17、あなたを守るためなら
「まずは名前を聞こう、何をしている者だ?」
ラボア様はわたしの様子を観察しながら膝を組んだ。バンジャマン卿がメモを取る準備をし、スタリオス卿は腰の剣を意識しているようで何度か柄を触っている。
「ビアトリーチェ・シルフィム・エガーレと言います。公国の民です。冒険者になったばかりです。」
「それ以前の職業は?」
「何もしていません。」
スタリオス卿とバンジャマン卿の顔色が変わったのが判った。不審がられている。
「成人していないようだが、幾つだ?」
そんな言い方をされてしまうと本当の年を言うのは気が引けたけれど、仕方ない。
「26歳になりました。」
「嘘をつけ!」
突然スタリオス卿が怒鳴ったので、声の勢いにビビる。「見栄を張るな! 殿下の前だぞ!」
「本当です。とある事情があってこういう状態なのです。」
モヤモヤとする気持ちを宥めながら、前を見据えたまま胸を張って答える。嘘なんか言っても、誰が得をするというのだろう。
ラボア様はスタリオス卿に「黙れ、次に怒鳴ったら口を縫い付ける、」と淡々と告げた。地属性の治癒魔法で言う外傷の『縫合』の魔法だろうか。スタリオス卿の顔をちらりと見て、あの口を傷と捉えて魔法を展開するのねと納得していると、ラボア様がクスリと笑った。
「癒しの手といったか? 地属性か水属性だろうな。だが、お前は治癒師でもある。わざと冒険者登録で下の職位から旅を始める者があると前回の預言者は言っていたな。そうか、お前は治癒師でありながら癒しの手に落とした者か。しかも、お前、半妖だな。」
水属性の『水煙』とさっきの会話からわたしが半妖の治癒師だと見抜いたのならこの人は相当に賢い。
小さく頷くと、わたしも、決心が決まる。
「冒険者となる登録をする際、月の女神さまのご配慮で、その者にとっていちばん優しい未来を疑似体験します。その1周目の未来で起こる出来事を持って、そのままの職位で登録を続けるか、下の職位で学びながら始め直すか、冒険者登録自体をなかったことにするのかを決められるのです。わたしは、下の職位から始め直すと決めました。未来を、徹底的に変えてやろうと誓ったのです。」
「ほう!」
バンジャマン卿が意外そうに声をあげた。「前回の預言者はなんだかんだ言って曖昧な情報ばかり1年ほど先の未来を語っていきましたね。いきなり馬の前に飛び出て死んでしまいましたが。」
「ああ、確か、役目は終わった、と言っていたな。まだまだ情報は引き出せただろうに惜しい者を亡くした。」
不気味な笑みを浮かべているバンジャマン卿とニヤつくスタリオス卿を見ないようにして、わたしはラボア様だけを見た。
「殿下。わたしがお伝えできるのは3か月ほどの未来だけですが、それでも、お伝えしないといけないと思いここに来ました。」
「もったいぶってないで言ってみろ、」
スタリオス卿がイライラしながら吐き捨てた。
ラボア様を見ると、表情を変えずにずっと、わたしを観察している。
どうする?
