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2 いつか、時が満ちたら

 フリッツが通されたのは迎賓館西側2階の南側の角の広々とした部屋で、調度品はすべて落ち着いた黄土色で統一されていて、床の茶色い絨毯と白地に淡い黄色の小花模様の壁紙とでとても品よくまとめられていた。カークとは別のひとり部屋という話で、フリッツを部屋に見送った後、あてがわれた隣の南向きの部屋へとカークは不服そうな顔で入っていった。

 荷物を運んでくれ案内をしてくれた執事たちは片付けをし終えると、フリッツのためにお茶の用意までしてくれた。

「支度が済み次第聖堂からきた治癒師(ヒーラー)が巡回に参りますから、寛いでお待ちください、」

 そう言ってお辞儀して立ち去るのを静かに見送ると、フリッツは急いで立ち上がると部屋に備え付けの執務机の引き出しを開けて、この国の紋章の透かしの入った便箋を手に取った。

 ランスからは、ここで明日から3日間検査と調査を受けるようです、と聞いていた。

 3日という期間は、実質3日目だけが重要なのだろうとフリッツは思っていた。

 今日という日が土曜日であるということを考えると、1日目は日曜日で王城の機能が停止するのも重なって、徹底した休養日となるのだろう。今日明日にかけて治癒師ヒーラーが王都中から集められて、王賓であるエドガー師を全力で回復させると思われた。と、同時に、フリッツたち一行の健康も診断され必要があれば治療されるのだろう。

 週が明けて月曜となった2日目は王城の機能が復活する。書類を整え万全の態勢で、エドガー師一行を王城に呼んでもてなし歓迎し労った後、公国(ヴィエルテ)への転移石の術を行うのだろう。

 3日目は全てが最良の状態であるという確認とともに、フリッツが王城へと戻る手続きがされるのだろう。フリッツたち一行は王城へ戻り、夜には満月を自室から望むことになるだろう…。

 漠然と全体の行程を考えて、自由になる時間は今日これからと、2日目である明日、迎賓館や国がエドガーたちにかかりきりになるだろう3日めの3日間だけだと判断した。

 フリッツ自身はここ数日の移動の際はずっと眠って過ごしたので、これといった疲労感もなく健康そのものだと感じていた。よって、治癒師(ヒーラー)に治療を理由に時間を拘束される可能性は低い。ランスはクラウザー領でしていたように雑務に追われる可能性が高く、自由が利くのはカーク、キュリス、ビスター、ドレノだ。二人一組で行動するようにと言われるのなら、フリッツはカークと組むだろうと予想を付ける。もともとフリッツ専属の従者であるカークは、まずフリッツをひとりにはさせないだろう。

 カークは私が行くところならどこにでもついてくる。ということは、カークがいてもいなくても、私は自分がしたいようにすればいい。私は3日間、王城ではないこの場所の特性を生かして自由に使える時間が出来たのだと思った方がいいだろう。部屋の外には兵の見張りがある気配もない。新人とはいえ、王城の騎士団の騎士として扱われている。

 椅子に座ると、別の引き出しから万年筆とインク壺を見つけ出して、心を落ち着かせて文を綴る。

 絶対に会える時間を持てるという妙な確信を胸に抱いて、フリッツは今一番会いたい人物へと手紙を書く。面会の希望を記した内容の末尾に書くのは王太子フリードリヒ・レオニードの名前で、印璽の代わりにサインを入れる。

