3 王都が恋しいのでは
「納得がいきません、フリッツ、私は抗議します。」
お付きの侍女たちを侍らせてフリッツの部屋にやってきた母である国王妃クララが、憤懣遣る方ないといった態度で部屋の中をうろついている。
背が高く細身で手足が長い母のクララは先王の一人娘で、焦げ茶色の髪に青い瞳をしていた。フリッツの祖母である先代の国王妃が隣国の皇国出身で、隣国の皇国の一般的な国民の色合いである焦げ茶色の髪に青い色の瞳をしていた影響だった。
気にしないようにして手紙を書いていたフリッツは、顔をあげないまま淡々と「仕方ありませんよ、母上、」と呟いた。
昼食を終えた昼下がりのフリッツの執務室には、母クララと妹のスヴェトラーナ、それぞれのお付きの者たちがいて、フリッツの従者のカークは居心地が悪そうに壁際に控えていた。
フリッツはどうしても済ませたかったので、彼女たちが押しかけてきても気にせずに手紙を書いていたのだった。
「まったく、いったいどうなっているのですか。何故予行演習などしなくてはいけないのです? 危険ではありませんか!」
クララがフリッツの部屋に来て文句を垂れているのは、近々予行演習として、フリッツと数名の騎士とで王都からミンクス侯爵領の月の女神の神殿まで身分を隠して討伐の旅に出るからだった。
「母上、そのように怒った顔を続けておられると、眉間に皺が出来てしまいますよ、」
この夏には16歳の成人を迎えるフリッツは、魔物を討つ旅に出るようにと国王令として定められてしまってからの年月を、剣術の研鑽とあらゆる知識の習得のために努力を積み重ねていた。
「大体あなたは次期国王となる人間なのですよ? どうして、そのような魔物退治なとどいう蛮行の旅に出なくてはならないのです。まだ日にちはあるのでしょう? 適当な…、適任者に任せればよいのでしょうに!」
腹を立てている母の気持ちは心配からなのだと、わからなくはない。でも、フリッツには必要な演習だった。破邪の聖剣を使わない状態でどれほどの実力なのかを試すのが、今回の旅の目的だった。
「あなたは王子なのですよ?」
この予行練習の旅の中でフリッツがしなくてはいけないことは単身でも旅をすることが可能か、という確認だった。同盟を結んだとはいえ、お互いが替えの利かない存在であるため、実力を測る必要がある。
「せっかく皇国の血を引いている私の子供なのに、あなたは魔法があまり得意ではないではありませんか。剣だけなどで…無謀というものでしょう。」
「それでも、少し魔法が使える程度のラナよりは、剣が使える私の方が適任です。」
王城での剣の稽古には限界がある。対人の稽古には、フリッツが王子であるという先入観が邪魔をして、どうしても甘い評価になってしまっていると気が付いていた。実戦経験がある騎士たちが本気で相手をしてくれているかどうかなんて、フリッツにだって察しが付く。
「お兄さま、公国からは第一公女フローラ姫、皇国からは第一皇子ラケェル殿、聖堂からは聖剣士サディアス殿がお兄さまの旅に同行してくださるのでしょう? その方たちを待っての出発ではいけないのですか?」
フリッツの傍のテーブルで優雅にお茶を飲みながら、妹のスヴェトラーナが尋ねた。母親のクララに似て美しい顔立ちをし、焦げ茶色の髪色をして光の加減で黄緑色のような青色のような不思議な色をした瞳のスヴェトラーナは、ラナという愛称で呼ばれる可愛らしい妹だった。
「ラナ、それでは遅いんだ、」
小さく口を尖らせた妹を見て、フリッツは、この子に剣を持たせるような事態になってはいけないから入念な準備が必要なんだ、と心の中で呟く。
王族として既に婚約者を持つラナは、降嫁する日に備えて社交界に顔を出し人脈を作りつつあった。華やかな生活の中でふわふわと平和を楽しむ妹は、とても戦闘に向いているとは思えなかった。
もちろん、母であるクララにも剣を持たせたくはなかった。
名前のない人はフリッツを選んだ。選び直す、なんて事態はさけたいフリッツにとって、勇者として失敗をすることは許されるはずがなかった。どうしても自分が剣を取らなくてはならない理由が、目の前にいる。
「そうよ、フローラ姫は魔導士の資格を持つような魔術の達人、ラケェル殿は神官の資格を持つ白魔法使い、サディアス殿は聖堂にこの人ありと謳われた聖剣士なのですよ? そのような者を利用しない手はないでしょう?」
「精霊王さまの加護を得ると魔術が、女神さまなら白魔法でしたね。お兄さまもいずれかの竜王さまにおねだりをなさればいいのに、」
