14 どんな試練も耐えてみせる
足早に先に行くマルソの寂しそうな背中を目で追いながら、フリッツは隣を歩くランスを見上げた。
「聞いてもよいか?」
「ええ。何なりと。」
やっと、話してくれる気になったのだろうか。
「何があったのだ? 私だけで朝食を取っていたのは、ナチョに関わっていたからか?」
「そうです。私たちは太陽が昇る前のまだ夜だと言えるような静寂に、ペトロス殿に異変を教えてもらいました。カークとビスターにはこの屋敷の周辺の探索を済ませた後に合流するように伝えて、一階で警備中だったキュリスと向かいました。」
カークが首を傾げながら会話に参加する。
「フリッツを起こさないように支度して私とビスターが周辺を見回って北東の塀を目指すと、緑色の巨大な木のような蔓に似た何かが何本も地中から生き物のように蠢きながら伸びていました。空中を駆け回るようにして蔓を切る少女と、蔓に捕まってしまいそうになっている男と、しきりに魔法で風を起こして少女の動きを止めようとしているペトロス殿に出くわしました。」
「私たちが駆けつけた時、ペトロス殿はお任せくださいとだけ言うばかりで、縄の準備をするしかありませんでした。」
ビスターは寂しそうに肩を竦めた。
「どうやってペトロス殿はそんなに早く移動できたのだ? 屋敷と、塀の間には距離があるのに、どうやって異変を伝えられたのだ?」
澄まし顔のランスに対して、カークは何度か目を瞬いて、「魔法です、」と答えてくれた。
「私たちは昨晩のうちにペトロス殿に魔法をかけてもらっていたのです。フリッツはイリオス殿の魔法にかかっていると聞いていましたから。」
「風属性の魔法のひとつに、離れていても相手の声ならなんでも拾う『王様の耳』という魔法があると言っていましたね。ペトロス殿は一度に大人数にかけるのは自分の技量では難しいので異変があれば一言だけ場所を告げる、とだけ言ってくれていたので、本当に『北東の塀』と聞こえてきた時には驚きました。」
聞いてみたかったな、とフリッツは思ったけれど我慢する。手首を撫でると、見えないけれど紐が結んであるのが判る。イリオスの魔法が聞いている証拠だ。イリオスにまで伝わってしまうのは困る。
「ペトロス殿が言うには、地中から伸びた蔓は、この土地を守る若い精霊なのだそうです。枠の中に侵入者があると、ペトロス殿の魔法が反応して、その精霊に狩りをしてもいいと伝える仕組みなのだとか。危険なのでは、と聞きましたら、この仕掛けは、森で狩りをするときに使う罠のようなものですと笑っていましたね。」
「あの木の枠にはそんな効力があるとは思いもよらなかったな、」とナチョを連れて後ろを歩いていたキュリスがしみじみと言う。
「ペトロス殿が蔓を切って切って切り刻む少女の人形の動きを魔法で封じ込めようとしていたのですが、すばしこっくてなかなか捕まりませんでした。援護しようにも策が無くて歯痒く思っていると、雨が降り出しました。雨に地面が濡れ始めると、いきなりナチョを捕まえるための蔓がどんどん増えてきました。」
雨は、このタイミングで降ったのか。フリッツは妙に感心した。まるで気候を操ったみたいだ、と思い付いて、まさかエドガー師か? と師がいるはずの屋敷の方へと目を向ける。
風水師でありエレメンタルマスターであるエドガーは、魔法で雨を降らせることができる。自身の魔力を消費しなくても、こんもりと手のひらに積み上がる程の量の魔石を彼は所持している。
「芝生が生えるように地中からつるがどんどん伸びて、ナチョを数で捕まえて、首や手首、関節と言ったあちこちに巻き付いていきました。ペトロス殿がそのままこちらに渡すようにと言っても、雨が降れば降る程蔓が伸びて、まるでペトロス殿の声を聴こうとしません。すっかり暴走し始めていました。」
「精霊はナチョをそのまま縊り殺そうとまで暴走し始めたので、私たちも剣を取って蔓を攻撃しようとした際、ペトロス殿が魔法をかけたのです。」