駆け引きなんかうまくできない。
でも、わたしは、どうしても協力するという言葉を引き出さないといけない。
シューレさん。
ラフィエータ。オルジュ。
そして、あの子。
名前を呼ぶと、弱さが悔しくて弱さが情けなくて、自分がもどかしくて泣き叫びたくなる過去の思いが今を生きるわたしを苦しめる。
わたしよりも背が高いコル。聖堂の軍人なのにとっても気さくで、自分のことを僕と言って男の子扱いしてほしがっていたのに本当はとっても乙女だったコル。
こげ茶色の髪に緑色の切れ長の美しい瞳でわたしとシューレさんとを見て、ずっと一緒に入れたらいいのに、って微笑んでいた、召喚魔術師のコル。
「…潜入捜査中の、ニコール・ティリニー・マルルカ公爵令嬢を、助けていただきたいのです。」
単刀直入に言ってしまった後、コルの実兄であるスタリオス卿の激情が込められた視線に逃げ出したくなる。でも、言わなくてはいけない。
事実だと思いたくないけれど、これを言わなくては信じてもらえない。
「1周目の未来では、6月末の満月の直前にわたしは死にました。大切な親友であるコルを助けるために、『自己犠牲』を使ったのです。」
もちろん、その結果には何も悔いてはいない。
「自己犠牲が使えるとなると、神の手になる最中だったのか?」
眉一つ動かさず、ラボア様はわたしを見た。
神の手の別名は救世主で、自分の命を生きとし生けるものに分け与える自己犠牲という究極の魔法が使える。対価は術者の命と魔力で対象は術者の魔力の覆える周囲全てとなり、もともとの魔力量が大きければ大きいほど救える命も増えていく。
痛みも苦痛も死ぬ間際の恐怖も、すべてが多幸感に満たされていたという錯覚の中終わっていった1周目の自分の未来を思い出して、この世界にはないはずの幸福なのに酔うように甘い余韻を思い出しそうになる。
「はい。わたしは当時、聖堂に所属する治癒師の一人でした。縁あって祝福を必要な数だけ獲得していたのもあって、救いの手になるのを目標に魔法を覚えていました。祝福も必要数獲得し魔法も治癒術も必要なだけ習得できていたので、あとは月の女神さまの神殿で職位変更を願うだけの状態でした。」
「謙遜するな、自己犠牲が使えるのなら、それ以上に学んでいたのだろう?」
ラボア様が目を細める。確かに学べるだけ学んでいたけれど、自分を評価高めに語るのはあまり好きじゃない。
「そうですね、治癒師の最終職位である神の手を意識できるほどの治癒術を持っていました。本当に、運が良かったのです。」
指導してくれた先輩治癒師が丁寧で細かい性格だったのもあるけど、治癒師上がりのアウルム先生は過程の中で神官であった経験もあるので知識量が凄まじく、ネクロマンサーとして召喚術も教えてくれたし、治癒術も先生の知識の限りを披露するかのように伝授してくれていた。わたしは、あの頃、外部との接触を避けるように警護を付けられて聖堂の関係者としか面会も許されない状況で、聖堂に軟禁されている状態であったのもあって熱心に先生の講義に取り組む真面目な生徒だった。
「ニコールとはいったいどういう関係があったんだ、どうして助けがいると言えるのだ?」
スタリオス卿がわたしの傍まで足音を激しく立てながらやってきて、腕を掴んだ。
「言え! 平民のお前と貴族のニコールとは接点がないだろう! 平等な愛を説くはずの聖堂はああ見えて完全な身分社会と聞いている。ニコールは上級幹部の護衛部隊の副隊長という表には出られない職務についているはずだ。」
腕を掴む手が、熱を帯びていくのが判る。呪文を唱えずに『業火』を発動できるのか。さっきは『探査』もできなかったのに。ああ、この人は魔法にムラが出るんだわ。きっと、感情に左右される烈火だ。
4つある火属性の性質のうちのひとつである烈火は炎火とも呼ばれ、火属性が100人いれば10人いるかいないかの割合だとされている。魔力の強弱が激しい烈火は、火属性のうちで一番爆発的に攻撃力があり一番能力にムラがある厄介な性質とされていた。
肌が、焼けて焦げる匂いがする。感情のままに発火し続けて焼き殺すつもりだ。
「やめてください! お話しますから、放してください!」
「スタリオス、やめておけ。」
「ですが、殿下!」
「それ以上するなら今すぐお前の目を縫い付ける、」
「スタリオス卿、目と口とを縫い付けられては、この先、生きていてもつまらないのではありませんか?」
クスクスと笑うバンジャマン卿を軽く睨むと、わたしの腕を振りほどくように手放し、「勝手にしろ!」と言ってスタリオスは壁を殴りに行った。
激しく音を立てて壁を殴る後姿を見ながら、撫でるようにして腕の火傷を治癒していると、ラボア様は小さく溜め息をついていた。
わたしの回復していく肌ではなく、わたしの向こう側にある何かをじっと見ているような視線に、この人の目には何が見えているのだろうかと興味が湧いてくる。
鎮火目的なのか激情を発散させているのか判断がつかなかったけれど、壁を殴っていたスタリオス卿が血まみれの拳を降ろしてやっと静かになったので、わたしは完全に治った腕を擦りながらラボア様を見つめた。
あなたの頭の中にある世界を知りたいけれど、わたしはわたしの仕事をすることにします。
スーッと息を吸って気持ちを整えていると、ラボア様が先に口を開いた。
「ビアトリーチェといったか? その幼い風貌と言い、聖堂で高位の職務であるはずのニコールと接触できるのだとしたら、お前は貴重な存在なのだな? さしずめ、未分化の半妖か?」
あ、核心をついてきた。
この人は未分化の半妖の価値を知っている?
