6 力強い、輝き
「ティポロスの街は馬車でいけば一時間ほどの距離だが、実戦での力量を知りたいし、資金を稼ぐ必要がある。」
シュレイザがそう言い出したので、メルたちは歩いて出かける計画となった。
道中で魔物の群れに遭遇する度に、シュレイザに長剣を手渡されて課題を出された。「短剣のつもりで間合いを詰めるように、」と指示を出されたり、「剣先10センチ未満だけ使って、」と使用範囲を指定されたりしながら、メルは課題を意識しつつひとりで戦った。出てくる魔物はゴブリンやコボルト、ドワーフ、ハーピーといった1周目の未来で戦った経験のある魔物ばかりで、運よく要領よく退治できた。1周目だと短剣でしか戦っていなかったのでハーピーの群れには苦戦したけれど、長剣は間合いが広くとれる分、慣れてくると振り回す重さも強みに感じられた。
2周めの未来として変えていける差を少しでも作るために、髪も、括ってみた。紐を巻き付けるだけで終わってしまいそうなほど短い纏まり具合だったけれど、見かけを少し変えるだけでも未来は変わると期待する。服装は傭兵の制服じゃないからすでに違う。一緒にいるのも、師匠であるシュレイザだったりする。
前を向こう。失敗を生かして、強くなろう。
「メルは1周目できちんと戦い方を学んでこれたのだな。」
戦い終わって額の汗を拭っていたメルに、倒されて消えた魔物の砂塵の山から銀貨や小さな宝石を拾いながら、シュレイザが呟いた。戦利品として手に入れる宝石には小さいけれど貴重なルビーやサファイヤが混じっていた。なのに、シュレイザは分別する手間なくまとめて袋に集めている。あまりに扱いが雑なので気になったのでどうするのかを尋ねてみれば「集めて街の両替商で換金してもらうのだ、」と教えてもらっていた。
メルはそこはゲーム通りだわと思った。
ドラドリでは宝石は街の宝石商での換金ではなく、両替局で天秤にかけた銀貨と宝石の量とで換金する。この世界の流通の主流は銀貨で、金貨や銅貨は単位として省略されていた。
魔物が持つ宝石はたいていが色付き水晶や加工前の原石が多かったので、両替局での天秤での交換は等価が妥当な交換だと思えた。けれど、時々、偶然なのか、人間を襲って手に入れたのか判らないけれど、サファイヤやルビーといった高級で貴重な宝石が手に入った。それでも、両替局では質ではなく量で換金する慣習になっていた。宝石が大きかろうと希少だろうと関係ないので、本筋展開上、公国で最初の魔術工房に行くまで宝石の自分での利用方法が開示されるまでは希少な宝石は換金せずに手元に置いて保管するしかなかった。今回倒した魔物の群れの砂塵には小粒でも希少なサファイアがあったけれど、宝石の価値をあまり気にしない様子のシュレイザは他の色付き水晶たちと一緒に無造作に袋に詰めている。メルにはシュレイザが1周目の未来で魔石を使って魔術工房で武具を作るという機会がなかったのだろうなと思えた。
この国ではそもそも魔法が使える国民が希少なので、魔法は生活の中での選択肢になく、魔石の存在を知らない者の方が多かった。公国や皇国のように、希少な宝石に乾電池のように魔力を溜め込んで魔石を作りいざという時の備えにする習慣もなければ、守りとして魔石に精霊を宿す伝統もなかった。1周目の未来でのメルは前世での知識のおかげで宝石の価値を知っていたので、希少な石だけ残してローザに銀貨と交換してもらっていた。
「指導してくれた者が随分と基本が整っていたのだろうな。」
今回もシュレイザは無造作に宝石を回収していて、集め終わった袋をメルに振って見せた。「私が教えるまでもなく、コツを飲み込むのが早いのはその者たちのおかげだろうな。」
戦う度に感心してもらうと、レーマンや傭兵仲間たちを思い出して、心が温かくなる。
<はい。師匠、感謝しています。ローザ様のところにいた傭兵仲間は、冒険者の経験はない人ばかりだったけど、元は騎士や領兵だった人たちだったし、剣術に長けていたんじゃないでしょうか。>
「そうか、」
<私の手に負えなさそうな時は、加勢してくれましたよ、>
「メルは可愛がってもらっていたのだな。」
最後に見たレーマンの声を無くした顔を思い出して、メルは黙って頷いた。あの後、ファーシィが無事だったのかも気になるけれど、レーマンはどうなったんだろう。無事にあの場から脱出できたのだろうか。
<師匠、私、助けに行きたい。もっと強くなって、助けに行きたいです。>
未来を変えるために、自分を変えていくしかない。