「ラナ、滅多なことをいってはいけません。そんなものを貰ったら、ますますフリッツは戦わなくてはいけなくなるでしょ、私はそんなのは許しません。」
「まあ、お母さまったら、」
苦笑いを浮かべながら、フリッツはフローラたちと顔を合わせた昼食会を思い出していた。
昨年のフリッツの誕生日に集まったのは、国王である父が同盟を結ぶべく尽力し、やっとこの旅の提案を各国に要請して実現した面々でもあった。同盟を結んだと言っても、まだ強固な関係とは言えないだろうとフリッツは思う。
「フリッツはここにいればよいのです。」
最初は旅自体を渋っていた各王たちも、魔物による人的な被害で事態が深刻になるにつれ、一国だけの兵力で討伐するよりも共同で討伐したほうが効率がいいと考え直してくれ、まとめ役として聖堂まで担ぎ出してやっと討伐の旅に出ることを了承してくれたのだった。
「それはそれ、これはこれ、ですよ、母上、」
来年は旅に出るのだという決起も兼ねて集まった割には、殺伐とした印象のある昼食会だった。フリッツも、フローラたちと挨拶を交わした程度の関わりしか持たなかった。お互いの顔を覚えた、その程度の会だったとも言えた。
「でも、お兄さま、演習とはいえ警備が薄すぎます。お兄さまは剣士として、カークを従者に、あとは騎士団や近衛兵たちから剣の腕の立つ者を募っての旅なんて、無謀にも程があります。はっきり言って無茶です。計画した者が信じられません。」
「それに野営を前提とするなんて! 街には宿だってあるのですよ? 宿よりも気の利いた…、ミンクス候の、領主の屋敷だってあるでしょうに!」
悪しき竜の存在を意識したあの謁見の間での出来事は、性格が細かい父が詳細を記録させてあったので、王族である母も妹も流れを文章として読んで知っている。
「ミンクス候をもっと頼られたらいかがですの、お兄さま。彼は余裕でしょうに。」
ラナまでもミンクス候へのあたりがきつくなってしまっているのは、彼が穢れのない美しい佇まいをする男だからだろうなとフリッツは思う。
きっと、自分の手を汚さずに汚れ仕事を王族に押し付けた不届き者とでも母も妹も考えているに違いなかった。
「旅とはそういうものですよ、母上、何が起こるかわかりません。ラナも、口を慎みなさい。」
手紙を認め終わると封筒に入れ、封蝋をした上に引き出しを開けてフリッツの紋章の彫られた印璽を押した。王太子であるフリッツの印璽は王位継承者として使用を許された4匹の竜の絡まった棒状の形をしていて、紋章には国土の上を剣が交差するように描かれていた。
「すまない、カーク、これを王都のミンクス侯爵邸へお使いを頼まれてほしい。」
中の手紙は、公務とは言え領地を研鑽の場にすることへの無礼を詫びる内容だった。フリッツはミンクス候が嫌いではなかった。むしろ、申し訳なく感じてさえいた。
「まあ、フリッツ。そんなものは破り捨てておしまいなさい!」
「母上、あの者は私のためにいろいろ尽力してくれているのです。そのような言い方は気の毒ではありませんか。」
カークはそそくさと手紙を受け取ると、ぺこりとお辞儀をして部屋から去ってしまった。
フリッツはよく似た美しい母と妹を見て、やはり私が守らねば、と強く思う。平和に慣れ守られることが当たり前な世間知らずな彼女たちを、父が智で守るのなら、私は武で守ろう。
「あの者は正しいことを言ったばかりに損をした気の毒な者です。あの時、私が討伐を自ら進んで口にしなければ、勝てる見込みのない討伐の旅に派兵が強要されたのだろうと思います。」
いくら騎士が強くても、人材は無尽蔵ではない。ぐっと言葉を飲み込んで、クララは唇を噛んだ。
「破邪の聖剣を扱えるのは母上と私とラナだけです。母上もラナもか弱い女性です。どう考えたって剣の道を進む私が適任だと思いませんか?」
机の上に広げていた資料をまとめてトントンと揃え、フリッツは立ち上がった。この旅の為に、勇者として聖なる秘匿の力の神秘を得るべく清い環境で毎日を過ごしてきていた。今更投げ出せるはずもない。
「さあさ、母上。ラナと一緒にご自分のお部屋にお戻りください。私はこれから剣の稽古に行かねばなりません。」
「納得はいかないし、何よりつまらないわね。」
クララは怒りを燻ぶらせたまま、手にした扇子をぎゅっと握る。
「あなたがどんどん『私の可愛いフリッツ坊や』から『剣術バカのガンコ男フリッツ』になってしまっているようで、私はとっても納得がいかなくってよ。」
「母上はどこでそんな言葉を覚えていらっしゃるのでしょう。国王妃がそんな言葉をお使いになっては品がありませんよ。」
