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9 お怒りの原因

 手にしていた宝石を剣先に滑らせたドレノを見てフリッツが立ち止まると、カークは振り返るなり大声で咎めた。

「何をしているんです、ドレノ!」

 カークの言葉を無視して、ドレノは玄関ホールの上部の吹き抜けに向かって剣を指して顔を上げた。カークの声が聞こえないのか、淡々と何かの呪文を唱えている。

 呪文?

 ドレノは魔法が使えるのか?

 ありえない。普通の人間だと聞いていたはずだ。

 動こうとしたカークをランスが毅然と押しとどめた。


<正しき道に正しき歩みを再び(もたら)せ、>

 

 剣に向かって上空から雷撃が走り落ちた。

 女神の言葉(マザー・タン)ではっきりと言ったドレノは、しっかりと、剣を構えたまま雷撃を受けた剣を固定している。

 剣を媒体に、空間を満たすように雷の道がビリビリと音を立てながら幾重にも枝分かれして走り抜けた。

 一斉に玄関ホールの空間の隅々まで走って消えた青い火花は、放電に似ていた。


 火花が消えるのと同時に縮れたような音も消えると、ドレノは「ふう」と一息ついて剣をさらりと鞘に納める。

 ぐったりと項垂れていた者たちが、目が覚めたように顔を上げ体を起こしてぼんやりとフリッツたちを見つめていた。


「ドレノ、何をしたんだ?」

「浄化の魔法ですか?」

 ヴェリコが驚いたように目を瞬かせながら尋ねた。

「『清流(ピュリフィケート)』です。苦しそうなので、この場の空気を浄化しました。」

 きょとんとしているドレノに、ストーイがさらに尋ねる。

「風属性の魔法…! あなたは退魔師ですか?」

 掴みかからんばかりの勢いのストーイを、カークとランスがドレノに近付けないように制する。

「この子は女だが王城の騎士だ。不敬だ。触るな、」

「ドレノは聖堂からの預かりものです。無遠慮な言動は慎んでください。」

「失礼しました。聖堂の剣士様ですか…!」

「魔力をお持ちなのですか? この国(スヴィルカーリャ)の人間で魔力を持って魔法も使える人間はとても珍しいです。」

 ランスとカークが二人がかりで牽制しても、ヴェリコとアルテスはドレノに興味津々といった様子で食いつき気味に質問する。確かに、女性で王城の騎士団の制服を着ているだけでも貴重な存在なのに、聖堂からの預かりものなら余計に興味が湧く存在だろう。フリッツとしても、ドレノが嫌がらないのなら聞いてみたい質問ではあるなと思った。

「聖堂の剣士なら使える浄化の技で、魔石さえあれば誰もが使えます。」

 石を指で摘まんでひらひらさせて、こともなげに澄ました顔のドレノは答えた。

「呆れた。さっき手渡した石をさっそく使ったのですか?」

「いけませんか?」

 驚き、輝きに満ちた眼差しで、ストーイが「さすが聖堂…!」と震えながら感激している。

「カーク、止せ。この迎賓館自体の空気が澄んだ気がする。妖気が静まったのならいいことではないか。」

「フリッツ…!」


「ドレノは、もしかしてずっと、できるのに隠していたのですか?」

 ランスが穏やかな口調で咎めるでもなく尋ねると、ドレノは素直に頷いた。


「隠していた訳ではありません。魔石が手元にないのでできませんでした。」

「あれば、やれたのですか?」

「あっても、やれたかどうかは判りません。能力を見せびらかすことは罪ですから。」

 同じ騎士団の制服を着ていても心は聖堂の剣士のままなのだな。目の前にいるというのに、フリッツはドレノを遠くに感じてしまった。

「ううむぅ…。」

 唸って黙ったランスの肩を押して、カークが「先を急ぎましょう」と急き立てた。「それはそれ、これはこれです。」


 魔石が使えるのなら、貴重な戦力として、使い道が他にあったかもしれない。

 魔力を持たない人間でも魔石で魔法が使えるのなら、武器として魔石を集めたかもしれない。

 魔石の使い方をドレノに習って使えるようになっていれば、もっと落ち着いて戦闘できたかもしれない。


 口に出してしまうと悔しい思いがさらに強くなりそうで、フリッツは黙った。ランスも同じだろうと思う。カークは、そんなドレノを軽蔑しているような気配すらする。

 階段を駆け上がりながらチラリと振り返ってドレノを見てみると、目を合わせたドレノは不思議そうな顔をしていた。どうしてみんなが動揺しているのか本気で判っていないと言った表情に、悪気はなかったんだろうなと思う。

