11 私にお手をお預け願えませんか
ランスもストーイもフリッツも、お互いを探るように顔を見合わせた。
「殿下、水の精霊に名前の交換をしたお知り合いなどいらっしゃいますか?」
脳裏には、アオイが思い浮かんだけれど、リハマの話に出てきた公爵令嬢がアオイのことなら、魔力が無くなってしまっている彼女を呼び出すのが最適とは思えない。黙っていると、ランスは諦めたのかストーイに話を振った。
「ストーイ博士はいらっしゃいませんか?」
「見えませんからいません。魔力がありませんし、用事もありません。この国に生まれた以上、それが当たり前だと思って生きております。」
「確かにそうですね。私も、そういった相手はいません。」
「ふっふっふ。3人ともこの国の標準的な人間ですからね。」
困ってしまった3人を前に、リハマが「そろそろ始めようか。竜化が進むよ?」と促した。少しは落ち着いたのか、口調が先ほどよりは柔らかい。
エドガーだった竜が、グィイイギイィと呻きながら体を揺らして、湖面には波が起きている。
「水の精霊じゃなくてもいないのかい? 精霊憑きの魔石には名前のある精霊がついていたりするよね?」
アオイ。
フリッツの心の中に、藍色の髪の若く美しい令嬢が思い浮かんだ。
言葉にすると、会いたい思いが強くなる。
名前は、フリッツにだけよと言って教えてくれた。
この場で口にしていいのだろうか。
ランスが、表情の変化に感付いたのか、じっと、フリッツを見ていた。ストーイは興味深そうにフリッツたちを見比べている。
「石を手にして、心の中で叫べばいいよ。自分の本当の名前を唱えて、相手の名前を想って、会いたいと願うんだ。」
リハマはフリッツの心の中を見抜いたのか、ニヤリと笑って教えてくれた。
「殿下、」
「ああ、判ってる。」
「私の石も、お使いになりますか?」
「助かる。」
フリッツの開いた左手の上にある淡い水色のエレメア石の横に、ランスが自分の水晶を置いてくれた。
両手を合わせて包み込むようにして持つと、フリッツは瞳を閉じた。
瞳の奥に思い描くのは、最後に見た美しい微笑みだった。
フリードリヒ・レオニード・リュラーは、アオイに会いたい!
心の中で思いを告げると、手の中の石がぬるりとした感覚に濡れて、じんわりと熱くなって、やがて落ち着いた。
「おおおお!」
ストーイの驚愕する声に目を開けると、フリッツの目の前には大きな石の塊が立っていた。
石の塊はヒト型のようで、微笑んだ顔のままで固まっていた。優雅なドレスも繊細な描写で彫刻されていて、とても石像には見えない。両腕を緩く開いている穏やかな表情の姿は、若い女性が誰かを抱きしめようとして構えているように見えた。
顔の造形はアオイその人にしか見えない。
アオイを願ったのに、どうなっているんだ? アオイではなく石像を呼んでしまったのか?
召喚を失敗してしまったのだろうか。
「どうしたんです?」
「どういうことなんです、殿下、」
驚愕するストーイとランスの声に、言い訳も思い浮かばないフリッツは途方に暮れて沈黙してしまう。
リハマがやれやれとばかりに呆れたように言った。
「君は魔力を無くしたものを呼んだのか。まあいいよ、この竜から取り出した魔石をその手に置いておやりよ。石化してしまった精霊の魔力が回復するだろうからさ。」
「魔石の力を与えると、石化が解けるのですか?」
ストーイが驚愕したように尋ねている。「ああ、こんなに沢山のこと、私は覚えて帰れるのだろうか。紙が欲しい。何か書くものが欲しい。」
クスクスと笑いながら、リハマは竜の背中を撫でた。
「そうだよ。精霊は魔力が枯渇してしまったら、回復するために魔力を蓄えるんだ。石化したり、冬眠したり、何かに寄生したりもする。その為に、」と続きを言いかけて、身震いをして少し大きくなった震える竜からすいっと手を体の中に突っ込んで、魔石を掬い上げる。
「さあ、勝負だ。私は魔石を取り出し続ける。君たちは程よいあたりで『おやめください』と願うんだよ。いいかい?」
「畏まりました。」