 同じ文面で同じ内容の手紙を3通作ると、宛名を書き入れる。

 それぞれの宛名書きを終えると、フリッツは部屋を出て玄関ホールまで向かった。部屋の前には本当に見張りの兵士がいなかった。これは好機(チャンス)だ。

 背筋を伸ばし、新人騎士フリッツ・レオンとして公務であるかのように堂々と振る舞って、待機していた執事たちに大至急手紙を届けるようにと依頼した。

 何の疑いもなくそのまま出かけていく執事たちの姿を見送ると、フリッツは内心ほくそ笑みながら何食わぬ顔で部屋へと戻った。


 ※ ※ ※


 巡回にフリッツの部屋へとやってきた医師団は、警護の兵士、医師、治癒師(ヒーラー)、薬師、執事の5人編成だった。ソファアに座るフリッツを診察する医師と治癒師以外は、壁に控えて様子を見ている。魔香(イート・ミー)の影響がフリッツに残っていると自分たちも危険だという判断なのだろうなと察すると警戒する意識の差が愉快に思えてきて、フリッツはつい笑いそうになって顔を引き締めて我慢する。未知ゆえの誤解や思い込みからこうやって差別や偏見が起こるから魔香措置法が作られたのかもしれないなと思うと、噂話が独り歩きして状況が悪化する前に強制的に人工的に雨を降らせてすべてを水に流して浄化してしまう公国のやり方は乱暴だけれど正しいのかもしれないと思えてきた。

 ソファアに深く座っているフリッツを診察する医師は見慣れた王城の医師で、付き合いが長くて一目でお互いがどういう立場の人間なのかを理解できていた。傍に控えていた見たことのない顔の治癒師(ヒーラー)はぺこりと無言で頭を下げて挨拶をすると、数歩下がってフリッツと医師のやり取りを観察していた。

「あの者は、治癒師(ヒーラー)にしては若いのだな、」

 フリッツよりも同じか年下にしか見えない若い治癒師(ヒーラー)は夏向きなのか軽やかな素材の紫色のマントを羽織っていて、癖のある柔らかそうな茶金髪で背が低く、顔立ちも、明るい青い瞳が大きいのでとても幼く見えた。

「フリッツ殿、じっとしてください。」

 脈を測りながら、フリッツの本当の身分を知っている医師は、含み笑いをしながらフリッツと呼んでニヤニヤと笑う。

「すまん。治癒師(ヒーラー)に興味があったのだ。」

 ゾーイの印象があって、治癒師(ヒーラー)には悪い印象はない。どんな素性の者か興味がある。

「ビアは話せませんよ。公国(ヴィエルテ)の人間です。この部屋に来るまでは聖堂の通訳がいましたが、呼び出されたとかで帰ってしまいました。」

「それは残念だな。ではどうやって治癒するのだ?」

「私が指を差すと、患部を触っていましたね。通訳に言われなくても、自分の手で触ってどのように治癒するのかを判断しているようですよ。」

 医師がトントンと指でフリッツの腕の古傷を軽く叩くと、ビアが身を乗り出して見て、小さく頷いてまた数歩下がった。

「怪我なら一目で判るからやりやすい、という訳だな、」

「そのようですね。フリッツ殿は特に問題はありません。ご健康そのものです。」

「ありがたい。」

 何も不具合がないなら計画通り、多少強引にでもことを進めても大丈夫だろう。

 フリッツが口元をゆっくりと上げると、ビアと呼ばれた治癒師(ヒーラー)と目が合った。顔立ちが全く違うのに、どういう訳か、ゾーイに似ていると思えた。

<ビアは、この国へは、どうやって来たのだ?>

 公国(ヴィエルテ)語で尋ねたフリッツを驚いたように見つめて、治癒師(ヒーラー)は小さく咳払いをした。さりげなく居住まいを正すと、顎を引いてフリッツに向き合う。

<この国の言葉は不得手なのです。殿下、無礼をお許しください。>

 頭を下げてビアはフリッツの身分を言い当てた。

<どうして知っている?>

<私は聖堂の人間です。この国に入国する前に重要な人物の絵姿を覚えるように言われます。まさかと思い先ほどから観察させていただいておりました。>

 フリッツと公国(ヴィエルテ)語で会話するビアを見て驚いた顔をして、医師は小さな声で、「せいぜい治療するふりをしながら話しなさい。私はともかく、他の者はあなたの身分を知らない、」と提案した。

