15 公国の魔法使い
「どうしてここに、」
フリッツは隣を歩くニアキンに尋ねてみた。ニアキンもフリッツが休養日だと聞いて知っているのではなかったのか。
無言のまま返事もしないニアキンに不快な表情を隠さないカークに、フリッツは気にしないと諦めて歩き始めた。ドレノは我関せずと素知らぬ顔だ。
ラナの部屋のある区画へと赴き廊下の曲がり角を曲がると、フリッツは同じ建物の中なはずなのに息苦しさと冷気を感じて、思わず立ち止まってしまった。廊下には人の気配がない。周辺の部屋にも、物音がない。人からも隔離されているのか? フリッツはラナの境遇をここまでされなくてはいけないのかと気の毒に思った。
「殿下、どうかなさいましたか、」
「カーク、ニアキンも、ドレノも…、何も感じないのか、」
自分だけにしか判らない重みなのか?
フリッツは立ち止まり目を閉じ、頭を支えながら尋ねてみた。
「ええ、私は平気です。ニアキンもドレノも変わりませんね。…大丈夫ですか?」
ニアキンとカークは背が高くて、ドレノとフリッツは小柄だ。体形に寄るものではないということだろうか。
王城の、フリッツの部屋を出て間もないはずで、同じ建物なはずなのに手入れがされているはずの美しい乳白色の絨毯の上にはあちこちに赤黒いシミがあり、生き物だったと思われる砂の山や剥がれ落ちた羽や皮、肉の塊のようなもの、腐臭が漂っている。どうしてこんな状態のままで放置されているのだろう。
死の邪気に当てられたのか? 眩暈を堪えながらフリッツは考える。
月の女神の神殿への旅の中で魔物を倒して進んだ道中は風が吹いていて空は高くて、魔物を討伐している旅だったのにもかかわらずどこか清潔感があった。ここは、違う。死に絶えた胡乱な廃墟としか思えない荒んだ空気に、王城という一番安全なはずの場所という認識との差があり過ぎて、いったいどうなっているんだと不思議に思えてならない。心の底から嫌悪感を感じて腹立ち始めるフリッツに対して、カークもドレノもニアキンも平気な顔をしている。
「何も、感じないのか?」
「ええ。何かありましたか、殿下、」
立ち止まるカークの足元には血まみれの獣のような肉の塊が転がっているのに、ドレノも眉一つ動かさない。
「ああ、動かない方がいい、生き物の気配はないから死体だろうな。」
「死体ですか?!」
「おそらく人間ではない。精霊か何かの死体だ。」
陰火のラナが精霊を殺さないよう、魔法で精霊が殺されなくてすむように結界を配置したのではなかったのか。精霊がラナに近寄らない配慮はどこにあるのか。
言葉にならない苛立ちに唇を噛むフリッツの顔を見て、ニアキンは制服の胸の内ポケットから一通の手紙を差し出した。
「殿下、ここに来る際、昼間来た聖堂の魔法使いから預かったという手紙を渡されました。」
「どうして今、それを言うのです、ニアキン。報告なら早めにお伝えした方がいいのではありませんか?」
不快に顔を歪めたカークが窘めると、ニアキンはすっと封筒の裏をカークにも見えるように向けた。
「これを、」
表書きには、<親愛なるフリードリヒ・レオニード殿下と皆皆様へ>と書かれていて、裏の差出人のあるはずの場所には名前ではなく<殿下が死体の話をされたらお渡しして下さい、>という文字が書かれている。
「どういう意味だ?」
死体の話をしなかったら渡さなくていいという手紙なのか?
ニアキンは訝るフリッツの質問に淡々と「判りません。ですから、どういう意味かお渡ししてお尋ねしてくるようにと命じられました、」と小さく頭を下げていた。
封蝋はしっかりと閉じられている。中身を見てから話を聞いた方が良さそうだ。
カークに手渡された短剣で封を切ると、便箋と、薄いボタンのような形状の小さな赤紫色の輝石が3枚入っていた。
便箋には『清浄をするようにと、ドレノにお渡ししてください。魔力は込めてあります。あなたの友人のコル。』とあった。
直接ドレノに渡せばいいのではないのか、とフリッツは戸惑った。何故私を経由する必要があるのだろう。
掌に乗せた赤紫色の輝石は、艶やかに光っている。
清浄とはいったい何なのだ?
