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5、あなたの子供はあなたを

 心臓?

 そんなもの、取り出したりなんてできないでしょ?

「お母さん、」

 ビックリした。冗談にしては悪質すぎると思えて怒れてきてしまった。


「ビア。あのね、これは命と心臓とを術でペンダントに連動させる神業なの。これが割れる時、私も消えるの。」


 澄んだ瞳で笑う母の顔は冗談を言っているように見えなかったし、青ざめる父の反応からすると真実なのだろう。手を掴むわたしを見ることなくに、母は父を値踏みするようにして笑う。

「ねえ、知ってるわよね? あなた。時の女神さまは終わりを告げる女神さまなの、運命を司っていらっしゃるわ。」


 この世界は4人の精霊王が構成する魔法の世界と4匹の竜王が統治する物質の世界、4人の女神が根源を為し統べる魂の世界とが混じり合い刺激し合い混沌の中に共存する世界だ。女神にはそれぞれ守護するものがある。正義だったり、制約だったり、感情だったり、と、それぞれに得意があり不得手もある。

 呪う対価として自らの魂を差し出す『千歳(ちとせ)の契約』は、輪廻の輪へ帰れなくなるというもっとも危険な制約で最も(ごう)の深い悲しい契約なのだと学んでいただけに、わたしが想像していた以上に母の怒りは静かに燻り続けていたのだと身震いせずにはいられなかった。


「このヒトが私たちに何をしたのか覚えているでしょう、ビア。」


 父は瞬きもせず、怒りに震えている母の顔を見つめている。

 母は怒ると白く美しい顔が血色がよくなって仄かに色づき更に美しくなり、平素は澄んだ空色の瞳の色が魔力が滲んで金色の光を帯びるのだとわたしも知っている。この美しい瞳の色を見る為だけに、父は母を怒らせているのではないかと思えてならない。


「あの時、あの男の子と出会わなければ、 辺境の山奥の田舎の村人でも家の都合で転居する場合もあるのだと気が付いていなければ、私とビアはまたあなたの魔法にかかってしまうところだったわ。私は私が望んであなたと結婚したけど、ビアまで巻き込むなんて卑怯よ。もうこれ以上、私たちの事情にビアを巻き込みたくないの。ビアは最愛の人を見つけて分化して、幸せになる権利があるの。」


 あの日。

 15歳になったばかりと思っているわたしが父の仕事の都合で引っ越した先の村だと言われて村長の家に挨拶に行った時、出迎えてくれた娘婿だという若い男は、わたしの顔を見るなり、大声で言った。

「ビアだって? 青い目の色は見覚えがある。ビアってあのビアか。そうだその顔を見た記憶がある、君は僕が子供の頃に僕の村の外れに住んでいたあのビアトリーチェだろう? 16歳になるという日の夜に引っ越していったビアトリーチェだ。君達親子が魔物に襲われたのではないかとみんな心配して、村総出で山狩りまでして探したんだ。どうして君は、あの時の姿のままなんだ? あれから僕だって大人になって結婚して子供までできたというのに、どうして君はまだ15歳の頃の姿のままなんだ?」

 初対面なはずの青年に叫ばれて反応できないでいたわたしや母を見るなり、村人たちは顔色を変えた。

「悪魔だ!」

「人を惑わす(あやかし)だ!」

 村長やその家族、家の外に集まってきていた村人たちが恐怖と興奮で武器を手に騒ぎ出したのを見て、父は忌々しそうに眉を顰めた後、その場にいた者たちだけではなく村中の人間全てを一度パチンと指を鳴らしただけで黙らせてしまった。

「あなた、これは一体どういうことなの?」

 突然村中の人間がすべて倒れてしまった。ひとりひとりを確認して眠っているだけなのだと胸を撫で下ろした母が血相を変えて父に詰め寄った後、長い長い沈黙の後、父は自分が何をしてきたのかをやっと教えてくれたのだった。


 一年時間を遡る魔法をわたしや母にかけ、成長を止める魔法を体にかけた。辻褄が合わない齟齬を無くすために、その都度、引っ越しを繰り返して別の土地の別の村でやり直したのだ、と。


 父の、言葉の意味を理解するのにわたしが時間を要したのに対して、母はすぐに何をしたのか理解できたようで、烈火のごとく怒りだした。

 怒りで、瞳の色は空色の混じった金色に見えてしまうほどだった。

「何回、それを繰り返したの、」とプルプルと肩を震わせながら顔を赤くして怒りを堪える母に問われて、父は美しい顔を涼やかに微笑んでさらっと髪を肩に撫でて流しながら、「かれこれ10回、」とこともなげに答えた。


 10回も、時を遡る魔法をかけたの?

