1 あの人はいない
王城へ帰る馬車の中で、フリッツはひとりで座っていた。
従者としていつもつき従ってくれているカークも、指導教官として常に目を光らせてくれていたランスも、近衛兵として身辺を警護してくれていたキュリスとビスターもいない。
王城からやってきた馬車は明らかにフリッツを王子として扱ってくれ王族専用の馬車に乗せてくれたわけではなかった。馬車が発車するまでカークは自分も同行すると言ってきかなかったので、とうとう騎士の一人がカークを気絶させてしまっていた。暴力での実力行使にキュリスとビスターが剣を構えようとしたのを黙ってランスが押し止め無言で後続の馬車へとカークを運び入れていた。騎士たちはフリッツの馬車の前後、後続の馬車の前後を馬に乗って護衛している。
窓に流れていく王都の街並みを静かに見ながら、フリッツは腕を組んで座る。何かがおかしいと思っていても、どこから遡って考えればいいのだろうかと混乱もしていた。
※ ※ ※
今朝がた、朝靄の中馬車を静かに走らせて、王城からクララが離宮へとやってきていた。馬車3台が連なって、ランスとビスターとを先導の馬車に乗せて、クララは王城の近衛兵の数名を護衛に付けて現れた。
玄関ホールの迎えの列にフリッツを見て無言で抱きしめて再会を喜んでくれたクララは、早朝だというのに顔つきがしっかりとしていた。挨拶をしようとしたフリッツに、シーッと、人差し指を立てて内緒よと言わんばかりに微笑んだ。
執務室で待つクリスティーナに会うために、クララは護衛の近衛兵たちの入室までも禁じ、フリッツだけに入室を許した。
若く、どう見ても20代前半な姿かたちで向かいの席に座って戸惑って震えているクリスティーナを見ると半笑いの表情になって、クララは「お久しぶりね、お母さま、」とすんなりと事態を受け入れているように見えた。フリッツに控えて立つように言うと、クララは改めてクリスティーナに向き合った。背筋を伸ばし堂々とした振る舞いのクララと控えて立つフリッツを見比べて、クリスティーナは弱弱しく声を出す。
「クララ、大きくなったのね。こうしてみると、あなたのお父さまのお母さまに似ていると思うわ。」
「お母さまは、お若くなられましたね。」
意外なクリスティーナの言葉に嫌味のように笑って、クララは扇子を広げて顔をあおいだ。微かに頬が上気していて、目も潤んでいるように見える。あの気丈な母上が泣いている? 気のせいか。
「母上、驚かないのですか、」
「そうね、驚いた方がいいかしら。びっくりしたわ、お母さま。本当にラナによく似ていたのね。ラナは覚えていらっしゃるかしら。フリッツの妹で、私の娘なのよ?」
戸惑って俯いて頬を染めるクリスティーナをじっと見つめると、クララはクリスティーナの入れたカップを優雅に手に取ると口を付けた。
「お母さま、ここのお茶はいつも薬草の香りがするのね。カモミールに何を混ぜたの?」
「…、セージを混ぜてみたわ。」
「そう。私、紅茶の方が好きみたいだわ。」
クララとクリスティーナは微笑み合ってお茶を楽しんでいて、いつまでたっても話は始まりそうにない。
窓の外から、馬の嘶きが聞こえてきた。沢山の音が響き合う。
近くの市場のざわめきを思い出す。
街が、目覚めようとしている。
「母上、」
焦らす母にイラついて、フリッツは低い声で呼びかける。クリスティーナは自分の子であるはずのクララの顔色を窺っている。
「フリッツは、せっかちね、」
「こんな状況では仕方ないと思います。」
「まあ、そう言わずに。」
クララはカップを置くと、名残惜しそうに見つめて口を開いた。
「お母さま。私、驚かないでしょう? 変だとお思いにならないのかしら、」
「わたくしは、大人の姿のあなたを初めて見ます。変なのかどうかすらも判らないのです。ごめんなさい。」
弱弱しく震え俯くクリスティーナと背筋を伸ばし威厳があるクララとでは、クララの方が年上で母親であるかに見えた。
「それもそうね。ねえフリッツ。私の元へ、皇国の間者が手紙をよこしたのよ。」