「いかがされましたか?」
「読んでみろ、」
覗き込んでいたカークがドレノに手招きした。
「殿下、ドレノに魔法を使わせてみろって意味ではないですか?」
「かもしれないな。ドレノ、魔石を持っているか?」
コクン、と頷いたドレノはメイド服のポケットを撫でた。
「それはドレノに預けておく。使えるなら使え。許す、」
魔力を持たなくても魔石という補助を使い魔法を使うドレノには必要だろうと判断する。結界の中に足を踏み入れようとしている現状を考えると、魔法が使える者がいるのなら使える状態を維持させておいた方が有利な状況だと思えてくる。
「これも渡しておく。清浄をしてほしい。できるか?」
頷くドレノは、『清浄』が何かを知っているようだった。薄いボタンのような輝石を摘まんでドレノの広げた掌の上に乗せると、肌に触れた瞬間、赤黒い輝石はパチパチと音を立てて光った。
「なにが起こっているんです? ドレノ、」
話しかけようとするカークに人差し指で静かにするように合図して、ドレノは薄い赤紫色の輝石を手に握ると、空中に向かって拳を捧げ、女神の言葉ではっきり呪文を唱えた。
<正しき光を正しき者に力として与えよ、>
火花が散って空間全体に広がった。廊下の先までに見えていた何かの固まりやシミの上を幾千もの小さなろうそくが覆い、壁といった平面という平面にろうそくに火が灯るようにして、灯りが広がっていく。
蝋燭が燃え尽きていくたびに、廊下にある肉の塊や皮、羽といった体の一部だったものは燃やされて消えていった。
聖堂の不思議な能力で、魔力なしなはずのドレノは魔法を使っている。魔法が使えない自分にも、いつか聖堂の秘術を使えば魔法が使えるようになるのだろうか。
「幻灯だったか?」
黙って頷いたのは肯定だろう。ラナの部屋まで続く廊下の絨毯の上にあった腐臭の原因は浄化の炎に包まれて消えていく。幾千という陽炎のような灯りは、魔法だと知っていても、見ていると息苦しくなってくる。
昼日中の明るい廊下にあっても輝きを放つ命を燃やす光は、空間をのべつくまなく照らし出し、絨毯に染みついた体液も包み込み燃やしていく。
やがて、小さな砂の山が廊下のいたるところにいくつもできていた。
魔物は倒すと砂の山になって風にのり空中に消えていた。ここは風がないから残るのか。体が燃え尽きたあと、魂は輪廻の輪に帰ってしまっているのだろうな。
そう思ってみて初めて、さっきまでここにあったのは死体ではなくて、まだ生きている精霊たちだったのではないかとフリッツは思い至った。死に瀕して身動きもできない状態だった精霊たちをドレノが魔法で止めを刺したのではないのか? 助かったかもしれない命を燃やせと命じたのは、私だ。
気が付いてしまうと、無性に罪悪感が湧いてくる。ドレノに命じたのは、私だ。救えたかもしれないのに、私が殺せと命じたのか。生殺与奪の判断を、ドレノではなく私にコルは委ねたのか。ああ、だから、私に託したのか。
一瞬だけ得意そうな顔をしたドレノは目を見張るニアキンに気付いて、「清浄は不浄を燃やしてすべてを消し去る儀式です。仕上げをします、」と説明した。表面上は平静を装っても動揺し混乱したままのフリッツは「ああ、」と声を絞り出し自分を落ち着かせるために答える。
しっかりしろ、フリッツ、あのまま救えるかどうかわからない状態で放置しておいたとしても、精霊を見えない者ばかりの中でどうやって助けられたというのだ。だいたい、瀕死の精霊の救い方すら判らないというのに。
コルの仕掛けた結界は、精霊を捕まえる罠の一面もあるのだろう。罠に捕まえた後、聖堂の軍人でもあるコルは王城に頻繁に顔を出すとは思えない。結界を幾重にもしかけたと言っていた。幾重にもかける理由があるとするなら、ラナを守るため、ラナから精霊を遠ざけるため、精霊がラナに近寄らないため、近寄る精霊を捕まえて留めておくため、と思い付ける。そう考えると、罠にかけた精霊を助け出すつもりなどもともとなかったはずだ。こうする他なかったのだ。
フリッツは言い訳を考えようとして、何も思い浮かばないまま首を振る。だからと言ってどうすればよかったのだ? 自分に問いかけて答えが出ないまま、心が壊れそうになる自分に言い聞かせる。
