33、拗らせて、運命も拗らせて
「ええ。」
わたしが話しかけると不快そうに顔が曇ったイリオスという男は、事前に伯爵から聞いていた紹介によると、幼少期より師弟関係にあるエドガー師と時折交流を持つ程度で屋敷に引きこもってばかりな人物らしかった。貴族だからといって役職に就くでもなく、研究に勤しむでもなく、領地経営に携わるでもなく、これといって生産性のある仕事をしている存在でもないらしい。
そして、師匠にとって苦手な相手は伯爵よりもイリオス卿だと、昼食会の間での態度で特定できてしまった。
でもそんな事情はわたしには関係ないのだ。行動を起こすことで未来が変わるのなら、好かれたい相手ではないし嫌われたってやってみるしかない。
「イリオス卿、お願いがあります。どうかわたしを、エドガー師にご紹介していただけませんか、」
誠心誠意真摯な気持ちで頭を下げたわたしを一瞥して舌打ちすると、イリオス卿は無視して食事を続けている。
「イリオスおじさん、ビア様は僕の恩人なんだよ。一度くらいお茶会にお誘いでもしてご紹介してくださいませんか、」
パティが加勢してくれる。とってもいい子だ。なのに、イリオス卿はまた舌打ちした。子供が舌打ちされるのを見るのって、自分がされるのよりもとっても嫌な気分だ。
紹介が駄目なら駄目でそれでいい。一言告げてくれれば、気持ちに区切りがつく。
言葉を待って様子を窺うわたしを見て、伯爵は苦笑いをしている。
「ドニ、といったか。」
ドニって誰だろう。男性の名前っぽいし兄弟弟子か何かなのかな。伯爵が振った話の答えとして説明があるのかと期待してイリオスに視線を向けていると、怒ったように顔を赤くしてイリオスはカトラリーを音を立てておいた。
「兄上!」
「お前もあの者と最初は仲良くやっていたではないか。兄弟弟子だろう?」
イリオスはぐっと言葉に詰まった顔になった。どうやらエドガー師の元での師弟関係ではドニという弟弟子がいて、かつては仲良くやっていたのが現在は違う、という関係になっているみたいだ。ドニがいるからエドガー師の元へ帰れないと言うのなら、別の方法を取るのが無難だ。あけど、たったあれだけのことでよくもこんなに怒らなくてはいけないことなのかと呆れる。大好きな人を盗られたくないと思っていたりするのかな。
無理ならいいです、自分でエドガー師と縁を結びます、と撤回しようとした瞬間、イリオスが低い声で言った。
「兄上、あと少し時間があればあの者ではなく私が見つけられていたのに、」
怒りの矛先は明らかにわたしに向いていた。こんな展開になるとは思っていなかっただけに迂闊だった。ここまで歓迎されていないとは想定以上だった。どうしてそこまで平民のわたしの力量に拘るの? 聞いてみたくなって様子を窺う。
「言葉を慎みなさい。お客様の前なんだぞ。」
険しい表情になった伯爵が窘めると、ああ? と低い声でイリオスは唸る。
「客? あれがですか? 知り合いなのに知らないふりをするような者がですか?」
イリオスは師匠を睨みつけ威嚇している。
「馬鹿にするのも大概にしろ! お前が忘れていても、私は忘れていないからな。」
師匠は覚えていないといけないようなことをイリオスにしたとでも言いたいみたいだ。それってつまり、自分に対して不利益な行動をしたと覚えておいてほしいと思っていて、会ったら謝ってほしいと望んでいたって魂胆だ。
もしかして、そんな淡い期待を抱いたりするような親しい関係だったのかな。
「イリオスおじさん、」
「イリオスおじさんやめてよ、」
子供に言われて「うるさい!」と叫び血管が額に浮き出るまでしてイリオスは、憤怒の激情に取り付かれた表情をしている。
彼の中ではとても重大なよっぽどの何かがあったんだ。師匠は言わないだろうし、気になる。
「イリオス、落ち着きなさい、」
伯爵の低い声の牽制もものともせず、イリオス卿は立ち上がってまだ喚く。
「無礼なものばかりだ、兄上までなんて!」
「イリオス、」
窘める伯爵を無視してイリオスはわたしを指さした。
「エドガー師は私の師だ。決してお前など紹介したりはしない。判ったか、」
新しい弟弟子ができると自分の立場が取られると、思っているの?
弟子は弟子でしょうに!
しかもわたしは会いたいと言っただけなのに!