「そうだな。その為には基礎を仕上げるしかない。」
馬の嘶きが聞こえて振り向くと、街道を猛スピードで走ってくる馬車が見えた。
「ミンクス領の領旗がついているな。この先で何かあったのか?」
<師匠、この先って…、山を越えると大きな街なんてありましたっけ、>
それとなく、シュレイザに聞いてみる。
ミンクス領の地理や街の歴史を学校で学んでいた頃の私は知っていたとしても、現在の私は知らない。悔しいけれど、頭の中に広げたドラドリの攻略マップは、ミンクス領の街の記載は領都マルクトとこのククルール、エルスしかない。あとは主な街道と山や草原、川といったフィールドの表示くらいだった。
記憶を取り戻すより先に、どこかで地図を手に入れて現在の必要な知識として世界を把握したほうが良さそう。
メルはそう考えて、知らないことはシュレイザに質問しまくろうと決める。目の前にいる師匠からできる限り詳しく情報を聞き出して、自分の世界をまずは見つめ直していかないと、助けに行く前に迷子になってしまいそう。
もしかすると具体的に地元情報を教えてもらえるかもしれない。
「ないな。どこも似たり寄ったりの田舎の街だ。隣の領へでも行くのだろうな。」
期待していたよりも曖昧な答えに、当てが外れた思いがする。
ドラドリの攻略マップだと、この先の湖水地方を抜けた先にある街は隣のナイニール伯領なんだよね。街道から外れている領だから、純粋にナイニール伯領に用事があるのだと思う。
頭の中の攻略マップに今いるだいたいの位置の見当を付けて、メルは唇を噛んだ。ブロスチは、遥か先だ。
ローザ様たち、今はどのあたりを走っているんだろう…。1周目の行程を思い出してみる。明るく微笑む表情ばかりを思い出す。スリジエやミモザ、元気なのかな…。
メルは感慨に耽りながら空を見上げた。
いろんな知識を無くしてしまった。街道沿いに進むとこの先の山の麓にある街がティポロスなのだとはなんとなく判った。
1周目の未来では自分の技術を磨くことだけを考えて過ごしたので、どの街に入っても宿に泊まっただけで観光もせずに済ませていた。
あの時の私は自分のことしか本当に見えていなかった。周りを見る余裕が持てていなかった。
ティユルがくれたお菓子の味なら覚えてるんだけどな…。あれは、ティユルなりに歩み寄ってくれていたのだと思う。私、もっと自分から仲良くすればよかったね。
深い森や山が視界の東側の隅に見えて、あの山のどこかの滝から飛び出してククルールの街のある景色を見た過去を思い出す。
人生を楽しめ、とシンが囁いた言葉を思い出して、目を開けたんだっけ。
あの時、とってもきれいな虹を見たんだわ。
そういえば1周目の未来にいた時、シンのこと、一度だって思い出さなかったし、かすりもしなかった…!
シンのこと、思い出していたら、1周目の未来は何か違ったのかな。
「ぼんやりするな、メル、来るぞ、」
シュレイザがさっと草むらに入っていった。夏草の匂いがして、隠れていた野に棲む精霊が慌てて逃げていく後姿が見えた。
メルも道を譲るために草むらに降りて、駆け抜けていく馬車を見送った。
※ ※ ※
やっとの思いでティポロスの街に辿り着くと街はお昼時で、門番に通行許可証代わりの指輪を見せてシュレイザと街の中に入った。ククルールの街に比べると建物に平屋が多くて空が広くて、商店よりも住宅が多い印象だった。
シュレイザは通いなれているのかさっささっさと歩いていくので、メルは意外だなと思いながらついて歩いた。長剣を腰のベルトに絡ませたシュレイザは薄着をしていても鍛え上げた筋肉がよく判って、見るからに剣士といった風情だ。知り合いが多いのか声をかけたりかけられたりと忙しく愛想を振りまいて、手をあげて挨拶をしている。
お腹空いた…。メルは空腹と喉の渇きでついつい歩みが遅くなる。馬車で移動しながら魔物を退治するのと、自分の足で移動しながら魔物を退治するのでは勝手が違う。シュレイザはここまで来るまでに休憩を取ってくれる配慮もなく、メルに条件付きで淡々と魔物退治を指示してメルの様子を観察するばかりで、助けても手伝ってもくれなかった。
短期で集中して実力をつけるにはこれしか方法がないと納得はしていても、ゲームだと、いくら主人公が剣士見習いからゲームスタートしていても、魔法使いと神官と剣士の加勢があるんだけどな、と思ってしまう。いくら主人公を育てていくゲームとはいえ、あちらはチーム戦だけど、私、自分で自分を育てるのね。月の女神の神殿での神官に言われた言葉の意味が妙に深く染み入って、メルは境遇を諦める。
