表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
160/672

8 舞を、あなたに

「嬢ちゃん、早く、」

 小声で手首を引っ張られ、見惚れていたメルも慌ててしゃがみこんで頭を垂れる。

「あれはシューレさんの契約竜様だ。」

「ありがたや、ありがたや。今日はなんて素晴らしい日なのだろう。」

 男たちの囁く声に、メルは驚いて顔を伏せた。現れた竜に面喰ってしまった。一瞬にして、熱気から覚めて、恐怖で、足が震えてくる。


 あれは火竜王グイードの右腕、赤光(しゃっこう)のオレアだ。

 シュレイザ叔父さんは火の竜と契約しているとは聞いていたけれど、オレアだったんだ…!


 メルはドラドリでの、オレアが怒りに震え人間を無差別に攻撃する姿を思い返して、ドキドキと高鳴る鼓動を落ち着かせようと、ゆっくりと、何度も息を吸っては吐いた。


 あれは、人間の手に負える存在じゃない。


 ※ ※ ※


 火竜王のグイードは人間のことが大嫌いで、その感情をはっきりと表に出しているある意味わかりやすい竜王だった。ドラドリのキャラクターデザイン集でも正面を向いた表情ではなく、険しい表情で真横を向いている好意的ではない描かれ方をしていて、その右腕という扱いのオレアも美しい姿なのに険悪な存在とする描かれ方をしていた。

 美しくも冷酷なオレアからは、画面越しとはいえ、人間が憎くてたまらないという憎悪の感情しか伝わってこなかった。何かのきっかけがあっての激情なのだと思えても、グイードやオレアの激高の理由を本筋(シナリオ)では明かされることはなかった。

 何をきっかけに難癖をつけられるか見当がつかないだけに、顔が強張(こわば)る。ゲームの主人公ではないメルにはゲーム開始まで必ず生き残れる保証などないだけに、現段階で既に人間を嫌っているかもしれないのかどうか判らないオレアは、恐怖の対象でしかない。


 大丈夫、きっと大丈夫。

 いきなり食べられたりなんかしないはず。

 シュレイザ叔父さんが使役してるのだもの。弱味を見せなければ大丈夫なはず。怖いけど、怖がってると思わせなければいい。

 メルは静かに深呼吸して気持ちを落ち着かせようと努力した。


<シュレイザ、久しぶりだね。>

「オレア様、お久しゅうございます。」

 話しかけるオレアの言葉は女神の言葉(マザー・タン)で、意外にも答えるシュレイザの言葉はこの国の言葉だった。


 あれ? 竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)と竜の関係は使役者と使い竜の関係なんじゃないの? 

 メルは想像していたのとは違うやり取りに、戸惑ってしまった。


 頭を下げる高さも改まり方も、叔父さん、すごく、腰が低い。

 これじゃ、手綱を引き締めている訳じゃなくて、シュレイザ叔父さんがお願いして契約させてもらっている関係にしか思えないわ。

 竜と人間となら竜が強いって判るけど、シュレイザ叔父さんは、竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)だわ。ただの人間じゃないはず。

 名前を貰って、契約してるんでしょ?

 じいちゃんは、冒険者になったのに竜との契約の仕方をいまだに教えてくれない。契約って、やっぱり私が知っては不都合なことがあるからなのかな。


<そんな言い方をしなくてもいいよ。何度見ても君の舞は力強くて潔イイね。>

 拍手をしてオレアは、神殿の広間にいるすべての観客たちに向かって大きな声で、<もう帰った方がいいよ、私を怒らせない方がいい、>とはっきりと拒絶した。

 何を言ったのか判らなくても十分に迫力は伝わってきて、メルの隣にいた男たちも恐怖で身を竦ませてしまった。

「すまないが、メル以外は席を外してほしい。オレア様は人見知りをされる。どうか判ってほしい。」

 人にも竜にもとても気を使った訳し方をしたシュレイザの言葉に、「畏まりました、」と口々に言って見学者たちは会釈して帰っていった。名指しをされてしまったので動けずにいたメルを、隣にいた男たちは「嬢ちゃん、頑張れよ、」と小声で励ましてくれて去っていった。どうやら竜は気難しい存在と理解しているようだった。となると、言葉の意味を知っていなくても、そういうものとして認識しているってこと?