「大丈夫よ、表舞台に立つ時は微笑むだけにして発言を避けるようにしているもの、バレることはないわ。」
「お父さまは頼りになる方ですからね、」とラナも微笑む。
父であるアルフォンズは侯爵家の次男で婿養子で、意外なことにクララとは恋愛結婚をしていた。相性がいいのは性格が真逆だからかもしれない。
「ミンクス候は騎士団長の姪っ子と結婚してしまったし、王族派の…、こちら側の人間と言えなくはないけれど、私はどうしても許せないのよ。ミンクス侯爵領で…、もしも、もしもよ? あなたに何かあったら、彼はどうするつもりなのかしらね、」
イライラを噛み潰しながら部屋を出ていこうとする母に、「そうならないように気を付けますから、母上、祈っていてください、」と明るく声をかけ、フリッツは鍛錬場へと急いだ。今日は、旅に参加してくれる者を選ぶ待ちに待った日だった。
※ ※ ※
3月はじめの春の女神への祈祷式を過ぎて冬の終わりを告げる春雷が響くと、フリッツの旅の予行演習の日取りが決まった。8月のフリッツの成人の日までに何回か他国の代表者と顔合わせをすると決まっているので、この演習で問題点を見つけ出す必要があったし、ひとり、他の者よりも能力が劣る状況は避けたいという思惑もあった。
無事に出発の日を迎え、秘密裏に王城を出て旅人に紛れて王都を出たフリッツたちが向かったのは、まずは西の方角にある伯爵領だった。
一行は騎士団の騎士2人を先頭に、フリッツ、フリッツ専属の侍従のカーク、そして近衛兵隊の兵士2人の計6人での旅だった。小規模精鋭と言えば聞こえはいいけれど、実際には、王子の旅の予行演習という理由で、別働部隊が一定の距離を開けて先発隊、後発隊とが別行動で護衛しているとても過保護な旅だった。
魔物が出ることもあって旅団を組んで旅をするのが当たり前になってきている世の流れに便乗して、少し裕福な商人の私設の旅団を装った。もちろん少し裕福な商人の役はカークが務めてくれていて、フリッツは年齢的に小姓の役割をすることになっていた。王子だという身分を隠し、愛称のフリッツという名で王都で通行許可証を発行してもらっていた。
防具は動きやすいようにと当初は皮の鎧を提案されたのだけれど、小姓が武装しているのは目立ってしまう。小姓らしくすると無防備すぎると、服の下に鎖の鎧を身に着けることになったフリッツは、枯草色の地味だけれど質のいいマントを羽織って腰の剣を隠していた。
同行する者たちもすべて、フリッツと同じような格好をして、最低限の着替えと、寝袋や野営に必要な道具の入った大きな麻袋を各自肩に担いでいた。どうしてもダメだと当初カークは荷物を持たせてはくれなかったけれど、小姓が手ぶらはおかしいだろうと説得してフリッツも自分の荷物を担いで歩く。
王族のフリッツにとって、自分の荷物を自分で持つのは初めての経験だったけれど、旅をするということは自分で自分の管理をすることなのだと思えるようになっていた。すれ違う旅人たちの格好を観察する余裕まで持てる。
歩き続けるというのもなかなかに退屈でなかなかに大変なことなのだとも、実感していた。披露が積み重なる。王侯貴族の嗜みとして馬を操ることができるフリッツは、こんな距離、馬で駆ければひとっとびだろうにと思ったけれど、それでは今回の実験旅行が台無しになってしまうと考え直して我慢して歩いていた。
「今日の宿は宿なのですか、また野宿ですか?」
カークは不服そうに呟いて、隣を歩くフリッツを見つめた。どう見てもフリッツは品がありすぎて、小姓というよりは貴族の御令息にしか見えない。もちろん、カーク自身も、商人というよりは従者にしか見えないだろうと自覚していた。
「昨日寝違えたようで、まだ腰が痛いのです。寝袋も快適とは言えませんしね、」
「寝袋の支給があるだけましですよ。戦場では、焚火の前で眠りながら警戒する、なんてザラですから、」と前を歩く騎士団の訓練教官のランスが笑う。ランスは文官から武官になった珍しい男で、王都にある書籍はすべて読み干したのではないかと噂されている程の博学で、並行して剣の腕も磨いた努力家でもあった。
他に近衛兵隊から来てくれている兵士のキュリスとビスターは王城で日頃からフリッツの剣術の稽古の相手役をしてくれる者たちなので、気心が知れている。
「カークは甘やかしすぎましたね、こんなことならもっと鍛えておくべきでした、」とキュリスが笑うと、ビスターが「今晩は特訓が必要ですね、」とちゃちゃを入れる。近衛兵の条件の一つである見目の美しさを満たしているキュリスもビスターも美形なだけに、軽口を叩くとより一層軽い印象になるのだなとフリッツはこっそり思う。