 聖堂での剣士は誰でも使えるのなら、発動条件を知りたいと思う。余計に理屈が知りたいし、自分もできるようになりたい。

 手に握った魔石を開いて見て、フリッツは小さく溜め息をついた。


 ※ ※ ※


 階段を上ると二階はさらに酷い有様で、東側も西側も警備の兵士が紫色の顔をして床に倒れていただけではなく、仕事中だったであろう執事や侍女たちも廊下の壁に凭れ掛かってピクリとも動かなくなっていた。

「これは…、」

「魔石を持たないでいると、我々もこうなります。」

 淡々と言って、ストーイが東側の棟の入り口を指さした。ヴェリコの魔物探知機(ファンダー)が、眩しいばかりに光っている。大きな光の近くには、黒い渦と、パラパラと金色の粉が集まっているのが見えた。

「あちらに、います。」

「息苦しくないですか? 空気が重くなってきた気がしませんか。」

「私たちは石を身代わりにしているから、こんな状況でも歩けれるのでしょうね、」

 首元を触るカークの肩を叩いて、ランスが歩みを止めた。

「ストーイ博士、ヴェリコ博士、アルテス博士、これでもまだ、一緒に向かわれますか?」

 質問に、学者たちは戸惑いの表情を浮かべた。

「竜化しているのなら、この状態に、凶暴化した竜と戦うかもしれない可能性だってあるのですよ。それでもまだ、同行されますか?」

「我々は無理を強いたりはしない。援軍を待ってもいいのだ。」

 フリッツも、王族として責任を負う覚悟で提案してみる。

「ここで、救援を待ってもいいのですよ?」

 助け舟を出すような優しいランスの言葉にほっとした顔をしたアルテスを見て、ヴェリコは何か言いたそうな顔になって手にしている魔物探知機(ファンダー)に視線を落とした。

 ストーイはふたりを残して一歩踏み出して、「行きます」と宣言した。

「私は、どんな怪我を負っても事の次第を後世に残すという大義があります。死んでも本望です。」

「何を言ってるんです?」

 カークが不快そうに呟いた。「大儀ですか? 記録を残すことが? そんな無茶を言っている場合ではないのではありませんか?」

 フリッツは急に、父が熱心にストーイの著作を読んでいる様子を思い出した。彼の言う通りなら、役に立っていると言えるかもしれない。誰かが無理をしたから、残された者が真実にたどり着ける。

「止せ、カーク。ストーイ博士、身の安全は保障できない。それでもと言うのなら、くればいい。部屋に入って見た光景を書いてもそれはあなたの判断だから任せることにしよう。でも、その者の尊厳を失うような記述は止めて頂きたい。」

「殿下、」

 フリッツはランスとカーク、ドレノに向き合って頷くと、東側の奥へと向かって歩き出した。

「行こう、」

 気を取り直したカークがフリッツの横を歩く。振り返ると、ドレノの後にストーイがいて、ランスと何かを話している。ヴェリコとアルテスは、立ち止まったままだった。

 それでいい。妖気で生き物を殺そうとまで怒る精霊王が、この先には待っている。


 ※ ※ ※


 廊下を進むにつれ、どの部屋のドアも開けっ放しで、部屋の中には呻き声を上げることもできずに倒れている者ばかり見えた。一番奥の、東側南向き角の部屋だけドアが閉まっていたので、きっとこの部屋だろうと見当をつける。違ったのなら他の階だろう。

 同じように考えたのか、カークがランスとフリッツと無言で目を合わせると足音を忍ばせて小走りに走って行った。部屋のドアをそっと薄く開けて、中を覗き込むと、また静かに閉める。ドアの前でカークは、フリッツたちを振り返って、大きく頷いて、唇を動かした。この部屋だ、とでも言いたいのだろうなとフリッツは思った。

 フリッツたちが到着すると、カークが音を立てずにドアを開いた。ドアを開けた後、開いたドア板をノックして「失礼します、」と声をかけている。


「なんだ、遅かったじゃないか。僕、退屈でおかしくなりそうだった。入って入って。」


 この国の言葉だ。楽しそうな声が響いて、部屋の中に一歩足を踏み入れたフリッツは目の前の宙に浮いている男性が声の主だと理解するのにしばらく時間を要してしまった。

 部屋の中には、赤黒くも青黒くも妙な色合いに黒光るジャケットに白いズボンを履いた赤毛でオレンジ色の瞳をした美しい青年が足を組んでふわふわと宙に座って浮かんでいる。

 ベッドなどの大物の家具も何もかもが隣室との境となるドアを隠すように積み上げられていて、ふかふかとした柔らかな深緑色の絨毯の上に濃い臙脂色のマントをフードまでしっかり被った魔法使いが這いつくばって震えているだけで、他には誰もいなかった。