 あの青年の言った言葉が正しいのなら、16歳になる日には15歳に戻った状態で別の村に引っ越している。

 手の指を折って考える。

 一年というのが16歳から15歳に戻る時間を差すのなら、それを最低でも10回、繰り返している。最初は戻るだけだから、わたしは今、11回目の15歳から16歳の時間の中にいる…?

 本来なら、わたしは、とうに二十歳(はたち)を超えている?

 顔を覆う手を見ても、どう見ても、発育途中の子供の手だ。母のようなしなやかな女性の手でもなければ、父のようにしっかりとした男性の手でもない、性別の無い、曖昧な、こどもの手、だ…。

 何のために?

 まさか、わたしを分化させないだけのために?

 そんなことのために?


 わたしたちは、ずっと、お父さんの術の中にいたの?


「…どういうこと、お父さん。具体的に、何をしたの、」

「毎年ビアの誕生日の夜、ビアたちに魔法をかけ体の『時』を1年戻し、ぐっすりと眠っている間に別の場所へと引っ越して、また16歳を迎える1年を再現させていた。」

「あなた!」

「たったそれだけのことでそんなに怒るな、」と不満そうに父に言われて、母はとうとう怒りながら泣き出した。

「あなたって人は! あなたって人は!」

 こぶしを握って父の胸を叩きながら泣く母は、「もうここでは暮らせないわ。帰りたい、(ワシル)のお父さまやお母さまのお家に帰りたい」と泣きながら願った。

 引っ越しをよくするのは父の仕事の影響だとしか思っていなかったけれど、実際はわたしが知っているよりも10回も多く引っ越ししていたのだと気が付くと、いつの頃からか祖父母と交流が全くなかったのにも納得がいく。繰り返す時の中のどこかの時点で、祖父母は亡くなっていたのだと考えるのが妥当だろう。

 お母さん、かわいそう。母の肩に手を置いたわたしの手を、泣きながら母は「ごめんね」と何度も何度も繰り返して手を重ねてきた。


 淡々と、どこまでも他人事のような顔つきの父が「ではそうするか、」とまたパチンと指を鳴らした瞬間、わたしたちは村からはるか遠く離れた公国(ヴィエルテ)の都・ワシルにある母がかつて暮らしていた祖父母の家の前に立っていた。呆気に取られているわたしや母を前にして、父は「どうやら人はいないようだな。ここに住むか、」と言った。


 わたしたちの話し声を聞きつけて門の中から出てきたのは、管理を任されていたという隣家の夫人で、母とは幼い頃からの知り合いらしかった。

 久しぶりの再会に驚きながらも、祖父母の家を手入れしてわたしたちが住む流れとなった。亡くなった祖父母の遺品は整理されていて、母は、墓所に行った後正式な跡取りとして、貴重品や遺産を管理してくれているという公認管財人の元へと出向いて行った。

 母を待っている間に家守の精霊と掃除をしたり話をしている中で、父は本当は仕事などしていない人間ではない存在であるということ、わたし自身も何も知らないし出来ない半妖という存在である事実を知った。今まで、父が人間ではないのだと気にしたことがなかった。誰も周りに精霊の話や半妖の話をする人がいない程田舎の村に住んでいたので、意識しなかったのもある。

 家守の精霊は祖父母から言伝を預かっていたようで、正式に家を継いだ母に、母がこの家にいない間に起こった出来事を伝えると、母と新たに契約を交わしていた。

 すっかり公国(ヴィエルテ)首都(ワシル)の街中に住む都会っ子の顔に戻った母は、気を取り直すと、わたしが失った10年の間に本来済まされていなくてはいけなかった経験すべき出来事を教えてくれた。