フリッツはさっそく赤色に光る粒状の魔石を手に受け取り、石化したアオイの掌に乗せた。爪ほどの大きさのつるりとした楕円形の小粒の柘榴石だ。一見すると果物の種のように見えなくもない。
じんわりと風に揺らいだ光が、ほんのりと馴染んで消えていく。
石化した表面が微かに震えた気がした。
アオイの顔は石化していても美しくて、ストーイもランスも、もちろんフリッツも、見惚れてしまった。
※ ※ ※
「その石化した像の精霊を、君たちは知っているのか?」
竜の背中から手を突っ込んで掬い上げながら、リハマが尋ねてきた。一度にリハマが掬い上げる粒は数が知れていて、沢山ではなかった。掬い上げているというのに竜化が進んで大きくなっていくエドガーの姿が悔しくて、フリッツはどうしたらいいのか不安になりながらも、アオイの手に受け取った魔石を積み上げていくしか手段がなかった。
「一度だけですが、助けてもらいました。」
「会ったのは、それだけかい?」
「そうです、」
両手の上に乗らなくなった魔石を、手首にも置いてみる。視線を感じて顔を上げると、ランスがじっと、フリッツを見つめていた。
「どこで会ったんだい?」
「あれは…、」
クラウザー候の領地のアンシ・シの街の国境警備隊宿舎だ、と言いかけて、魔香事件にかかわる事象は極秘事項だったことを思い出す。ランスやリハマはともかく、ここには部外者となるストーイがいる。
「シャナ様の湖につながった水の中で出会いました。」
藍色の髪の美しい令嬢は、フリッツに手を預けてくれて、一緒に危険な道を歩いてくれた。
緑色の魔石を渡しながら、リハマがニヤニヤと笑った。
「精霊の名前を貰えるなんて、契約はしたのかい?」
「いいえ、していません。」
赤い瞳に色を変えたアオイと湖面に向かって上昇するうち逸れてしまった。あの時手を離さなければと後悔することはあっても、あの時契約しておけばよかったと思ったりはしなかった。
「契約の仕方を知らないのです。」
「精霊との契約は簡単だ。」
リハマはフリッツが魔石をアオイに飾るように置いているのを見ながら背中に手を突っ込んでいる。
「名前を交換し合って、お互いが自分だけが相手にとって特別だと感じられたら、手を取り合えばいい。何なら、抱き合ったっていい。」
「たった、それだけなのですか?」
「たったそれだけのことができないから苦労するんだよ? 気乗りしない相手に本当の名前なんて名乗らないし、特別なのだと意識させるなんて難しいし、嫌いな相手となんて手を握ったりもしない。そうだろ?」
「まるで結婚の申し込みのようですな、」
ストーイは頬を染めて顎を撫でた。同じように顎を触っていても、ランスは真面目に悩んでいる。
「では、召喚の魔法陣は何のために使うのですか?」
「道を作ってるんだよ。」
ストーイにフリッツに渡すはずの水色の魔石を渡して、リハマは肩を竦めた。
「魔石を置くのは誰が置いたっていい。君も手伝え。」
アオイを呼んだのは私なのだから私が置くものだ、と思っていたフリッツは、モヤモヤしつつ見守った。自分の大切な人が汚されてしまうような嫉妬心が沸き起こる。
「殿下、では失礼して。」
アオイの肩の上にちょこんと水宝玉をストーイが置くと、急に風に揺れて石は転がった。
「おや、姫は君は嫌だと言っているようだな。じゃあ、また君が置け。」
リハマはフリッツを顎をしゃくって呼んで、再び手に取りだした赤い魔石を置いてくれた。
赤い魔石を改めて肩に置きながら、大切なアオイに自分も特別だと選んでもらえたのだと思うと、内心誇らしく思う。
「召喚の魔法陣は、人間とこの世界のどこかにいる契約された者をつなぐ道なんだ。思いが強いと名前を口にしただけで呼び出せるけれど、なかなかそんな関係になったりはできないんだ。」
「それは、精霊王さまが祝福や加護をお与えになる関係と同じでしょうか。」
ランスがフリッツをじっと見た後、リハマを見つめた。
「僕の加護? あれが契約になるのか? うーん、呼び出されても行かないな。」
「どうしてですか?」
「僕の加護があるからと言って僕は隷属している訳じゃないからだよ?」
「隷属、ですか?」
きょとんとした顔になって、リハマはランスを見つめ返した。手にしていた黄色い魔石をフリッツに手渡すと、「そろそろかもね、」と肩を竦める。