「そんなに大事な人なら、ずっと傍にいればいいのに。」
呟いたわたしの言葉に、イリオスには届いていないのか聞かなかったことにしたのか反応はない。つくづく子供っぽい。大好きな人たちの傍にずっといたくても、わたしはいられないのに、ね。
呆れているわたしを睨みつけそのまま昼食を中断して席を立ってしまったイリオスを、誰も追いかけたりはしなかった。随分子供っぽい性格だ。病気ではないようだから手伝えることはないと結論付けて、わたしは彼を忘れると決めた。
「ビア様、お気を悪くなされるな。」
誰もが黙って溜め息をついている憂鬱な静寂を破るように、伯爵がわたしを慰めてくれた。
「大丈夫です。エドガー師を紹介していただけないのは残念ですが、仕方ありません、」
断るならたった一言、無理です、とでも言ってくれれば彼の劣等感を刺激するような展開にはしなかった。わたしはこう見えても大人なのだ。
「申し訳ない、」
伯爵は手を打つと、部屋に入ってきた侍女たちに気分を変えるためにデザートを追加して持ってくるように言い付けていた。
「パトリックもリベリアも、イリオスは今、心病んでいるのだと理解してやってほしい。」
「大丈夫です、お父さま。」
「真似などしません。おじさんはそういう人です。」
ますます面倒な大人な子供に思えてきた。イリオス卿が職についていない理由は、家族がこういう事態を危惧して職に就かせていないだけなのかもしれない。
「ドニ、という人は、もしかして意地の悪い人なんですか?」
きっと違うと思うけど、聞いてみる。
「ビア様。イリオスはドニ殿とは兄弟弟子でしてな。エドガー師が最後に迎えられたお弟子さんでとても優秀な人物なのです。イリオスとは、それはもうまるで本当の兄弟のように、昔は仲が良かった…。」
「今は、そうではないのですね、」
はいとも言わず、遠い目をして伯爵は黙って微笑んだ。あんまり仲良くないとはっきり断言するのを避け、相手へ配慮の欠いた発言となるのを防いだのだ。イリオスに非がある関係なんだろうなと想像してしまって、つい浮かびそうになる苦笑いを我慢する。
「すみませんでした。」
明確な理由が判らなくても、わたしがエドガー師との縁を望んだのがイリオスの激高のきっかけとなったのだと察しがつく。謝るのが賢明だ。
「ビア様は、謝らなくてもいいのですぞ、」
伯爵が悲しそうに溜め息をつくと、心配そうに鼻を鳴らして貂が何匹か集まってきて伯爵の肩や膝の上に乗った。伯爵は平気なようで、纏わりつくように乗られても微動だに動かない。もふもふっと柔らかそうな貂は伯爵に慣れているようで邪魔にならないようにじっと乗っている。
ああも慣れていると羨ましい。愛くるしい仕草に惹きつけられる。次に精霊と契約する時は貂にしようかな。ヒト型を取れる精霊の方が意志の疎通ができていいと思っていたけど、そうでもないかもしれない。
「ビア様、イリオスおじさんはビア様が嫌いだから怒ってるんじゃないから安心して。ちょっと拗らせちゃってるだけだから、」
デザートを食べ終えて満足そうにカトラリーを置いたパティはリベリアに向かって笑いかけた。「おじさんの拗らせはきっと死ぬまで治らないね。ずっと誰かを妬んで卑屈になってばかりだ。」
「バンジャマン卿には、随分ご迷惑をおかけしましたね、」
懐かしむように呟いた伯爵の言葉に、「もう忘れていましたよ、」と師匠はぎこちなく笑顔を作って答えていた。
「お知合い、だったんですか、」
やっぱりイリオスが迷惑を受けたんじゃなくて、イリオスが迷惑をかけた関係だったんだ。勘は当たると嬉しいものなのに、ちっとも嬉しく思えない。逆恨み、という言葉が脳裏に浮かび上がる。
「昔、まだ若かった頃、何度か王の庭の舞踏会で顔を合わせたことがあります。」
空中を見つめてギリギリと音でもしそうな歯ぎしりをする表情になった師匠は、眉間に皺を寄せたまま呟いていた。
「もしかして師匠、年が近いんですか?」
「いや、私の方が年は随分下だったはずです。そうでしたね、伯爵、」
伯爵が頷いている。
貴族は舞踏会という場所で顔を合わせるからそれなりに知り合いばかりなんだ、と気が付いて、だから自分たちは顔見知りの関係であると強調されたような発言が続いたのだと判った。
