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4 月が隠れているうちに

 街道沿いの木陰から悠々と現れたのは、二つ首の犬(ケルベロス)と、こん棒を持った亜人種の魔物であるひとつ目の巨人男(トロール)だった。

 見上げるような大男は腰巻しかつけておらず、分厚い肉の鎧でも着ているかのように筋骨隆々で、フリッツたちを見つけるなり、こん棒を持つ手を振り回して薙ぎ払おうとしてきた。

 まるで散歩の最中を邪魔した不届き者を視界から消そうとしているかのようだ、とフリッツは思い、魔物からすると人間は邪魔な存在なのかと不快な気分にもなった。ここに先住しているのは我々人間なはず、自分の庭のような振る舞いに腹が立つ。

 いつか見た夢の中で、名前のない人は魔物は遠い地から流れてきたと言っていた気がするけれど、もうここを住みかとして暮らしているのか…。ここに暮らしていた精霊や妖たちは、どこへ行ってしまったのだろう。

「手を出したのはお前が先だ、悪く思うなよ、」

 慈愛の精神で、フリッツは先手を打たないと決めていた。先に手を出した方が悪いから迎撃しただけだ、と保身する戦い方であるとも言えた。

 フリッツは剣の稽古通りに剣を振るい、体勢を立て直しては、飛び込むように地を蹴り何度も切りかかった。

 叩き潰そうと棍棒を振り回す大男や噛みつこうとする犬の化け物の攻撃は、フォートやキュリスたちが代わりに引き受けて流し、逆にやり返してくれていた。相手は、フリッツが怪我をする前に、どんどん傷を負っていっている状態だった。剣の腕を考えると、フリッツが苦戦している魔物よりもキュリスたちの方が強い。キュリスたちだけでの戦いなら、もっと早く、結果が出るのだろう。


 ランスは一歩引いて、フリッツやキュリスたちの動きを観察して記録をしていた。そんな余裕が持てる敵なのだと、フリッツは冷静に把握して、そんな相手を前に苦戦している自分はまだまだ未熟なのだと唇を噛んだ。


 フリッツがとどめを刺すまで、この状態は続くのだ。早く倒さないと、と、焦りも生まれる。

 そんな焦りからくる空きを突いて、敵はフリッツを殺そうと容赦なく攻撃してくる。


「逃げろっ、」殺したくないんだ。


 小さく吐いた独り言は、剣戟に消される。

 一度剣を交えたら必ずとどめを刺して下さい、とランスは旅が始まって直ぐに言った。魔物は知能が低いですから、下手に同情するとかえって熾烈を増します。仲間を呼ぶ前に撃つ訓練をまずしましょうか…。

 ランスの記録をもとに、王都に帰ってからは戦術の復習と対策を練る計画があった。勝つしかない。フリッツは負けてはならない戦いなのだと心を奮い立たせながら、魔物たちに立ち向かった。

 戦闘が始まっているのにまだ迷う弱い自分が苦々しく思えて、意識して無心になって剣を握った。命を奪うのだと意識してしまうと、負けてしまいそうだった。


 やがて、息を切らしたフリッツの足元に巨人男と二つ首の犬の死体が横たわった。やっとの思いで終わった、と、顔や首に飛んだ返り血をカークに布巾で丁寧に拭ってもらいながら小さく溜め息をついた。


 魔物の亡骸は、ほんのりとした砂塵になってどこかに消えていく。そんなことも旅を始めてから知ったことだった。小さな砂塵の上に残った犬のような魔物の首輪は意外にも水晶や瑪瑙が散りばめられていて、明らかに貴族向けの奢侈品の首飾りに思われた。

