた痛みとで、フリッツは驚きで息が止まった。
顔に、牛頭男の息があたる。不快だった。顔を背け、はあはあと息をし直して、押さえつける重みから逃れようともがいてみる。
「無駄だ、止めておけ、」
牛頭男はグフグフと音を立てて笑って、人語を話した。フリッツを見て、冷ややかに笑ったような気がした。
「お前たちは運が悪い、今夜は満月だ、」
唇を噛んで、フリッツは睨みつけた。
「離せ、」
くつくつと笑って、牛頭男は起き上がると片手でフリッツの両手首を捕まえて、高く吊り下げた。足が宙に浮く。恐怖に負けそうになる。蹴ってみても、虚空を蹴って、当たることもない。
フリッツよりも、いつかの戦闘で戦った一つ目の巨人男よりも大きく感じられた。気持ちが、負けそうになる。
「お前の髪は珍しい色をしているな、」
月明かりに煌めくフリッツの金髪を見て、珍しそうに眺めた。
「いい土産になるかもしれんな、女子供が喜びそうだ、」
フリッツの脳裏に、母のクララと、妹のラナの顔が思い浮かんだ。王城で、守られているはずの、母と、ラナ…。
私が帰らなければ、ラナが、剣の後継者にされてしまう。
帰らなくては、とフリッツは我に返った。私は、為さねばならないことがある。
「離せ、どこに連れて行く気だ、」
すぐ向こうには森の出口が見えていて、泉が見えているのに。フリッツは絶望にも似た苦い気持ちで、抵抗したくなっていた。
睨みつけるだけしかできないのか…!
「おとなしくしろ、痛いのは嫌だろう、」
グフグフと妙な笑い声が聞こえてくる。フリッツを吊り下げたまま、牛頭男はフリッツが来た道を戻り始めた。
フリッツが揺れようとも、お構いなしに牛頭男は歩いていく。
体をひねって振り返ると、さっきまで見えていた大きさよりも森の出口の明かりは小さく遠くなっていく。
あと少しだったのに。
目が熱く感じていた。泣いている自分に気がついて、嗚咽が漏れないように唇を噛み締めた。
弱い自分が、悔しかった。
※ ※ ※
後ろ手に縛られたキュリスやカークが、少し開けた場所の、大きな木の根元に転がされている。
フリッツも、無造作に突き飛ばされた。顔を傷付けない配慮なのか、背中から地に落ちる。
両手を縛られているので受け身を取れずに雑草の上に転がされたフリッツは、月明りに照らされた、自分を取り囲む者たちを冷静に見上げた。
数は15か。何人かランスとフォートが倒したのだろうか。
牛頭男に狼頭男、犬頭男…。
よくもまあ、こんなものたちが私たちの国には増えたのだな。冒険者がいくら増えたって、こんなに強い者たちを相手にするのは大変だろう…。
私ならやれると、心のどこかで思っていた。だけど、そんなことはなかった。フリッツは悔しくなる。私は弱い。まんまと捕まってしまった。
自分だけは大丈夫だと思っていた。自分だけは、すんなりと生きていけるのだと、名前のない人に守られているのだと、思い上がっていた。
犬頭男が誰かを蹴った。堪えるような声がする。この声はカークだ。フリッツの体勢では、カークやキュリスの顔が見えなかった。
「…こいつ、ちょこまかちょこまかと、面倒かけやがって…、」
「よせ、商品に傷がつくだろう、」
卑しい笑みを浮かべて、牛頭男たちは冷ややかに笑う。
「人間の欲は果てしないな。モノが欲しいと言ったり、見目の麗しい女をと言ったり、健康そうな男をと言ったり…。何でも揃えるのが俺たちだから、こんな仕事は朝飯前だが、」
「ツイてましたね、お頭。」
「ああ、この辺りじゃ、夜道は警戒して人っ子一人いないだろうと諦めてたんだが、とんだ上物だ。ツイてたな。」