そういう関係も知らないから貴族ではない部外者の平民なのだと何度も言われてしまったのだ。
「エドガー師やドニさんと仰る方の事、イリオス卿はあまりお好きではないんですか?」
首を傾げながら尋ねたわたしに、悲しそうにマライゾ伯は笑みを浮かべて顔を振った。
「むしろ、好きでたまらないのだと思いますね。」
意外な話に驚いて師匠をちらりと見ると、「わすれろ、」と唇が動いているのが見えた。
遠い目をして、伯爵は小さく溜め息をついた。
「お父さま、イリオスおじさんの代わりにエドガー師にビア様をご紹介してあげてください、」
パティが上目遣いにおねだりしてくれた。伯爵はそっと目を伏せてからわたしに目を向けた。
「エドガー師の弟子であるイリオスができないことを私がするのは筋違いだよ、パティ。」
伯爵は淡々と答えた。
「でも、お父さま、」
「それはそれ、これはこれ、だ、パティ。縁があればいつかつながるのだよ、」
伯爵にとって平民のわたしにできる感謝への対価は一緒に食事をすることが上限で、それ以上を施すつもりはないのだ。
残念だけど仕方ないな。苺ムースに添えられていた食用花を摘まんで口に放り込もうとしていると、わたしの膝に乗っていた貂が「くくん」と鼻を鳴らした。
この子たちは花を食べるんだったっけ?
伯爵の言葉を信じて指で摘まんで色鮮やかな食用花を口に入れてあげると、むしゃむしゃと食べている。
「ビア様、何をしているんですか?」
目を見開いてわたしを見ていたパティとリベリアには見えていないのだと気が付いた時、気を利かせた師匠が、応接室全体に『精霊の舞』を唱えてくれた。
さらっとすごい魔法が使えるのだと驚いて師匠を見ていると、パティやリベリアに称賛されて気をよくした師匠はとても得意そうに微笑んでいる。あ、なんかちょっと悔しい気がする。
「うわあ…!」
「お父さま、すごい、すごく羨ましいです、」
「抱っこしたいです、」
「白い綿帽子だと思ってたのに、貂だったんだ…!」
白い綿帽子とまでは見えてるんだ、と魔力の程度が知れる。もしかしてパティは、貂を初めてまともに見たのかもしれない。子供たちの嬌声が響いている。「僕も抱きしめたいです、」、「私も、お父さま、いいでしょ、」という声に、伯爵が咳ばらいをして「嫌がらなければいいぞ、」と照れていた。
もしかしてこの家では当主以外は精霊を見えない、んじゃなくて当主以外は精霊を見せない方針だったのかな。
余計なことをしちゃったかも、と思いつつ貂の瞳を覗き込むと、小さな顔の曇りのない瞳はキラキラとしていて、口をまたアーンと開けている。
かわいい。
こんなに人に甘えるのはきっと伯爵が飼い慣らしたんだ。確かに手ずから花を食べさせてあげられるなんて見える者だけの特権だ。この喜びはあんまり人には言いたくないかもしれない。
あーんと言いながら花を口に入れてあげると、イリオスに頼むよりも自分でエドガー師を探そうと思えてきた。
手がかりはエドガー・オービエ・ドゥアーニという名前だ。夕凪の隠者と呼ばれているくらいだし公都にいないのかもしれない。ドゥアーニ家の領地へ行ってみよう。多少日数がかかっても、事情を知っている師匠は聖堂への潜入前に尋ねるのを許してくれるかもしれない。
だけど、なんて話す?
あなたはこの先、竜化を期待されているんですよって伝えて信じてくれるとは思えない。
精霊が見える者同士、語り合いましょうって言ってみようかな。案外同じ精霊が見える能力者同士、意見が合うかもしれない。あ、でもわたし、貴族じゃない。イリオスみたいに尖がった人だと、平民とは話さないと言われちゃうかも、ね。
1周目で出会わなかったわたしがエドガー師に会っただけでも未来は変わるかも、と思えてきて、わたしは機嫌よく貂に花をまたひとつあげた。
だけど、どうしてエドガー師は王国に呼ばれたの?
よく考えてみれば、わたしはエドガー師が竜を祀る国にいた理由を知らなかった。
まさか、同行しようとしたドニをイリオスが公国に引き留めたりして邪魔をしたから1人だったのかも?
まさか、ね。
ありがとうございました