あと一人のフォートは寡黙なのも加わって無骨な軍人そのものだった。ランスとともに騎士団から来てくれているフォートは武官としても格闘家としても有名で、剣を持たせても拳の強さでも他を圧倒する軍人だった。
「仕方ないね。宿はまた今度のお楽しみだね、カーク、」
朗らかで明るい性格のキュリスは乳兄弟のカークの次兄なので、フリッツと顔を合わせる機会も多く、カークに次いで親しかったし、明るく前向きな性格でこの小隊のムードメーカーでもあった。
「フリッツはいかがでしたか、旅ももう3日目です。王都が恋しいのではありませんか?」
王都から四方八方の公爵領へと向かって伸びる街道を西に向かって歩き、いくつかの領地を進んだ後、ミンクス侯爵領へと入り月の女神の神殿根と向かうという簡素な計画だった。計画では順調にいけば10日で到着するとされていて、片道だけであと7日は必要だと思われていた。
フリッツは昨晩野宿した時抱いた感想を口に出そうとして、止めた。
丈夫な寝袋という名の大きな布袋のおかげで直接地面に寝ずに済んだけれど、闇に蠢く魔物の息遣いを感じて、あまりしっかりと眠れた気がしなかった。初日は王都を出てすぐに見つけた村で簡易宿に泊まった。5人一部屋という雑魚寝状態での宿だったけれど、それでも、屋根があるということは素晴らしいことなのだと今なら思う。
野営地の焚火を守るキュリスたちはどうだったのだろう、眠れたのだろうか。ランスたちが何度か剣を持って焚火の近くを去った気配を感じていただけに、フリッツは自分が思っていたよりも魔物は王都の近くに迫ってきているのだと知った。
「恋しくはないな。まだ慣れていないだけだと思う。むしろ、あのような状況でぐっすり眠れたカークはすごいと感心する。」
「ぐっすりではありません。私は夢の中でフリッツを心配していましたから、」
得意そうなカークに、キュリスは吹き出して笑うと、「お前はやはり楽をして育ったようだな、」と肘でつついた。寡黙な男フォートも、おかしいのか小さく口元を綻ばせた。
「野営も考えなくてはいけませんね、先ほど通り過ぎた商人の旅団の傭兵が、獣人たちの襲撃の噂話をしておりました。」
ランスは淡々と報告をあげる。「なんでも、月の明るい夜が危険なのだそうです。狼頭男や犬頭男の盗賊団が人を攫うのだという話でした。我々は裕福な商人の集団ではありませんから狙われることはないだろうと思いますが、気を付けなくてはいけません。」
キュリスが頷きながら続ける。
「獣人は人といってはいても、ヒト型に近い魔物なだけで、本質は人ではないそうです。夜行性で金属や工具を好み、食べるものがなければ人間を襲って食べるとされています。人語を話せるから人間の仲間、と一括りにして油断してはいけません。」
フリッツは「判った」とだけ答えて、どうやって倒せばいいのだろうかと考える。ここまでの道のりの中で出くわした敵は、やたらと大きなぶよぶよしたスライムだったり大きな野ネズミの魔物だったりと、小型かつ比較的退治しやすい魔物で、小柄な亜人種の集団に出くわした時は、フリッツ以外の者がほとんど攻撃をし致命傷を負わせ、フリッツはとどめを刺すばかりだった。
「まだ戦ったことのない未知の敵だ、そういうものに遭遇する可能性もあるのだな、」
「はい、フリッツの剣の腕ではまだ出会いたくない相手です、」とランスは答えて、眉を顰めた。フリッツはまだまだ剣が「使える」程度だと、ランスたちは認識していて、この旅で「できる」までになってほしいと、望みを抱いていた。
黙って歩きながら腰の剣に手を当てたフォートが、「覚悟を。来ます、」と呟いて、目を細めた。
先発部隊はフリッツの剣の腕から推測して難易度の高そうな魔物を退治しながら進むので、いつもなら、フォートは身構えたりしない。違う経路から現れた敵だろう。
「わかった、援護を頼む、」とフリッツも剣に手をかけ、何が現れるのか未知数なのだと身構える。剣は青銅の剣で、銅の剣よりは軽く細身だった。
王族が持つには簡素すぎると母は大反対したけれど、私設の旅団の小姓役のフリッツが重厚な鉄の剣を手にしているのはかえって目立ってしまい攻撃の標的になりうると騎士団長に宥められていた。フリッツも、使い慣れた青銅の剣の方が重さが体に馴染んでいて使いやすいだろうと思った。
この旅はまだ守りがある。名前のない人は4人で竜魔王を倒す、と言った。
たったの4人。だけど、その道に秀でた4人なら、世界は変わる。自分が足を引っ張るわけにはいかない。
フリッツは剣を構えて敵襲に備えた。
ありがとうございました




