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4 私は、逃げたくない

「私の肩の肉を食いちぎった虎頭男(ワータイガー)が大きく仰け反って吠えた声が響くと、空間のあちこちから他の虎頭男たちが共鳴して吠えているのを聞いて、私が思っているより多い数が潜んでいるのだと知った。いよいよ駄目だと思った。虎頭男を引き付けるから先に行ってくれと頼んで、ビアとコルを私の願い通りに背に乗せてくれた火竜を脱出させた。火竜には『必ず生きて借りを返せ』と言われたけれど、答えられなかった。崩れた瓦礫から飛び出た虎頭男が、壁を走って竜を追いかけて…、目の前にいる2頭を引き留めるのに必死な私は追いかけられず、手にしていた剣を、渾身の力を込めて投げた。駆け上がる虎頭男の背中に刺さって…、ほっとした瞬間左右から衝撃を受けて、体が引き裂かれるような痛さを覚えて…、」

 流れる涙が頬を伝っている。ぽたぽたと落ちる涙で手の甲を濡らしながら、シュレイザが、悲しそうに笑った。「私は、その先を知らないんだ。」


 死を、迎えたんだろうなとメルは思った。だから、2周目の世界に戻ってきた。

 同じ痛みを、メルは知っている。

 追体験したように、体の震えが止まらなかった。

 ナチョと目が合う。同じような痛みを経験したからか、ナチョも、目を真っ赤にして震えに耐えて座っている。


「2周目を生きることになって、私は1周目と真逆の存在を目指した。冒険者として通行許可証を使って旅に出て治癒師を探した。付け込まれないように、定職を探して収入を確保した。顔を変えることは難しいから人相が変わるように髭を伸ばした。虎頭男に食いちぎられないように、体を鍛えた…。」

「ビアさんと、コルさんには、出会えたのですか?」

 涙を拭っていたレイラが鼻声で尋ねた質問に、シュレイザは首を振った。

「あの者たちと私が出会う時は、あの施設であの計画に付き合わされる時だろうと私は考えた。私があの者たちに出会いさえしなければ、酷い目に合わないで済むんだ…、」

 再び涙を滲ませたシュレイザを見て、ナチョが、「兄さんは友達思いなんだな、」と呟いた。

<シュレイザ叔父さん、その、時間とか、日付とか、未来のいつぐらいの出来事なのか、見当はついているの?>

「最後の日は、おそらく6月の終わり頃だろうと思う。メルがいなくなって3回目の満月だと思ったのと、最後の旅の帰り道、コルがビアに、木陰に咲いた白い花を指さして、『暑いと思ったらもう夏が来るんだね、』と言っていた。」

 私は地の精霊王ダールの神殿にいた頃だわ。メルは指を折って考える。私の1周目の未来では、その次の7月の満月の頃には、兵器として実証実験が行われている。

「兄さん、今は7月だ。兄さんの1周目の未来から随分と過ぎている。兄さんが虎を捕まえなくても、俺とメルの1周目の未来ではもう虎頭男たちを兵力として考えている集団がいるってことなんじゃないのかい?」

 ナチョの質問に、シュレイザは黙った。

「コルさんとビアさんがまだその実験に付き合わされているのだとしたら、助けてやるのが本当の友達なんじゃないのかい?」

「…どうして、そう思うんだ?」

「未来のどこかで同じような役割をするのなら、どんな未来でも、兄さんがコルさんとビアさんを助けると決まってるんじゃないかと思ったんだ。俺やメルが、ファーシィを助けたいように、な。(ドラゴン)騎士(・ナイト)なんてそうそういないだろ?」

「それは…、お前たちの1周目と私の1周目とは、違うのではないのか? 」

 不思議そうな顔で答えたシュレイザの答えに、ナチョやレイラも不思議そうな顔をした。目を閉じて考えているマードックの表情は読めなくて、メルは状況を窺った。

「シュレイザさん、同じなのではないのですか?」

 レイラが首を傾げた。「どちらも、助けるのでしょう?」

「違うんだ。そういう意味じゃない。私の見た未来は、お前たちの見た未来とは質が違うと思う。私の経験した1周目の未来は、既に完成されてしまっている未来のひとつだろうと思っている。私の1周目には、私と同じように冒険者登録をしたばかりの者はいなかった。コルもビアも一般人なんだ。」


