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4 希望を夢見ていたい

 蔓を這うように進んでフリッツの腕へと近寄ってきた毒虫(ムカデ)たちの髭が、手首を撫でた。逃げ出したくなるような寒気を感じてフリッツは身震いをし掛けて、5人の審判者たちの視線を思い出して耐える。

「真実を話して下されば何事もなくこの術は終わります。もし、嘘を話されてしまったら、罰を与える結果となるでしょう。」

 身を捻ると、テイラース候が肘をついて手を組んでいるのが見えた。顔は、ニヤニヤと笑っていた。

 この部屋に、警護の兵がいない理由が判った気がする。こんな存在がいる部屋なら、他にも何かしらの術が施されていそうだ。フリッツは奥歯を噛んで、キッと目の前のイーラを睨みつけた。

 魔法悪論を唱えているはずのメーロウ博士は、何も動揺もなく淡々とした表情で、フリッツの動作を見つめていた。


「こちらが真偽を確かめたい質問はお答えの容易いものばかりです。いくつかお付き合いください。」


 テイラース候のゆっくりと話す間合いがわざとらしく感じられて、顔が見えないだけにさらに腹立たしくなる。「判った、」と答えて、フリッツは奥歯を噛みしめて頷いた。早く終わらせてくれるつもりはないようだ。感覚を意識すると毒虫(ムカデ)を必要以上に感じてしまいそうで、自分の呼吸に意識を移そうとすると、身体中から息をする度、吹き出る汗が止まりそうもなく思えてくる。


「では、伺います。フリードリヒ・レオニード殿下は、正式な書類を作成し申請したとはいえ、虚偽の内容に寄る旅行計画の書類を提出されましたね。」


 国境付近における生態系の調査とせずに、地竜王の神殿への個人的な参拝と申請して、果たして許可が下りたのだろうか。

 ただ、フリッツは、この手の事案がいつも精確な申告を持って書類が作成されていないと知っている。

「虚偽ではない。実際に国境付近に赴き、申請した書類にあったように地竜王の神殿に赴いている。」


「これは失礼。偽られたのは御身分でしたな。」

 含みを持たせた声に、フリッツは肌が粟立つ感覚がした。この質問の意図するところはなんだ。

 わざわざこんな審判の場を設ける理由はなんだ?


「殿下、我が国と皇国(セリオ・トゥエル)との国境(くにざかい)の街アンシ・シに行軍し、不埒者の集団エクスピアとの騒動に巻き込まれている現状があるのは御自覚がおありですかな。よもやとは思いますが、竜魔王の討伐から逃れるため国を捨てて国外に逃亡するおつもりで虚偽の書類の申請を行ったのではないか、との疑いもあります。」


 メーロウ博士の発言に、フリッツは何を馬鹿な言いがかりを、と思うのと同時に、何を根拠に逃げたなどと考え付くのか根拠を聞いてみたいなと思った。

 思い出せる限り、逃げ出したいと思った感情は月の女神の神殿までの予行演習の夜の、あの一時だけだ。


 腕を伝って、蔦がフリッツの肩にも到達しそうなほど伸びていて、蔓を伝って腕の上を毒虫(ムカデ)が這いずり回っている。正装をしているおかげで上着は地厚な礼服だった。素肌じゃなくてよかった。

 でも、不快な質問に不快な状況はフリッツを興奮させ、じわじわと苛立たせてくる。


「そのような意図は全くない。身分について虚偽の申請があった事実は認める。だがそれは、前回の予行演習によって経験より、王族の警護には十分な人選を確保していると想定していた旨、身分を偽っても支障はないと判断したまでだ。」


「エクスピアに関しては、どう思われますか?」

「あの場で初めて知った存在だ。魔香(イート・ミー)に関しては想定外であった。知っていれば避けて計画を練っている。」


 メーロウ博士の質問にあるような国外逃亡なんて思惑などなかったけれど、フリッツにとっては地竜王の加護を得る旅は私的な旅行で、行く以上公的な意味を持たせた方が理由に無駄がないと考えていたのは否めない。

 魔香もエクスピアもフリッツの予定にはなかった不慮の事故だったとしか言いようがない。むしろ、国外に逃亡するつもりがあるのなら、魔香が撒かれていようとどさくさに紛れて国境を越えていただろう。事前に情報を得ていて危険な場所だと知っているなら、わざわざ出向いて行ったりもしないだろう。