事実を悟って、わたしに興味を持って、わたしの話の信憑性を信じ始めている。
うまく世界を語って、うまく味方につけるには、どうすればいい?
「はい。お恥ずかしながら、精霊である父の魔法によって成長を止められていました。まだ、男性でも女性でもありません。聖堂では、未分化の半妖という価値を持って、コル…、ニコール卿と同じ小隊にいました。」
「未分化の半妖? この者が、ですか?」
驚いたようにバンジャマン卿が顔をあげわたしを見た。
「そうだ。精霊は生まれてしばらくは男でも女でもないどちらでもない存在として生きるが、人間でいうところの成人する年頃までには分化と言って性別が確定している。人間と精霊との間に生まれた者は、魔力量が大きいと精霊の親の性質に引っ張られて性別が固定しにくい特性を持っている。成人に近い未分化の半妖は穢れの無い存在とされ存在が希少なため、取り扱いに十分配慮ができ性質が理解できる信頼のおける者に警護をさせる対象となる。魔力は湧いてくる泉のように止めどないため、我が国でも先の大戦の頃は魔石を作らせるのに利用していた過去もあった。お前は聖堂でも、同じ扱いをされたのだな?」
「はい、その通りです。」
わたしの聖堂での仕事は、治癒師としてよりも副業の、治療のための魔石作りの方が重宝されていたと冷静に思い返せた。
どこから話すのが一番わかり良いだろうかと考えながら、ラボア様は賢いからラボア様の質問に答えていくのが一番わかり良いかもしれないなと思えてくる。
素直に従うふりをして、水面下で流れを誘導する。
できる?
いいえ、してみせる。
「他には誰かいたのか? お前は、誰と行動を共にしていたのだ?」
ごくり、と息を飲み込んで、言葉にならなかった言葉をもう一度頭の中で認識し直して声に出す。
ああ、わたしはもう引き返せないのだ。
シューレさん、ごめん。コルを助けるためにあなたの存在を世界に知らしめるのを許して欲しい。
責任を負う覚悟で、心を奮い立たせて話す。
「竜騎士のシューレさんと、未分化の半妖のわたしと、斎火のコルと、わたしたちをまとめるリーダーと呼ばれる聖堂の指導者の4人です。」
名前を口に出すと、顔や姿かたち、体臭、声が蘇ってくる。シューレさんやコルが、わたしのすぐ傍にいてくれる錯覚を体が作り出してしまう。
滲んできた涙を手の甲で拭うと、わたしは鼻を鳴らして小さく顔を振った。大丈夫。大丈夫だよ、ビア。
「斎火だと、知っていたのか?」
火属性の性質のひとつである斎火は、100人いれば1人しかいないような奇跡の存在で、不浄を斎み清めた炎を操る祈祷師の特性も持つ。火の精霊王の神官は基本的には斎火の性質でないとなれない。魔法を使える者がどんどん減っているこの世界において斎火の存在はとても希少な存在で、平民に生まれても斎火と判れば強制的に火の精霊王の神官に迎えられてしまっていた。
斎火のコルがなぜ神官にならないで済んでいたのかと言えば、先代公爵が幼い孫を手放さない交換条件として公王に側室として秘蔵の娘を差し出したからだと言われている。この国では一夫一婦制が当たり前で、公王と言えども子がない場合のみ側室を迎えられると決められている。でも、当時正妃は懐妊中だったので、火属性の直系の王族を欲しがった地属性の公王が欲を出し無理やり側室にした感が否めない。その側室の娘が、目の前にいるラボア様だ。火の性質を望まれて生まれたラボア様はあいにくと地属性の娘で、正妃様の娘である同い年の姉フローラ様が火属性の『種火』だった。ちなみに、フローラ様の実の妹君であるアルメニカ様も地属性だ。
コルは自分の家族や兄弟の話をほとんどしなかったけれど、ラボア様の話はよくしていた。年の離れた姪っ子への愛情というよりは、無理やり嫁がされ短命となった叔母への自責の念からの愛着を強く感じた。
「はい。だから、選ばれたんだと思います。」
あの日あの時あった事実を考えれば、そうとしか思えなかった。
すべては、わたしたちが出会ったその日に決められた策略だったのだと、今なら、言い切れる。
「くそっ!」と言うなりスタリオス卿が壁際の花瓶を一撃で割った。
活けられていた鮮やかなアネモネの花が床に飛び散る。大きな音に眉を顰めたラボア様が一瞥し呟くと、花と水、陶器の破片とが分けられて床にまとめられた。