そういってクララは、ふっと肩で息をついた。
「あの国は、とっても騒々しいわ。付け入る隙だらけよ。」
「何が、書かれていたのです? 教えていただいてもいいですか、母上、」
「お母さまもお知りになりたいでしょう?」
パチンと手にしていた扇子を鳴らすと、クララは意地悪く微笑んだ。
「皇国では、竜魔王の討伐の旅に皇子を出す竜退治同盟自体に反対する動きがあるわ。皇子ラケェルが旅に出て、万が一、輪廻の輪に戻る事態になると、残される姉のエネヴァ姫だけが王位継承権を持つことになるの。皇国では皇子の直系でないと王位を継げないという不文律があって、そうなった場合、かつて皇子だった男子の子孫が王位継承者として選出される事態となってしまうのよ。エネヴァ姫の産む皇子も王位継承者となる可能性があるけれど、生まれつき体が弱く魔力もわずかで体力もないエネヴァ姫に子を産む体力は期待できそうにないし、長生きできる希望も薄いとの見立てがあったのよね。かといって皇子ラケェルに身代わりになれそうな男子がいるかと言えば、皇国の皇族にはもともと子供が少ないし、おかしな風邪の流行の際に何人か亡くなってしまってもいたから、高齢の者ばかりしか残っていなかったわ。」
フリッツはラケェルを思い出しながら話を聞いていた。
「皇子ラケェルを旅に出さずに国に留めて、エネヴァ姫かエネヴァ姫によく似た人物に代わりに旅へと向かわせよう、という案が具体的に囁かれるようになったの。皇子ラケェルが時の女神の加護を得て旅から戻ったのをきっかけに、『かつて皇族として崇め奉られた高齢の老人たちに残り少ない人生をぼんやりと穏やかに過ごさせるよりも、時の禁術を使って若返らせ、再び国のために役に立ってもらおう』と考える者たちが出てき始めたの。そんな考えも間違った思想だと諫める者がないまま、逆賊となり追われる身になっても厭わない過激派は禁術を使い始めたわ。かつて皇族だった者に術をかけ、失敗して殺してしまっていたらしいわ。すべて老衰として処理されたようだけど、大勢の過激派が処分されたようね。」
クララは、クリスティーナを憐れむようにして見つめていた。
「私達は皇国の良識を信じていたから、まさか、という思いでいたわ。すぐさま離宮には接触出来ないように貴族の手を借りたりもしたのに、手遅れだったようね。まさか5月の顔合わせの頃に既に接触があったなんて。」
フリッツの祖母であり王妃クララの実母でありかつての第一皇女だったクリスティーナ先代国王妃は、皇国からすると他国の要人である。そんな彼女を時の禁術をかけた魔道具を使って無理やり若返らせ攫う計画など、常識ではありえない。でも現実には過激派によって計画は練られ実行されていて、しかも禁術は失敗してしまっている。
加護がなければ、生きていなかったのかもしれないな、とふとフリッツは思った。
成功していたとしたら、皇国から奪還する戦争が始まっていたかも知れない。
「母上は、すべて御存知だったのですか?」
「いいえ、知らなくってよ? あなたから連絡があるまで、お母さまはご無事だと思っていたわ。禁術が扱えるほどの魔力を持つような者は国境で把握させていたはずだし、ましてや、アンシ・シの機能は停止していたでしょう?」
皇国側の国境の街は魔香でフリッツも足止めしていた。
「あの国は、一国の国母に干渉したのに、責任を果たさないつもりですか?」
「証拠が何もないわ。どんな秘術を行ったのか判明していないの。フリッツ、皇国側からはあなたがクラウザー領にいる間に提案があったわ。わざわざ公国側の使者とやって来たの。恐らく穏健派ね。治癒術に長けた精鋭部隊を派遣させますのでぜひに同行させてほしい、との申し出だったわ。公国からも選りすぐりの魔法使いの精鋭部隊をフローラ姫に同行させると、ね。でも、その使者たちの態度がどうもおかしいと感じたから、昔の伝手を利用して調べたの。」
「母上の勘が当たったのですね、」
「そうね。だから穏健派が、無償で医療技術を提供し金銭的援助をすることで皇族の参加に直接干渉しようと画策していると知ったのよ。加えて公国にも、この国のやり方にも、ね。」
