15、わたしの家族
冒険者登録を済ませていたわたしは特別通行許可証を持っていたし、その証でもある鉅の指輪を指に嵌めていた。右耳のイヤリングにはオルジュがいてくれるし、格好だって、花の行列のように無防備で露出の多いものではない。
王国側の国境の街リゼブの検問所に来たのには理由があった。
王国側の検問所は午前中の業務がひと段落したのか人気がなく、最高の好条件だと思えたわたしは、肩掛け鞄を肩に掛け直すと中に入った。お昼休憩の前なのか、警備隊員はふたりしか残っていなかった。
「子供一人かい?」と尋ねてきたのはいつか会ったハンサムな警備隊員の一人で、わたしは黙って頷いて左手にある指輪を見せた。
「勇者様か。冒険者が公国へ行くのか。一応特別通行許可証を見せてくれ、」
見たことのない顔の青年警備隊員が話しかけてきて、見せてくれとばかりに手を差し伸ばしてきた。横柄な態度に子供だと馬鹿にしているのだわと思っても、揉めたくなくて素直に応じる。服の中から首に掛けていたお守り袋を取り出して特別通行許可証を取り出してみせる。
「癒しの手、か。」
こくんと頷くと、意外そうな顔つきになって青年は首を傾げた。
「勇者殿、いったいいつ出国したんだい? 公国からの資料には勇者になりえそうな人物の通告はここ最近なかったが?」
魔力量を測って追跡の対象となった人物が勇者になるという前提で出入国を管理しているのだと察して、花の行例の話はしないでおこうと決めた。
なぜ花の行列を利用したのかと問われると、どうしても魔力検査を受けたくないという個人的な事情を打ち明ける流れになる。せっかく苦労して出国した努力が無駄になってしまうのは、避けたい。
薄ら笑いを浮かべて誤魔化したわたしを、小さく溜め息をついて警備隊員たちは「規則だから仕方ない。冒険者殿、どうぞ、お通り下さい、」とあの白い通路へと案内してくれる。
言われなくても靴を脱いで水晶の中に足を入れたわたしを見て、ハンサムな警備隊員が何かを思い出した表情になった。
「もしかして…?」
問いかける声に、一度あなたに会ってますよと答えそうになってしまって、わたしは微笑んで誤魔化すと背を向けて歩き出した。
何かを話して声でバレてしまうのは困る。あの時、言われた通りにきちんと花の精霊になりきって黙って微笑んでおけばよかったと後悔しても今更遅い。
天井を見上げながら歩く水晶の道は、2度目ともなるとこの場の感覚を体が覚えていて、歩いているだけで足の裏から魔力が吸いあがってくる。
体の渇きが潤う。
旅の疲れも、足ツボを刺激されて程よく消えてなくなる。
この道、本当に最高の道だわ。
公国側へと辿り着くと、公国側の検問所はちょっとした騒ぎになっていた。冒険者登録を済ませた魔法使いが癒しの手だと知って、想定しているよりも低い能力の者が冒険者となったのだと判り、異常事態だと判断されたのだ。
到着したわたしの顔を見るなり、明るい橙色の制服の警備隊員たちが集まってきた。
「こんな子供が、いったいどうやって、」という声もあれば、「奇跡だ、」と素直に驚く声もある。
検問所の奥から警備隊長らしき人物の叱責する声も聞こえてくる。魔力量の低い者に対して魔力の追跡をしていなかった事実が問題視されているようだ。彼らにとっては、冒険者登録をするくらいなのだから高位の魔法使いだろうという思い込みがあるから、公国の魔法使いの中でも最下位の職位のひとつである癒しの手から冒険者が出るとは予想外なのだ。
「冒険者登録できるような者の名を把握していないとなると大問題だ、」と、責任を問う叱責が検問所内で響いていて、居心地が悪く感じる。わたしも花の行列を利用して国外に出たので、そこを追及されると痛い。
ビア、助けてあげようか? と、勝手にオルジュが姿を現した。『精霊の舞』を咄嗟に展開して、オルジュの姿を知らしめると決める。