 人の気配が消えると、オレアは指をパチンと鳴らした。広間の入り口のドアが閉まり、一瞬にして空気の密度が変わった感じがした。

 天井が開いているはずなのに、天井にも蓋が出来たみたい…。

 きっと、この部屋の中には結界が張られたのだわ。

 メルは何が起こるのか身構えながら顔を伏せたままでいた。

「もういいぞ、メル。立ち上がってご挨拶をしなさい。」

 優しい口調のシュレイザに驚きながら、メルは顔を上げた。オレアは優しい目をして眩しそうにメルを見ていた。


 友人の姪っ子を愛おしむような、歓迎する気持ちのある顔つきだわ。長年の付き合いがあるから生まれた表情は、ふたりの関係が穏やかなものだと想像がつく。

 あれ? 怖い人じゃないの?

 メルは驚きながら姿勢を正して二人に近付いた。


<そうか、この子がラルーサの娘のメルかい。>

 話しかけてくれる声も、表情も、とても慈愛に満ちていて、とても残酷な竜と同一人物だとは思えなかった。

 私、思い違いしていたのかな。

<私のかわいい姪っ子だ。今日はこの子に剣舞を見せるために舞ったんだ。この子は踊り子見習いでね。来てくれてありがとう。>

 シュレイザ叔父さんはそこそこ背が高いけれど、オレアはもっと背が高い。並ぶと、マッチョと細マッチョという全く別のタイプの美麗な男性の競演になる。

<なんの、なんの。シュレイザに会いたかったからね。ちょうどいい機会で私も嬉しいよ。メル、初めまして。>

 シュレイザ叔父さんと、どうやって契約したんだろう。どういう内容の契約を結んでいるんだろう。

 好奇心がむくむくと湧いてきて、メルは口に上ってこようとする質問を抑えながら頭を下げた。

 何かが違う。私が思っている契約と、根本的な何かが違う気がする。

<初めまして。メルといいます。ラルーサの娘です。>

 お辞儀したメルの頭を撫でて、クンクンと顔の周りで鼻を鳴らして、<凄いな、シュレイザ、この子はもう加護を貰っているんだな、>と目を丸くした。

<そのようです。どうやら貰う時の制約の影響で誰にもらったのかを教えてはくれないのですが、4つ貰っているようです。>

<ああ、そのようだね…、>

 軽くオレアが指を鳴らすと、メルの左頬やおでこ、唇、右手の甲が二か所、ほんのりと赤く光って熱くなる。

<ふうん、もうこの子は契約を済ませてしまっているみたいだね…、>

 契約?

<もう、ですか?>

<シュレイザは気が付いていなかったのか。ならいい。気にしなくていいよ。こっちの話だから。>


 肩を竦めると、オレアはメルの顎をすっと掬った。無理やり視線を合わせられて、否応なしに瞳を覗き込まれてしまう。

<君はいくつも秘密を抱えているんだね…。ふうん? 面白いね…、みんな知ってて加護を与えたのかい?>

 私の瞳の中には何が見えるんだろう。メルは自虐的にうっすらと微笑んで首を振った。シャナ様もリハマもみんな、秘密に気が付いた発言をしていたけれど何かを当てられなかった。前世の記憶が秘密だと言うのなら、これはこの世界にあってはいけない情報だろう。だから絶対、私も口には出さない。

<まあいいだろう。メルといったね。さっきのシュレイザの舞は真似できそうかい?>


<マネ、ですか?>

 あの動きと同じものは鉄扇でならできるかもしれないけれど、長剣では無理だと思う。重さが違うもの。メルはそう言いかけて自分をまっすぐに見つめるオレアを見つめ返した。

 この人の言う真似は、そういう真似じゃない気がする。

 シュレイザ叔父さんと私は、体形も体格も、積み重ねてきた時間も違う。


<気持ちを、捧げるのでしょうか?>


<そうだね。シュレイザのように、忠誠を誓ってもいい。>

 奉納するのに、忠誠を誓うの? それって、まるで真逆の感情じゃないの?