はあはあと肩で息をしながら血の滲む拳をハンカチで拭って、スタリオス卿は背を向けるなり身勝手にソファアに座っている。火属性は性質が性格に影響を与えるとは聞いていたけれど、ここまで激情が乱高下する烈火そのものな性格だなんて驚きだ。
「はい。コルが、打ち明けてくれました。わたしが未分化の半妖と打ち明けた時に、」
シューレさんには言えなかったわたしの秘密だったけれど、あの日、シューレさんにも気付かれてしまった。
「竜騎士、治癒師のお前とあるのなら、ニコールはどういう身分で加わっていたのだ?」
「召喚魔術師です。わたしたちは、あの最後の日まで、何の目的で一緒に行動しているのかを知らなかったんです。」
そう。わたしは、あの日が来るまで、シューレさんとコルと三人でいる理由を知らなかった。リーダーは女神の言葉でしか話をしようとしないわたしたちをまとめるだけの存在なのだと思っていた。
斎火のコルは召喚魔術師としての能力を高めるため、実戦経験を積む目的で竜騎士のシューレさんと治癒師のわたしの補助をしてくれているのだと思っていた。
「順序だてて可能な限り詳しく話せ。そうだな、この国を出国した辺りからではなくていい。結論が聞きたい。」
「殿下、記録させますか?」
冷静なバンジャマン卿が冷徹な視線をわたしに向けていた。即座にスタリオス卿が反応する。
「ニコールの名をこの者の記憶に残したくない。私は賛成です。殿下、」
「ですが、あの術は副作用があります。やり過ぎると自分を見失い前の預言者のように自殺しかねません。」
魔石か宝石か何かに情報を記録させ自分の失うほど強力な記憶消去をかける魔法…? もしかして、まともな人間相手に風属性の退魔師や祓魔師の魔法である祓魔の『浄化』をかけたの?
あの魔法はもともと、人間に悪意を持って取り憑こうとする精霊を魔石に閉じ込める魔法で分離を目的としている。精霊に取り付かれていないまともな精神の人間に掛けると無理やり人格を分裂させて魔石に情報を送り込もうとするので記憶障害が起こり人格が崩壊してしまう恐れがあるため拷問の禁術とされていて、よほど高位の魔法使いでない限り伝授も使用も許されていないはずだ。治癒師として知識として知っているけれど、まさかあの術を使う人間がこんなところにいるなんて…!
バンジャマン卿は風属性の魔法使いでもただの魔法使いじゃなくて、退魔師なのかもしれない。
退魔師は、治癒師が地属性と水属性といるのと同じで、精神面での救済を得意とする風属性の退魔師と、身体的な能力面での救済を得意とする火属性の退魔師がいる。
神官からでも退魔師にはなれ、将来的には祓魔師か精霊使いか死霊使いになる。アウルム先生が治癒師なのに死霊使いになれた過程には、治癒師から救いの手になり神の手、神官を得て、退魔師まで戻り死霊使いとなった経歴がある。
まさか、わたしにも祓魔の『浄化』の魔法をかけるつもりなの?
驚いて目を見開いて凝視してしまったわたしを見て、バンジャマン卿が薄ら笑いを浮かべて目を細めた。
もしかすると、この魔法使いとしてはムラのあるスタリオス卿も、火属性の退魔師なのかもしれない。
「ニコールと接触するのは聖堂に囲われてからだろう。そこからでいい。バンジャマン卿、この者はあの者のように嘘をつく理由は見て取れない。その術の用意はしなくていい。」
よかった。ラボア様はわたしを信頼してくれている。ほっとするけど、同時に緊張もする。いつまでこの信頼が続くかなんて判らない。信頼を裏切らないように、慎重に言葉を連ねなくてはいけない。
「わかりました。」
バンジャマン卿は引き攣るように笑うと、わたしを見た。
前の自称勇者は偽物で、偽物と判っていたから祓魔の『浄化』をかけたのね。この人たちは想像していたよりも無情だ。
嘘をついて死ぬのなら、誰かのための嘘を嘘だと見抜かれないうちに死んでみたい。
コル、待ってて。わたしはそれでもやってみせるから。
身震いをすると治したはずの火傷を負った肌が痒くなる気がしてもう一度念入りに肌を再生し直して、思い出したくもない出来事を、でも、忘れたくない未来を語り始めた。
ありがとうございました