<あ。>

 コルとビアは冒険者じゃないから、1周目のシュレイザが見た彼らの身に起こる未来は、シュレイザと関わったから起こる未来だ。つまり、シュレイザが自分の確定した未来として認識して別の行動をとってしまえば、消滅してしまう可能性だってあるし、出会う可能性だって低くなる。

 同じように考えるなら、私が出会った1周目の未来は、私が別の行動ばかりしてファーシィと出会わなかったとしても、まだナチョの未来で起こる出来事としての可能性が残っている。私とナチョの見た1周目の未来での時間や場所の誤差があるように多少の誤差があるかもしれないけれど、ナチョの未来のどこかで、ファーシィが獣人たちに襲われてしまうだろう。

 1周目の未来で、偶然にも数日の誤差で同じ人物を助けている出来事をふたりの人間が経験しているということは、かなりの確率でファーシィが獣人たちに襲われる未来が存在している。

 メルは理解できた気がして声を上げた。

<私と、ナチョの1周目が重なっているということは、必然である未来って可能性が高いって状況なんだわ。私たちがいようといなかろうと、2周目でも同じようにファーシィは襲われるのね。>


 シュレイザが頷いた。メルの言葉を通訳したマードックの言葉を聞いても、レイラは納得できていないようだった。

「どういうことですの?」

「レイラは冒険者じゃないからピンとこないんだな。冒険者の体験した1周目という未来の夢は、いくつかある可能性の世界のひとつの答えだ。その選択をひとつでも変えてしまうと、世界は矛盾を無くそうと帳尻を合わせ始める。その選択肢を別の誰かが拾って、変異が収拾するように変わっていく。同じ役割で同じことが起こるとは限らない。私の1周目の未来ではコルとビアは助かったと思う。だけど、私が1周目と違うことをやっている以上、同じ状況とはなっていない。コルとビアにはいつかどこかで出会うかもしれないけれど、1周目のような状況は起こらないと言える。私ではない誰かが(ドラゴン)騎士(・ナイト)の役割をする未来では、リーダーと旅をする残りの顔ぶれも違う可能性が出てくるからだ。」

「同じような力量でも、その竜騎士に最適な仲間が見つけられて宛がわれているのだとしたら、別の魔法使いと治癒師が登場する可能性があるのですね…?」

「ああ。竜騎士まで育った冒険者自体が希少だし、半々妖の竜騎士自体、すごく稀だろう。同じような職位(クラス)で考えるなら、人間の(ホーリー)騎士(・ナイト)を探した方が早いだろうな。」

 騎士は何を得意とするかで(ホーリー)騎士(・ナイト)(ドラゴン)騎士(・ナイト)に分岐するけれど、最終的には(ホーリー)(ドラゴン)騎士(・ナイト)に落ち着く。

(ホーリー)騎士(・ナイト)は剣術よりも魔法に才能のある騎士が選択する職位だ。(ホーリー)騎士(・ナイト)に比べると魔法が不得意な(ドラゴン)騎士(・ナイト)には召喚魔術師(ウォーロック)が必要だけれど、魔法が得意な(ホーリー)騎士(・ナイト)なら、魔法使い(ウィザード)でも補助は可能だ。」

 言いながらシュレイザは、具体的な誰かを思い浮かべているような表情をしている。(ホーリー)騎士(・ナイト)に心当たりがあるのかな。知り合い? …まさかね。

<叔父さんが違うことをしたから、虎頭男は生み出されてしまっている現在は同じでも、そのきっかけとなる計画に、ふたりは呼び出されていないかもしれないってことね? 叔父さんたち3人ではない誰かが、虎の生け捕り計画に加担させられていた未来に、現在はなっているのね?>