<オレアとの契約は私にとっては降伏のようなものだ。あなたにはすべてにおいて(かな)わないよ、オレア。>

 胸に手を当てて頭を垂れたシュレイザを見て、オレアは満足そうに微笑んだ。

<メル、奉納の舞は会いたいと思う気持ちだ。人間ではない崇高なる存在に、会いたい、感謝を伝えたいという熱くて濃い純粋な思いだ。そうだな…、恋心にも似た気持ちが自分の中に溢れる感覚が判るか?>

 会いたいと思う気持ちは、恋なのね。メルは地の精霊王ダールとの別れの際に舞った舞を思い出した。恋心ではないけれど、私はあの時、あの子にいつかまた会いたいと思っていた。あの子の力になりたいと願っていた。

<湧き上がる衝動に感情に言葉を失うような…、見ていると切なくなる気持ち、ですか?>

 八月の満月の夜に月に向かって捧げていたラルーサやカイルの舞は、見ているとどういう訳か悲しくなって、どういう訳かとても苦しくて、心が惹きつけられた。

 あれはきっと、クリスティナ伯母さんへの慕情だ。

<相手を思う気持ちは人ぞれぞれだからね。シュレイザの場合は友である私に会いたい気持ちで溢れている。私が好きな焔の輝きで私を誘き寄せようと、心憎い演出をしてくる。>

<だからといって、メルにまで強要するのは違うだろ、オレア。手を離して、>

<ああ、つまらない。シュレイザは本当にまじめでつまらない。>

 クックと笑ったオレアは、やっと顎から手を離してくれた。

<師匠、奉納の舞とは、もしかして契約する誰かに、私に会いに来てほしいと願う気持ちですか?>

<それも近いが、神に会いに来てほしいと願うことは身の程知らずな感情だと思わないか? とても、おこがましいことではないか? 私たちが手の届かない崇高な存在に直接会って迸る思いを伝えたいと願う気持ちがふさわしいのかもしれないな。>

 竜は神なの? 調伏するくらいなのだからもっと動物扱いするものだと思っていただけに、竜の調(ドラゴン・ブ)伏師(レーカー)という職業に対する認識自体に見直しが必要だと思えてきた。

 竜王だから崇拝するのではなくて、竜だから、尊敬して崇拝するの?

<私は会いに来るよ、シュレイザ。君と契約したのは君に会いたいからだ。君が会いたいと願ってくれるのなら私はどこへでも行くよ、>

 クスクスと笑うオレアを見て、シュレイザは<メル、こんなことを言うのはオレアぐらいだから真に受けるな、>と釘をさす。

<奉納の舞には必ずやらなければいけない所作がある。その所作さえ入っていれば、あとは舞手の感性による。基本の型はあるようでいてないと思ってくれていい。>

<具体的にはどうすればいいのですか?>

<最初に手を交差するように打ち鳴らすこと、終わりには必ずすべてを受け入れる意思の表れとして、大きく胸を広げて両手で天を仰ぐこと、だ。踊り子の奉納の舞は、魔法陣はなくていいし詠唱はしてもしなくてもいい。そうか、メルには歌も教える必要があったな。帰り道にでも教えることにしよう。>

