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6 あなたなら応援するわ

 リハマが止める声を無視して、シャナは一礼すると、舞い始める。

 シャナの潔い動作は躊躇いがなくて、大胆な仕草は、メルとの練習でしていた以上に思い切りがよくて、美しかった。指先やつま先から、印を結ぶたびに水銀色(シルバーブルー)の光の粉がキラキラと舞い上がる。

 メルが天井の透明なドームを見上げると、湖の底を目指すように、湖面から竜が泳いでやってくるのが見えた。いいお天気なのか、水面から明るい日差しが差し込んでいて、逆光だったけれど、はっきり判る。

 金色の瞳は水竜王のマルケヴェスの証。


 シャナが描き出す桜色の魔法陣の効果が現れ始めたのか、ポロポロと剥がれ落ちるように、近付くにつれ、竜の姿がヒト型に変わり始めている。白銀髪の髪がたなびき、滑らかな筋肉質の体が白く浮かび上がる。


 出来上がった魔法陣は周辺の空間に干渉し始めているのか、水銀色の光を放射状に放ちながら湖面に向かって水銀色の光の粉を噴き上げている。

 降りてくるマルケヴェスを見つめていたシャナはゆっくりと湖面を仰いで手を広げ、魔法陣の六芒星の中心に立つとまっすぐにマルケヴェスを見つめながら、澄み切った声で詠唱し始めた。


「あぁ~をぉうあぁつぅおおお~ いぃんいぃーんあ~ぁううぇくうぇんうぅうううあすぃひぃいいうおぉお~

 んあぁうあぁおぉおしぃずううっくうういぃいんあぁらあまんあぁしいぃんおおぉうぉおお~」


 一度聞いただけのはずなのにシャナの詠唱のリズムは正確で、抑揚もメルが歌った以上に母音が響いていた。


「シャナ、ダメだ。今すぐやめて。お願いだ、」

 へなへなと座り込んだリハマの願いも虚しく、やがて、描かれていた魔法陣からはさらにまばゆい光の虹が放たれ始めた。


 やめないで、とメルは思った。メルが知っている以上に、美しい詠唱だった。カイルの詠唱と演舞を見たことはあったけれど、実際に魔法が完了している状態を見るのは初めてだった。


「それは恋の歌だ。僕がせっかく君を守ってきたのに…!」

 

 完全にヒト型になったマルケヴェスが天井の透明なドームに触れると、透けるように透過して、ふわりと、サロンルームの中に姿が現れた。

 瞳はシャナを捉えたまま見開いていて、詠唱を終えたシャナもマルケヴェスを見つめたまま顔を上げて微動だにしない。


「伏せて、シャナ!」

 リハマがマルケヴェスに向けて炎の矢を瞬時にして一斉に放った。


 幾千と降りかかる炎の矢をマルケヴェスが手でさらりと振り払うと、水蒸気が辺りを包み込んだ。霧が晴れるように姿が現れ、光に氷の粒が輝いて、舞い降りる姿が神々しく見えた。

 難なく見つめ合ったままのシャナの方へと降りてきて、マルケヴェスは音もなく床に足をついて降り立った。言葉もなく見つめ合う二人は、まるで別世界の出来事のように、二人だけの世界に浸っているように見えた。

 微笑みながらマルケヴェスは、しなやかな動きでシャナを捕まえて抱き寄せた。背が高いシャナよりももっと背が高いマルケヴェスは、筋肉で覆われた見事な体をしていて、上半身は裸で、白いローブのような布を腰に巻いている。美しい竜の神様…。まるで神話の世界の神様みたいだわ、とメルはこっそりと思った。


 湖面から湖底まで照らすような光と、白い床に描かれた桜色の魔法陣から湧き上がる水銀色の光とが、二人に優しく包み込むように降り注ぎ揺らめいていた。

 黄色、銀色、金色、水色、の煌めく光の中で見つめ合う二人は、最愛の人に出会ったかのような、心から満ち足りた穏やかな笑みを浮かべている。


「愛しい人、私はマルケヴェス。水竜の王にして、水脈を司るもの。そなたを娶り、生涯の伴侶としたい。いかがかな、」

 手を握り囁くような甘い声が、シャナの美しい微笑みに問いかける。

「私はシャナ。水の精霊王にして生きとし生ける万物を統べるもの。そなたの生涯の伴侶となり、共に生きると誓う。」


 二人は見つめ合ったまま嬉しそう微笑み合うと、お互いの頬にキスをし、おでこをくっつけて笑顔になった。

「あなたに寄り添って生きよう、私はあなたの傍で生きよう。」

「私はあなたの傍で生きたい。あなたのために生きたい。」

 

