8、言葉を話してはいけない
深く深く呼吸して、自分がやろうとしている作業に集中する。
この国にいる限り、この土地がつながっている限り、わたしに力を貸してくれる精霊は願いまでも容易く聞き入れてくれる。
心に思い描く状態が実現する未来を願い、力を貸してほしいと乞う。
すぐさま先を複製して一本目を作り、千切った切れ端から続きを作って、葉束の中に加える。
「次の者、これへ、」
列はどんどん進んでいく。緊張しながらギリギリになるまで何度も何度も切断、複製、再生を繰り返す。
わたしのすぐ前にいた少女が、検査官である公国側の国境警備隊員たちの座る前へと進み出る。明るい朱色の制服の者たちがずらりと並んでいる。検査は流れ作業になっていて、白く輝く貝殻を重ね花弁に見立てた花の中に金色の丸い時計を組み合わせたような置時計を思わせる美しい器具が机の上に置かれていた。12時を差し示すあたりに、赤色の線が立て縦一本、まっすぐに描かれている。
あれが、魔力を測定する機械なのね。お互い不正はないのだと判りやすいようにわざと表示を旅行者側に向けているんだわ。
ちょうど今8時45分頃を指している時計の針が12時以降に振れたら駄目なんだろうなと見当をつける。
まだ手の中には魔力がある感覚がする。
本当に魔力が無くなってしまうと、個体差なのだろうけれど、わたしの場合は喉が渇き始める。
まだ喉が渇いてこない。
まずい。
さっきよりも早く繰り返さないと。
彼女の抱えている花束は、わたしのものよりも小さいけれど、針は12時近くまで動いた。
あれを越えるとどうなってしまうのだろう。
ハラハラしながら一本、一本と複製と再生を繰り返して、目を凝らして様子を見守った。
すんなりと「いってよし、」とは言われずに、一瞬の間をおいて、「良し、次、」と言われた少女は、嬉しそうに靴を脱いで裸足になった。花束を抱え直し屈んで靴を拾うと、「ありがとうございました」と微笑んで告げて、裸足のまま先へと歩いていった。
国境をつなぐ通路は人用と馬車用とで別れていた。人用の通路は白く輝いていて、馬車用の通路は書類の検査と荷物の簡単な確認をして簡単に通してしまうようだった。
あの荷物の中に魔力を込めた魔石が混じっていても問題にしないのなら、魔石はまさか、検知されないの?
じゃあ、この包み紙だってあの馬車に乗せたらいいんじゃないのかな?
葉一本を仕上げるのに時間がかかる。思考力が低下する。魔力が欲しいと、喉が渇き始めていた。
白い道をジャリジャリと音を立てて踏みしめ走っていく彼女の華やかな後姿を見送ると、わたしの番になり、恐る恐る警備隊員たちの前に立った。
大丈夫、きっと、大丈夫。
魔力の量が限界ギリギリなのだと体感して判る。
喉が渇くように、魂が、魔力を欲しがっているのが飢える感覚として判る。
こんな風に感じるなんて、わたしにはもうほとんど魔力はないはずだわ。
抱えていた菖蒲の葉の束は与えられた時よりも倍くらいの重さに膨れ上がっていた。ただ、すべてが青々とした緑色とはいかずに、最後に再生した葉はしなびたような黄緑色程度にしか色がつかなかった。
人間として体力はあるから束の重みは平気だけれど、半妖として、魔力がないのはやはり辛い。
ふうっと息を吐き出したわたしの顔を見て、国境警備隊隊員の一人が「大丈夫だよ、安心しなさい。子供が国境を越えてはいけないという法律ではないのだから、」と優しく微笑んでくれた。
息を止めても無駄だと判っていても、自然に呼吸が止まってしまう。
息を飲んで様子を窺っていると、時間がやけに長く遅く感じられてしまう。
喉が渇く。
水が欲しいと欲するように、魔力が欲しいと、魂が叫んでいるのを感じて、叫び出したい衝動に駆られてしまうのを必死で堪える。
魔力が欲しい。
エナ・ヒルに吸わせた、魔力でもいいから、欲しい。
願い通りに針は11時のあたりまでしか動かず、ほっとすると自然に息が漏れて微笑めれてしまった。
「行ってよし、」と言ってくれた警備隊員の傍に立っていた、年配の女性が声をかけてくれる。腕に白い腕章をつけている。治癒師だろうか。
「良かったな。気を付けて楽しんでおいで。あの道からは王国になる。規則だから靴を脱いで裸足で渡っていきなさい。歩けないほど辛いなら帰っておいで。動けなくなるようなら私たち救助隊も出る。無理をしなくてもいいからね。」
どういう意味だろう。
