1 不思議な人
「俺も仲間に入れてくれ。俺はナチョ。からくり屋のナチョ。メルとはさっき、月の女神さまの神殿で知り合ったんだ。」
ギュッとメルの腕に自分の腕を絡ませて、レイラはナチョを睨んだ。思いっきり警戒しているのがよく判って、シュレイザが苦笑いをしている。
「なんですの、ずうずうしいですわ。メルは私のメルです。メルの仲間は私一人で十分です。」
「別嬪さんが怒るともったいないぜ。綺麗な姉ちゃん、名前はなんていうんだ? 俺も姉ちゃんの舎弟でいいから仲間に入れてくれよ。」
「べ、別嬪なんて、あ、当り前ですわ。でも、メルは舎弟ではありませんから、そのご希望は叶えて差し上げられません。」
「じゃあ、メルと俺は仲間、別嬪さんとメルは仲間、俺は別嬪さんとも仲間、でいいな?」
「べ、別嬪は止めてください。恥ずかしいです! 私にはミレイラーシュというちゃんとした名前があります。」
すっかりナチョのペースだ。言いくるめられてるレイラを見て、かわいいなと思う。
<たぶん、レイラって綽名でいいんだと思う。この人の名前、きっとホントは違うよ、>
見た目からして皇国の出身で、日本人っぽい格好をしていてからくり屋が屋号なら、通り名がナチョというだけで、戸籍上の名前が別にありそう。
「ミレイラーシュか、いいね! 真実の名を教えてくれるなんて可愛いじゃないか!」
ヒューヒューと口笛を吹く真似をするナチョはちょっと恥ずかしい。
「や、止めてくださる? ここ、往来ですわ。」
「イヤー、まいったね! 俺も実はイグナチオってちゃんとした名前があるんだ。ミ・レイ・ラーシュ、太陽に愛された子か、いい名だ。真実の名を教え合えるなんて、別嬪さんとは親密そのものだな!」
無理やりレイラと握手してぶんぶんと腕を振る笑顔のナチョに、メルはしみじみと、1周目の未来とは違う未来を私は歩き始めているんだわ、と思った。
※ ※ ※
ククルールの街に戻ってくると、門番たちはメルのことをしっかり覚えてくれていた。
「おかえり! 早かったな! 」
「ばっちり覚えてるぞ!」
このノリ、誰かと似ている気がする。
通行許可証を見せると、きっちり確認してくれて、メルの左手薬指に嵌った指輪を指さした。
「おめでとう、勇者殿。今度からその指輪を見せてくれるだけでいい。そうか、踊り子見習いか。」
「一日一回は職業変更が出来るって噂だから、低い職位でも少しずつでも腕を磨いていけばいいさ、気にするな!」
「そうそう、指輪は通行許可証代わりになるからな。通行許可証は大事にしまっておけばいい。」
「早速仲間を見つけてきたのか。さすが仕事が早いな。どうれ、あんたも指輪を嵌めているのか。こりゃ幸先良さそうだな。お二人さん、健闘を祈るよ!」
門番たちはナチョの背負った箱をバンバンと豪快に叩きながら大きな声で笑っている。
「兄さんたち、大事な荷物なんだ、勘弁してくれよ、」
「荷物って、やけに大きいな。お前さんも勇者なのか。ふうん、そうだな、通行許可証を一応確認しておこうか。」
門番たちは警戒した顔つきになった騎士とナチョの通行許可書を確認する。ナチョの姿はどう見ても異国人の姿で、楽器でも入っているのか縦長の、背負っている大きな荷物も怪しいと言えば、怪しい。
「今度からは指輪を見せてくれればいいが、今回初めてこの街に来たんだろう? すまんが中身を見せてくれな?」