クララは険しい顔つきになった。
「父上は、企みをご存じなのでしょうか、」
無償の治癒師と魔法使いの提供を単純に喜ぶことなどできない。ただ従うなら、皇国の影響が強すぎる。
護衛隊も含めての竜魔王の討伐の旅となると、フリッツ自身も護衛部隊が必要になってくる。軍隊として行動するには宿の手配や食料の手配の規模が変わり、かなり大掛かりな『事業』に変わる。勇者として特別通行許可証を使って秘密裏に竜魔王を討伐する計画は公的なものへと変わり、事業となってしまうと利益を狙う貴族たちの介入が始まる。
「知ってるわ。だからフリッツではなく、ラナが旅に出てはどうかとも案が出ているわ。宰相たちには話が通っているから、かなりしっかりとした計画もあるのかもしれないわ。他国がそのような考えなら我が国も切り札は温存する方向で、という意見がないわけではないもの。」
「ラナが、ですか、」
母と妹を庇うために名前のない人と賭けをしているフリッツは、そんな事態になってしまった場合、賭けは成立しなくなるのではないかとまず考えた。フリッツの旅の水先案内人をしてくれるという女性の生死はどうなるのか、大陸にある3国を統一するという話はどうなるのか、見当がつかない。
「ラナなら、魔法でお母さまに代わりに旅に出てもらうって細工ができるからなのでしょうね。でも、とても無理だわ。」
クララは自分の母親の顔をじっくりと見て、声を詰まらせた。
「お母さま、たった数か月の間にこんなに時を遡っているのね。ねえ、もう、残された時間は少ないのではなくって?」
クララの手を掬い上げるようにして両手で握ると、クリスティーナは愛おしむように撫でた。
「次の満月までがあなたの存在が判る残りの時間なのでしょうね。その先は、言葉を話せても気持ちを素直に言葉にできているかどうか判らないの。ごめんなさいね、」
「今のラナよりも、幼い姿になったりするのかしら、」
クララは涙を指先で拭って微笑んだ。「きっと、並ぶとそっくりよ、お母さま。」
髪の色が、瞳の色が、違う程度に似ているのだろうなと想像してみて、フリッツはその先はどうなるのだろうかと考えた。太陽神ラーシュの宣言通りに魂だけ手元へと引き上げられて人形の器に入ってしまうのなら、それはこの世界で言う死を迎えるのと同じだ。
「クララ、フリッツ、ごめんなさい。わたくしは最期を迎える時までここにいたいと思っています。」
俯いて、思いつめた様子のクリスティーナに、クララは「お母さま、安心して、」と手を重ねた。
「今日はこのままお母さま御危篤の一報を持って王城へ帰ります。公的には不治の病と公表し、面会を謝絶といたします。寝たきりで誰にも会えないとでも話しておけば、面会を希望する者もないと思うのです。お母さまは近日中に生前贈与の手配をしてください。この離宮の所有者としてフリッツか私を任命して下さればあとはこちらで処理いたします。」
「母上、」
「大丈夫、私は、お母さまの子なのよ。この場所が取り壊されたりしないように全力を尽くすわ。使用人たちをそのままに残すなら、薬草園として再出発すればいいのですもの。フリッツが旅に出るのなら薬草は不可欠でしょう? ここでお母さまの使用人たちが育てた薬草をもとに薬を調合して、お母さまの知己に販売を委託して王国内で流通させれば、フリッツはこの国のどこにいてもお母さまの御縁で生かされ続けるわ。」
離宮という建物の価値に新しい価値を付けてくれたのだと、フリッツは母であるクララに感謝した。離宮という土地や建物、使用人といった離宮を構成する者たちのすべてが解体される事態がなければ、クリスティーナの望んだマルソたちの今後が保証される状況となる。
鮮やかに微笑んだクララの言葉に、クリスティーナは鼻を鳴らしながら指で目尻を拭っていた。
「おばあさまは、それでよろしいのでしょうか、」
「十分よ、十分すぎるわ。ありがとう…、」