フリッツは複雑な心境になる。どうしてこんなことになっているのだろう。運が悪かったとしか言いようがないのだろうか。
「遅れてすみません、やっと捕まえました、」
男を肩に抱えた狼頭男と、犬頭男が遅れてやってきた。
ここにいるのはキュリスとカークと、フリッツ自身だった。あれは、誰だ、とフリッツは目線をあげた。
「この男、小賢しくて面倒なんで腕を折ってしまいましたが、仕方ないですよね、」とへへッと舌を出して笑って、犬頭男は牛頭男に向かって頭を掻いて肩を竦めた。
「腕かあ…、ちゃんと治るんだろうな、使い物にならないような者は金にならんのだ。始末しなくてはいけなくなるからな、」
牛頭男がそう答えた時、狼頭男に地面に放り出されたのはランスだった。
「あと一人いるんですが、ちょっと手こずってましてね、」
「応援に行ってやれ。案内を頼む、」
「判りました、」
話す傍から、ギャアア…と悲鳴が聞こえ、何人かの狼頭男たちが急いで犬頭男達と一緒にその場を離れていった。
「ランス、大丈夫ですか、」
呻く声を殺して苦痛に顔を歪めているランスに、カークが囁きかけている。ランスの利き手である右手が、不自然に、肘の辺りからだらりと力なくぶら下がっている。
「あいつら、よくも…、」
カークが怒りをかみ殺すようにして呟いた声で、フリッツは何かできることはないかと辺りをそっと見まわした。応援に行った者がいるなら敵の数は減っている。せめてランスだけでも逃がしてやりたい。
もごもごとさりげなく地を張って動いて、フリッツはランスの近くまで体を動かし始めた。
腕を縛る縄の近くに顔を寄せるつもりでいた。
縄を歯で噛み切れるとは思えない。でも、噛んで引っ張って、結び目を緩くしていくことならできるかもしれない…。
背中が、何かにぶつかった。
「そのまま、動かないでください、」
聞こえてきたのはキュリスの声で、もっと離れた場所に転がっているのかと思っていたフリッツは、キュリスたちも同じことを考えていたのだろうと察して動きを止めた。
ランスを助けたい。
注意を、私にひきつけなくては。
フリッツの脳裏に、母のクララの顔が思い出された。母は時々、自室の部屋で窓辺に座り、空を見上げて歌を歌っていた。
歌にはとても聞こえないその歌は母音だけでできていて、妙な音の響きがあった。
ねえ、フリッツ、あの、城の上空の、高い雲の上を飛ぶのは、鳥ではなく竜なのよと教えてもらった時、あなたと私だけの秘密よ、と言って笑っていたなと思い出す。
竜を娶った王族の直系の子孫だけが許される歌なのよと、母はフリッツに、何度となく歌って聞かせてくれた。
私がここで死ぬことになれば、この歌は、ラナの歌になる。
フフッと笑って、フリッツは低い声で歌を口遊んだ。
「あーああーえーぅおあーおーあーひぃおーおぉいあーぁ、いーぃいおーいうぃうぉあぁあぇいあうぃー、」
「なんだ、今のは、」
馬鹿にしたように、牛頭男がフリッツを見て、「怖くておかしくなったか、そうか、それならさっさと話しを付けなくてはな、」と嘲笑った。獣人たちの馬鹿にしたような笑い声がする。
何も起こらない歌にフリッツは落胆しながらも、「もういいですよ、」と囁く声がして、注意を集めるのには成功したのだからいいか、と割り切ることにした。
「お頭、さっさと配分を決めて動かしてしまいましょうぜ、」
「そうだな、ここで仕分けるとするか、」
十数人の獣人たちが、グフグフと笑っている。
低い声で牛頭男と犬頭男とが二人で決めようとした時、狼頭男が肩を震わせた。
「何をやってるんだ、」
怒鳴る声がして、何かを蹴る音か聞こえた。
バレたのか?!