「職業、からくり師…、勇者がからくり屋なのか? いや、冒険者なら異能も当たり前か。」
「そうだよ、俺はからくりで生きていく男さ。この人形も自慢のからくりだ。」
身を乗り出して、箱の蓋をそっと開けて箱の中身を門番たちにだけ見せたナチョの手元を荷物を覗き見ようとして、メルはナチョと門番たちのやり取りを観察するように見守っていたシュレイザとレイラの存在を思い出す。途端に気まずい気がして詮索するのは止めておいた。
「なんだ、お前、ああ、からくり屋って、人形遣いのことか!」
「皇国から来たってのも納得だな。この国じゃ、あまりない職業だもんな。」
そっと蓋を閉めたナチョはまた木の箱を背負い直した。見て納得したのか、門番たちは安心した表情になった。中身が見えなかったメルは、ちょっと残念に思った。
からくり屋をよく判っていないのは私だけなのかな。
ドラドリの職業選択はかなり細かく設定されていたけれど、前世の私は本筋をサクサクと進めることが念頭にあったから、勇者である王子たちの基本的な職業を極めることだけに集中してプレイしていた。取手くんと話がしたくてゲームクリアを目標にしていたこともあって、同じ職業をこつこつとレベルアップさせていく方が無難に終わりまで突き進んでいけると思っていた。
おかげで竜の調伏師という職業は転生してから知った。当然、ナチョのからくり屋という家業もからくり師という職業も、何から分岐していく職業なのかを知らない。
関連があるなら祓い屋だろうけれど、実はよく判らないのが本音だったりする。屋がつくから仲間じゃないかな、という程度だ。
ドラドリで登場していた祓い屋というのは神官と魔法使いの中間ぐらいの立ち位置にある職業で、祓い屋になるには特殊なアイテムが必要だった。
クリアを目標にしていたおかげで皇子も公女も祓い屋になる必要性を感じなかった前世では、祓い屋に職位変更させたことがなかった。
笑い声に気が付けば、門番たちとナチョはすっかり打ち解けた様子で、仲良く肩を組んで握手までしている。とても、人懐っこい性格なようだ。
「じゃあな、しっかりやれよ!」
「ありがとうな、兄さんたち!」
振り返り手を振るナチョを手招きして呼ぶのは躊躇われて、メルはレイラたちと先を行くことにした。
「待ってくれよ、仲間だろ、」
「知りません。あなたは秘密が多すぎですから、仲間ではありませんわ。」
「なんだ、怒ったのか?」
頬を膨らませたレイラとニヤつくナチョはすっかり打ち解けているようにしか思えなかった。
「メルが冒険者になれたのはよかったと思いますが、このおまけはなんです、」
「おまけって、別嬪さん、厳しいなあ。」
「からくり屋なんて知りませんし、人形遣いも知りませんもの。」
つんと澄ましてメルの腕を引くと、レイラは自分の屋敷のある方向の大通りではなく、メルの祖父マードックの家のある方向へと通りを曲がった。「こっちですよ、メル。間違えてはいけません。」
本当に1周目とは違う未来にいるのね、私。
ドキドキしながらレイラを見ると、ナチョと目が合った。
ナチョが、意味ありげに笑みを浮かべてメルを見ている。
「メル、マードックさんの家に急ぎましょう。」
1周目の未来では、私は剣術舞踏家だった。じいちゃんの家に帰らずにローザ様たちの旅団に一員に加えてもらったっけ…。
<レイラちゃんも?>
剣術舞踏家になった私を呼びに来たんじゃないの?