このまま、輪廻の輪に魂を戻せないまま命が尽きるまで放置しておく方が非道だ、そうだろ、フリッツ…。
フリッツたちに背を向けると、メード服のスカートをたくし上げて太腿のガーターベルトに隠していた短剣を手に取るドレノに驚いてニアキンは視線を逸らした。そうか、あの場にはいなかったな、とフリッツはこれから起こす魔法を想像する。深く青い海の色に似たベニト石を使っての魔法を淡々と行ったドレノの平然とした表情が思い出されてくる。
「ドレノ、またですか。慎みを持ちなさい、」
額に手を当て眉間に皺を寄せたカークを無視して、ドレノは姿勢を正して手に持つ短剣を掲げ、赤紫色の輝石を滑らせる。
<正しき道に正しき歩みを再び齎せ、>
室内だというのに、剣に向かって上空から雷撃が走り落ちる。ドレノは、両手でしっかり短剣を構えたまま雷撃を受けている。
刃に降りた雷撃が空中に飛び散り広がって、燃え尽きた灰をさらに細かく砕いて燃やした。
空気を清浄化するだけなのだと思っていた。聖堂の言う『空気を清浄化する』という言葉の意味を深く理解すると、命に対する傲慢さが見えてくる。共存を図るのではないのだ。聖堂では、精霊も魔物も人に仇為す存在として浄化しなくてはならないのだな、と納得する。例えそれが、ラナのための結界に巻き込まれた存在なのだとしても、人ではないという理由で敵なのだ。ラナが陰火でなければ、ここに結界がなければ、落とさなくて済んだ命だっただろうに。
空気を浄化するどころか空間を正常化する強力な魔法は、青白い放電ですべてが分解され消失して無に帰る消失感があって、美しいけれど痛ましい。
やがて雷光が白くなり太陽光に馴染んで消えると、すまないと、名もなき精霊たちを悼む気持ちがフリッツの中に芽生えてきて、無意識のうちに胸に手を当て黙って頭を垂れていた。
※ ※ ※
「殿下、行きましょうか、」
澄んだ空気に顔をあげるとさっきまでの息苦しさが嘘のようで、黙祷を終えたフリッツは素直にカークの言葉に頷いて歩き出した。ニアキンもドレノも表情を新たにして付いてきてくれている。
ラナの部屋のある奥へと視線を向けると、結界が張られ進入禁止を知らせるために立っていたはずの見張り役の兵士が倒れている。すぐさま駆け寄ったニアキンは屈みこんで口元の匂いを嗅ぎ、首筋に指を当て脈を診た。
「生きているのか?」
「これは寝息、ですね。眠っているようです。」
「そうか、」
魔法で眠らされているのか結界の影響なのかまでは、フリッツには判断がつかなかった。カークとドレノは真剣な表情で、フリッツの顔を見て頷いている。ここから先に何が待ち構えているのか察し、覚悟を決めたようだった。
黙って廊下の先を見るフリッツの耳には「嫌な静けさですね、」と呟いたカークの声はやけにはっきりと聞こえた気がした。
南西の方角の廊下の奥にあるラナの部屋までは人の気配がなかった。結界で封鎖され人との接触を極力避けるように言われているのもあって、侍女たちの出入りも最小限とする配慮もあるのだろうけれど、ラナがいる気配すらも感じられない。
先頭を行くカークが脇目もふらずラナの部屋を目指して歩いていくのを、ドレノが硬い表情で小走りに追っている。ニアキンはきょろきょろと窓の外や天井を見回しながら数歩離れて歩いていて、誰もが緊張し興奮し好奇心を抑えきれない様子だ。
最後尾にいるフリッツは、自分だけがこの先に行きたくないと思っているのではないか、と心の中で不安を感じていた。ラナは心配だけれど、空気がいくら澄んでいても、どういう訳かラナの部屋に向かえば向かうほど息が苦しくなるように感じていた。喉元のボタンを外して襟元を広げ、気持ちだけでも解放しようと試みる。嫌な予感しかしない。
「カーク、あまり離れるな、」
「大丈夫ですって。」
笑うカークの顔に呆れながらフリッツは顔をあげ歩き進めていくうちに、ラナの部屋から冷気が漏れているような感覚がしてきて、異常に静かで寒いと思えてきた。
ドアには、いや、ドアを含めたラナの部屋の外壁には銀糸のような糸が張り巡らされているように見えた。そっと触ろうとすると、指を透過させたままキラキラと細やかな光を反射させている。もしかして、これが、コルが仕掛けたという結界なのか?
