6、国を出るための仕事
妖の道をはじめてわたしに教えてくれたのは父ではなかった。父の長年の友人であり様々な仕事の依頼主でもあるシンという青年だった。父と対等な彼は底知れぬ魔力量を持つ存在にしか感じられなかったので、おそらく父と同じような立場なのだろうと思うけれど、いつの頃からかわたしにとっても年の離れた友人となっていた。最初に出会ったのは、父が行っていた実験場のどこかだと思う。
父は行く先々の村で母屋とは別に門の近くに作業小屋を作って母やわたしの生活を監視していた。父は一応人間として在野の植物学者という表の顔を持っていたので、誰も不審に思ったりはしなかった。当時、父のことは精霊という認識もなく、「お父さん」という生き物なのだと思っていた。
わたしには父はずっと植物から人形を作る実験を行っているのだと説明してくれていた。父の魔力が水属性と地属性なのは子供だったわたしも感覚として知っていたし、学校に通う機会なく同世代の子供も少ない山奥の村での生活を強いられ暇を持て余していたのもあって、何の疑問を抱かずにお手伝いがてら父が実験用に育てている薬草や不気味な植物の育成にも興味本位で協力していた。
地属性の癒しの手は薬草での治療が得意なため、植物を育てるのが得意な特性がある。水属性の癒しの手は、薬物での治療が得意なため、植物の成分を調整できる能力を持つ特性がある。祝福を獲得していたのもあって既に職位を得ていたわたしは、癒しの手の自覚なかったけれど、父専属の植物園の庭師であり飼育員として貢献していた。
父が育てていたのは改良を加えたマンドラゴラで、手足を持つ個体を地属性の特性を生かして育て、自立した思考を定着させるために体液の成分を調整したりもした。振り返って思うと、あれは、父の溜め込んだ知識と膨大な魔力量、いくらでも時間のある余裕が生み出した植物製人造人間のための実験だったとしか思えない。
シンを初めて見た時、いきなり空中にひょっこりと現れた姿に何度も目をこすって何度も首を傾げて、何度も頬を抓った。
食い入るように自分を見ているまだ子供のわたしを、シンは赤黒い髪を肩に靡かせて美しい緑色の瞳を細めるととても美しくて怜悧な笑顔で「忙しないな。この家の子供か?」と頭を撫でながら言った。
頷くわたしの頭からシンの手を振り払ったのは家の中から慌てて出てきた父で、わたしを抱きしめるなり、「ビア、お父さんが消毒してやるからね。よしよしいい子だ。穢れないようにあっちに行こう、」と小脇に抱えて運んでくれた。父に強引に家の中に連れ帰られて、母が美しい空色の瞳を金色に光らせながら「荷物扱いはいけません」と怒ったのは言うまでもない。
お父さんはあのシンという人と似た雰囲気がする、とわたしはこっそり思ったけれど、シンは「お父さん」という生き物と同じには思えなかったので、変だなと首を傾げてしまった。
この世で一番悪い人間はわたしのお父さんで、この世で一番穢れているのも多分お父さんだ。じゃなきゃ、手伝ってくれるって言ってる精霊も妖も魔物も騙して殺して食べたりはしないだろう、と思うと、小さく笑ってしまった。お母さんは精霊を食べたりはしない。お父さんは「お父さん」のくせに、穢れとか言っちゃうんだ…!