わたしを見ようと集まってくる警備隊員たちは、傍に立つ風の精霊オルジュの姿を見て、実力は本物だと確信したようだ。
顔色を失った警備隊員たちを前に、特別通行許可証の効力を知っているわたしは「オッホン、」とわざとらしく咳き込み、にっこりと微笑んで警備隊員たちに特別通行許可証を見せた。わたしの願いはさらに混乱を招く発言になるだろうとも自覚する。
「勇者として、明日、王城にて妖樹ラボア様との面会を希望します。」
この一言のために、わたしはここへやってきた。
騒ぎを起こし『わたし』を認識させ、正面切って面会を取り付けるために正攻法で国境を越えた。
特別通行許可証を持つ勇者の特権として王族や上位貴族と面会を許されているのだと、1周目の未来で学んでいた。公国の姫君は三姉妹で、それぞれ性格を表した贈り名が付けられている。妖樹ラボア様はその姫君のうちのお一人だ。
血の気の引いた顔つきをしている警備隊員たちの不気味な沈黙の中、わたしは引く気もなく胸を張る。
「明日、王都で、ですか?」
おずおずと尋ねる警備隊員に、今日はもう帰って眠るだけにしたいとこっそり思いながら、頷き答える。
「はい、明日。妖樹ラボア様にお会いしたいのです。」
ごくり、と唾を飲みこむ音が聞こえた。
この場で一番名前を出してはいけない人の名前を出したのだから当然だろうなとは思う。
「よろしいでしょうか?」
念を押すと、「はい、お伝えします、」と涙目になった警備隊長の上擦った声が聞こえた。
ぺこりとお辞儀をして検問所を出たわたしを追跡する精霊がいたのに気が付いた。
オルジュに頼んで目くらましをしてもらうと、一気に坂を駆け下りて、ウェマの街の中へと急いだ。
目抜き通りを走り抜けて海岸沿いに向かって急ぎ、オルジュを魔石に戻すと、ウェマの街から街道を抜けて大きな貿易港を持つマルルカ公爵領へと抜ける。
1周目の未来で、わたしの大切な人からこの領にも妖の道があると教えてもらっていた。聞いていた通りに領境の街の寂れた地竜王の神殿を探してみる。
はじめて訪れた街なので迷ってしまったけれど、夕闇が広がる頃、やっと三叉路を見つけた。
※ ※ ※
公国の首都ワシルに戻ってきた頃にはすっかり昼食を食べ損ねクタクタで、空腹に耐えながらオルジュを連れて街の中へと入った。灯りが夕闇に灯る街は王国に比べると暑くて、羽織っていたマントを脱いで小脇に抱える。オルジュが気を使って風を吹かせてくれた。
もうこの土地の風を使えるんだね、すごいねオルジュ、と褒めると、「たいしたことないさ、」と嘯いている横顔が少し赤くて可愛らしかった。
懐かしい街並みを歩いていると、世界の時間ではたったひと月ほどの経過なのに、とんでもなく長い間留守にしたような錯覚がした。気休めでも市場でお土産を買った方がいいのかなと思うものの、持ち合わせがない。自分の家に帰るだけだけど土産ひとつも持たないで帰るのは成人した者のする態度ではないなと恥ずかしく思いながら父と母の待つ我が家へと帰ると、意外にも母は上機嫌で、「お帰りなさい、夕飯はビアの好きな果物をたくさん買っておいたわ、」と微笑んでくれた。父がちゃんと、伝言を伝えておいてくれたみたいだ。
わたしの部屋は二階の南側の大きな部屋で、元は客室として使っていた部屋なのだと母は教えてくれていた。大きな部屋の方が退屈なく閉じ込めておけるだろうと言うとんでもない理屈で父によって与えられた部屋だ。2階の他の部屋は物置になっていて、来客用の部屋などない。現在、祖父母の使っていた一階の北の部屋は母の作業部屋になり、母の元居た東の部屋は父と母の寝室になっていた。
応接間は仕事の依頼者用の待合室に変化していて、母の仕事部屋の祖父母の気配を残したまま品良く新調された家具を見た後、庭にも屋敷内にも父の工房がないと気が付いて間取りについて改めて尋ねると、父自身の工房はこの家にはなく、とある里に隠してあるのだとこっそり教えてくれた。