言葉を区切って、カークは視線を下に向けていた。
「ペトロス殿は、その雨を、凍らせて槍に変えました。精霊を攻撃し始めたのです。びっくりしました。」
しかも、気まずい思いを思い出したのか、口を曲げてうんざりした表情を作った。
「蔓は、ナチョに構うのを止めて戸惑ったように逃げまどい、かわいそうに、槍に変わった雨を避けるようにして蔓を地中に引っ込めてしまいました。」
「ナチョは空中を滑るようにして落ちて、人形が下敷きになって助かりましたが…、暴走を止めるためとはいえ、味方してくれていたはずの精霊を攻撃するなんて、味方を切り捨てるようでとても後味悪いですね。」
「ペトロス殿は弁解などしていたのか?」
「いいえ、何も。…そうですね、『草木の精霊は知恵を持ちません。猫よりは犬、犬よりはサル、サルよりは人間と、高等な生き物を取り込んだりすれば知性を学べますが、この子は私の血を少し与えただけです。やはりまだ思慮が浅いです、』と独り言のようなことを言っていたくらいですね。」
人間を取り込むのか、と絶句して、薔薇の木と同化してしまった神官を思い出した。彼が木を取り込んだのだから、知性が維持されたままだったのだな。
「ナチョを捕まえほっとしたのも束の間で、そこから苦戦しました。あいつ、最初のうちずっと、皇国語ばかり話して誤魔化そうとしたのです。ランスがしびれを切らして脅してやっとこの国の言葉を話し始めたのですが、話がいちいち長くて捗らずなかなか片付いて行きませんでした。」
「それでも判ったのは、ナチョはどうやら、アンシ・シで雨が降り魔香特別措置法が解除されたと同時にアークティカを出てこの街にやってきたようです。あの仲間だと言った商人たちとはアンシ・シで別れているようですね。この街までの移動には乗り合いの長距離馬車を利用したそうです。我々が王都へ入った数時間後に到着しているようですから、金を惜しまずにいい馬車に乗ったのでしょう。」
「つい昨日までは、王都で新しく知り合った仲間たちと相部屋で過ごしていたようです。殿下を利用して稼いだあの、からくり人形の芸を覚えていますか? あれ、すごく儲かったみたいですよ。似たようなことをやってものすごく儲けて、売り上げを仲間だと思っていた男たちにすっかり身包み剥がされて取られて、夜をずっと歩いて移動してここにやっと辿り着いたと言っていました。約束があるのだと門を守る離宮の騎士たちに正直に言えばよかったものを、あいつは騎士に恐れをなして塀を乗り越えるという愚行を選んだようです。」
「金を、巻き上げられたのか?」
フリッツが巻き込まれたからくり人形の芸の後、確かに観客の反応は良好で反響がすごかった。あの者たちがすべて投げ銭をしていたのなら、それなりの収入が得られていそうだ、と感心する。
「ナチョが言うには『そっくりまるっと、』だそうです。一応念のために王都の騎士団に連絡して、ナチョが言ったことが正しいのかどうか裏付けを取るようには伝えてあります。本当に騙されて身包み剥がされているのなら、由々しき事態ですから。」
「皇国の人間だろうとこの国の人間だろうと、朝市に店を出す以上この王都の騎士団の管轄なのだろう? 金を取り返してやるように手配してやってほしい。」
「ご心配なく。手配済みです。宿も手入れするようにと、離宮の執事に頼んで王都の騎士団と王城の騎士団に手紙を持たせました。」
胸に手を当ててお辞儀して、ランスがにこやかに微笑んだ。芝居がかっている仕草でも、ランスがすると気品があった。
「なにしろカークが戻ってくるのが遅かったので、てきぱきと処理しましたからね、」
キュリスが肩を竦めておどけた。
「ナチョは、どうなさるおつもりですか?」
カークはランスではなくフリッツに尋ねてきた。どう扱うかはランスしか知らない計画だ。私が決めていいのか?