わたしを母のいる部屋に無理やり押し込めた後、父は作業小屋でシンと何やら打ち合わせをしている様子だった。
日が暮れて、夕焼け空に世界が燃やされていく頃、シンがやっと父の作業小屋から出てきた。
夕方の水やりをする時間になっても、シンはなにか考え事をしている顔つきで庭の隅で足を組んで切株に腰かけていた。
「そこまで、送りましょうか、」
礼儀として尋ねたわたしに、「そうだな、」と本気で答えたシンに面喰いながらついて行くと、村はずれのわたしのうちへの道の半ばに大きな看板が立っているのが見えた。いつの間にできたのだろう。
「危険! この森には人を食う魔物がいます。人里が近いからといって油断しないように。」
三叉路のうち二つが該当するかのようなざっくりとした看板で、この看板の通りならわたしの住んでいるうちは危ないんじゃないの? と自然に意地悪く笑みが零れてしまう。
看板の前に立つと、シンは「ここでいい」と言った。夕闇の色はシンの髪の色よりも明るい。
「近道して帰る。」
三叉路の又に立つ看板の裏手に滑り込むようにしてシンの姿は消えてしまった。
「お父さん、今の見た?」
自分の影に話しかけてみた。自分を人間だと言い張る父は影同士を渡り歩く。人間はそんなこと出来ないんだってなんとなく知っていたけど、お父さんはお父さんだと思っていた。
案の定、話しかけることで世界がつながった父は、影から抜け出るなり後ろから抱き着いて腕で目隠しをしてきた。
「今のは見なかったことにしなさい。まだお前には早い。」
「どうして?」
「まだ誰も守れないだろう? その時が来るまで待ちなさい。」
「大丈夫だよ、お父さん。わたし、自分のことくらいどうにかできるから、」
腕を捕まえて顔を出し、子供故の無知で『お母さんが言うにはわたしは祝福を多く持っているみたいだし天下無敵なんだわ、』と思っていたのもあって、ふんぞり返って言い切った。
「お前がどうしてもというのなら、お父さんはお前とお母さんをここではないどこかへ隠さなくてはいけないね、」
冗談とはとても思えない父の顔を見ていると、つい「いい。止めておく、」としか言えなかった。
※ ※ ※
公国を出る必要が出来て王国を北に進んでエルスという村まで行く必要が出来た時、初めて、父は妖の道の使い方と見つけ方を教えてくれた。
「今更どうして、」と聞くと、まだわたしを子ども扱いしてくる父は愛おしそうにわたしの頭を撫でながら「あの周辺には妖の道がいくつかあるからね。どれかひとつでも見つければここへ帰ってこれる。便利だから向こうへ行ったらすぐに三叉路を探してみると言い、」と笑った。
帰らないつもりだけど見付けるのだけは覚えておこうと思う。いざという時がいつか必ずやってくるのなら、備えておいた方がいい気がする。
「誰でも見つけられるの?」
「そうだな…、魔力がないと見えないから、誰でもではないな、」
父は庭の花畑の一か所を指さした。「あれを持って行きなさい。お前ぐらいの力があれば、いざとなったら代わりに使えるはずだから、」
指を差した地を覆うのは何かの花の種に混ざって定着してしまったシロツメクサで、引っこ抜くのもかわいそうで何となくそのままにしていたのだった。
「四葉のクローバー?」
幸運の証?
「違う。普通の、ありふれた三つ葉の方だ、」
屈んで摘んだ父に手渡された三つ葉は、意味が判らないまま押し花にしてお守り袋に入れておく。
いざとなったらどう使うのかさっぱり見当がつかないけれど、妖の道は帰り道なのだと覚えておくための鍵なのかもしれないなと思った。
出発の朝は、よく晴れた春の日となった。わたしは両親に見送られて朝早く首都を旅立ち、船を乗り継いで寄り道もせずに公国側の国境の街・港町ウェマへと向かった。
出がけに母に、祖母の形見だというイヤリングを両耳に付けて貰った。
「これは魔力を溜めてくれる魔石なの。お母さんのお母さんのお母さんが結婚するときに愛の証としてもらったのですって。お母さんのお母さんのお父さんは皇国の神官だったのよ。」
わたしの耳を飾る小指の爪ほどの小さな群青色の石はソーダライトというのだそうだ。
「この石はこんなに小さいけれどものすごく魔力を溜めてくれるのですって。片耳のイヤリングひとつで樽一杯の水が浄化できる威力もあるわ。」