「なんだ、それだけなのかい。騎士ばっかりか。つまんないね。」

 クスクスと笑う青年はとても美しくて、とても透明感があった。美しければ美しいほど高い魔力を要した存在なのだと改めて思ったフリッツは、目の前の青年が精霊で、しかも精霊王なのだと実感する。

 水の精霊王シャナは女性だと聞いている。地の精霊王は、ダールといって、白い小さな老人だった。風の精霊王インテーオは先の大戦の影響で人間が嫌いだ。ならこの青年は、火の精霊王か? 怒っているのはなぜだ…? 風の精霊王だからか? 火の精霊王リハマが怒っているのか…?


「はじめてお目にかかります。精霊王さま。私はこの国(スヴィルカーリャ)の第一王子フリードリヒ・レオニード・リュラーと申します。」


 這いつくばる魔法使いがフリッツの声に顔をあげた。顔に巻かれた呪布には見覚えがあったので、やっと、彼はエドガーなのだとフリッツたちは気が付いた。イリオスやペトロスは、あのドアの向こうに軟禁されているのだろうか。エドガー師は頼れない。イリオスたちの魔法使いとしての能力を期待したのに。無意識に期待していた自分の浅はかな考えに恥ずかしくなり、頭を下げながらフリッツは唇を噛んだ。ランスやストーイが数歩前に出て、年長者としてフリッツを庇おうとしているのが判る。カークが、従者として条件反射的に身構えているのも判る。


「王族がこんなところにまで出向いてくるんだね。感心感心。僕はリハマ。堅苦しい挨拶はいいよ。僕、怒っている最中だから。そういうの、メンドクサイ。」


 怒っている自覚があるのか? と戸惑いながらフリッツは顔をあげて姿勢を正した。

 この屋敷にいる人間全員の命と、この場にいてフリッツを助けようとしてくれているランスやカーク、ドレノ、ストーイの命がかかっている。

 どうか機嫌をなおしていただきたい。

 丸腰だし、策もなければ術もない。でも、出来ることがきっとある。さっき退屈と言った。話し相手が欲しかったのか?

 そんなことでいいのなら、出来るかもしれない。フリッツは王族としてすべてを被るつもりで交渉すると心に決める。


「恐れながら申し上げます、火の精霊王リハマ様。」

 

「なんだい。僕は怒っていて何も話したくない気分なんだけど、仕方ない。君は王族だから話を聞こうか、」


 王族だからという言葉には引っかかったけれど、フリッツは感情を胸に仕舞って頭を下げる。

 火の精霊王リハマは博愛主義者なら公明正大を好むのだろうと見当をつける。名前を呼ぶのは刺激になる。回りくどい言い方をせずに単純に端的に行こうと方針を決めて話し始めた。


「お怒りを鎮めてはいただけないでしょうか。火の精霊王リハマさまのお怒りは、私たち人間にはとても重い罰のように感じられます。何故お怒りなのかを教えて頂ければ、私たちも対処できるかもしれません。どうか、お聞かせ下さい。」

 むすっとした顔になって、リハマは空中で足を組んだまま一回転した。

「出来っこないよ、僕が無理だったんだから。」

 面喰ったフリッツの傍で、ストーイが一歩前に踏み出し顔を上げた。「恐れながら申し上げます。」

「君は誰だい。王族じゃないよね?」

「失礼ながら申し上げます。この者は我が父でありこの国の王アルフォンズ・ジョナールの頭脳とも言える存在です。私の未熟を補ってくれます。どうか、発言をお許しください。」

「ふうん。発言を許すよ。」

「ありがとうございます。ストーイと申します。人間の世界では教授といって学問を教えている者です。」

「ふうん。その隣の者も顔をむずむずとさせているね。いいよ。君も話してみなよ。」

 指を差されたランスが、一礼した後「光栄です、」と言って、「ランスフィールド・ナーニエ・ディスカスと申します、フリードリヒ・レオニード殿下の教官をしております、」と改めてお辞儀した。フルネームで名乗るのは久しぶりではないのかとフリッツは思ったけれど、口に出さないで置いた。フリッツも、王都の王城の騎士団の騎士、という身分さえあれば、名前など名乗らなくても制服でどうにかなってきていた。