戸惑いながらも穏やかな声に背を押されて、「ありがとうございます」とお辞儀をしてさりげなく首の後ろのエナ・ヒルを手に取った。ポケットの中で手で緩く握って潰して、吸わせていた魔力を取り戻しておいた。少しでもある方が心強い。
裸足になり靴を手に取り、重くなってしまった葉束の包みを抱え直す。
王国へと続く道は建物と建物とをつなぐ通路のようで、白く輝く道なのだと見えたのは、白い壁に白い天井という環境と敷き詰められている石が原因なのだと理解できた。白く見える石はすべて宝石で恐らく水晶だ。純度が高くて、敷き詰めた下の大理石の白い色を透過して、降り注ぐ光を乱反射させている。
眩しい光の道だわ。
深呼吸しながら顔をあげると、つかの間の道が、白い天井にも光を反射させて揺らめいていて、水の中を歩いているように思えてくる。
この敷き詰められている魔石が、最後の関門なのだと判る。
どうして救助隊が出る道なのか、意味が判る。
王国側に行くまでに魔石に魔力をほとんど吸い取られてしまった状態となってしまえば、魔力を持たない王国側の国境警備隊員は魔法使い相手に入国審査の苦労などないのだ、という理屈からこんなに魔石が敷き詰められているのだろうと想像がつく。
だから、魔力量の測定をしたのね。一定以上魔力がないとこの道を渡ることなどできないから、初めから極端に魔力の少ない者には国境を越えさせないんだわ。
魔力量が多いと追跡する仕組みの本当の狙いは、魔力量の少ない魔法使いはまず最初に国境を越える際魔石に魔力を吸い取られて動けなくなり公国に帰って来てしまうから必要がないから、だったのね。
王国が危険な国だから魔力で自分の身を守る様にというのではなく、魔力があると危険な目にあうと想定しての追跡なんだわ。
公国でも魔力がない人間が増えてきている。希少な魔力を持つ人間を、測定して出た根拠を持って優先順位をつけて保護しようとしているのね。
官庁の事業とはいえ、わたしも含め魔力が少ないと判断されたブロンシュやヴィオレッタたちは国外で救出する際の優先順位が低い人間として扱われているのだわ。
だから、花の行列なのね。
種を成さない徒花の、花の行列なのね。
怒りは、我慢しよう。命の選別をする傲慢さを許せなくても、今だけは、我慢しよう。その仕組みを利用しようと決めたのはわたし自身だ。国境を越えるまでの我慢だ。
教えられた通りに歩くと、魔石を足元に集めながら歩いているのだと感じる。ザッザ、ザッザと、石が鳴る。
息を吸うように、喉が渇きを潤すように、ゆっくりと歩くたびに足の裏から魔力を吸いこんでいる感覚がする。
幼い頃に父に習って皇国の鉱石の本を読んでいた時、書いてあった言葉を思い出した。
『人間の魔力は有限なので無限に魔力を用いるために考案された魔石飲用法は、本来、魔力の貯蔵を目的とするために魔力を吸うように術式が仕掛けられた輝石の装飾品利用が由来である。装飾品としての利用だけではなく、人間はいつしか術式を用いて魔石の効力を少しでも維持させるために精霊を取りつかせる研究を行い成功させた。貯蔵し維持するのは楽になったが逆に簡単に魔力を引き出せなくなってしまった魔石の力を開放するには、戻れという解除の言葉が必要となってしまった。』
様々な輝石の紹介とともに記された言葉の内容を教えてくれた後、父は笑った。
そんなもの、私たちには関係ないぞ、ビア。
わたしのおでこにキスをすると、父は囁いた。
魔力を欲しがる人ではないものは、簡単にその封印を打ち砕く。望むだけでいいんだ。魔力が欲しいと、石に魂が望むんだ。精霊には人間の理など通じないのだからな。
あの時は何を言っているのか判らなかったけれど、今なら判る。
魔力が欲しい。
わたしの渇きを潤して、わたしの渇きを満たしてほしい。
思わなくても言葉にしなくても、魂が、欲している。
足の裏から広がる心地よさは、誰かが魔石に吸い取られてしまった魔力だ。ごめんね。わたしが貰っちゃうけど許してほしい。
歩くたび擦れて繰り返す石の音は、波が岩に打ち寄せる音と似ている。
天井を見上げながら歩いていると、乱反射する水面を見上げる魚の気分にもなれて、川の底を歩いている心地になる。
光り輝く中を花束を持って歩くなんて、春を告げる花渡りの花の精霊になった気分だ。
国境って、こんな素敵なところなんだね。
この道を歩きたくて、ブロンシュやヴィオレッタは何度もやってくるんだね。