「殿下、どうかされましたか?」
「見えないのか?」
「何かあるのですか?」
「ああ。結界だろうな。」
カークがドアの前に立って動けなくなってしまっているフリッツに問いかける。
「中に入るには、もしかして結界を断ち切る必要があるのでしょうか?」
「結界は精霊からラナを守るものだ。ドアはドアとして開くのではないか?」
そっと、ドアノブを手に取りまわしてみる。押しても引いても動きもしないドアノブは何かで固定されている。
ニアキンが、フリッツの手を優しく握って、小さく首を振った。
「お下がりください。」
ドレノとカークが躊躇うフリッツを後方へと寄せる。
「殿下、あとはお任せください。」
「何故だ。」
「もし結界が影響でお体に不調が出ているのなら、この先へは進まない方がよいのではありませんか。」
ドレノまでそう思っているのか、カークの言葉に頷いている。
「そんな訳にはいかない。」
部屋の中から、一瞬、ドアの隙間を突っ切る様に閃光が走った気がした。
眩い光に瞬間的に目を閉じたフリッツは、感じたのが自分だけなのだとカークたちの反応から悟った。
あれは、魔法だ。
魔法がこの部屋の中で使われたのか?
戸惑うフリッツの目の前に、ドアの向こうから滲み出るようにして精霊が姿を現した。
霊廟で見たラナに重なったあの精霊だ。明るい廊下で見る姿は霊廟の暗がりで見た時よりもはっきりとしている。水色に透明な美しい女性の容貌で、どこを見ているのか判らない曇った瞳は、手の届く距離にいるフリッツたちではないどこかに向けられている。
「見えるか?」
フリッツの問いかけに、カークたちは驚いて見まわして黙って首を振った。
「ここに、ラナの精霊がいる。」
フリッツの声が聞こえているのかいないのか、精霊は目を合わせることなく再び部屋の中へドアを透過して消えていった。
「殿下、ここの周辺は…、姫殿下のお部屋付近は精霊が干渉できないように結界が仕掛けられた、と聞いておりましたが、…いるのですか?」
カークが神妙な表情で尋ねてくる。
「いたから見えるかと聞いたのだ。」
苦しくて不機嫌になっているフリッツと気が付かないカークのやり取りを黙って聞いていたニアキンは、一瞬眉間を寄せドアの真正面に立つと、腰の剣に手をかけた。よく見ると、細身の薄く暗い色味の刀身、黒い柄には鍔なのか丸く手を覆うような形状の銀色の翼の飾りがついている。形状を見るに、もしかして片手剣ではないのか? 護身用に持っているのか。王城内という狭い空間に対応させるために小振りの剣を選んで持ってきたのだろうか。一対一で使うのならともかく、こんな状況で使うのか? フリッツは眉を顰めて尋ねかけて、ニアキンの顔を見て言葉を飲み込んだ。
フリッツを見るニアキンの表情は晴れていて、迷いがなかった。これまで不満気だった瞳は澄んでいて、まっすぐにフリッツに眼差しを向けている。初めて見る、ニアキンの顔だった。
「殿下、お下がりください。非常時故詳しくお話しできませんが、この奥に良くない者がいると感じます。」
「ニアキン、何を根拠に殿下にそんな口をきくんです?」
カークが不快そうに口を挟んだ。
「魔力を持たなくても状況からそう判断できるのです。」
明るく、疑うカークに対してはっきりと答えたニアキンの表情は、妙に自信に満ちている。何か根拠となる情報を持っているのだろうか。
この者を信じなくてはダメだ、と咄嗟に判断して、フリッツは頷いた。「ニアキンを信じよう。」
ふふっと、意外にもニアキンはこんな状況なのに笑った。
「何がおかしいんです? 勝ったつもりですか?」
「カーク、」
「私は、殿下を選んでよかったなと思ったまでです。」
ムッとする表情のカークは、さらに、「意味のわからないことを言うのは止めて下さい、」と鼻に皺を寄せた。
「我がデリーラル公爵家には代々伝わる秘剣があります。初代が、公国から錬金術師を招いて魔術工房を作り破邪の聖剣を真似て作らせた剣です。」
「錬金術師か。しかも魔術工房とは。」
アンシ・シでイリオスが語っていた魔道具を作る工房の事か。目を細めフリッツはニアキンの手元にある剣を見つめる。破邪の聖剣とは大きさも形状も違う。それでも真似たというのなら、特殊な効果を持つ剣なのだろう。
こんな時にそんな話を口にするなんて。なにか秘策でもあるのか。それが秘剣なのだろうか。
「殿下、まずはお見せしたほうがよろしいかと思います。」
ニアキンは腰を落として剣を構えた。
「父は、私に、使い手として殿下のお力になる様にと命じました。迷っていましたが、父の命を受けると決めました。」
小さく笑うと、ニアキンは剣をドアに向かって突いた。
シュンッ!