「動くなら、お前たちも同じように利き腕を折るぞ、」
「まったく、手間取らせやがって、」
聞こえてくる声は、フリッツの後方からで、キュリスかカークが蹴られたのだと判った。
「おい、こいつら人間の分際で俺らの縄張りにのこのこやって来たんだから、目にもの見せてやろう、」
ガツンと誰かの体越しに衝撃が伝わってきて、また誰かが蹴られたようだ。
「そうだな、こっちは程よく育っているから奴隷だろう、」
「こっちは綺麗な髪をしているから、女の妖に売りつけてやろう。髪を伸ばして刈り取って、いい織物が出来そうだ、」
犬頭男にフリッツは足を蹴られた。そうか、私だけ違う場所に売るつもりなのか…。
フリッツの背中越しに感じる振動や気配で、狼頭男たちが、カークやキュリスたちに何かをしているのが判る。我慢して耐える彼らを思うと、心が苦しい。きっとよくないことだ、きっと、嫌なことだ…。
突然、耳の近くで雄たけびのような悲鳴が聞こえた。フリッツは驚いて、何かが自分の肩を捕まえたのを感じて、反射的に飛び起きた。
「お逃げください、」というカークの声が聞こえたと同時に、腕が自由になったのを感じた。
押される勢いのまま立ち上がろうとした瞬間、「危ない! 後ろ!」と、雑木林の中から女の子の声が聞こえた。
よく通る綺麗な声で、心がカッと熱くなる。フリッツは不思議と、この声を忘れてはいけない、と思った。
「あっちにもいるぞ、」
「女は生け捕りにしろ。」
「傷をつけるなよ、価値が下がる、急げ、」
狼頭男たちが、我先にと飛び出していく。
「敵の戦力が分散しました、今です、お逃げください、」
ランスの声がして、暗がりに横たわるのが誰かが判った。フリッツはカークと一緒にランスを助け起こした。
「私はこの腕では使い物になりません。キュリスと引き付けて反対側に逃げます。その隙に、カーク、フリッツを逃がすのです、」
「二手に分かれるのですね、」
「いいえ、三手です。逃げるのはあなたたち、おとりは私とキュリスですから。」
ランスはそう言って、キュリスと頷き合うと、カークとフリッツの背中を押した。
決意を込めたランスの声に、フリッツは伝わってくる想いを知って苦しくなる。ランスは、死ぬ気だ。そんな決意をさせてしまうなんて。そんなこと、させてはいけないのに!
「私も戦う。何もしないよりは、マシだ。」
ふるふると頭を振って、ランスは肩を押した。こんな時に、微笑むなんて。こんな時に、戦わせてくれないなんて。
「フリッツ、援軍が来ます。それまでの我慢です、いいですね、」
「行きましょう、フリッツ、」
「ランス、無理はするな、」
フリッツはカークに引っ張られながらランスを見つめて、「必ず生きろ、」と告げた。
「必ず、助けに戻る、」
自分自身に言い聞かせるように、フリッツは顔を上げて走り出した。
「フリッツ、」
早速、牛頭男が斧を振り上げてフリッツを追いかけてきていた。フリッツは走りながら、地に落ちていた剣を拾って手に馴染ませた。キラリと鍔に光る鎖と小さな青い石とを見て、これは、キュリスの剣じゃないかと気が付く。
キュリスは何を手に戦っているんだろう。
悪い予感を頭から振り払って、フリッツは牛頭男と間合いを取りつつ、逃げる。
どう見てもフリッツを生かして帰してくれそうにない気迫の斧を剣で受けながら、フリッツは「生け捕りにするんじゃなかったのか、」とつい、口から零れてしまった。