「この首飾り(ネックレス)を身に付けていた者は無事なのだろうか、」

 どうしようもない疑問を口にしたフリッツに、カークたちは顔を見合わせた。

「考えても答えのないことを口にするのはおやめなさい、フリッツ、」とランスが呟き、「救われていると願いたいですね、」とキュリスはミンクス侯爵領の方角を指さした。

「冒険者たちがあの領からいくらでも湧いて出ているでしょうから、」

「そうだな、私もその一人になれると良いな、」

 フリッツは、指さした向こうの空を見つめた。

 カークが小さく笑って、「歩けますか、」と尋ねてくれた。

「大丈夫だ。実践がものを言うのだと判ってきた。昨日よりは躊躇わなくなってきているだろう、」

 尋ねるような口調で答えたフリッツに、カークは小さく微笑んだ。


 歩けますかというカークの心配の一言に、無性に腹が立っていた。歩けなくても、歩くしかないだろう、とフリッツは思う。

 肩が震えているのも、息が上がっているのも、怖いからなんかじゃない。生きたいからだ。

 魔物が死ぬか、自分が死ぬか。

 生きていたい。

 生きたいに決まっている。生きて帰りたいに、決まってる。

 それでも、ここを、逃げ出せるわけがないだろう。


 俯くフリッツのやせ我慢をいなすようにポンポンと肩を叩いて、キュリスは「昨日よりはご自身で戦っておられていましたよ、」と励ました。


 ※ ※ ※


 多少の遅れは出たものの街道を計画通りに進み、フリッツたち一行は野営を繰り返し、街で食事をし、戦いを重ねて、目的地であるミンクス侯爵領のエルスという村までやってきた。

 やっとここまで来た、とフリッツは振り返った。

 途中に寄った街の駐屯所で風呂を借り着替えたとはいえ、体の隅々まで返り血を浴びている気がしていた。洗っても、洗っても、奪った命の匂いがする気がする。

 この感覚に慣れる頃には強くなっているのだろうか。

 街に入ったフリッツが見上げた空は夕焼けに染まり、上り始めた地平線近くの大きな満月が見えていた。


 ※ ※ ※


「いいですか、フリッツ。今回神殿で誓いを立てることが目的ではありません。ですから、夜に到着してもまーったく影響はないのです。」

 カークが得意そうに薪を組みながらフリッツに言うと、キュリスが「そうだよなあ、お前がつい浮かれて買い食いなんかしなければ、領都の街中で道に迷わなかったし、こんなに遅くに到着することもなかっただろうなあ、」と呆れたように笑った。

「仕方ありません、マルクトは久しぶりの文化的な街だったのですから。」

 ふんぞり返ったカークはマントを畳んで、「ミンクス領は気候も安定してますし、いいところですね。食べ物はおいしいし、何よりも寒くないのがいいです、」と笑う。

「フリッツは大変なのに、カークは気楽なものだな、」

 皮肉りキュリスが笑えば、ビスターも笑い、ランスが目を細める。フォートは微笑みながらも黙々と作業をしていて、種火用の木炭を使って器用に火をおこしてくれる。

「そうかもしれませんね。先日の昼間に見た花渡りの空も、とても美しかったですね。王都にいては見られませんからね、」

 カークの言葉に、フリッツも空一面に広がった花の精霊たちが空を渡っていく景色を思い出していた。

「聞いていた以上に、素晴らしい光景でした、」とランスも頷く。


 花渡りとは、冬の寒さに耐えられず精霊の国に帰っていた花の精霊たちが地上に舞い戻る現象で、春先の太陽と月が同じだけ一日を分ける日のお昼下がりに見ることができた。


 空を舞うのは花弁なのか、精霊なのか。フリッツはどっちもだろうと思い出す。

「まるで天女のようでした、」

「そうだな、」と、ほおっと溜め息をつきながらフォートも頷いた。

 あの花の精霊たちは、なんという花の化身なのだろう。空に拡がる、柔らかな衣を棚引かせて華やかな笑みを浮かべた精霊たちを思い返す。柔らかな花弁のような衣が、陽光に透けて輝いていた。

「あの美しさは、人の手で描くことはできないのだろうか。」

 今までに見たどんな舞よりも美しく、嬉しそうに踊るように緩やかな衣装を風にひらひらと舞わせながら各地に散っていく花の精霊たちの姿は、とても華やかで、とても幻想的だった。

 フリッツの独り言に、ランスは苦笑する。

「まあ、無理でしょう。あれは、人の手に負えません。」

「魔力がない私でもはっきり見えたのですから、僥倖としか言いようがありませんね。」

「田舎の領地では、彩雲と呼ばれる美しい雲が現れると聞いたことがあったのを思い出しました。花渡りのことだったのですね、」

 フリッツも頷き、「ここは空気が濃いのだろうな、」と、魔物の多さも感じながら呟いた。

「そうだな、王都ではこんなに草木は多くないからなあ…、」

「辺境伯領に近く自然豊かなミンクス領では、まだまだ精霊の住む場所が多くありそうですね、」

 頷いてキュリスはフリッツの顔色を読みながら、話しを変える。

「竜の神殿もあちこちの街にあるようですから、ついでに探してみたいですね。あ、隣町ククルールにはないみたいですけどね、」

「あの街は織物産業が盛んな町なようだからなあ。この村に女神の神殿もあるし、ないのも当然だろう。」

 先発部隊は到着したフリッツたちを確認すると、警護がてらこの村周辺を見回った後、隣町ククルールの宿へと移動していった。後発部隊は領都マルクトで旅の経過をマルクト侯爵家に報告した後、帰りは後発部隊が先発部隊となる予定で、領都マルクトで待機しているはずだった。