 不快感を殺して静かに怒るフリッツの顔色を観察しながら、クレール博士も険しい表情で問いかける。


「クラウザー侯爵家男子フォート・リース卿が狼頭男(ワーウルフ)と呼ばれる魔物(モンスター)になりつつある状況を国王陛下へ報告されておりません。フリードリヒ・レオニード殿下がフリッツ・レオンとして所属されていると主張されている王城の騎士団団長への報告、アンシ・シに滞在中の国境警備部副部隊長ブノワー伯爵へも報告がされておりませんでした。」


 報告の義務をここまでうるさく言うのはそれほどまでに重篤な内容なのだろうなと察せられても、フリッツはフォートの秘密をそもそも報告すべき内容だと思っていなかった。

 言葉を続けそうな気配があって、フリッツは様子を窺う。

 何を続けるつもりなのだろう。


「寄って、我々は、殿下はこの状況を前もって把握済みで、魔物(モンスター)の驚異的な身体能力を用いて国家の転覆を計っているのではないか、という推測も捨てきれないでいます。王族と言えども、国家反逆罪も検討出来ます。真実はいかほどでありましょうか、」


 呆れて、思わず笑い出しそうになる。例え驚異的な力を有していようと、フォートひとりが狼頭男(ワーウルフ)になったくらいでは国家など転覆はしない。大袈裟すぎる。

 報告に対する認識の差を反逆罪とまで言われてしまうのは飛躍しすぎている気がして、フリッツはなぜそう思ったのかを知りたいと考え始めていた。

 人間が魔物になってしまうという事例は、クレール博士たち学者たちの間の研究ではフォートが初めてではないのかもしれない。

 もしかすると、人間から兵器として魔物(モンスター)を作ろうという考え方でもあるのだろうか。

 竜魔王が魔物を増やすために人間を殺してさらに魔物を増やすのと同じ発想で、人間が、人間を殺すために人間を殺して魔物を生み出そうとしている実例でもあるのか?

 あるから、その残酷な計画の首謀者は王族であり王子である私であると、告発でもしようとしているのか…?


 肩より伸びる蔦を這ってよじ登った毒虫(ムカデ)の髭が、頬に触れた。感情が再び緊張へと戻り、身震いを我慢してギュッと爪を立てて手を握って堪えて答える。

 口に入ってこないでくれ、と、切に願う。


「フォート卿は人間である。よって、魔物ではない故に報告はしていない。」


 騒めき驚いた表情の審判者たちの顔を澄ました顔で眺めながら、フリッツは意識して冷静を維持する。


「では、質問を変えましょう。フォート卿が完全に魔物(モンスター)になってしまった場合、フリードリヒ・レオニード殿下はどうなされるおつもりだったのでしょうか。人よりも丈夫であるとされる竜人を庇って雨の降る中、王族の立場を忘れ捨て身でフォート・リース卿に向かって行かれたのだと聞いております。現在、国境警備隊より報告に上っている状況だと、フォート卿は魔法での呪縛と薬での維持により人である時間を保てている状況下にあります。フリードリヒ・レオニード殿下にお聞きしたい。これでも、フォート卿は現在人間なのでしょうか。それとも魔物なのでしょうか。」


 フリッツは質問したティオ博士を睨みつけて答えた。

「人間だ。」

 フォートが人間である限り、フリッツはフォートを尊重しようと覚悟を決めていた。人間なのだから盾になる必要も武器となる必要もない。フォートはフォートのままでいればいい。


 ほう…、と溜め息が、誰かしらから聞こえてくる。

「殿下は、狼頭男(ワーウルフ)を怖いとはお思いになられませんのですかな、」

「人ではない(なり)をしているのでしょうに、人だと申されるのですかな、」

「これはこれは、なんと興味深い、」


 学者たちの独り言のような発言を遮るように、コホン、とテイラース候が軽く咳払いをした。

「例えば、魔物なのだとして、フォート卿はクラウザー侯爵家男子として貴族の一員であるので爵位はなくても準貴族であるとみなされ、肉親か我が国の国王でない限り正当な理由もなく魔物として討つことはできません。意味をお判りでしょうな、」 

 テイラース候は正当な理由さえあれば討つと言っているのだとフリッツは悟った。


 理由はなんだ? 王都を騒がす狼頭男(ワーウルフ)の一員だとでも決めつけるのか。

 離宮で戦った狼頭男(ワーウルフ)はフリッツの剣がほとんど役に立たなかった。シャル―が助けてくれなければ助かっていたかどうかわからない。確かにあんなに強い存在が何人もいたなら取り押さえるのは苦労するだろう。だが、何人もいれば、の話だ。ミンクス領で捕まった者たちがいたはずだ。今回の離宮の一件でも何人か掴まっていたとすると、全体としてそんなにいないのかもしれない。

 でも、どうして、そんなにいないと思えるのだ? フリッツ。

 どんどん数が増えているのだとしたら?