でも、せめて何か飲みたいなあ。
魔物を退治した時に手に入れた銀貨や宝石は全てシュレイザが回収していた。メルは手持ちのお小遣いもなく、いくら店先に果物が並んでいても見ているだけだった。
先に歩いていたシュレイザが両替局を素通りして裏通りへと曲がってしまったので、メルも慌てて追いかける。
<師匠、待ってください。>
お金に変えないと何も買えないのでは、と言いかけて、メルの女神の言葉に驚いた街の人の視線に、口を閉じて小走りになる。
シュレイザは裏通りを奥へ奥へと進んで、やがて住宅街の行き止まりの小さな噴水広場へと出た。地面には丁寧に敷き詰められた茶褐色や黄土色のタイルがみっちりと覆っていて、乳白色のタイルで2重の円が描かれていた。
明るい日差しの中、子供たちが半裸に近い格好で高く吹き上がる噴水にはしゃぐ声が響いている。
噴水広場を囲むように並んで立つ4軒の二階建ての建物はすべて、高い明り取り窓の大きさも高さも、焦げ茶色のドアの色も同じような見た目だったけれど、各々の玄関のドアにはそれぞれリースがかけられている。左手から白い花、赤い花、黄色い花、緑の葉、茶色い蔓草…。シュレイザは迷わずまっすぐ向かって、緑色のリースのドアをノックした。
※ ※ ※
緑色のリースのドアが開くと、手招きされてメルはシュレイザと入った。暗くて狭い廊下のような道を進むと、またドアがある。
「メル、これを持て。」
シュレイザは腰のベルトに絡ませていた長剣をメルに差し出した。
「ここは換金所だ。出来るだけおとなしくしているように。尋ねられても黙っていること。いいな?」
女神の言葉が目立つからね、とメルは納得して理解して頷いた。
ドアの向こうは広い部屋で、板張りの狭い受付窓口に、奥に見える忙しく働く者たち、奥に見える大きな金庫、各国のレート表と、一見すると両替局と同じような印象だった。誰もがオリーブグリーン色の上着を着ている。男性や女性、メルより少し年上っぽい青年や、中年の男性、老婆など、年齢層も幅広そうだ。
ここは、両替局…? ではなさそうね。メルは首を傾げながらシュレイザの後ろに控えた。ドラドリに登場する両替局なら白いシャツに青いベストを着て黄色い帽子の制服で、どういう訳か誰もが口髭を生やしている中年男ばかりだった。
受付の椅子に座っていた若い男はシュレイザの顔を見るなり、「今日の戦果はいかがでしたか?」と尋ねてきた。つるんとした瓜実顔には満面の笑みが浮かんでいる。
「これを頼む。」
メルが思っていた通り、宝石は貴重な石だろうと何だろうと混ざった状態で袋の中から天秤皿に開けられた。ざらざらと積み上げられた小粒な宝石は甘い金平糖のようで、空腹のメルはキュンと胸が高鳴った。
受付の男は、シュレイザの肩越しにメルをちらりと見た後、またシュレイザを見た。
「なかなか頑張ったっスね、はい、今日は銀貨1枚分。」
銀貨1枚でだいたい銅貨分で100枚分で、銅貨1枚で竹筒に入ったお水が買える。前世の生活で言えば、銅貨1枚って100円くらいなんだよね。メルは指を折りながら考える。あれだけ倒しても10000円くらいなんだよね。本筋ではこの地域一帯がレベル上げのためのエリアだから、出てくる魔物が弱いっていう事情もあるかもしれない。
午後もこんな調子なのかな。メルはちょっと憂鬱になる。庶民の日雇い労働が銀貨一枚という現実と比較すると冒険者は儲かる仕事かもしれないけれど、応援も加勢もない状態で慣れない長剣を手にひとりで数をこなすのはなかなか結構きつい。
「助かる。また来る。例の件はどうなった?」
ニヤッと笑うと、受付の男はシュレイザに囁くように言った。
「首尾は上々、揃えてありますよ。いつでもお渡しできます。」
何の話だろう。小首をかしげたメルをじっと見つめて、好奇心が抑えきれなくなった様子の受付の男は、「シューレさん、ついにお弟子さんをお取りになったんスか? いや~、めでたいっスね。じゃ、ご祝儀にこれもつけましょう、」と、銀貨一枚を乗せた天秤皿の上に銅貨を3枚重ねてくれた。
「すまんな。ありがたくいただくよ。」
「いえいえこちらこそ。シューレさんとはお付き合いが長くなりそうっスからね。」
銀貨を袋に入れたシュレイザが袋を無造作にズボンのポケットに突っ込み「またな、」と軽く会釈すると、受付の男や換金所の奥にいた者たちが声を揃えて送り出してくれた。
「今後ともごひいきに~。」
換金所の外へ出ると、シュレイザはメルに、白い花のドアを指さした。