 素晴らしい光景にメルは胸が震えた。愛を伝えあう二人はなんて美しいのだろう。恋に落ちたシャナ様は、なんて魅力的なのだろう。

 頭の中で、詠唱の言葉を文章にしてみた。

 我を待つと君がぬれけむあしひきの山のしづくにならましものを

 私を待つ為に貴方が濡れてしまったあしひきの山の雫になれたらいいのに、って言葉になって、深読みすると、恋しいあなたと一緒にいるためにはあなたの服を濡らした雫になってあなたに溶けて、あなたとずっと一緒にいたい、とでもいう意味になる。


 微笑み抱きしめあう二人を見て、絶望したかのような表情で見つめリハマは吠えるように言った。

「シャナ、何をやってるんだ、離れなよ。僕がせっかく君を守っていたのに。君は僕の一番の友達だろう、」

 叫ぶようなリハマの声は空しく響いて、シャナはマルケヴェスと抱き合ったまま静かにリハマを見た。

「ありがとう、リハマ。でも、もう友達は十分よ、」

 シャナは嬉しそうにマルケヴェスと手をつないで、メルたちの方へと歩き出した。


 メルは先ほどリハマが詠唱を恋の歌だとすぐさま言った言葉がひっかかっていた。歌を知っているのなら、どういう効果があるのかも知っていただろう。

 私がこの前舞った時、パリンと音がしたのは、シャナ様にかかっていた魔法が解けた音なのかもしれない。シャナ様は知らないうちに恋してはいけないという魔法をかけられていたんだ…。

 恋焦がれるような恋の歌の詠唱が、シャナ様へ効果を持って、かけられていた魔法を解いたんだ。求婚行動をする竜には恋の歌は当たり前過ぎて効果がなくて、シャナ様自身に恋する気持ちを呼び起こさせる魔法となったんだ…。


「メル、あなたに褒美をあげなくてはいけないわね、」

 悠然と微笑むシャナは、喜びに顔を輝かせていた。


 床に蹲って床を何度も拳で叩くリハマの姿を見てメルは、シャナ様を守ると見せかけて魔法で邪魔をしていたなんて、博愛主義者なんかじゃなくて我が儘な独裁者なのかもしれないわ、とぼんやりと思った。

 シャナ様とリハマ様は正反対だから、似ているのかもしれないわ。

「そなたの歓迎、粋な計らいに感謝する。」

 こともなげにリハマに微笑みかけたマルケヴェスは一枚も二枚も上手だと、メルはしみじみ思った。


 ※ ※ ※


 シャナはマルケヴェスと手をつないだままメルの前に立つと、「彼女はメル。シンからの預かり物で、彼女が魔法陣を教えてくれたの、」と紹介してくれた。

「シンの…?」

 一瞬眉をひそめたマルケヴェスだったけれど、小さく口元で微笑むとメルにすっと手を指し伸ばして、「手を、お嬢さん、」と静かに言った。

 メルがマルケヴェスの手に自分の手を恐る恐る重ねるとマルケヴェスはメルの右手の甲にキスをして、「我が名は水竜王マルケヴェス、汝に幸いあれとここに誓おう、」と小さく微笑んだ。