 人間が故意に増やそうとしているのだとしたら?

 そして、既に、フォート以外に騎士だった者が狼頭男(ワーウルフ)になってしまった先例があるのだとしたら…?


「フリードリヒ・レオニード殿下、クラウザー侯爵家男子、フォート・リース卿は、人間であると思われますか?」

 まるで天気の移り変わりでも尋ねるように、メーロウ博士は軽い口調で問いかけてきた。


「人間だと思う。」

「それはどうして。」

魔物(モンスター)であるという証明がないからだ。だから、人間として扱う。」

「魔物、なのではありませんか? 現に殿下の目の前で変身したのだと報告が上がっております。フェムールという、竜人の少年に大怪我をさせてしまったのだとも、聞いておりますよ。」

 クレール博士は興奮して目を見開いた。

「竜人に素手で大怪我をさせられるような力を、フリードリヒ・レオニード殿下は人間が持つと仰りたいのですかな?」


「フォート卿は剛腕の百戦錬磨の騎士だ。そもそもの基盤が違う。単なる庶民が狼頭男(ワーウルフ)になったとしても、怪我はさせられなかったかもしれない。」


 狼頭男(ワーウルフ)の能力の差が基本となる人間の能力にも関わっているのだとしたら、フェムール少年が怪我をしたのはフォートがもともと武人だったのも影響している可能性だってある。

 仮に、武人だったフォートが狼頭男(ワーウルフ)になってしまったから竜人であるフェムール少年でも大怪我をしたのだ、としたら、フェムールが竜人だったから無事だったと言える。並の体力の人間じゃなかったから、フォートは命を奪わずに済んでいる。

 僥倖だ、とフリッツは心の底から思った。

 フォートを守る加護が働いたのだと、綱渡りのような奇跡に感謝すらしていた。


「私は、フォート卿は、人間である時と魔物である時とが混ざり合った状態にあり不安定な状態であるとは認めるが、人間であると考える。まだ人を殺した経験などない状態であるのに加え、人としての自制心を持っているからだ。」


 欺瞞だ、と気が付いていた。

 フォートは自制心があっても、力の制御までしきれていなかったと今なら思い出せる。

 フリッツは目の前の老学者がストーイと同じくらいの知識量を持つ賢者と呼んでもおかしくない存在なら、彼らの質問は罠で、ある程度自分の中で答えを持っていて、その答えから外れた回答をフリッツがすると訂正するかもしくは断罪するかなのだろうなと考えた。

 だけど、訂正しフリッツを理想的な見識や知識の元へと導くつもりがこの学者たちにはあるのだろうかは判らない。

 聴聞会という形式をとった懺悔の場と、冒頭にあった『いかなる身分の者であろうと真実の叡智の前において平等である』という言葉を考えると、フリッツが間違っていれば断罪し、真実との差を埋めるために罰を与え、考え方の矯正をするとみるのが妥当だろう。


 フォートの置かれている現状をフリッツよりも正確に把握しているのなら、あと少しで人を殺してしまいそうな際どい状況にあるのだと、メーロウ博士は知っているのかもしれない。

 ラプスティが押さえつけているだけで、フォートは、人間と狼頭男(ワーウルフ)の境目の境界線上に立っている。


 腕を這う毒虫(ムカデ)たちの存在がすでに罰なように感じられた。これ以上の忍耐を強いてくるのなら、精神の脆い者は発狂してしまうかもしれない。

 息を吸って整えて、目の前に立つ目隠しをしたイーラの顔を改めて見つめる。

 嘘をつくと与えられるという罰は、フリッツに下されるとは一言も言っていない。

 この学者たちは、人を殺していようといなかろうとフォートを魔物と認識している。それは何故か。その理由を揺らがせる答えを告げないと、フォートの安全は無くなる。

 フリッツは冷静に、言葉を選んだ。


「フォート卿に関して、私は、混ざり合った状態であるのなら、人間だけの状態に戻れる希望も残っていると考えている。フォート卿自身が人でありたいと願っているのなら、その考えを尊重し治療を考えるのが、人間であり友であり仲間である私の責務であると認識している。誰も殺してはおらず、異形というだけでは、国家に仇為す存在であるとは思えない。」