彼女たちはささやかな魔力を吸い取られていると判っていても止められないのだと思える。
宝石は石には違いないので足の裏がちょっと痛いけど、これくらいなら我慢できる。何しろそれ以上の価値がこの体験にはある。
※ ※ ※
王国側の国境警備隊の兵士たちは背が高くとてもハンサムで、出口の左右に立って待ち構えていてくれた。優雅に現れた私に驚いた様子だったけれど、ひとりが靴を受け取ってくれ、もう一人が優しい微笑みで「ようこそ、王国へ」と手を取って招き入れてくれた。公国の検問所とは違って、魔力の測定器もなければいかつい兵士たちが警備している雰囲気もない。
この状況は、王国から出国する人間に対しては信頼している、という意味なのかな。
丸い円形の天井には、大陸を模した地図が描かれていた。この国が西の大国と言われている所以を指し示すように広大な国土が示されていて、主要な港と領都とを街道という線がつないでいた。
北西の方角に、ミンクス領とエルス村の月の女神の神殿の表記を見つける。街道をなぞりながら観察していると、兵士の一人がわたしの顔を覗き込んできた。
「言葉は判るかい?」
丁寧な発音だったので、聞き取れたし理解もできた。
わたしが小さく頷くと、肩を貸してくれた。もう一人が足に靴を履かせてくれたので、拙いけれどこの国の言葉で「ありがとう、」と伝えておいた。
あまりにもひどい発音だったのか、わたしの手を取ったまま顔をじっと見ていた兵士は、次にやってくるブロンシュの気配に気が付いてやっと「どういたしまして」と答え立ち上がった。安心して検問所の外へと行くようにと指を差して教えてもくれた。王国の人って、優しい人ばかりなのかもしれない。
検問所の外では、先に出た花の行列の参加者たちが集まって待ってくれていた。さらに囲むように花屋や警備の緑色の制服の者たちも集まってきていた。
わたしのすぐ後から出てきたヴィオレッタとブロンシュが、走ってきたのか息を切らして、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「ね、やめられないでしょ。あの感覚。」
「凄かったでしょ?」
ふたりの言う通りだと、深く納得して思った。足の裏がまだ少し痛かったけれど、魔力は吸収できたし、むしろ血行が良くなって疲れが取れた気がしていた。
「凄かったわ。なかなか体験できない場所だった。」
ニマーッと微笑むヴィオレッタは、出迎えた人込みの中に愛しい相手を見つけたようで、抱えていた花束をすぐ近くにいた花屋に押し付けると馬車から荷物と報酬を受け取り、「またね。また帰り道、」と言って手を振って去っていった。
「私も行くね。気を付けて楽しんでおいでね。」
「ありがとう。あなたもね。」
ブロンシュも行ってしまうと、わたしは手を振って見送った。
一応確認すると、包装紙の中に魔力で描かれていた文字は消えていなかった。わたしは安心して、花束を残っていた花屋の一人に渡すと馬車へ荷物を貰いに行った。
報酬を貰い、花の行列の専用の着替える場所だと教えてもらった検問所近くの宿屋へと向かう。王国の施設は初めてだ。個室を借りて着替える時やっと、馬車が無条件に通された理由を知った。
魔力を溜めていたはずの魔石がすっかり空になっていた。
どういう仕組みなのだろう。
まさかあの馬車を通す通路全体に魔石か何かの仕掛けをしているというの?
だから、直接、花束という手紙を手に持たされて移動したんだわ。
利用、されたんだ。利用したはずなのに、対価を貰って納得しているはずなのに、すっきりしないのは、悔しいからだ。
堂々と胸を張って生きていないと、そんな生き方を選ぶしかないと思っている自分が、悔しいからだ。
必ず冒険者になって、特別通行許可証を手に入れる。
帰りは花の行列を利用しないで済むようにしよう。
固く心に誓って、さっき検問所で見た地図を思い出して北を目指すと決める。
妖の道を難なく見つけ、一番近い女神の神殿へ渡りまずは泉に湧く聖水で魔力を回復させ、計画していた通りに薬の調剤の能力を売りにして日銭を稼いで、親切な人の馬車に乗せてもらって街から街へと移動する。
日中しか移動しなかったけれど想定していたよりも早く到着できたので、旅は順風満帆かと思われた。
4月のはじめ、目的地であるエルス村に到着したわたしは、思いがけない落とし穴に嵌る事態となる。
ありがとうございました