「そう仰らずにお話願えませんか。私たち人間の知恵でもお役に立てるかもしれません。」

「お話をされるだけでもすっきりとするかもしれません。」

 震えながら床で動きを殺しているエドガーの腰の上に胡坐をかいたまま乗って、リハマが小さく笑った。

「そうだなあ、君たちに理解できると良いね。」

「何なりとお申し付けください。」

「そうだなあ。」

 リハマはニヤリと笑った。

「僕の大切な人が、人間に唆されて竜の調伏のための演舞を覚えてしまった。」

「演舞、ですか?」

「そうだよ。踊り子が舞うだろう? 奉納の舞や剣舞。ああいうやつのことだよ。」


 ストーイとランスの表情が固くなった。

 フリッツは、リハマの怒りの原因に関係しているので怒りを宥めるための奉納の舞は逆効果だろうなと確信した。他に宥める手段を考える必要がある。


「そうですか…。その方は、演舞を覚えられて、どうなさったのですか?」

「人間と僕が見ている前で竜をヒト型に変えてしまったよ。技としては美しいかったけど、なんだかちょっと妬ましかった。」

「それが、お怒りの原因なのですか?」

「君はせっかちだねえ、」とリハマはストーイを指さして笑う。「そんな単純な話じゃないよ。」

 エドガーの竜化と何の関係があるのだろう。

「僕の大切な人はそいつと婚姻を結ぶ結果となった。これはまあ、めでたい話だと思う。僕も友人として祝福することにした。そこまでは我慢できた。」

 我慢がいるんだ、とフリッツは考えて悩ましく思う。どうにも博愛主義者というよりは我儘な印象がする。水の精霊王の評価と逆なのではなかろうか。

「問題はそいつだ。僕の大切な人が選んだ男だからまともだとは思うけれど、あいつが喜ぶのはなんだか悔しい。」

 リハマは真顔で腕を組んだ。

「だから、人間が精霊化すると僕たち精霊王は眷属になったお祝いに祝福を直接授けることになっているから、人間が精霊化しそうだと聞いてとっても嬉しく思ったんだ。氷雪が得意だって聞いていたから、水の精霊が誕生するんだろうなって。僕の大切な人が祝福をするためにあいつとの時間を中断するんだろうなって、楽しみにしていたんだ。なのに結果は、地竜たちが氷漬けにしてソローロ山脈の奥深くに連れ去ってしまった。」


 もしかすると氷雪の(プロフェッサー)教授(・フロスト)シクストが氷漬けになったことだろうか。魔法を使いすぎると精霊化もするんだな、とフリッツは心にしっかり刻み込む。


「次もまた精霊化するって知って、すごく楽しみにしてたんだよ。ま、それってこの男なんだけどね。この男の祖先が遠い昔石に閉じ込めてしまった公爵家の御令嬢を解放してくれたのは称賛に値するけれど、彼女は魔力をほとんどなくしてしまった。だから精霊化は良い見せしめにもなるはずだったんだけど、また邪魔が入ったんだよね、」


 公爵家の令嬢とは、菫青石(アウイナイト)に憑いていた精霊のアオイのことだろうか。だけど、ほとんど、魔力を無くした…? 


「邪魔とは、いったい何でしょうか?」

「邪魔は邪魔だよ。精霊化は魔力の枯渇と生命の魔力化による人間としての死が引き起こすから、魔力を供給し続けると満たされて正常値に戻る。この者はまんまと魔力を過剰に摂取し続けたおかげで精霊化せずに竜化することになったんだ。ね、迷惑だろう?」

「竜化するのが迷惑なのですか?」

「違うよ、精霊化しないことが迷惑で、竜化するのも、まあ、迷惑になるっちゃあなるんだよなあ…。竜化してくれると、あいつへの嫌がらせになるからなあ。」

 笑顔でリハマはフリッツを見た。笑っているのに、目が笑っていない。不気味な怖さがある。これは、怒り過ぎて笑いたくなったといった顔だろう。

「ですが、精霊王リハマさまは、お怒りなのですね?」


「そうだよ。ああ、腹が立つ!」


 そう言うなり、リハマは手を大きく振り払った。

 空中に炎が広がる。

 熱風に怯みそうになる。

 空中に、いくつもの火花が散って、いくつもの、黒い煤が舞う。


「なあ、人間て、どうしてこんなに愚かなんだい?」


 怒りが呼ぶ妖気は威圧感に似ていて、フリッツは波動なようなものを感じながら必死に動かずに耐えた。

ありがとうございました

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