涙を拭うクリスティーナの細い肩は震えていて、最後まで自分の心配ではなく自分と共にこの国に来た従者たちの今後を思っているのだなと、孫のフリッツとしては少し焼きもちを焼きたい気分になってきた。祖母であるはずの人は祖母であった別の誰かの顔つきをしている。
「ありがとう、クララ、」
「お母さまには貸しをひとつ、としましょう。私ではなく、いつかフリッツに返してくださるといいわ。」
「ええ、返すまでは、わたくしは消えたりはしないわ。」
微笑みながら手で涙を拭って、「そろそろ行くわね、フリッツ」とクララが立ち上がる。
「クリスティーナ元国王妃は危篤につき安静が必要、最期の時を穏やかに過ごすため離宮への見舞いは一切ご遠慮願いたいと、私の名前で、そうそうに宣言もするわ。」
王国の国王妃の宣言により、母国である皇国からもクリスティーナやマルソたちを守るのだ。フリッツは「それでいいと思います、」とだけ呟いた。王太子と言っても自分にはまだまだ力が足りない。同じ宣言をフリッツがやっても皇国の間者はしつこく離宮に侵入してきそうな気がする。
クリスティーナとクララは抱き合うと、「またね、」とお互いに頬にキスをしあった。
「きっとまた来るわ、今度はおいしいお茶を持ってくるから、お母さま、それまでお元気で。」
「もう十分よ、クララ。ありがとう。」
微笑みながら別れを告げる祖母と母はお互いに握り合った手をなかなか放そうとしなかった。
フリッツも、もう時間なのではと母に告げられなかった。この手を離してしまうともう二度と会えないのだと思うと離せないのだろうな、と見当がつくだけに、黙って見守るしかなかった。
部屋のドアをノックする音がして、クララが慌てて手を離すと、クリスティーナは腕を握って背を向けた。
ふたりは、顔を背けたまま、道を分かった。
※ ※ ※
足音が遠くなっていくのを待って、ソファアに深く身を沈めるようにしてクリスティーナは座るなり、「わたくしは、最後まで国のために役に立てなかったのだわ、」と呟いた。
ラナの身代わりになる話を言っているのだ。フリッツは胸を突かれたように苦しくなったけれど、「そんな事はありません、」と気持ちを伝えた。
役に立つとか役に立たないとかそんな理由を持ってして、命を輪廻の輪に返さなくてはいけない道理なんて、あるはずがない。
気の利いた言葉で慰めたくても、軽い気休めの慰めなど今更欲しくないだろう。目の前の祖母は巻き込まれ呪いをかけられた被害者だ。躊躇っていると、ますますかける言葉が見つからない。
「必ず、また来ます。会いに来ます、おばあさま。」
明日へとつなぐ約束をすることぐらいしか思い浮かばなくて、フリッツは俯いた。
自分の中にあるのは怒りだ。皇国の傲慢ななやり方に対する憤りや、無力である己への悔しさも、言葉にして吐き出せたりはできない事柄だ。もやもやと抱え込んだまま自分にできる対応策を考えれば考えるほど、討伐の旅に出る運命が呪わしく思えて仕方なかった。
「フリッツ、ねえ、お願いがあるの、」
宙を見つめて微笑むクリスティーナはとても美しくて、この人はこのまま儚くなってしまいそうだとフリッツは思った。
「なんでしょう、おばあさま、」
「歌をね、歌ってほしいの。」
「歌、ですか、」
歌と言われて思いつくのは国歌と呼ばれるこの国の歌で、そんなものをどうして聞きたいと思うのか不思議に思えてきた。
まさか、子守歌か? それとも、皇国の国歌か。
「そんな顔しないで、フリッツ。あのね、あの人が、時々クララに…、わたくしの知っているクララはとってもかわいい幼い女の子よ。あの子に、よく晴れた日は空を見上げて、あの子を膝の上に乗せて歌ってくれていたの、」
頬を染めたクリスティーナの顔はとてもかわいらしくて、あの人とはフリッツの祖父の事だろうと思った。フリッツの幼い頃に亡くなってしまったのでほとんど記憶にない先代国王エールネストは、公国出身の実母の影響で魔法が使えたと聞かされていた。