 決まっている詠唱がないなら、それって、最初と最後だけ〆ればあとは自由ってことなんじゃないのかな。

<好きに…、自由に舞っていいのですか?>

<自由ではないな、>

 シュレイザがオレアと目を合わせて笑った。

<奉納の舞を神殿で捧げることには意味がある。集まった者たちの気持ちを代表して舞にして感謝の思いを伝えるし、ひとりでも、ここにいない誰かの気持ちを代表して思いを捧げる気概が必要になる。喜びも悲しみも、舞手の心のうちにある感情だ。見物する者が奉納の舞を見て少しでも心が揺さぶられたのなら、その舞は成功している。>

 シュレイザは掌に指を重ねて、数字を作る動作をした。

<数字や時を知らせるような所作は決してしてはいけない。不敬に当たるから気を付けるように。あと、目も触ってはダメだ。>

<目、ですか?>

<メル、君だって愛しい人との時間を測るような真似はしないだろう? お互いを必要としているから契約したのに、呼び出されても、会う時間を区切られるような真似は無粋だろ? >

 言われてみればそうかもしれない。

<瞳は心を映す鏡だ。心が澄んでいるのなら、瞳を(さら)せられるはず。本心を伝えないなんて、疚しい気持ちがあるからだ。愛しい人に瞳を見せないなんて、隠し事をしているようなものだろう?>

 口をムズムズさせ、シュレイザは頬を引つらせていた。何か気に障ったようだ。

<沢山お話ししてくださってありがとうございます。でも、オレア様、もうお帰りになってもいいですよ。お疲れさまでした。>

 むっとしてオレアはそう言ってシュレイザを指さした。

<この者は私との付き合いが長いはずなのに、会ってもすぐに私を帰そうとする。今日だって、メルがいなければ、あんな大勢の人間の前に私を呼び出しただけで用済みにするつもりだったのだぞ、>

<そのようなつもりはありません。ただ、お顔が見たかっただけなのです。ご迷惑をおかけしてすみません。>

<ほら、それだ。>

<オレア様も我儘が過ぎますよ、>

<君は時々意地悪だ、友に様付けで呼ぶなと言ってあるだろうに。>

 この二人のやり取りだけを聞いているとは仲が良すぎて仲が悪いみたいに見えてくる。表情も合わせてみていると、ニコニコと笑顔でのやり取りなだけに、じゃれているのだと理解できる。

<メル、踊り子にはまだ舞はあるが、簡単だ。気楽に舞いなさい。奉納の舞はどこの国の神殿に行っても共通する業だから出来た方がいい。調伏(ちょうぶく)で使う舞の方が魔法陣を必ず描き切らなくてはいけない分、難しい。>

<おや、珍しい。今日のシュレイザはやけに饒舌だ。>

 オレアはクックと笑うと、メルの格好をじっくりと見て、<一度、舞ってみるか?>と尋ねてきた。

 コクンとメルは即答する。忘れてしまわないうちに自分の体で流れを把握しておきたい。

 詠唱の言葉は覚えられなかったけれど、まだ耳に節やリズムが残っている今なら、鼻歌で再現できそうな気がする。

<師匠、鉄扇でもいいですか?>

<好きにしなさい。慣れていけば長剣に持ち変えればいいだけだ。魔法陣を描くのなら百年樹の木炭の代わりにそこの壺の紅花(タンファ)を使えばいい。>

<判りました。>

<あくまでも、メルは、職位(クラス)変更(チェンジ)を目的に技を磨くのだということを忘れてはいけない。召喚が目的ではないのだから、魔力はなくても大丈夫だ。発露も、まだできなくていい。>


 腰に片手を伸ばしたメルは、鉄扇の手触りを確かめてからお辞儀した。広い空間があるのだから、のびのびと舞おう。ラルーサとカイルとシュレイザのそれぞれの奉納の舞を思い出してみる。どれも心惹かれて、どれも、甲乙つけがたい。私は、私なりに想いを再現すればいいんだわ…。


<メル、私に舞を捧げておくれ。>

 優しいまなざしで、オレアがメルを見て微笑んでいる。

ありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