ナチョは皇国の人間だ。騒動を起こさないならこの先もこの国での活動を認めてもいいとは思うけれど、ナチョの目的は確かミンクス領の月の女神の神殿に赴いて冒険者登録することだった。目的はある意味はっきりとしている。ただ、ナチョは冒険者となってもからくり人形に芸をさせて人を集めて小銭を稼ぐのだろうなとは思う。冒険者で名を挙げる、という性格には思えない。
どこの国の人間だろうと、門からではなく塀を乗り越え侵入した時点で、処罰は屋敷の主の判断に委ねられ、塀の外から離宮を守る騎士は介入しづらくなる。主であるクリスティーナが望めば、このまま国境警備隊に身柄を引き渡して皇国へ護送する処罰も考えられる。
ただ、ここに本物のクリスティーナがいるなら、の話だ。
ナチョの不幸と侵入は別の話、とフリッツは心の中で決める。
ランスが気が付いた『マルソが隠したい何か』を暴く為に、まずはナチョには役に立って貰う。
「カークは、どうしたい?」
「そうですね。フリッツが巻き込まれ体質なのはよく判っていますから、下手に関わると面倒です。あの者とはあらかじも距離を取った方がいいと思います。むやみに話など聞かずに国外追放が最良かなと思います。」
「随分な言われようだな、」
「一応ぼかした発言になるように注意したんですがね、」
冗談とも本気とも取れるカークの言葉は聞き流すことにする。
「ランスはどうするつもりだったのだ?」
話を振られたランスは、冷ややかな笑みを浮かべてフリッツを見ていた。
「計画を立てたってその通りになるとは限りません。現に、この旅が始まって以来、想定外の事ばかりが起こっています。何が起こるのか、ホント、普通な人間には荷が重い展開ですね。」
話をはぐらかしたな、とフリッツは思った。ランスは、マルソの反応を楽しんでいた。それと同じことを、オリガでやろうとしているのだろうか。
「もう一度、首実験でもするのか?」
今度は何を見つけようと言うのだろう。
「それもいいかもしれません。」
フリッツの問いかけをはぐらかしてそれ以上答えないまま、ランスは機嫌良さそうに黙ってしまった。
普通を口にする人間は普通なことなど考えてはいない。ランスが起こす影響を冷静に見極めるのだと、フリッツは心を引き締めた。
※ ※ ※
テラスを横切って裏口から屋敷の中に入ると、玄関ホールでは旅支度を整えたエドガー達が出発の準備をしていた。髪をまとめてすっきりとした表情のエドガーはマントを羽織ることなく、白いシャツのカフスボタンを留めながらタイをイリオスに直してもらっていた。
イリオスは貴族として正装しているのか、マントではなく深い紺色の礼服を着て身なりを整えている。
トランクの点検をするペトロスは光沢のある美しい深い緑色のマントを先ほどまでのシャツとズボン姿の上に羽織っていて、フリッツたちの姿を見つけると、慌てて立ち上がって姿勢を正した。どうやら着替える時間がないまま慌てて出立の支度をしているようだった。
「どうしたのですか? 予定よりも早い出発ではないのですか?」
ランスが執事長であるサーヴァを見つけて尋ねた。マルソは着替えに行ったのか姿が見えなかったけれど、オリガとドレノが、侍女として見送る使用人たちの列に紛れて並んでいた。お辞儀したあと一歩進み出て、サーヴァは「急ではありましたが、すぐにとの御出立をご希望されましたのでお支度をさせていただいております。幸い馬車に荷は既に積み込み終わっております。ペトロス様の朝食の御用意は車内でお召し上がりいただけるようにバスケットに詰めさせていただきました、」と卒なく返事していた。
「ランスフィールド殿、ご無礼をして申し訳ありません。私がここに戻りました時には既に、師が、急ぎの出発を希望されていたのです。」
ペトロスも会釈して弁明する。
「皆様もご予定があるでしょうに、勝手ばかりをして申し訳ないと仰っています。なんでも師は、星が通り過ぎた、と話されています。星見の術の影響みたいです。」
「星見の術、ですか?」
「はい、イリオス殿が教えてくださるには、師は早朝からご自身の魔力を使うことなく、魔石を使ってこの世界のすべてを天球図を起こしてご覧になっていたそうです。なんでも星見の術は、起動石を使うには必要な前準備だそうです。」