隠さなければならないような場所にある魔術工房ならどうせろくでもない実験をし始めたんだろうなと察しがついたので、話したがる父を黙らせて詳しくきかないでおいた。わたしの耳はもちろん、オルジュの耳が穢れる気がする。
精霊にはぞれぞれ属性ゆえの性質の差があって、風の属性の精霊は言葉や音をとても大事にする。言葉は息吹きの作る生きた証であり風のうねりの音であり術者の声でもあるけれど、物事に命を吹き込む調べでもある。
王国の固有種である春の風の精霊であるオルジュは、暗く沈んだ顔を空に向かってあげさせる力強さを持つ春の嵐が魂であり、冬の寒さの中で耐えた生き物の希望の表れでもある。いくら血縁と言えど、わたしの父は悪しき魔性で、どうしようもない精霊だったりする。生きる希望を呼ぶ精霊でもあるオルジュを汚すような淀みを教えてしまうのはかわいそうすぎる。
精霊の愛する国・公国のワシルでは精霊は珍しくはない。見えていない者が多くなってきていると言ってもいたるところに精霊は存在していて、気のいい隣人として力を貸してくれている。ヒト型を取り姿を見せている精霊がいても、精霊と人とは違う生き物と認識されているのもあって伴侶にする者は珍しい。
「かっこいい精霊の男の子を連れてきたってことは、そろそろ決めたのかしら、」と、父という精霊を見慣れている母はオルジュを見てすっかり勘違いをして含み笑いをした。
そんな母を見た後わたしとオルジュを見比べて、父は不満げにすぐに関係を見破ってきた。「この者は王国の固有種か? 血の契約をしたのか。もったいないな、ビアの血をやったのか、」とブツブツ繰り返し、オルジュが一緒に食事の席につくと地味に睨みつけたりしていた。
火属性の母は『種火』の性質を持っていて、基本的には穏やかな性格をしている。火属性には4つの性格の傾向があって、『種火』は火属性の大半が占める一番多い性質だったりする。地属性と水属性の父や私にとって火属性の母はいつだって刺激的で、いつだって種火の性質の暖かさに癒されていたりする関係だ。
夕食の片付けをする母を手伝っていると、父はオルジュと並んでソファアに座って美しい風の精霊を念入りに観察していた。オルジュは微笑みながら、母があれこれと問いかける質問に時々首を傾げ、時々頷いていた。
オルジュは風の精霊で春の嵐の象徴でもあるので、『種火』は居心地がいいらしく、わたしたち家族にすっかり馴染んでくれていた。あれこれと揶揄って構うのは父だけだった。
「ビアとの馴れ初めを聞かせてくれ、」
時間をつなぎ合わせてもまだ一日分も溜まってないし、わたしが一方的にオルジュを召還した関係だった。オルジュは戸惑いながら私を見て助けを求めてきた。
「ビア?」
母がわたしの緊張に気が付いたらしく、顔色を窺ってくる。
「お父さん、オルジュとは王国で知り合ったの、まだそれほど時間が経ってないわ。合わせても一日もないと思うわ。」
「そうかそうか、ビアとはまだ出会って半日ほどか、」
父は考え事をしながら顎を撫でている。
「ビアとオルジュが結婚するなら、血の契約を解除しなくてはいけないなあ、」
天井の隅を見上げながら呟いた父に、わたしは眉を顰めた。血の契約を解除するとオルジュは王国へ戻ってしまう。まだ力を借りたいのにそれじゃ困る。
だいたい、精霊の召喚ひとつで生涯の伴侶を決めなくてはいけないなんて荷が重すぎる。
「結婚するなんて言ってないけど? お父さん、」
「無理をするな、ビア。こんないい条件の実験などないじゃないか。地属性と水属性とを持つ娘と風の精霊が結婚したら何属性が残るんだ?」
「あなた!」
「お父さん!」
生まれて来る子を実験扱いするなんて!