「当たり前です。こんな怪しい男と一緒にメルを行かせるわけにはいかないでしょう。」
「別嬪さん、なんだかんだ言って俺のこと仲間だと思ってるだろ。しっかり案内してくれてるもんな。」
ニヤニヤと笑うナチョに、顔を真っ赤にして怒ったレイラが「もう!」と背を向けて先に行ってしまった。
「あんまり怒らせるな。あれでも私の雇い主なんだ。」
シュレイザが呆れたように言うと、ナチョは「へへっ」と鼻をかいて笑った。
※ ※ ※
うちの人は道場にいるわと祖母のイリヤに教えられて、メルたちは道場へと向かった。中庭から入った戸口から中を見ると、通りに面した鍛錬場を雑巾がけしているのはアオで、マードックは一段上の上座に置いた腰かけ椅子に座って腕を組んで瞑想していた。メルを見かけると、片目を開けて何度か頷いてまた瞳を閉じる。
「姉ちゃん、お帰り。」
汗を拭きながらアオが雑巾がけする手を休めた。シュレイザがさっと水場に向かうと、自分の分の雑巾を持って戻ってきた。どうやらアオを手伝うつもりらしかった。
じいちゃんには話しかけるとまずい雰囲気ね。メルはアオを顔を見合わせて頷き合って確かめる。アオも同じように思っていたようでほっとする。
祖父のマードックの道場は板張りで土足厳禁だった。マードックの教えている武芸は剣術ではなく体術を基本としている古武術なので、靴を履いているよりも素足で踏ん張って体勢を整える方が効率がよく、板張りの道場の方が稽古しやすい。メルが子供の頃には既に門人はほぼいなかったけれど、道場が閉鎖されることはなかった。カイルとともに、竜の調伏師を念頭においてする詠唱や演舞の稽古以外は、屋根があるこの道場で稽古してきていた。
ナチョは興味深そうに道場を見回していて、レイラは肩を竦めて、メルとアオを見比べている。
<アオ、偉いね。道場を綺麗にしてくれてありがとう。>
マードックが通訳すると、アオは得意そうに胸を張った。
「姉ちゃんたちがいないんだから、仕方ないだろ。もう習慣だし、やるしかないよ。」
<ついでに道場も継いじゃえばいいのに。>
なんとなく言葉のニュアンスで理解したのか、アオは慌てて手を振った。
「あ、勘違いすんなよ、姉ちゃん。…道場を継ぐとか稽古をするとかは遠慮したいけど、…綺麗な方が、じいちゃん、喜ぶしさ。」
<ありがと、アオ。>
「で、姉ちゃん、その後ろのでっかい派手なのはいったい誰だ?」
<ああ…、>
忘れていた訳じゃないけど扱いに困るナチョは、道場の入り口すぐの板間に背負っていた大きな長方形の箱を置いて様子を窺っていて、目が合うとニカっと笑って手を振った。
メルはさりげなく<お客さん。皇国から来た、ナチョ。私の仲間、になる予定かな、>と紹介する。
「上がってもいいですか、師匠。俺は皇国の果ての島から来たイグナチオって言います。ナチョと言って、メルさんの仲間です。」
マードックは挨拶をしたナチョを頭の先から下駄の先まで確認すると、呆れたように小さく笑った。
「お主の師匠ではない。まずは足を清めて来い。メル、支度してやれ。」
泥だらけの足で道場に足を踏み入れるのは、掃除をしてくれているアオに対して失礼だもの。メルは深く頷いた。
<判った、じいちゃん。>
「レイラは上がってもいいぞ。」
「お言葉に甘えて。マードックさん、失礼します。」
靴を脱いで道場に上ったレイラに小さく手を振って、メルは中庭にある井戸の傍へとナチョを連れて行った。
※ ※ ※
「すまないな。世話をかける。」
<いいの、気にしないで。>
犬みたいなものだもの。
メルはこっそりと心の中で返事する。
<冷たくても我慢してね、>
「ああ、本当に、メルは言葉が通じないんだな、」
そっとメルの頭を撫でて、ナチョは訳知り顔で「大丈夫だ、判ってる、」と言った。
変なの、とメルは思ったけれど、聞き流すことにする。
マードックが飼っている犬たちは泥遊びが好きで、雨上がりの庭を走り回るのが好きだった。雨が止むと走り出て庭へと出ていってしまうので、泥だらけになった犬たちを洗ってやるのはメルとカイルの仕事だった。アオは一緒になって遊んでしまうので近寄らせない方が早く終わった。
懐かしいな。カイル兄さんは、今、どこにいるんだろう。
この空のどこかで、見上げていてくれるなら、私たちの空はつながっているのにな。
空を見上げても、鳥ひとつ飛んでいない。
私、踊り子見習いになったんだよ、兄さん。
兄さんは何の職業になったんだろう…。
父さんは風竜使いだって判ってるけど、カイル兄さんが何をやっているのか、はっきりと聞いていないわ。
道場の戸口の傍に置いたままになっていた樽を転がしてきて、椅子の代わりにナチョに勧める。タライを用意して、井戸からくみ上げた水でナチョの足を清めると、ぽつりと、「本当に、ここは違う未来だ、」とナチョが呟いた。
<ん?>
今、未来って言った?