母はわたしの耳元で囁いた。
「魔力を吸い取らせておくと便利よ、ビア。どこでも女神さまの神殿がある訳じゃないもの。特に王国との国境周辺は神殿はないと思っておいた方がいいと思うわ。あの国は、竜を祀る国だから。」
「ありがとう、お母さん。わたしもそう思う。国境を越えるために用意するね。しばらく魔力を移して、このイヤリングを魔力の水筒代わりにするわ。」
「ふふ。その調子よ、ビア。精霊に愛される国・公国の子だもの、あなたにはいつだって力になってくれる精霊が見守ってくれているわ。」
母は父だと言ったわけではないのに、父は嬉しそうに顔を輝かせていた。今の絶対、父さんは勘違いをした! と思ったけれど、指摘しないで置いた。
「魔力を持っているだけで魔石は魔力を取り込もうと馴染んでくるわ。でも一番早いのは直接肌に触れるのよ。耳に付けておくだけよりも、時々撫でると、吸い取って溜めておいてくれるわよ?」
そっと両耳のイヤリングに触れてみる。触れた指先がじんわりと暖かくなって、やがて落ち着いた。
「いっぱいになったら温度を感じなくなるの。つけっぱなしよりは時々使って使い方を覚えるのもいいと思うわ。使い方は簡単。手に握って『戻れ』、と呟けばいいの。」
父は何か言いたそうに私を見ていた。ああ、これは人間の魔法使いのやり方ね、と気が付いて、半妖のわたしには時として、精霊のやり方の方が馴染みやすい事象があるのを思い出す。
「大切にするね、お母さん。」
「いざとなったらお金に換えなさい。判った?」
頷いてみて、いざなんて日がやってこないように心に誓う。代々大切にしてきているものをそんなに簡単に手放してはいけないと、わたしでも判る。
母の後にわたしを抱きしめ別れを惜しんでくれた父は、わたしの頭を撫で「元気でな」と言い、わたしの顔をじっと見て、父は優しく髪を触ると緩く手で束ねて、「少し置いていかないか、」と言った。
「髪があると、人形が作りやすいだろう?」
何のために作るつもりなのか聞きたいとも思わなかった。何しろ父は植物製人造人間の研究者なのだから。単なる趣味で娘の人形なんて作らないでほしいと思う。
「あなた!」
母が低い声で叱ると、「冗談だよ、」と答えた父の笑っていない瞳からはちっとも冗談に思えなかったので、「怒られないようにしてね、お父さん、」と答えるのが精いっぱいだった。
※ ※ ※
乗り合わせた船の商人たちはわたしの耳を飾るイヤリングとわたしの瞳の色を見て最初は警戒していた様子だったけれど、好奇心に負けてしまうのか次第に打ち解けて話しかけてくれて、目的の港である公国領の端の交易港ウェマに降りる頃には、別れを惜しんでお菓子を持たせてくれるほどに親身になってくれていた。
彼らの話によると、王国側に冒険者として申請して入国が許可されるのはほんの一握りで、実際は違う職業で申請して入国するのだそうだ。検問所で行われる魔力量の測定で基準値を超えると、属性検査とおおよその魔力量を測定する検査を受け、名前と生まれた街、所属する団体などを書類に記入して出国手続きを取る必要があるらしかった。
それに対して、基準を満たさない者は、無条件で通行が許可され名前も住所も尋ねられないらしい。特に、国境を跨いで納品する労働従事者は特に審査が緩く、馬車に乗って通過するだけとまで聞いたのもあって、彼らの助言に従って、ウェマで日雇いの仕事を探すことにした。
ウェマは公国から王国に抜けるために重要な港なのに、すぐ近くの岬に公王直轄領の港がある影響でとても小さな街だった。港を囲む坂に家が段々に重なるように広がる街で、階段だらけの街とも言えた。一番大きくて広い緩い坂道を行った先には王国のオルフェス侯爵領が待っている。
大陸の南方にあり小さな国である公国は国を守る精霊は花を好むという言い伝えもあって、国民全体が花を愛し生活に取り入れている。花を育てるのも品種を改良するのも広大な土地を持つ王国よりも盛んだし皇国への輸出産業としても扱う規模も大きい。ウェマの街の至るところに船によって運ばれ定着した異国の木々や草花が植えられていて、花の影には精霊たちの姿も見え隠れしていた。
港に連なる市場の中には王国側の国境の街の市街地の地図の案内板まで掲示されていたし、オルフェス領産の食材や商材が自然に売られていた。賑わう人込みもこの国の人だけではなく、様々な肌の色や髪の色の人が買い付けに集まってきていた。