思わず母と同じ瞬間に怒鳴ってしまった。驚いて母の顔を見ると、母は金色に目を輝かせながら怒りに震えている。
「どっちの子に似ても可愛いだろうな。」
「なんてデリカシーのない!」
「お父さん、最低っ!」
また同じタイミングで叫んでしまったわたしと母を見て、父はお腹を抱えて笑い出した。
「だってそうだろう? まったく、お前たちは考えていることがそこまで似てるんだな!」
いい大人なのに、大人げなくて恥ずかしい。
自室に帰ってから、子供っぽい父でごめんね、と謝ると、オルジュはふっと微笑んで、「聞いていたよりも可愛らしい人なようで安心したよ」と言った。
お父さんのどこが? と小一時間ほどじっくりとオルジュの辿った思考回路について話を聞いてみたいと思ったけれど、我慢して明日に備えると決め眠る支度をする。
「明日は朝から出かけるつもりなの。オルジュにも一緒に来てもらうつもり、」と伝えると、「判った、」と言うなり、オルジュは暗い窓の外へと顔を向けた。
「このまま少し散歩してくる。窓は閉めておいて。明日の朝には帰ってくるから、」
細く窓を開けるなり隙間から飛び出していったオルジュの姿は窓を閉める頃には風に乗って消えていた。公国を見て回るんだろうな、と羨ましく思う。年中暖かな公国には、雪解け水が潤し溶かした凍えていた土地にやってくる暖かな季節を告げる春の嵐は縁がない。地に縛り付けられていた王国固有の精霊であるオルジュにとって、この世界はまだまだ始まったばかりの真新しい物語で満ちている。
部屋の明かりを消し、ベッドに横たわり掌を天井に翳すと息を吹きかける。『灯火』の魔法だ。爪の先に明かりが灯り天井に影が揺らめく。子供の頃、天井に揺らめく自分の影が面白くてずっと見ていられると思えた簡単な魔法だ。いつの頃からか眠る前に影遊びをしなくなった。ベッドに入るとすぐに眠れるようになったからかもしれない。
「お父さん、」
呟いた声を拾うように、影の中から父の姿が現れた。
「眠れないのか?」
「寝るよ。でも、ひとつ、言い忘れていたのを思い出したわ、」
それは1周目の世界では言えなかった秘密。
「なんだ? まさかあの若造と契約違反を犯してまで結婚するつもりじゃないだろうな、」
血の契約の関係のまま結婚すると、逆縁が発生する。生まれてくる子も親も、次々に死に始めるとされている。
基本的にどちらかが輪廻の輪に帰るまで続く血の契約を途中で解除すると、血のつなぐ縁のすべてが切れ、二度とその精霊を召還できなくなる。
オルジュと血の契約を解呪するとオルジュは王国へ強制的に戻り、わたしは常に移動し続ける風の精霊オルジュを目処もなく自力で探し出さなければいけなくなる。
だいたい父自身も人間に扮しているけれど精霊だ。人間のふりをして母と結婚したのだから人のコトは言えない気がする。
「違うわ。大切な友達。そんなのじゃなくて、」
わたしの頭を撫でる父の掌は大きくて、わたしの瞼を撫でるようにして寝かせようとするのは、子供の頃から変わらない。
「なんだ? 」
「お母さんと結婚してくれてありがとう。わたしを育ててくれてありがとう、」
「なんだ、そんな事か、」
笑う父の顔を見ているうちに、泣けてきて、瞳を閉じる。
1周目の未来を体験して、自分の生きている奇跡に気が付くなんて思わなかった。父や母にとってわたしの旅はたった一か月やそこらの期間だと思っているかもしれないけれど、わたしにとっては、とても長い旅だった。
「もう寝た方がいい、」
指の灯りを撫でて消して、父は闇の中へと消えていく。
父は知らない。頑なに父の名を呼ばなかったわたしが1周目で巻き込まれた事態をきっと想像すらしていない。
でも、父が精霊だったからこそ、わたしは半妖で、困難に巻き込まれていっても仲間がいて、常に心には暖かな希望があったのだとわたしは答えられる。
家を出る前は、自分の境遇を恨めしいとしか思っていなかった。父が精霊である事実も不満のひとつだった。
でも、今のわたしはそう思っていない。
わたしは、1周目の未来と現在いる2周目の未来を決定的に変えるために、この国に帰ってきた。
ありがとうございました