キラキラと輝く魔石がアオイの掌、手首、腕、肩へとなぞる線の様に置かれていた。石化していても、この場に現れた時よりも、アオイの表情は若干和らいでいるように見えた。
「そうだよ。加護を与えただけだ。魔力を貰っている訳じゃないし、与えている訳でもない。だけど、僕は精霊王だ。誰とも対等なようでいて対等じゃない。でも、隷属もしていない。だから、行かない。」
「加護とは、死ににくくなるのではないのですか? 特別をお与えになるのでは?」
「あれは、僕のお気に入りの印をつけた人間に手を出したら僕が怒るって思われているからだろ? お気に入りだからってすべての面倒を見ている訳じゃないよ?」
リハマはおかしそうにフリッツを見た。
「王族なら、もしかして、君は僕に加護を貰いたいのかな? 」
試されている気がする。フリッツは背筋を伸ばして、小さく深呼吸した。何気ない質問の中に、王族としての在り方を問われている気がする。
竜化が進んでいるエドガーは、苦しみながらも暴れずに耐えている。話を聞いているかのように思えた。
「下さるのならいただきたいですが、今はその時ではない気がします。」
「それはどうして?」
フリッツに魔石を手渡しながらリハマは首を傾げた。
「目の前に精霊王である僕がいるんだよ?」
「目の前には、竜化しようとしている者もいます。石化してしまった精霊もいます。精霊王さまがこちらにいらっしゃったのは私に加護をお与えになるためではありません。」
いくら加護が貰いたくても、今この場で自分の願いを優先するのは人として間違っている気がして、貰いたいと思わなかった。
「私は、エドガー師の竜化を止めるためにここにいます。」
「そうか、」
石を取り出す手を止めて、リハマはフリッツを見つめた。
「まだおやめくださいと、言わないのかい?」
「言えません。」
「どうして?」
「あとどれくらいなのか判らないのもありますが、石化してしまった精霊に動きがありません。竜化してしまったエドガー師の体も変化がありません。」
リハマはフリッツたちの顔を見つめて首を傾けた。
「君たちは、あの竜化をどう思っている?」
「エドガー師を、人間に戻してあげたいです。」
「なら、あの石化した精霊は?」
「石化が解ければいいと思います。」
「なあ、これを見てどう思う?」
アオイの石化した体に置かれた魔石の輝きが無くなったものと新しいものとを交換して、フリッツは古い魔石をランスに手渡していた。
「こんなに沢山の石が出てきてもまだまだあの竜の中には魔石がある。異常だとは思わないのか。」
ぐっと、怒りを堪える。人間なのに、体内に石を飲み込ませられ続けていては、栄養なんか取れていないだろう。治療されていたはずではなかったのか? エドガー師の異変を、誰も気が付いていないのか?
「…思います。」
「誰がこんな非情を考えるんだ? 一度に飲み込むにも限度がある。一日や二日の量じゃないだろう。」
フリッツはランスたちと顔を見合わせて黙った。治癒師を派遣してくれたのは聖堂だ。聖堂が関わっているのなら、今回の迎賓館での滞在中も、クラウザー領での滞在中もずっと、エドガーは魔石を飲まされ続けていた計算になる。期間としては10日から15日と言ったところだけれど、石化したアオイの上に置かれた魔石は15個以上は余裕にある。
フリッツの手に握ったエレメア石も再び魔力が貯えられようとしている。
黒い靄の中にいるカークもドレノも、何も見えていないのかぼんやりと立っているだけだった。ドレノは何度かエドガーに付き添っていたはずだった。こんな状態なのだと知っていて何もしなかったのだろうか。
聞きたいことが山のようにある。知りたいことがどんどん出てくる。フリッツはギュッと、手を握る。エレメア石が、また少し、熱くなった気がした。
「ひとつ…、君たちに話をしようか、」
フリッツに魔石を渡しながら、リハマがにっこりと笑った。