ナチョを見上げると、しまった、という顔をしている。
<ねえ、もしかして、ナチョも…?>
未来を見たのはどの冒険者も同じなんだわ。だけど、それぞれが違う未来を見てきているはず。
「あ、メルもか、」
<そう。私も、>
1周目とは違う未来にメルは立っている。ナチョと、出会っていない。出会っている時点で、未来がすでに違う分岐を始めていると言えた。
足を布巾で拭いてあげて膝を伸ばして空中に待機させている間に、高下駄に水をそっとかけて、高下駄も清める。丁寧に高下駄を布巾で拭うと、水を軽く絞った。
「そうかみんな、あそこで勇者になると未来を見るんだな、」
当り前のことなのに、口にすると変な感じだわ。
今まで、勇者の誓いをすれば未来を体験するなんて一度も聞いたことなかった。頷いて、同感、と思いながらメルは微笑んだ。
ドラドリでのゲームスタートでは、1周目の未来なんて出てこなかった。職業が決まると、神殿から出て村人から簡単な説明を聞いて、仲間とさっそくレベル上げに彷徨う。
自分が冒険者になっても、そんな風に単なる通過地点として月の女神の神殿は存在するのだと思っていた。
<不思議。ここはまだ現実じゃないみたい。>
「そうだな、俺もそうだ。」
口に出しても夢物語だから、誰も、あの体験は黙ってるのかもしれない。
メルも同じだ。
死にかけた記憶なんて思い出したくないし、無様な様も語りたくない。追及されたくないメルは薄ら笑いを浮かべて、曖昧なまま言葉を濁して口を閉じた。
そっと、ナチョの足に下駄を履かせる。ナチョの足は大きくて、くっきりと下駄の鼻緒と地肌とに日焼けの差が出来ていた。
「ありがとう、すまなかったな。」
<ナチョはお客さんだし、これぐらいはするよ?>
犬の手足を洗うのよりは楽だったわ、と心の中で比較して、メルは小さく笑った。
犬を追いかけて捕まえて、笑いながらカイル兄さんと大騒ぎをしながら洗ってやっていた日々は、もうどこにもない。
来月には、ゲームが始まってしまう。
選べれるのなら、また、兄さんと修業した生活ができる未来に進みたい。父さんが『白波』酒場の親父をやって、母さんが名物女将をして、アオが自由に駆け回れる生活に戻りたい。
1周目の未来とは違う未来にいる私は、そういう未来が待っている道をきちんと選んでいきたい。
タライの汚水を流すと軽く洗って立てかけて片付け、布巾を洗い場まで持って行く。手洗い場で手を洗うと、そっと振り返って様子を窺った。ナチョは険しい顔で腕を組んでいて、考え事をしているのか、まだ座ったままだった。
私を待ってくれているの?
まさか、ね。
案外気持ちの優しい人かもしれないわ、と思いながら声をかけてみる。ナチョは言動が豪快で豪胆でちょっと図々しい印象の青年なのに、嫌味がなくて好ましいと思えていた。
<お待たせ。さ、行こうか、>
「気にするな、」
<あれ? ナチョ? 言葉が通じてる?>
ナチョとはほぼほぼ初対面なはずなのに、ナチョはメルが言葉が違うことを気にしていないのだと気が付いた。なんとなくだけど、意味も通じているような感覚がする。
手を差し伸ばした時の足の角度が爪先立ちになったのがきっかけで、その場でステップを踏みたくなった。
いかんいかん、突然舞い出すなんて。ここがいくらじいちゃんの道場で、言葉が通じないことに気後れしたりしない身内ばかりいる場所なのだとしても、ナチョは赤の他人だわ。
伸ばしたメルの手をナチョが取ろうとするのを、拒もうとしてくるりとその場で一回転してしまった。
引っ込みがつかなくなって、お辞儀して終わる頃には顔が真っ赤になっていた。
ああ、私、バレエを習いたての子供みたいなことをしてる!
羞恥の余り、爪先立ちのままメルはそそくさと逃げ出した。
「ああ…、メル、」
一瞬唖然とした後、ナチョは目を潤ませてメルを見て、「生きててくれて本当に良かった、」と涙声で言った。
ありがとうございました