通り過ぎた路地の影に父の姿を見た気がして、まさかね、と冷や汗をかいた。別れてからまだ数時間としか経っていない気がする。
船の中で商人たちから聞いていた通り、街の市場の奥の広場には大きな募集の立て看板がいくつも並べられ様々の業種で日雇いの労働者を募集していた。でも、朝一の船に乗って乗り継いで船が到着してすぐに来たのに、残念にもあらかた無難な職種の募集は終了してしまっている。残っているのは明日以降に出発な仕事ばかりで、今日中に出発できそうなもので残っているのはひとつだけだった。
主催団体は一応公国の官庁となっていた『花の行列参加者募集』の張り紙は、両国境の検問所の慰問事業と内容紹介があり、集まり次第募集終了と書いてある。
それじゃ今日集まらなかったら出発は明日に延期する、という計画なのだろうか。募集に応募して採用されても今日中に出発できるのかどうか怪しい。何度読んでもどうも胡散臭い。でも、あまり気が進まないながらも、気になる。
当初の計画では今日中に王国領に入るつもりでいた。一人旅で一番避けたいのは夜間の移動だった。いくら魔力があっても、大人数の夜盗や盗賊団に捕まるのは嫌だし遠慮したいと思っていた。
『移動するのは日中のみ。活動資金は魔法で薬草を調剤して日銭を稼ぐ。出来るだけ無駄なくミンクス領のエルス村の月の女神の神殿を目指す』という計画が、初日から頓挫してしまうのは嫌だなと思う。
これを逃すとここで宿泊先を探さないといけないのよね。
憂鬱な気分になりながらも踏ん切りがつかなくて迷いながら花の行列の募集の張り紙を見上げていると、募集看板を確認しに来たらしい経営者らしき中年の女将に見つかってしまい、無理やり募集要項を握らされてしまった。
「気構えなくてもただの配送だよ。目的地は王国の国境の街リゼブ。丘を越えたすぐの街さ。運んでほしいのは花だよ。花束を届けるだけの仕事だから、向こう側の国境の警備隊員に会っても愛想を振りまかなくてもいいよ。条件は女性であること、身なりが小奇麗なこと、魔法は使えなくてもいいことだけだから、訳ありでも構わないよ。日当は弾むし、制服も貸し出すよ、」
条件は悪くない。でも、他の募集は終了しているのにこれひとつだけまだ残っているなんて引っ掛かる。断ろうと募集要項を返そうとすると、突き返されて「これも何かの縁だ、面接、待ってるよ、」と微笑まれたので、何も言えなくなってしまった。
これも何かの縁、か。一番目の条件はともかく他はどうにかなりそうだわと考え直して、応募だけしてみる。
市場で簡単に昼食を済ませて指定された市場の外れの服屋へと向かってみる。ドアを開けて入ると、集まっていたのは妙齢の若い女性ばかりで、場違いな気がして凹んでしまった。
不合格なら裏口から帰ってもらうから、と責任者らしき深緑色のかっちりとした制服姿の女性従業員の前置きがあって、その後は誰も案内には来てくれなくなった。「どうする…?」と囁き合う声が聞こえて、誰が言い出したのか応募者の女性たちは自主的に列をなしてひとりひとり順番に奥の部屋に入っていく流れが出来てしまった。
美しい女性ばかりで、花を運ぶ仕事、と言われては、嫌な予感しかしない。
人に雇われて仕事をするのは初めてだけれど、どうしても変な気がする。
騙されたんだ、と推測して、わざと列に並ばなかった。
仕方ない。今晩はここで一泊して、明日の朝、募集の掲示が始まる頃にまた来よう。列に並ぶ女性たちに背を向けると募集要項を入り口の椅子の上に残して、わたしは服屋を出た。
帰ろうと歩き出した瞬間、「なんだ、帰るつもりかい、もったいないね、」と腕を掴まれて見上げれば、あの募集要項を手渡してくれた女将が店のドアの横に立っていた。
わたしのおでこに手を当てて熱でも測るような仕草をすると、小さく肩を竦めた。
「こっちにきな、」
放してという声を魔法で封じ込められて、無理やり引っ張られて路地を奥へと連れていかれ、空き地を過ぎて、「今日の午後から出発するよ、お前さんも支度しておいで、」と無理やり押し込まれたテントには、面接会場で見た中でもとびきりに美しい少女ばかりが集められていた。
ありがとうございました