フリッツの背では、カークが剣を手に犬頭男と戦っていて、「そんな気はなくなったのかもしれませんね、」と軽口で答えてくれた。
ハァハァと肩で息をしながら、それでも、生きたいとフリッツは強く思った。逃げたい。生きたい。勝ちたい。
こんなところで死にたくない。こんなところで、終わりたくない。こんなところで、負けたくない。
牛頭男の腹を蹴って、フリッツは剣で薙ぎ払った。
「うわっ」と誰かの声がして、何かが倒れていく音が聞こえた。黒い影が、くるくると、舞うように迫ってくる。
何だあれ…、見惚れかけたフリッツの脇から、犬頭男が迫ってきた。いけない、隙を突かれた! と身構えた瞬間、犬頭男が黒い影に弾き飛ばされるように転がって伸びた。
黒い影だと思ったものがフリッツの前で立ち止まった。黒い影だと思っていたのはマントの色で、被っていたマントのフードがはらりと落ちて、月明りに、顔が見えた。
茶金髪に黄緑色の綺麗な瞳、この国の人間にありがちな色彩だけれど、整った顔立ちに少し垂れた二重瞼、白い肌の、清々しいまでに潔い美しい少女が立っていた。
これがもしかして、名前のない人の…、と思いかけたフリッツは、少女の後方から爪を立てて首を取ろうと迫ってくる狼頭男の姿を見た。狼頭男の肩に、誰かが投げたナイフが刺さるのも見る。
少女の首を掻き切るように大きく振り回した腕が、空中を掠った。
「あ…!」
パラパラと少女の髪が落ちる。金の糸のように月明かりに光る髪が落ちた。
避けて、振り返ることなく少女は地面に手を突いて体勢を立て直すと、狼頭男を回し蹴りをして倒してしまった。
荒く息をして、少女は首の後ろを擦っている。見開いた瞳が、驚愕に震えている。三つ編みの髪は、半分ほど切られていた。
流れるような動きに、美しい芝居を見ているような錯覚を覚えて興奮したままでフリッツは動けず、見惚れてしまっていた。小さな驚く声も、忘れられない響きだった。心が躍るのはどうしてだろう。もっと声を聴きたいと願ってしまう。
少女は自分が攻撃を受けるとは思っていなかったのだろうか、驚愕の表情を浮かべて放心し、やがて、ゆっくりと自分の腕を抱きしめてしゃがんだ。
傍に寄ろうとしたフリッツより先に、背が高い赤黒い髪の男が、パチンパチンと指を鳴らしながら悠然と近寄ってきて、狼頭男たちを魔法で次々に放り投げていく。
あの者は何者だろう、人間とは思えない魔力を持っている。決して忘れてはいけない存在だと思えて、しっかりと見て目に印象を焼き付ける。
ゆっくりと労わり愛おしむように少女の手を取ると、肩を抱きしめて囁いたその男は、まるでこの場にフリッツたちなどいないかのように、少女だけを見て、少女だけに囁いている。
あの二人は、人間ではないのだろうか…。
二人に漂う濃密な空気は、妖しくも美しくて、つい見惚れてしまいたくなる。
見てはいけない禁忌を見ているような気がして、フリッツはそれでも目が離せなくて、二人が何をするのかを見つめていた。
少女が男の手を払うと、男は少し眉間を曇らせた後パチンと指を鳴らした。
音が鳴り終わる前に、狼頭男も犬頭男も、牛頭男も、どこかへ消えてしまう。
転移の魔術? そんな高度なことができるのか、とフリッツは男の素性がますます怪しく思えた。
あれは、魔物なのか?