「そうだ。そうあってほしくはないけれど、私達以外の誰かが破格の条件を提示されて、リーダーの下で働かされているだろう。コルもビアも、公国で元いた暮らしを続けていてくれているだろうと期待している。」

<叔父さん、ファーシィはそうならないのね?>

 シュレイザは小さく頷いた。

「断定はできないが、ファーシィは大きな世界の流れのある分岐点となる出来事の不可欠な要素なのだろう。『7月の満月の頃半妖の魔法使いが虎頭男に襲われる』という歴史の流れがあるのなら、メルが別の行動をして未来を変えても、彼女の身の上に起こるだろう可能性は消えないままだろう。私が1周目の未来をこれだけ変えても虎頭男と言う存在が実在するという流れが変わらないのなら、この世界のおける虎頭男たちの動向は未来に起こる事象として避けようのない存在なのだろう。メルとナチョの2周目の未来で私のように全く別の行動をとって助けなかったとしても、『ファーシィが襲われる』という事実は可能性としてまだ残っているだろうな。」


 ナチョを見れば、俯いて握った拳を見つめていた。

 私は、あの時の感覚を、忘れられないでいる。死んでいく寒さも、痛さも、今生きている自分の経験なのではないのだと判っていても、怖い。

 泣いて喚いて助けてって言っても、あの虎頭男たちに言葉が通じるとは思えなかった。

 助けに行くんなら、情け容赦なく、あの痛みがまたやってくる可能性だってある。

 未来はいくつかの分岐点の繰り返しで出来ているのだとしたら、現時点でブロスチに行かないという選択だってできる…。

 どうすればいい? 勝てるの? 逃げるの? 

 目が熱くて、気持ちが高ぶって、泣きたくなってくる。


「メルが行ったとしたら、変わるのですか?」

 レイラは、冷静に尋ねている。

「事実を変えることはできないだろう。だが、『襲われて命を落とす』のか、『襲われたが助けられ逃げ延びる』となるのかはまだ確定していないだろうな、」

「シュレイザさんがしたように、メルが1周目の未来と全く逆の行動をしたとしたら、メルは怪我をしないのですね?」

 ギュッとメルの手を握ったレイラのメルを見つめる目は、赤く充血していた。

「メル、ファーシィと言う女の子を見たことがないから言わせてもらうけど、私はあなたが怪我をすると承知で出かけていくなんて、耐えられないの。ローザ様のお誘いには私がお断りを入れます、」

<レイラ、待って、>

「メルはまだ学校へ行かなくてはいけません。きちんと卒業してないのですよ? 未成年が、子供が、わざわざ死に向かうことなどないのです。」

 何を言ってるの?

 メルは戸惑って、一番理解してくれていて、一番、助けてくれそうな気がして、マードックを見た。

 こんな状況で学校? 言葉が通じていないのに、学校へ行けと言うの? 

「言葉なんて、学校へ行けばどうとだってなるのではありませんの? 先生がいますわ。メルはこのままこの土地で私たちに守られて生きていけばいいではありませんの?」

 焦る様に大きな声で自分の意見を述べるレイラは、必死になってメルの手を握って、メルに訴えかけてくる。


 なんて言えばわかってもらえるんだろう。

 言葉を盗られてしまっているんだって、記憶を、奪われてしまったのだって、なんといえば理解してもらえるんだろう。

 誰にやられたのかなんて判らないから尋ねられても言えない。メルは言葉に詰まって、俯いた。

 冒険者になったのだって、退魔師(ジーニー)を探すためだって言ったところで、どこまで理解してもらえるのだろう。


「メル、聞こえているのでしょう? 答えて、」

「…レイラ、メルの状況を詳しく話すわけにはいかんが、ワシはもう、メルにはこのまま冒険者として生きていった方がいいと思っておるんじゃ、」

「マードックさん、」

「ここにいても状況は良くならない。メルは旅に出なくてはならん。」

 