閃光が走り、煌めきが空を切っただけかと思えるような軽い音が響いて、目の前の空間が広がった。状況を理解しようとした瞬間、ラナの部屋のドアが細かく降り積もるようにして崩れ落ちたのを目のあたりにする。
ニアキンが一撃で、分厚いドアを粉砕していたのだとしか言えない。細い銀糸は、ドアのあった空間に漂うようにキラキラと存在していた。ニアキンはドアだけ粉砕して結界は壊さなかったようだ。
剣で切り刻んだ動きには到底見えなかった。突いた瞬間に爆発的に小さな爆発がいくつも発生してドアという塊に対して同時にぶつかって細かく砕いた、としか思えなかった。
あれが、剣技なのか? とフリッツは現象を理解しようと一瞬の出来事を何度も思い返していた。
「今のはいったい何です、ニアキン。」
驚愕よりも警戒した表情のカークが、鋭い声で尋ねる。
「代々我が家に伝わる秘法の剣です。精霊の加護を願い、風と地の付加効果を付けた秘剣に仕上げました。この剣は意思を持ちます。持ち主を選ぶのです。私は、今代の持ち主に選ばれたのです。」
「詳しく聞かせてください、本当にニアキンは意味が判りません。」
「深い意味など考えないでください。これが私の仕事ですから。」
「ハア?」
顔色を変えて怒りだしそうなカークにあっけらかんと断りを入れると、淡々とした表情でニアキンは剣を鞘に戻し崩れたドアを悠々と乗り越えて部屋の中に入り、部屋の中心に立つ人物に問いかける。
「お前は、公国の魔法使いだな。」
部屋の中の、大きなゆったりとしたピンク色のソファアには、よりかかる様にして座っているラナが見えた。とろんとした表情は、意識が混濁しているのかフリッツたちの姿にも気が付いていない。ラナの精霊は部屋の中には居たけれど、ラナとは距離を置いて立っていた。
天井にも壁にも床にも銀糸が張り巡らされ、ところどころ小さな光が止まっているように見えた。それはまるで、キラキラと露を捕まえたまま離さないでいる朝日に透ける蜘蛛の糸のようにフリッツの目には見えていた。窓にも窓の外にも、蜘蛛の糸の煌めきが輝いている。
ぼんやりとした表情のラナのすぐ傍には、執事服姿の男が腰をかけていた。顔に見覚えがある。所属を表すような刺繍もない黒い執事服も白いシャツも白い手袋もありふれたものを身につけていてるのに、立ち居振る舞いの品の良さや滲み出る知性から、貴族の正当な執事にしか見えず違和感がない。
この青緑色の瞳を知っている。でも、ありえない姿に、頭が理解が追い付かない。フリッツは誰なのかを一瞬で思い出せていた。
ニアキンの問いかけに答えないまま、執事は立ち上がり優雅にお辞儀した。
「案外お早い起こしでしたね、殿下。」
やはり聞いたことのある声が、フリッツを殿下と呼んだ。
声を聴くやいなや、ドレノがスカートの裾を翻して走り、大きく飛び上がった。本人と断定したのだろう。
くるッと空中で一回転して勢いよく足蹴りを打ち込むのを、ニヤリと微笑んだその執事服の男は微かに唇を動かして呪文を唱え、自身を包み込んだ金色の光で跳ね返す。
ズサササ…ッと、跳ね返され転がり滑っていくのを床に足で止め、体勢を持ち直してドレノは「貴様!」と叫んだ。
ありがとうございました