 小さく、カークがくしゃみをした。フォートが黙ってカークの背中を撫でた後、フリッツにも温めた茶をカップに注いで勧めてくれた。

「春の陽気に誘われて薄着をすると風邪をひくんじゃないのか、」とビスターは揶揄う。

 野営での食事に対しての考え方も、近くの街で調達してきたパンや果物や干し肉といった携帯食で空腹を誤魔化せば、また街に出た時に食を楽しめばいいと割り切ってしまえるようになっていたし、分かち合う食事も楽しいと思えるようになっていた。

 フリッツはここまでの10日間で培われた自分の心の柔軟さに少し成長したと思えて来ていて、王都の王城でマナーを重視し暖かさなど感じない食事は遠い異国の作法のように思え始めている自分に驚きもしていた。苦楽を共にする仲間と過ごす時間は、ささくれだった心を癒やしてくれる。ゆっくりとパンを頬張りながら、楽しい時間を暖める焚火を囲む。

「今晩はここで過ごして、明日には神殿の神官たちが来るでしょうから、誓いを立てずとも拝殿だけはして王都へ戻りましょう。フリッツ、楽しみですね。またマルクトの街が待ってますよ、」

 ニヒヒと笑ったカークとキュリスはよく似ていて、フリッツはよほど嬉しいのだな、と思う。

 ビスターも「この村は人の気配がする分、今までの野営地とは安全度が違います、ゆっくりお休みください、」と嬉しそうに言い、ランスも「フリッツの剣の腕は随分と上がりましたからね。帰り道もこの調子で鍛えていきましょう、」と笑う。

 暮れていく夜の帳にフリッツは安心感から気が抜けて、その日は早々に眠りについてしまった。


 ※ ※ ※


「…起きてください、」

 囁き、肩を揺り動かす手の感触に、フリッツは焚火が消されて明かりがないのだと気が付いた。月が、流れていく雲の静寂(しじま)に見え隠れする。

 声の主は、カークだ。

「どうかしたのか、」

 この10日の間になかった異常事態だと思いながら、フリッツはゆっくりと起き上がった。

 シーっと人差し指を立ててから、そっとカークが囁く。

「この神殿の近くにとんでもない気配がします。おそらく、敵襲です。」

 すでに剣を手に戦える準備をしているキュリスやランスたちはしゃがんでフリッツを囲んでいた。

「隣町ククルールに先発部隊がいます。先ほどビスターを走らせました。小一時間ほど耐えれば、救出され脱出できます。お覚悟を、」

 この小隊の中ではビスターが一番足が速くて機敏だった。適任だとフリッツは頷く。

「判った。この村に、私達以外に野営する者はいないのだな。」

「おそらく。」

「数は判るか?」

「多くて20程でしょう。今晩は月夜ですから、あいつらの方に分があります。」

 月夜に分がある魔物…。ここ最近の会話の中でそんな危険な魔物の盗賊団があると聞いた気がした。

狼頭男(ワーウルフ)犬頭男(ワードッグ)が月夜に徘徊して街を襲うという噂は、本当だったんだな、」

 フリッツは寝袋を抜け出すと、膝をついてかがんだ。

「堂々と戦うには、分が悪いのだな?」

 ランスが頷いたように見えた。キュリスやフォートが膝をついてフリッツの周りを囲んだ。

「獣人は夜目が利きます。私たちはほとんど期待できないと思ってください。」

「私はともかく、お前たちでもか?」

 剣の腕が立つランスたちなら、フリッツは足手まといになるかもしれないけれど、戦った方がいいように思えた。

「この際、はっきりお伝えしておきますが、フリッツ、あなたには迷いがあります。迷いがあるあなたを庇って戦うには、我々は戦力がお粗末なのです。数で圧倒的に、負けています。」