 公国の子供なら望めば与えられる15歳で入学できる各職種の訓練学校で学ぶ機会があったこと。

 成人し結婚して伴侶を得るという人生の選択もあったこと。

 恋をする経験が刺激となり分化するのが楽になるという半妖として生きていくための知恵のようなものもあること。


 それらすべてが、分化させず子供として手元に置いておくには恋などしなくてもよいという父の屁理屈によって魔法という手段によって握りつぶされ、わざと学校も結婚相手もいないような田舎の村へと転居を繰り返す物理的な妨害によって阻害されてきていたこと。


 そんな事実を、話を聞いていく中で、知った。

 父は、何も言い訳をしなかったけれど、反省する素振りなく、何も、わたしや母に償ったりしようともしなかった。


 25歳にしては細く小さくか弱い生き物にしか見えない体を誤魔化すために、詮索をされない防衛手段として女性の恰好をして過ごし始めた。25歳の男性だと言い張るよりは女性だと言い張った方が身辺を詮索されにくいだろうという母の判断だった。村の娘というよりは村の子供という立ち位置だったつい昨日までの自分の姿と比較すると、街の少女ぐらいまでは恰好だけは垢ぬけたのではないかなと思う。そんなわたしの身なりを見て父は「可愛らしいがそれ以上は成長しなくていい、」と言って、また母に怒られていた。


 母はあのことを平素は掘り返したりはしなかったけれどずっと心の奥底で怒り続けていたのだと、目の前の千歳の契約の結果を見て思う。


「だからって、心臓なんて、」

「これくらいしないと、あなたはまたこの子に魔法をかけるでしょう? 安心して。私はそう簡単には死なないわ。あなたがこの子に魔法を使わなければ、この心臓も潰れない。私を大切にして。お願いよ、あなた。」

 母を見つめる父の顔は微笑んではいるけれど、内心は怒りを堪えているのか震えている。何もしなくても、父の魔力の波動で、家じゅうの家具が震え、軋んでいる音が続いている。

「なんて馬鹿なことを、」と呟く声も、怒りの矛先を母ではなく術をかけた神官に向けているのだろうとは、長い付き合いから察しもつく。


 この街に来てから母は、祖父母の伝手を頼らず自分で仕事を見つけてきて、メイド服や侍従服といった制服の仕立てを行う衣装屋のレース職人となっていた。村での軟禁生活の中で母がしていたのはひたすら編み物や繕い仕事だったので、根気のある性格と丁寧な技術を評価されたようだった。

 ちなみに父は本当に精霊で、働くという発想もなければ収入を得るという発想もない有閑の人という存在なのだと実感したのはこの時期だった。村で生活できていたのは農作物が自給自足できていたからなのと、母の繕い物の仕事での収入と、父が気まぐれに採掘した宝石を売っていたからだと知ったのも、この街に来てからだった。

 この街でお互いに有意義に生活するために、わたしは母と話し合って役割分担を決めた。母の代わりにわたしが父に監視される生活をし、母は職人として自分の時間や世界を持てるようにしたのだった。

 母の技術力の高さゆえの高い報酬がわたしたちの生活を支え、わたしは監視されながらも父を無視して図書館で日がな一日、父に奪われ続けていた年月の中で得られたであろう知識を蓄える作業に専念した。母がそう望んだのもあったけれど、知識を得ることはわたしの望みでもあった。

 父はまんまとわたしたちの企みに嵌り、図書館で書物を探すふりをして、母の仕事場よりも華やかな場所の大きな建物に出向き母よりも大勢の人間と接するわたしを監視する毎日を飽きずに送っていたように思う。


「ビア、行ってらっしゃい。お母さんはあなたが帰ってくるのを待っているわ。冒険者として自由に旅をして、自由に生きればいい。あなたが望むならあなたの結婚相手と異国の地で暮らしてくれてもいい。でも忘れないで。お父さんを頼っちゃ駄目よ。お父さんが魔法をあなたのために使ったら、私の心臓は砕けてしまうわ。いいわね?」