「殿下は…、人ではない姿かたちとなってしまった…、魔物(モンスター)の影響に侵され魔物と同化しようとしている者について、もしや、人に戻れるとお考えでしょうか。」

 テイラース侯やアポロドロース将軍は黙ってやり取りを見守っているようだ。目を細めたティオ博士は何か含みを持たせて質問してきているのだと感じて、慎重に考えを口にする。


「誰も殺していない存在なのだから、フォート卿は人間だと認識している。だが、人であるというのが肌の色や身体における特徴であるというのなら、該当できなくなる可能性もあるかもしれない。」

 フリッツの脳裏には、オゾス村の薔薇園の世話をする獣人たちの姿が思い出された。言葉は一方的にしか通じていないかもしれないけれど、心は、通じていたと感じていた。あの者たちは人間と言えないかもしれない。でも、魔物といわれて討たなくてはいけない存在であるとは思えない。


「魔物として討たれる前に、人間として騎士として尊厳を残したまま自決を促すのが、統治者としてのお心構えなのではありませんか、」


 淡々と話すティオ博士の声に、フリッツは一瞬にして頭に血が上り臨戦態勢を取ろうとして、イーラの蔓の締め付ける痛さに、我に返った。ちくちくとした何かが動いたのが、イーラから感じた。

 手首に絡まっていた蔓が、太く大きな棘を持ち始めていた。身動きをすれば棘が食い込みそうで、フリッツは息を深く吐いた。


 落ち着け、落ち着くんだ。

 私は、王族である前に、人間なのだ。


「騎士としてのフォート卿を尊敬している。フォート卿を友として支えていくつもりでもいる。見捨てたりはしない。完全な人間に戻せる方法を探していこうと考えている。」

 人間として、甘いと言われても、希望を夢見ていたい。


「魔物を、狼頭男(ワーウルフ)を人間に戻す方法ですか…、」

 ティオ博士の呟きを、メーロウ博士が掻き消すように声を張り上げた。

「人間であると言える根拠は人間と殺していないから魔物ではないと考える根拠は、現段階で人間を殺していないから、ですか。そのような考え方なら、先の大戦で敵国の人間を殺した私たち、国王軍として兵士や魔法使い(ウィザード)であった者は、人間ではなく魔物であると言えませんかな?」


「それは違う。人と人とが争う戦争にまで拡大して解釈する必要はない。」

 フリッツを握るイーラの手がきつくなった。棘が肌に食い込んでいる。不快な感覚に不快な情報、不快な質問に不快な状況に、追い詰められている自分がいる。これでは血が流れるのも時間の問題だろう。焦るな。気持ちをしっかり持て。自分を励まして、感覚を意識しないようにして補うように自分の考えを言葉にする。

「フォート卿はこの時代に生まれてくれていてよかったとしか言えない。戦時中にフォート卿が狼頭男(ワーウルフ)になっていたなら、変身を止めようとせず尋常でない力を武器として扱う者も出たかもしれない。人間と武器として扱うのは人として間違ったやり方であると信じている。そのような状況でなくてよかった。私はいくら魔物相手と言えども、人間を兵器として戦うやり方は間違っていると考えている。」

 何が気に食わなかったのか険しい表情となったクレール博士を見て、フリッツは竜魔王の討伐の旅にフォートを人間の盾にする計画があるのを思い出していた。そんな考えは間違っているのだと、暗に指摘する。

「輪廻の輪に戻れなくなるのが魔物であるなら、人間として輪廻の輪に戻れるよう介助すべき時がいつかやってくるかもしれない。そうならないために、私は竜魔王の討伐の旅をしながら狼頭男(ワーウルフ)から完全に人間に戻す方法を探っていきたいと考えている。」


「それはどのようなおつもりがあるのでしょうか。口先だけの思いですか? それとも、具体的な方法があるとでも?」

ありがとうございました

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