 ランスはフリッツの瞳の奥をじっと覗き込んだ。

「城での稽古と実戦とでは違いがあることに、まだ慣れませんか? 」


「そんなことはない、私は…、」

 言い訳を思い浮かべようとして、フリッツは言葉が出てこなかった。

 命のやり取りをするのだと判ってはいても、殺したくないと思ってしまったのを、思い出す。

 あの気持ちは、敵に逃げろと言ったのは、敵にではなくて自分に対してだったのか。

 この10日間、自分だけで、本当に倒したといえるのか。野営とはいえ、誰かが見張ってくれていた。敵の魔物も、そんなに強いものが夜襲してくるとは思ってもいなかった。


 ポン、と、ランスがフリッツの肩を叩いて、口調を明るくして提案する。

「隠れて様子を見ましょう。木がある分、身を隠すのにはここよりはマシですから。カーク、フリッツを何が何でもお守りするのです、」

 ランスが月の女神の神殿の裏手の雑木林の奥を指さした。

「この雑木林の奥には泉があると地図にはありました。あの者たちは水を嫌うそうですから、木に隠れながらそこを目指しましょう、」

 荷物を木陰にそっと隠して残したまま、フリッツたちは身を屈めて先頭をキュリス、殿(しんがり)をフォートに移動し始める。

「月が隠れているうちに早く、」

 カークの囁き声は、いつになく真面目な声に聞こえて、フリッツはぐっと奥歯を噛みしめた。

  

 神殿の周囲からは、何かがぶつかる音や、獣のような荒い唸り声、吠える声が聞こえていた。

 

 フリッツたちが雑木林の中に入り込み奥へと進もうとした時、月が雲から現れた。


 遠吠えのような大きな声と、一瞬、大きな地震とが起こった感覚がして、フリッツは眩暈を覚えた。

 手で頭を押さえたフリッツに、「大丈夫ですか」とカークが囁きかけた瞬間、唸り声がして、一行のすぐ近くで枝を揺らし大きな何かが倒れる音がした。


「カーク、お連れして走れ!」


 ランスの声に背中を押されるようにして走り始めたカークとともにフリッツは走ろうとして、視界の隅に大きな狼のような何かに襲われているフォートを見た。

「いけません、前を見て、フリッツ、」

 鮮血が、フォートのマントを黒く染めていたのを見て動揺したフリッツを急き立てるようにして、カークとキュリスは奥へと急いだ。

「ランスが食い止めてくれます、急いで逃げるのです、」

 走りながらも、カークとキュリスは腰から下げた鞘からすでに剣を抜いていた。


 雑木林の、木の間を駆け抜けながら、フリッツたちは奥へと向かった。追ってくる敵の数は、足音で増えているのが判る。ハァハァと、自分のものなはずの息遣いが、大きく聞こえる。フォートは無事だろうか。ランスは大丈夫だろうか。フリッツは悪い想像を頭から振り払って懸命に走った。

 

 フリッツたちを追う狼頭男たちの後ろから、ランスが追いかけてくれてきているのか、時々後方から剣の交わる音や何か叫ぶ声が聞こえる。


 ふいに、何かが視界の隅に入った。大きな黒い塊のような影のような…。カークが「いけません、」と言いながら、フリッツに向かってくる狼頭男を剣で制する。


 追いつかれた!


「行って! 」と叫ぶキュリスは、立ち止まって応戦し始めていた。

 フリッツは「すまない、任せた!」と声をかけ、奥へと走った。

「生きて、フリッツ! 絶対に逃げて生き生き延びてください!」

 ランスの声が、どこかから聞こえてきた。剣の交わる音がする。鈍い音と、呻き声が、聞こえる。

 

 今の自分にできることは、逃げること、泉を目指すこと、生き延びること…!


 木の根につま先が引っ掛かったのか、足がもつれる。

 よろめいて視線がぶれた先に、森の出口が見えた。夜桜が月明りに白く輝いている。

 泉が見え、水面に白くぼんやりと映しているのは、桜の色。


 あんなところに! あそこまでもう少しじゃないか!


 希望を感じて立て直して走るフリッツは、大きな音と、黒い影が、頭上の木の枝から落ちてくるのを感じた。


 !!


 言葉にならない衝撃に、フリッツは立ち止まる。目の前には、大きな牛の頭をした男が月を背に飛び掛かってきていた。

ありがとうございました

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