 呪いを返すために、自分の言葉を、記憶を取り戻すために、ファーシィのことは別にして私は自分のために旅に出る必要がある。

 精霊王のマントだって、託した父さんとカイル兄さんが行方不明な現在、ゲームが開始されてしまう前にどこにあるのかを把握しなくてはいけない。だいたい、竜に連れ去られたと思われている私を探して旅に出た人たちを、ほっておけるはずなんてない。

 だけど、父さんやカイル兄さんがこの街に精霊王のマントを持って帰ってきてくれる保証なんてない。だからって、帰ってこない方が安全、なんてことは言えない。火事で店は焼けて、建て直している最中だ。母さんだってアオだって、心細いだろうに耐えて頑張っている。

 予定していた将来や考えていた自分の未来とはまるで違うけれど、どんな私になったって、女の子が襲われるんだって知っててもなかったことにできる程、無情な人間にはなりたくない。


<レイラ、私、>

「理由なんて聞きたくありません。やっぱりメルは、黙っていて。あなたはまだ子供で、私の可愛い妹分なのですわ、」

 ギュッと手を握って首を振るレイラは、涙で瞳が濡れている。


「レイラ、メルに、旅に出ないという選択をさせるつもりなのかい?」

 ナチョが、咎めるように尋ねた。

「メルは、冒険者なんだぞ?」 

「いけませんか?」

「レイラ、」

「メルはここにいればいいのです。お金が必要なら、私がいくらだってお父さまにお仕事を頼んであげます。ククルールの街から出なくてもいいように、ずっと、うちで働けばいいのです。冒険者の指輪など、お返しすればいいわ。」

 意地になっているレイラはだんだん声が大きくなっていて、だんだん、声は悲鳴のように聞こえていた。


<そんなこと、できない。>

 メルは唇を噛んだ。

 ありえない。

 ファーシィを見捨てて、自分は安全なところにいるなんて、選べない。


「危険だって判ってていくの、メル?」

 メルが頷くと、レイラは涙目で睨むようにして、ギュッと、メルの手を握った。

<1周目の未来は、月の女神さまの優しさだと思う。このままだと悲しい未来になってしまうから、そうならないように、…冒険者として運命に立ち向かうために自分を磨いて助けに行きなさいって、月の女神さまが教えて下さったんだと思うの、>

 そっと、レイラの手を振り払うと、メルは改めて手を握った。

<私は、1周目の未来で、親切にしてもらったし、愛してもらった。色々教えてもらったし、いろいろ足りない不足を、優しく気付かせてもらったの。2周目は、もっとうまくやれると思う。大丈夫。怪我だってしないように、ちゃんと、助けられるわ。>

 1周目と同じように、ローザ様たちが私を必要としてくれて評価してくれるかどうかなんか判らない。でも、私は、次に出会う時は胸を張って笑顔で名乗りたい。

 メルは姿勢を伸ばして、正面に腰かけて言葉を通訳してくれているマードックをまっすぐに見つめた。

<じいちゃん、お願い。舞を教えて。私を待っている人がいるの。強くなってその子を救いに行かなくちゃいけないの。ただ旅をするだけじゃ、ダメなの。>

「舞といっても、剣舞、じゃな?」

 こくんと頷いて、メルは思う。<剣を持って戦える踊り子じゃないと、竜を呼べる舞を踊れないと、このままじゃ、勝てないの。>

「メル…、舞を教えてもらったところで、勝てる見込みなどないのよ? ねえ、ここにいましょうよ、」

「レイラの言うことも一理ある。メルは踊り子見習いじゃ。例え三日で剣術(ソード・)舞踏家(ダンサー)になれたとしても、凶暴な敵すぎて、確実に勝てる保証はないんじゃからな。」

<…悲しいことを言わないで、じいちゃん。もっとビシバシ鍛えて、メルなら大丈夫だって言って、送り出してほしいの。>

「そんな嘘は言えん。お前にはやらなくてはいけないことが在るのを忘れるな、メル。ワシは、死んでしまう未来があるのを実現させてしまいたいと思ってもいないんじゃ、」

 そんなの、やってみないと判らないわ。

 唇を噛んだメルを見て、ナチョが威勢よく手を上げた。

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