「フリッツ、あの人って、あなたのおじいさまに当たる人よ。わたくしは、とってもお慕いしているの。あの人は、…いくらおねだりをしてもあの歌だけはわたくしには教えて下さらないし、あの歌をクララに歌って下さる時は人払いをされていたわ。でもね、わたくしはあの不思議な歌をお歌いになられるあの人の横顔が大好きで、大好きで…、」
言葉を区切り宙を見つめて思い出に浸るクリスティーナの言う人払いをしなくてはいけない母クララにしか教えられない歌というのは、フリッツも秘密よと教えてもらったあの歌の事だろう。
「もう、あの人はいないのね。そうでしょう、フリッツ。」
亡くなったと告げられないフリッツは、頷いた後、疑問を口にした。
「どうして、おばあさまは私が歌えると、お思いになるのですか。」
「どうしてって…、歌えるのだと思うからよ、」クリスティーナは悲しそうな顔をした。
「先ほど話をしたあのクララならしっかりしていそうだし、もう教えているのだと思っていたけれど…、違ったかしら、」
「…教えてもらっています。」
「じゃあ、お願いね、フリッツ。」
歌を、と言われて歌えるような気分ではなかったフリッツは、断ろうとして、やがて、それでも歌おうと顔をあげ窓の外の、明るい朝日に満ちている空を見上げた。
「あーああーえーぅおあーおーあーひぃおーおぉいあーぁ、いーぃいおーいうぃうぉあぁあぇいあうぃー、」
城で見た時のように、明るい朝日の中、空を舞う竜の姿はなかった。
「フリッツ、ありがとう…、わたくしにとって、あの人が幼いクララを抱きしめながらあの歌を歌うのをこっそりと覗き見る時間が、何よりも幸せだったの…、」
涙ぐんだクリスティーナは、そっと目尻に指を這わせた。
「わたくしが若返った世界だとしても、あの人はいないのね。大きくなってしまったクララと、孫のあなたと、あの人のいない世界だけがわたくしには残っているのね。」
若返った時の姿かたちとその時感じていた気持ちと、若返る前の自分が残していた記録とが、目の前のクリスティーナが持っているすべての情報なのだろう。
震える肩を抱きしめていたであろうフリッツの祖父は、もうこの世界にはいない。この先もずっと、祖母は若返る度に大切な人を忘れて、大切だった人のいない世界に取り残される孤独な状態に取り残される。
来月には10代になったとして、その先は、一桁の年齢の、幼い子供になる。記録は読めるのだろうか。母を父を探して泣くのだろうか…。
旅に出てしまえば幼い祖母の最期の時に立ち会う余裕などできない。巻き込まれた祖母をこのままで放置していいはずない。
討伐を一人で行える程強ければ、魔法が使えれば、巻き込むことなどなかったかもしれない。
すべてが自分が原因で起こった悲劇なのだと思い込むのは良くないと判っていても、竜魔王を倒せそうにないと思われているのは、自分の至らなさが原因だと思えてならなかった。
※ ※ ※
西側の作業場へ行ってみても、果樹園まで探しに行ってみても、迎えの馬車が到着して出発の時間となってもシャルーは見つからず、どうか祖母やこの離宮を守ってほしいと願うこともできなかった。
フリッツは気を取り直して、よろしく頼むと直接マルソやサーヴァといった使用人たちに何度も念を押した。責任を背負い、気負った顔をした彼らに念を押せば押すほど無理をさせるようで、でも、言わずにはいられなかった。ランスに、いい加減になさってくださいと、とうとう止められてしまった。
離宮の玄関ホールに集まった者たちの中に、侍女オリガの姿はなかった。
一足遅れて現れたナチョは事情を知らないだけに明るくて、「イヤー、ここのベッドは最高に気持ちいい寝心地だった!」と上機嫌だった。人形のことを気遣おうとさせてくれず、今日はこれから壊れてしまった離宮のあちこちの修復を手伝うのだとマルソ達に得意そうに胸を叩いている。
さらに出立しようとするフリッツに向かって親指を立てて得意そうな顔になると「任せておきな、」と笑っていた。
「期待はしていないけどな、」と軽口で返すと、ナチョは「期待しろ!」とニカッと笑った。
ありがとうございました