「僕は公国が好きだ。人間の世界にいる時は、公国にある僕の神殿にいるのが一番長いくらい、公国の民が好きだ。僕の国だと思っている。竜はあまり見かけないけれど精霊も暮らしているし、魔力を持つ者が多いし、ほとんどの者が魔法が使える。だけど、どうしても理解できない一面もある。」
リハマから手渡されアオイに積み上げていく魔石は、とうとう頭の上にまで乗せる迄になってしまった。エドガーも、まだ竜化が解かれず大きいままだ。
ランスを見ても小さく首を振るばかりで、どこでやめるべきなのかフリッツには判らない。変化が見えない状況で、具体的な引き際を決めるのはやはり自分次第なのだろうと思う。
「先の大戦の頃を境に、公国ではおかしな風習が広まっている。魔力量を上げるために、魔石を子供に飲ませて魔力の暴走を引き起こしてしまい子供を死なせてしまう親が出始めている。ひとりやふたりじゃない。何人も子を死なせているのに、たった数人の運の良かった子供を成功例と崇め称える風潮がある。噂話を真実と信じて、自分の子供に無理をさせて殺してしまう親がいる。」
言葉を無くして黙るフリッツたちをじっと見て、「なあ、そんなに子供を殺したいのか? 魔力なんてなくたって、君たちは幸せに暮らしているよな?」とリハマは魔石を手に首を傾げた。
この国は、魔力がなくても暮らせる国ではあるけれど、魔物を退治する必要も現実としてある。
答えるのに躊躇うフリッツの顔を見て、リハマは「悪かったな、魔法が使えない者に聞く質問ではなかったな、」と寂しそうに笑った。
何と答えるのが最適だったのだろう。親の愛だとでも言うのが妥当だったのか、と考えたフリッツの腕に、ランスが触れた。
「殿下、惑わされてはいけません。お考えにならなくてはいけないことは別にあるはずです。」
囁く声はリハマも聞いていたようで、ニヤッと笑われてしまう。
優先して考えなくてはいけないのは、エドガーの竜化、アオイの石化…。
どうして、リハマはこんなに心を惑わせるような話ばかりするのだろう。
魔力量が見えないフリッツたちが賭けに集中しようとすると、リハマは集中力を削ぐ様な話ばかりしている気がする。
まるで、エドガーの進行を考えさせないように邪魔をしているみたいだ。
おやめくださいと言わせないなんて、すべてエドガーの体内から魔石を取り出したいからなのか?
ん? すべて石を取り除くと精霊化が再び始まる…?
手にしているほんのりと魔力の揺らめくエレメア石を見て、フリッツはランスの手の中にある石も見た。
もしも、考えている通りなのだとしたら、優先順位がはっきり決まる。
「火の精霊王リハマ様、お尋ねしたいことがあります。」
「なんだい? おやめくださいというのかい?」
「違います。この魔石も捧げてもいいでしょうか?」
手の中のエレメア石を見せる。エドガーの体の中から出てくる小さな粒の数倍大きなエレメア石は貯えられる魔力の量も多そうだ。
「私には魔法は使えませんが魔力があるようです。私の魔力をこの石に移して、魔石とすることは可能でしょうか?」
竜の傍から離れると、リハマは近寄ってくるなりフリッツの顎を掴んで瞳の中を覗き込んだ。体温の感じられない手は冷たくて痛くて、火の精霊王なのに熱くないのだと妙な発見をしてしまう。
「ああ、君は古い呪いの影響があるんだね。だから、君は魔法が使えないのか。ふうん。僕はてっきり風の魔法は君が使ったと思ってたんだよね。」
フリッツの顔を改めてまじまじと見たリハマは、フリッツの手の上の淡い水色のエレメア石を見つめると、パチンと指を鳴らした。
「君の魔力はその石に移したよ。君は魔力がなくても大丈夫だろうしね。必要ならまた戻してやってもいいよ。」
体に何の変化もなくて、フリッツは「ありがとうございます」と呟いて、アオイの左手の上に積まれた小粒な魔石の上に乗せた。揺らめくような輝きは蜃気楼のように小粒な魔石たちの色を空中に映し出している。
「これも置いてごらんよ、」
竜の傍に戻ったリハマがエドガーの背中から掬い出した石は、これまでと傾向が変わっていた。柔らかな桃色の石はモルガナイトで、形も、これまでの薬のような楕円な小粒ではなく、装飾品にでもそのまま使えそうな四角みを帯びた形だった。
「これは…、これまでのような薬の形とは違いますね、」