「まあ、私のお気に入りの子なのに、私よりも先に祝福をするのね。」

 シャナは嬉しそうににっこりと笑って、メルを抱き寄せて、左頬にキスをしてくれた。

「私はあなたが大好きよ、メル。あなたが竜の調伏師だって知ったときはびっくりしたけれど、運命だったのだと今なら思えるわ、」

 同性とはいえ美しいシャナに優しくキスをされて、メルは真っ赤になって照れてしまった。

「ありがとうございます、シャナ様。詠唱をシャナ様にはたった一度しかお見せしてないのに、よく完璧に覚えられましたね、」

 シャナはサロンルームの入り口に控えていたスティたちをちらりと見た後、自分を見つめるマルケヴェスを照れくさそうに見上げた。

「メルの詠唱はとても美しかったし、詠唱を見るのは初めてのことだったから、忘れたくなかったの。」

 はにかむ顔をマルケヴェスがそっと撫でる。

「桜色の粉は、貝ですか、」

 百年樹の木炭の代わりなのだろう。

 チョークの原料はホタテ貝や卵の殻だったっけ。前世の私は運動会が大嫌いだったっけ、とメルはぼんやりと思い出す。

「そうよ、桜貝。侍女たちが毎朝集めてくれたの。メルが起きる前に砕いて魔法陣を描いて練習して…、大変だったわ。」

 ちらりとマルケヴェスを見て、シャナは頬を染めた。

「詠唱も、ですか、」

「あの時、あの場にいた侍女たちに記憶させていたから、メルに内緒で何度も練習したわ、」

 シャナが照れくさそうに、視線を逸らす。努力していることを隠してお茶ばかりしていたんだ、と気がついて、シャナ様って可愛らしいとメルは思った。

「ひと目見て、歌いたくなったの、」

 嬉しそうに目を細めたマルケヴェスは、シャナの手を握った。

 恋に落ちたんだ、と思うと、メルは素直に祝福したくなる。

「…あの歌は愛しい気持ちを伝える歌なんだよ、まったく、余計な歌を教えちゃって!」

 忌々しそうにリハマは口を尖らせてメルを見た。「シンはほんと、面倒を呼ぶ男だよね!」

「シャナ、メルはシンの大事な人間なのだろう? なのに竜の調伏師なのか?」

 怪訝そうなマルケヴェスの顔を見て、シャナはおかしそうに噴き出して笑いながら答えた。

「ええ、私も耳を疑ったけれど、シンらしいでしょ? でもおかげであなたと巡り会えたのだから、メルが竜の調伏師でよかったのだと思うわ。」

「そうだな、シンらしい。」

 ニヤニヤと笑ったマルケヴェスの反応からしても、リハマの反応を思い出しても、シンへの評価がよくわからないなとメルは思い、シンの姿を思い浮かべてみる。澄ました顔をして、一方的で、不思議な、魔法使い…? でもどう考えても笑われる理由が思い浮かばなかった。

 シャナはマルケヴェスの手を握ると、目を見合わせて何度か頷いた。

「メル。あなたへ褒美を遣わしたいと思います。地上の、あなたの生まれたあなたが育った街へ、送り届けてあげたいと思います。」

「シャナ、シンはいいのか?」

「大丈夫。今日まで一度も連絡を寄越してこなかったのだもの、きっと忘れてるんでしょう? シンらしいわ。」

 ふふっと笑うと、シャナは顎を引いて上目遣いにメルを見た。メルの手を取ると自分のほっそりとした手を重ねて、両手で包み込む。

「あなたは私のいい先生になってくれて、私のいいお友達になってくれたわ。最愛の人を私に与えてもくれた。私はあなたが助けを望めば水がつながる限り、どこからでもどこまででも助けに行くわ。メル、元気でね。」

 メルの手を包んだシャナの手を包み込むように、マルケヴェスも手を重ねる。

「メル、そなたのおかげで、私は愛しい我が君と思いを通じることができた。魔法陣を教えてくれたこと、詠唱を授けてくれたことを感謝してやまない。私も、そなたが求める限り、我が眷属とともにそなたの助けとなろう。」


 水の精霊王と水竜王の加護までもらってしまったわ、なんて光栄なんだろう。メルは目を輝かせて二人を見上げた。

「ありがとうございます。」

 嬉しくて言葉を詰まらせながら、メルはお辞儀した。


 口を尖らせて不服そうな顔をしたリハマが、「僕を忘れないでよ、」とマルケヴェスの手の上に自分の手を重ねる。

「僕のシャナが誰かのものになるのは納得がいかないけど、マルケヴェスと友達になれたんだと思うと大きな成果だ。メル、君には敬意を払うよ。」

 リハマはしれっと言ってのける。大物だわ…。

「なんだ、お前、シャナが好きだったのか?」

 クスリとマルケヴェスが笑いながら尋ねると、リハマは美しく逞しい美丈夫なマルケヴェスを睨みつけた。猫みたいに可愛らしい細っこい青年なリハマとマルケヴェスとが並ぶと、つい体の大きさを比べてしまう。

 腕の太さといい、筋肉といい、どう見たって腕力で負けそうねとメルはこっそり思った。

 視線を感じてシャナを見ると、シャナも同じことを考えていたのか、メルと目を合わせて小さく微笑んだ。

「好きだけど、家族に対する好きみたいなものだよ。安心しなよ。君と争おうなんて思ってないから。何しろ僕は博愛主義者だからね。」

「侍女の皆さんたちにも、お世話になりました。」

 メルがその場でぺこりと頭を下げると、シャナは、「もっとお世話してあげたかったわ、」とクスクスと笑い始めた。

「メル、私たちはいつでもあなたたちを応援しているわ。」

 あなたたち? メルは複数扱いされる理由が判らなくて、言葉につかえてしまった。

「シャナ、最後まで意地悪なんだな、」とリハマが苦笑いをして、少し口を尖らせた後、シャナが、「じゃあね、メル、」と言うと、何かを口の中で呟いた。


 キラキラと輝く光が、メルを包み込んで、あまりの眩しさにあっけにとられている間に音が消え、真っ白な光に包まれ視界の景色が消え、急に、何かが弾けたような開放感を感じた。


 五感が冴え渡る。

 ここは、地上だ。

 眩しい太陽も、清々しい風も、微かに聞こえる鳥の囀りも、当たり前が嬉しい。


 光の中でメルが次に見た景色は、緑の木々の森の向こうに見える、懐かしい自分の住む街の上空からの景色だった。


「え?」


 轟音と迸る水飛沫と、宙に投げ出された自分と…、考えられる状況を把握して、とっさにメルは目を瞑った。

ありがとうございました

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