「おかあさん、」

 どうしてそこまで、と言いかけて、わたしは息を飲んだ。母の金色に輝く空色の瞳に、涙が光っていた。

「分化を、あなたが若いうちにさせてあげられなくてごめんなさい。お母さんがもっとしっかりしていれば、あなたが苦しむ未来を歩まなくてよかっただろうに。ビア、精霊の子供が受ける分化はたいていは成人までに済ませてしまう簡単な通過点なの。痛みもなく、すんなりと男性か女性かに分かれて行くわ。あなたのように分化を迎えないまま大人になれないでいると、分化は大変な苦痛を伴うか、命を輪廻の輪に返してしまうかになると聞いているわ。傍にいてあげたいけれど、お母さんが傍にいると、お父さんも傍にいる状態になってしまうの。お母さんがこの地でお父さんを捕まえておくから、あなたは、思う存分自由に生きなさい。」

「お母さん、」そんな風に言われて、この家を出て行けるわけないじゃない、と言いかけて、黙る。

 母の決死の覚悟を無碍にするわけにはいかない。

「安心なさい。私は今の雇い主さんが高く評価してくれているおかげで、家で作業できる環境になれそうなの。この家で作業する生活になるのよ。お父さんをこの家に縛り付けて置けるようになるの。」

「お母さん、」

 ちらりとわたしを見た父は、黙っているようにと念を押さんばかりに目配せした。


 お父さんは、影を移動できるんだよ、お母さん。魔法を使わなくたってわたしの傍に来ようと思ったらこれちゃうんだよ。


 言いかけて、わたしは、命をかけてまで我が子を逃がそうとしてくれる母の愛情を想うと、どうしても言えないでいた。

 図書館にある古文書に、父の名はあった。生ける者を惑わし魔力も魂もすべてを取り込む古の精霊である父は名のある(あやかし)で、歴史を持つ魔性で、存在を畏怖されている悪魔なのだとも、その事実を配偶者である母に知らせられないままでいる。

 お母さんは、お父さんの本当の姿を知っているの、と聞きかけて、黙る。知っていて傍にいるのだとしたら、聞いても意味がない質問だ。

「判った。もう少しこの家で暮らそうと思っていたけれど、行くね。明日には、この街を出て、この国を出る。」

「ビア、そんなに急がなくてもお父さんの元でお母さんと暮らしたらいいじゃないか。この国で、ゆっくり分化を迎えたらいいじゃないか、」

 甘く囁く父の提案を無視して、母に向き合った。

「お母さん、必ず帰ってくるから。無に帰るなんて悲しい結果にならないようにちゃんと分化して、立派な結婚相手を見つけて帰ってくるから。」

「ビア、結婚相手なんていなくたって生きていける。お父さんとお母さんの子供のまま、ずっと一緒に生きて行こうよ、」

「あなたは黙ってて!」

 母は父を涙の光る金色の眼で睨みつける。

「これ以上おかしな真似をするのなら、私はこの手で心臓を打ち砕くわ。判った? ビアにはビアの人生を歩ませてあげて?」

「お母さん、」

「ビア、あなたが選んだ相手なら、人間じゃなくたって歓迎するわ。あなたが無事に分化して、この先死ぬまでずっと一緒にいられる人と出会える未来の方がお母さんには大切なことなの。お母さんが選んだ人はこの通り人間じゃないけれど…、こんな人でも愛しているの。覚えてて、ビア。お母さんは、あなたが大切な人と生きてくれる未来を信じて夢見ているの。」

 母を抱きしめて思いを受け止めて、父を赦して、わたしは、両親に見送られて、この国へと旅立った。


 でも。

 例え母に再会する機会がこの先あったとしても、わたしには、どんな拷問を受けても言えないだろう秘密がある。


 冒険者として味わった最初の1周目の未来では分化できないまま死んでしまったのだと、どうしても伝えられない。

 2周目の未来を生きているわたしが、この先も分化を選ぶ機会などないのだと、伝えることも、きっとない。

 分化を選ばなかった1周目で起きた出来事は、2周目で性別を選んだとしたら、もっとひどい結果になるとしか思えなかった。


 あなたの子供はあなたの希望を叶えられそうにないのだと、きっと言えないまま、わたしはその時を迎えるのだ。

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