ほおぉと感嘆の声を上げながらストーイが見つめる中、ランスが尋ねた。
「これはこの男が、初めて好いた女に贈ろうとした宝石だ。恋に破れて、悲しみの余り飲み込んだ石だ。一番魔力が詰まっているようだから、使ってみろ。」
どうしてそんな事情を知っているんだろう、と思いながらも、フリッツは言われるままに愛を意味する石を受け取り、右手の小粒の宝石の上に置く。
ふんわりと、何かが湖面に落ちた。
「!」
アオイの、石化したはずの瞼から、薄い石の破片が剥がれ落ちた。
フリッツ、と声が聞こえた気がした。
この声は知っている。
目の前にいる石化した精霊の、アオイの声だ。
石化したアオイから剥がれ落ちていく石の破片は、アオイを包み込んでいた膜のようで、空気に触れると金色の粉に崩れて消えていった。
所々剥げ落ちてしまった石膏のように、内側から黒ずんだ生き物の干からびた肌が見えた。美しかったアオイは、美しくない姿を見せたくはなかったのだろう。それでもフリッツにとってはアオイでしかなくて、労わる様に広げた腕の、差し出した手の甲を包み込むように握る。石であるはずの手なのに、冷たい石ではないカサカサとした人の肌の手触りを感じて、フリッツはアオイの顔を見つめた。
この顔を覆う石の下には誰にも見せたくないとアオイが思う顔が隠されている。
魔力をそこまで使わせてしまったのは、私だ。
そんな風にしてしまったのは、私だ。
声が聞こえたなら、思いは伝えられるはず。
「おい、賭けはもういいのかい?」
クスクスと笑いながらリハマが魔石を一粒摘まんで見せた。
「私が続けます。」
ランスがフリッツの代わりに石を受け取ると、掌に溜めて持っている。
「殿下、お気になさらずに、」
すまない、と心の中で答えると、フリッツはそっと、アオイの手の甲を擦った。しわしわの手の甲は、あのなめらかで艶やかだったアオイのものとは思えない。
どんな状態になっていても、アオイは、アオイだ。フリッツは心を固めて、向き合った。
…アオイ?
声に出さないまま、名を呼んでみる。
…変な触り方しないでくださるかしら?
怒ったような、困ったような声が、やっぱり聞こえてくる。
…助けてほしいんだ。あの竜を、助けてあげたいんだ。
手首まで手を滑らせて、フリッツは石であるはずのアオイの手を触り続けた。手というには、しわがれた枯れ木のような手を、撫でる。
…フリッツは、いつからそんないやらしい殿方になったのかしら。
…アオイ、手を振り払わないのかい?
…手を振り払ってもいいの?
…でも、また私に手を預けてくれるんだろう?
アオイが笑った気がした。
…このまま、このまま眠っていてもいいかしら。
…もう十分だろ? ずっと、このままでいるつもりなのか、アオイ。
…そうね、あなたの顔も見たいし、動いてもいい頃合いね。フリッツ、私から離れて下さるかしら。
…判った。
フリッツが手を離すと、アオイだった石化した石像が空気に崩れていくかのように、あちこちから、石が、剥がれ落ちては消えていった。
アオイの手や手首、腕、肩、頭の上に積まれていた色とりどりの魔石が割れながら輝いて、皮膚に吸い込まれるように馴染んでいく。
赤や黄色、青色に、緑色、透明に、桃色…。
いつしか魔石が砕けて金色に輝く光の中に極彩色の輝きが混じって、藍色の髪には光を、滑らかな白い肌の上には光彩を落としている。
じっと立って瞳を閉じている令嬢は、ゆっくりと顔をあげてくれた。
「ほう…!」
ストーイの感嘆の声やランスの吐息が聞こえてくる。
フリッツも、瞳を閉じたアオイを見て、吐息を漏らした。
光り輝く色彩の中で、鮮やかに美しく青い瞳が、金色の魔力を煌めかせて、優しく、微笑みかけてくれていた。
瞬いた瞳は、まっすぐにフリッツを見ていた。
「フリッツ…!」
向けられた思いが嬉しくて、フリッツはアオイの足元に跪いて、手を差し伸ばした。
「美しい姫君、私にお手をお預け願えませんか、」
「よろしくってよ。」
フリッツと目を合わせて微笑んだアオイは、「何を助ければいいのかしら、」とおかしそうに微笑んだ。
ありがとうございました