起動石という言葉に反応したのか、イリオスが<起動石での移動は遮断した未来を移動している。川の流れに浮かぶ船の上を飛んで渡るようなものだ。過去を観測して未来を予測しておかないと、移動地点にうまく移動できなくて大変な目に合ってしまう。無事に術を起動させるには当たり前な準備と言える、>と解説して胸を張る。
「星見の術に天球図。聞きなれない言葉ですが、風水師の使う魔法なのでしょうか?」
ランスとペトロスのやり取りをきいて、さらにイリオスは<雨が降るのだと予測できていたらその地点に移動する際、濡れない準備を出来ると思わないのだろうか? 魔法で天球図という異階層を作って、過去の星の動きや未来への時の流れからこの先に起こりうる出来事を予測するのが星見の術だ。まあ、魔法になじみのないこの国の人間にはない習慣かもしれないな、>と何故か得意そうに言った。
黙って様子を窺っているエドガーはフリッツをじっくりと見て、小さく頷いている。何か、含むものを感じる。
異階層という聞きなれない言葉も気になるけれど、その質問は本筋から逸れてしまうので、フリッツは黙って記憶に留めるだけにする。
「…イリオス殿はなんと?」
公国語に疎い者がいるのを前提で、敢えてランスはペトロスに言葉の意味を尋ねていると思えた。魔法使いであるペトロスが、公国の魔法使いたちの生活を魔法になじみがないフリッツたち王国の騎士やなじみがあっても謎が多い皇国出身者である使用人たちにそのまま伝えるのかそのつもりがあるのか、フリッツも気になる。
「占いのようなものです、と言っています。」
「そうですか、」
公国の魔法使いたちがどういう意味のある依頼でここにやってきているのかを、離宮に暮らす皇国出身の者たちにどこまで話すのか興味があるところだったけれど、ペトロスは伝えなかった。それでいい、とフリッツも思う。不用意な情報を部外者がいるところで詳しく話す必要などない。
ペトロスの通訳に納得したランスが深々とお辞儀して、胸に手を当てた。別れの挨拶だと気が付いた様子のエドガーは、咳ばらいをして身なりを整えてランスに向き合った。
「エドガー師、遥々遠い我が国まで来ていただいてありがとうございました。師に巡り合えたこと、教えを頂いたこと、いくら感謝しても足りません。」
<こちらこそ、貴公に会えて本当に良かったと思っている。危機を救って頂いたことも得難い経験となった。こちらこそ、とても感謝している。>
言葉が通じていないはずなのに、ふたりは心を通じ合わせて、目を見つめ合ってお辞儀し合って別れを惜しんでいた。気持ちがひとつになったのだと思うと、フリッツはとても尊い光景だなと思いながら目を細めていた。
<フリッツ殿、>
エドガーが、ランスの隣に立つフリッツに向かって手を差し伸べてきた。
<師として、あなたと再び会う日を心待ちにしておりますぞ。>
しっかりと手を握った手にお互いに手を重ねて、フリッツもエドガーの瞳を見つめた。慈愛に満ちた優しい光が、フリッツを見つめていた。
すっと、フリッツに身を寄せて、エドガーは耳元で囁いた。
<ライムンドは私と同じ、加護を受けた人間だ。彼は自分の作った作品には魔法をかけている。>
ぎょっとして身を強張らせたフリッツに、エドガーは<そのままで、>と牽制する。
<星とはあなたと同じ冒険者の星だ。あなたが天空の星の中心に輝く北極星なら、その星は予測のつかない箒星だ。3月の満月の頃、急に姿を消した箒星は突然また姿を現した。>
隠語としか思えない言葉に加えて訛りの強い公国語で囁かれると、いくら聞き耳を立てていても漏れ聞こえた言葉は理解できないだろうと思えた。
<観測とは、>
<ここには必要な機材がないのだ。残り香が残っているうちに観測しなくてはなりません。しばらく姿を消していたのに、あんなに凄まじい妖気を纏っているとは…! ああ、この先がなんと楽しみなのだろう!>
にっこりと微笑んだエドガーは、フリッツと改めと距離を取って向き合うと<魔石は、あなたの傍にあれば、あなたの魔力を吸うだろう。フリッツ殿、話をよく聞いて助けとなり、助けてもらうのですぞ、>と言い含めるように言った。
何のことだ?