 すすっと跪くと、ビアはフリッツの手首を手に取り、擦るようにしながら、顔を上げた。

<聖堂には、長くいるのか?>

<いいえ。私は最近入ったばかりの、新入りです。リーダーと言って指導者がつくような…。>

<リーダーとは、通訳の者か?>

 新人騎士につく教官のような存在だろうか。なんだ、治癒師とはいえ、私と同じような立場のものか。そう思うと、フリッツは一気にビアに対して親近感が湧いてしまった。

<はい。リーダーは通訳として傍にいてくれましたが、所用で先に大聖堂へと帰ってしまいました。>

 はにかんで視線を落としたビアを観察していると、左手の薬指には、鉅の指輪が嵌っているのが見えた。

<冒険者、なのか?>

<はい、治癒師(ヒーラー)でもあり、冒険者でもあります。>

<聖堂には、冒険者が雇われているのか?>

 冒険者とは勇者の誓いをして民のために行動するのではないのか? もしかして、ビアは、いつかフリッツがミンクス候から聞いたような勇者を目指さない冒険者なのだろうか。

 フリッツの視線に黙ると、ビアはじっと天井を睨んで、やがて、フリッツの顔を見つめた。

<雇われてはいません。自分の意志で、聖堂にいます。>

 聖堂は人民の救済を掲げているけれど、信者以外には交換条件を出して治癒師や武力を提供する為、ある意味私利私欲の団体とも言えた。雇い主が民間か聖堂かなだけで、やっていることは傭兵だろう?と思うと、フリッツにはどうしてそのような判断をしているのか理由を知りたいと思えてしまう。

<信仰心から、救済を行っているのか?>

<違います。>

<なぜか、理由を聞いてもいいか、>

 ビアは目を細めて、<いつか、時が満ちたら、>と言うなり立ち上がって、頭を下げて、騎士たちの元へと行ってしまう。

「殿下、フラれましたな、」

 小さく笑って、医師がフリッツの顔を見た。

 フラれる?

「あの者は男ではないのか?」

「違いますよ、どう見たって女性の骨格をしているでしょう?」

「マントのどこをどう見たらそう思えるのだ?」

 フリッツの呟きをニヤリと笑って、医師は「まだまだ殿下も経験が足りませんね、」と返して、騎士たちへ向かって、「健康そのものです。特に問題はありません、」と大きな声で報告する。

「では、殿下、ごきげんよう、」

 ぺこりと会釈して部屋を出ていった医師たちを見送って、フリッツは支度を整えて出かけることにする。面会を希望した全員と会えるとは思っていない。でも、自分の名前の価値を知っている。

 健康だとお墨付きを得たのだ。自由に行動できるのだから、一分一秒が惜しい。一刻でも早く、ここを出て向かいたい場所がある。

 騎士の格好をして街中をうろつくのは人目を惹くけれど、逆に、人目を引いた方が危険を回避できる。

 フリッツが向かおうとしているのは、迎賓館から一番近い水竜王の神殿だった。

 無事に帰ってこれたのはもちろん喜ばしいことだけれど、今回の旅での一番の心残りは加護が得られなかったことだった。王都にある神殿で加護を祝福を得るのは無理だろうと判っている。それでも、無人とはいえ水竜王の神殿を面会場所に選んでいた。水竜王は山奥の地底湖にある水竜王の神殿にこもりきりだと聞いていても、迎賓館から一番近い竜王の神殿なのでせめて見ておきたいという衝動に負けてしまった。面会を希望した3人が揃うのが望ましいけれど、誰も来なかった場合、水竜王に会える日を願って参拝だけでもして帰ってこようと考えていた。


 部屋を出て、北側にあるキュリスとビスターの部屋をちらりと見た後、カークの部屋の前を素通りする。気が付かないのなら、そのまま気が付かないでくれ。心の中で願って、フリッツは速足で歩いた。別の階にいるランスやドレノの行動は判らないけれど、気にしている場合じゃない。自然な素振りで廊下を静かに早く歩いて、フリッツは玄関ホールへと向かった。


 玄関ホールにはフリッツと同じ、王都の王城の騎士団の制服の後姿が見えた。迎賓館を取り仕切る執事長を前に何かを説明しているかの様子だった。

 ああ、見つかってしまったか。がっかりとしたフリッツは、覚悟を決めて顎を引いた。改めて出直そう。部屋に戻ろうかと引き換えしかけた瞬間、手招きをしてキュリスがフリッツを呼んだ。

「やあ、フリッツ。遅かったですね、」

 制服姿のキュリス、ビスター、ドレノ、カーク、それにランスは、最後にやってきたフリッツを見て、「揃いましたから出かけようと思います。心配はありません、医師団のお墨付きがあります、」と言い切って、堂々と迎賓館を後にした。

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