「あそこでは話をしていいぞ。」
もしかしてドアのリーフは知っている人だけが判る看板のようなものなのかしら。話せるのだから食堂なのかなと、空腹のメルは期待して頷いた。
※ ※ ※
シュレイザが案内してくれた白い花のリースの家は意外なことに宿屋だった。内壁は柔らかなバターイエロー色で小物にはすべて白と緑色のギンガムチェックの布の埃避けが被せてあった。やっぱりオリーブグリーン色の上着を着た者が働いていて、メルとシュレイザ以外に客がいる気配は感じられなかった。受付の番台に座る男とシュレイザは知り合いらしく、メルを見て「シューレさん、かわいいお弟子さんをお連れだ、」と親しそうに笑った。
ここではシュレイザ叔父さんはシューレなんだ。一周目の未来でもシューレって呼ばれていたのなら、本名は隠すものなのかな。メルは自分の名前のいじりようのない短さにどうしようもないと口を尖らせた。
磨き上げられて埃ひとつない清潔な室内には、心地よい涼しい風がどこからか流れてきていた。酸味のある、爽やかな香りが風に混じっている。窓がない代わりに壁に大きく掲げられている絵は紅花畑で、部屋の隅には紅花の切り花が白い花瓶に飾られている。
「すまんが風呂に入れてやってほしい。食事と着替えも用意してくれ。私もこの子も、竜の調伏師としてこの後神殿に向かう予定だ。」
「ご用意整えさせていただきます。」
「費用はいつものように頼む。こう見えてこの子は女の子だ。メルといって、私の姪っ子だ。ラルーサの娘だ。」
ラルーサの娘、という言葉に、誰もが動きを止めてメルを見つめていた。オオオ…! と感嘆の声もする。
なんだろう、みんな、父さんの知り合いなのかな。
「…! 畏まりました。お二人で舞われるのですか?」
「私だけだ。この子は今日は見学のつもりだ。」
「久しぶりですね。お任せを。心得てあります。」
費用の事を口にしながら先ほど手に入れた銀貨を出そうとしないシュレイザと受付の男の慣れた様子のやり取りを意外に思いながら、メルは奥の部屋から出てきたオリーブグリーンの上着を着た侍女に案内されて奥へと向かった。
風呂を借りて入浴し昼食をひとりで食べたメルは、通された応接室で黙って待っていた。侍女たちは何も聞かないでいてくれるので、言葉が違う事情を詮索される面倒もなかった。
用意してもらった着替えは淡いオレンジ色のシャツに深緑色のズボンで、帰りまでには洗濯して整えてくれると教えてくれた。シュレイザの刀は手入れに出しますと言って預かってくれたし、お風呂は綺麗だったし食事は美味しかったし、素性についてうるさく詮索もされない。暑い夏のはずなのに涼しくて心地がいい。ここは実はとても上級な宿なのじゃないのかなと思いながら、メルはソファアに深く身を沈めてのんびりとした気分に癒されながら待っていると、シュレイザが何人かの従者と何かを話しながら部屋の中に入ってきた。
やっと現れたシュレイザは別室ですでに食事を済ませたらしく、「行こうか、」と言って入ってくるなりメルを急かした。
髪を綺麗に後ろに撫でつけて流して髭も剃って身綺麗にしたシュレイザは上半身裸で、きらびやかな刺繍と細かな宝石を縫い付けた光沢のある朱金色のゆったりとしたズボンを穿いていた。茶金髪の毛先には染料で赤く色が付けてあって、化粧でも施されているのか、肌がキラキラと輝いて見える。もともと色素が濃い方ではないシュレイザはさらに透明感を増していて、人ではないような美麗な装いになっている。
森の支配人が街の舞踏家に復職してさらに美に目覚めたって感じね。あまりの艶やかさにメルは面喰いながら思った。
「シューレ様、こちらを。」
従者に恭しく手渡された白いマントを肩に巻くと、シュレイザは「帰りにまた寄る。この子に剣舞を教え込むまで通うつもりだ、」と宣言するように計画を口にする。
「それはそれは…、この後、舞われるのですか?」
「そのつもりだ。見たかったら来てもいい。ただし、それなりに覚悟がいるぞ、」
嬉しそうな顔になった従者も侍女も、声をあげて笑って頷いた。覚悟って何だろう。メルだけは知らないので、首を傾げる。
「大丈夫です。他の者たちにもそのように伝えます。」
「では、行ってくる。メル、行くぞ。」
歩き出したシュレイザを追いかけて、見守る従者たちの前をメルはお辞儀しながら宿屋を出た。
「行ってらっしゃいませ、あとで拝見に伺います、」と手を振る受付の男に小さく手を振り返して、メルはシュレイザに並んだ。
ありがとうございました