<謎かけ、ですか?>
魔石に話しかけるのだろうか。
<幸運を。師としてあなたに会える日を楽しみにまっております、>
ニヤリと笑うと、エドガーはゆっくりとはっきりとした口調で告げると手を離した。
離れるや否や、イリオスがツカツカと近寄ってきて、フリッツの手を両手で包み込んで握って淡々と告げた。
<あと半日は守って差し上げられる。どんな冒険もどんな危険も気にしないでぶつかっていかれよ。>
<絶対にやらない。あなたを守らなくてはならない。>
<弟弟子なのに兄弟子に甘えないなんて、可愛くないですな。>
<イリオス殿、変わったのか?>
なんだかとっても、暑苦しい性格に変わった気がする。
<弟弟子のあなたには負けてばかりだ。私の得意な『忍耐』で勝とうと決めただけだ。どんな試練も耐えてみせるぞ?>
<では、あなたに勝つために、私は危険な目に合わないように気を付けよう。>
王賓である自分の立場を考えて忍耐されよ、と思ったフリッツが少しイラっとしながら答えると、エドガーがふふっと鼻で笑ってイリオスを見て<もうすでに負けておるのではないのかな、>と揶揄った。
イリオスの顔が赤くなった。堪えきれない顔でペトロスがぷっと噴出した。
言葉の判らない者たちには、フリッツたち王国の騎士と公国からの客人たちが楽しそうに話をして別れを惜しんでいるように見えるのだろう。使用人たちの穏やかな表情と和やかな雰囲気の中、イリオスとペトロスが荷物を手に開け放たれた玄関のドアに並ぶ前に向かうと、エドガーは立ち止まり振り返って優雅にお辞儀した。エドガー達を迎えに来た馬車を警護するための騎士たちが馬に乗って先導する馬車が、扉を開けて待っているのが背中越しに見えた。
<この国での良い思い出が出来ました。感謝いたします。皆様のご多幸をお祈りして。>
「またこの国にいらっしゃいます機会がありましたら、ぜひともお寄りください。使用人一同、喜んでお迎えいたします。師のお心は、わたくし共が主人にも伝えておきます。どうか、主人に代わってお見送りします失礼をお許しください。」
もしかして外部の人間が来る時はクリスティーナ役のマルソはいつも席を外しているのか? サーヴァの言葉の意味に気が付いたフリッツは、馬に乗る騎士の姿を見て思った。でも、使用人たちの中にオリガの姿を見つけて釈然としない。侍女姿とはいえ、オリガは他の使用人たちと格が違う印象で、同様に扱うには異質に思えた。目立つのではないのか?
視線を感じて視線の先に目を向けると、エドガーがフリッツを見ていた。オリガにも目をやって、小さく微笑んでいる。
「師はお喜びのご様子でした。奥様にも満足にご挨拶せず出立する非礼をお詫び申し上げていた、とお伝えしてください。ありがとうございました。」
ペトロスが要領よく話をまとめて感謝を伝えイリオスと共に深々とお辞儀して、イリオスとの間に道を開けてエドガーが先に出るのを待った。
去ろうとしたエドガーが、突然振り返った。
大きな声で、明るく言い放つ。
<最後になりましたが、オリガ殿、治療感謝いたします。あなたという素晴らしい人にこの世界でお会いできて、私は最高の幸運を噛みしめております。ありがとうございました、オリガ様!>
女神の言葉で告げられた言葉は、意味が判るフリッツにはもちろん言葉の違いが判る。様と殿とでは、格が違う。
ふと目を向ければ、使用人たちの中で顔色を変えたのは、執事長のサーヴァと侍女のオリガだけだった。
離宮を去っていくエドガー達を見送ったフリッツたちの前に、玄関のドアが閉まるのを待ってやっとマルソが現れた。服を着替えて、顔つきも毅然とした表情に変わっていた。
ランスやフリッツたち一行を残して使用人たちは自分の持ち場へと戻ろうとしていて、玄関ホールは人が入り乱れていて慌ただしい。人込みを縫ってマルソを見て近寄ったサーヴァが何かを伝えようとしたのを、マルソは手で制する。
「お待たせいたしました。すべてが整いました、」
「そのようですね。」
オリガとドレノとサーヴァを手招きして呼び寄せると、ランスが「行きましょうか。ちょうど役者は揃っていますからね、」と冷ややかな眼差しで提案した。
ありがとうございました