この国の人間ではないとしか言いようがないけれど、胡散臭いと思えた。
その場にいるのは、カークと、少女と男と、フリッツだけになった。
少女が顔を伏せていた。息を深く吸って、気持ちを落ち着けようとしている様子に、髪を切られた怒りだろうなとフリッツは思った。
母とも、妹のラナとも違う。悔しさを表に出す様子が可愛らしく思えてきて、素直な気持ちで、少女を慰めたいと思う。
この国での女の美しさの基準では、髪の短い女は損をしてしまう。フリッツのためにこの娘は損をしてしまっている。
「…すまない、私のために。」
剣を鞘に納めて頭を下げたフリッツは、女性に謝るのは騎士として当たり前の振る舞いをしたと思っていたので、「いけません、御身はいかなる時も頭など下げてはいけません、」とカークに険しい表情でぴしゃりと叱られ、予想外の反応に驚いてしまった。
「どんな時も頭など下げてはならぬのです、あの者はこのような夜に歩いていた報い、自業自得なのです。ささ、お気になさらず急ぎましょう、」と、フリッツを引っ張ってこの場から立ち去らせようとまでしてくるので、むしろどうしてそんなに怒っているのだと尋ねたくもなってしまう。
背を向けて歩き出すのは躊躇われた。もう少し、あの者たちを観察したいと思ってしまった。
フリッツを急かしながら歩くカークに向かって、あの男はまたパチンと指を鳴らした。
「そうか、お前も自業自得でよいのだな、」
あの指の音は魔法を使う音だと気が付いていたのか、カークがギョッとして肩を竦めた。
でも、どこにも飛んで行かなかったし、フリッツの傍にいたままだった。
カークはニヤニヤと笑って、「たいしたことないみたいですね、」とフリッツに囁くと、「急ぎましょう、」と駆け出した。
※ ※ ※
雑木林を抜ける頃には、月の女神の神殿前の広場には隣町ククルールに先発部隊を呼びに行っていたビスターが、全員を引き連れて駆けつけてくれていた。
あの魔力を持つ不思議な男がどこかへ飛ばしてしまったのか狼頭男たちの姿はなく、フリッツは無事にカークと脱出でき、キュリスとランス、フォートとも合流できていた。
血まみれのフォートは「大丈夫です、返り血です、」とだけ言って、「お守りできなくて申し訳ありません、」と、フリッツに頭を下げた。
「そんなことはない、十分だ、」としか言えなくて、フリッツは自分の不甲斐無さにそっと、唇を噛んだ。
ランスは怪我が増えていたけれど、「たいしたことはありません、生きていますから、」と笑っていた。
「無理をするな」と言うのが精いっぱいで、フリッツは歯を食いしばって泣くのを我慢する。悔しい。折り返し地点まで無事に来れたのだと油断した。弱い自分は、王族としても守ってやれない。情けなさが、込み上げる。ランスに申し訳なくて、悔しくて仕方なかった。
弱いのは、悔しい。弱いのを認めるのも、悔しかった。
「ささ、こちらに、」と先発部隊長の騎士団の騎士アレクシオスがフリッツを隊の中心に移動させると、「このまま治癒師のいる聖堂に向かいましょう、」と提案した。
「聖堂の治癒師を手配させました。手当を優先させます。お怪我をされているようですから、」
「私はよい。ランスを先に。カークの怪我も優先して見てやってくれ。」
「御意。」
助かった…。駆け出した馬の背にいると、もう安心だと思えてくる。
夜道を馬で移動しながら、フリッツは雲から覗いた月を見上げた。
素直に助けられたと喜べなくて、フリッツはついさっき起こった出来事を考え直して、あれは違う、と思い直した。
あの娘ではない。きっと、私の理想とする娘は、私を救うという娘はあの娘ではない。
なぜならもう、あの娘はあの男のものだから。
私はもっと危険な目にこの先合うのだろう。その時に、私を助ける者が現れる。
これくらいの困難なら、私は、自分で乗り越えていかなくてはいけないのだ…。
弱いままだと、負けてしまう。勝ちたい。
「とんだ夜になりましたね、」と横を走らせる馬の上から声をかけてきたカークに、「ああ」とだけ答えて、フリッツは唇を噛んだ。
強くなりたい。逃げたくない。強くなりたい…。
雑木林で見上げた月も、街道を移動しながら見る月も、美しく輝いていて、ずっと、そこにある。闇を照らす月は、闇を許していて、心許ない。
月が私についてくるのか、私があの月を追いかけ続けるのか。
早く朝になるといいのに。
フリッツは、終わりのない夜の闇から逃げ出したくて、街の明かりを目指して無心で馬を走らせた。
ありがとうございました




