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1 私の価値

 メルが目を覚ましたのは、見たことのない部屋だった。メルの部屋が3つ4つ入りそうな大きな部屋で、天井も高く、寒々しいまでに澄み切った清い空気が部屋の中には満ちていた。水色の壁に水色の天井、床は深い青色…。


 水色の肌触りのいいシーツをどけると、メルは自分が下着姿で、まともに外を歩けるような衣服を着ていないと気が付いた。あちこちには手当の跡があって、包帯が巻かれていた。

 試しに腕に巻かれた包帯を恐る恐る巻き取ってみれば、もうすっかり塞いでしまっているけれど、昨日お風呂に入った時にはなかった傷があった。もう一度包帯を巻きなおして記憶の中の自分の腕の状態と比較してみる。月の女神の神殿の裏手の雑木林でシンと出会った時にできた傷とはまた違っていて、昨日の戦闘でいつの間にかに負ったのだろうなと納得した。あの鎖かな、と思ったりして、どうしてここにいるのだろうと思ったりもする。


「ここはいったいどこ、私の服は、カイル兄さんの鉄扇はどこに行ったのだろう。」

 声は出る。頭も、しっかり働く。問題は、ここの記憶がないことぐらいだろう。

 だいたい、ここへはどうやって来たのだろう。メルは不思議に思いながら、床に揃えられて置かれていた淡い水色のルームシューズに足を入れた。サイズはぴったりで、まるでメルのために用意したかのような誂えだった。

 窓があったので外の景色を見に行くと、まるで水槽のように魚が泳いでいる様子が見えた。

 あれは鯉…。

 見上げれば、空ではなく、波打つ湖面が見えた。ぼんやりと、日の光で輝いている。風船のように糸を引いた丸い形や楕円形の葉が見える。もしかして、水草の葉?

 どっちにしても、かなり深そう…。淡水にすむ魚ということは、これは湖の底なんだろうな、とメルは知識を総動員して考える。湖の底にあって生活ができる場所で思いつくのは、ゲーム内だと、水の精霊王の神殿が当てはまるのかなと思う。


 ドラドリのゲームと条件は同じで、メルの住む世界は4人の女神と4人の精霊王と4匹の竜王の叡智でできているとされている。水の精霊王は世界を作った一人とされていた。

 ゲームでは後半部分に登場するイベントのひとつで、水の精霊王に関わるものがあった。

 勇者たち一行は、山奥の水竜の棲む湖から地底湖を経てつながる洞窟を抜けて到着し、水の精霊王と水竜の王の諍いに遭遇する。丁寧に話を聞いて水の精霊王に味方し水竜王を懲らしめ水の精霊王に屈服させると、水の精霊王と水竜の王は心の内をさらけ出し合って素直に伝えられなかった思いを打ち明け合い勇者たちに立ち会われて結婚する。その際に水の精霊王から褒美として祝福を受けると、魔法使いである公女は上級の水系魔法を使えるようになるのだ。


 まるで水の底にある水の精霊王の神殿そのものみたい。物語がまだ始まっていない段階でここに来るとは思わなかったな…。湖面を見上げながらメルは思い、現段階でここにいるのは水の精霊王のシャナだけなのかなと思う。

 ゲームで見たシャナは寡黙で妖艶な美女でセイレーンよりも美しく、精霊王というだけあって圧倒的な魔力を持っている。

「とりあえず、何か服が着たいな…、」

 肌寒くはないけれど、着ていた服が気になってしまう。自分の服を着て外へ出て、地上へと帰りたい。

 メルが泳ぐ魚を見ながら考え無意識に呟いていると、隣に立った女性が「そうね、それがいいと思うわ、」と相槌を打った。

「え?」

 ぱっと振り返ると、メルの隣には白銀髪で独特のとんがった形の耳を持つ、青い瞳をした白い肌の卵型の小さな美しい顔に美しい容姿の女性が、体の線がはっきりとわかる青い輝くような細身のドレスを着て佇んでいた。


 シャナ本人だ。


「えっと? もしかして、水の精霊王様ですか?」

 メルよりも少し背が高くて、出るところは出ていて細い腰をしたシャナは、人間でいうところの20代前半と言った雰囲気な容姿に見えた。

 思わず声をかけてしまってから、メルは慌てて合わせていた視線をさりげなく逸らして、メルは瞳を伏せた。

「失礼しました。お許しください。」

 貴族や王族は庶民が視線を合わせると激高する、とメルは町人として生きてきた中で知っている。ここでは頼りになるのは自分一人しかいない。精霊王である目の前の女性から怒りを無駄に買いたくはなかった。


 ふっと微笑んだ気配がする。

「もう起きて大丈夫なのね、」


「はい、」

 大丈夫です、と言いかけて、この人が治療をしてくれたのだとメルは悟った。

 ドラドリの中の設定では、水の精霊王は生きとし生ける者の『流れ』を把握している治癒師ヒーラーとしても活躍していたと記憶していた。

「治療して下さり、ありがとうございました。」


 ぺこりとお辞儀したメルを、水の精霊王シャナは、小さく口元を綻ばせ多跡、しげしげと見つめた。

「あなたは男に分かれる前の、未分化な子供ではないのね。」


 未分化…、確か精霊の子供は中性で、成人する頃に男か女かがはっきりするんだったよね、とメルはぼんやりと言葉の意味を考えて、人間だから生まれつき性別があるけど、そういうのってご存じないのかなと少しだけ不思議に思う。沢山いる生き物の中で人間が特殊なのだとは思えなかった。

「はい、子供でも、ちゃんとした女の子です。メルと言います。」

 何が命取りになるのか判らない。メルは姿勢を正してからお辞儀をする。水の精霊王に対して振る舞いは慎重にしなくてはいけないと思えた。

 自分の在り方次第で客人としてのメルの価値は変わるだろう。足元を見られるような振る舞いをしたらこの先の扱いが変わる気がしていた。

 生きてここから帰りたい。逃げ出したいくらいに怖いけど、うまくやり過ごしたい。街は、火事は鎮火したのだろうか。母さんやアオは無事なのだろうか。カイル兄さんや父さんは、無事に帰れたのだろうか。


「ええ、私はシャナというの。あなたはシンの新しい恋人?」


 シン? どうしてその名を?


「違います。私はメルという、人間の子供です。まだ成人もしてませんから、恋人でもありません。」

 はっきりとした声で明確に答えて、メルはこっそり思う。シンはどう見ても成人しているだろう。成人した相手が子供の私に望む関係は友人未満であってほしい。


「あら、あなた、面白いわね、」

 クスクスとシャナは顎を引いて笑って、上目遣いにメルの瞳を覗き込んだ。

「その短い髪も、とっても似合っているし、とっても物語を感じるわ。ねえ、シンがあなたを連れてきたのよ、」


「え…、」

 私は竜に鷲掴みにされていたと思ったけど、どうやって…? まさか、また助けてくれたの?

 メルは戸惑って、視線をキョロキョロと動かした。シンはここにいるのだろうか。ここにいるのはシャナと、部屋の入口に控えている肌の青い侍女らしきものたちだけだった。


「私を見なさい。メル。目を逸らしてはダメよ。いい? あなたは私にとっては対等なお客様なの。」

 命令にメルは戸惑いながらシャナを見つめ返した。

「シンはああ見えて一途なの。前の恋人にフラれてからずっと、独り身だったわ。やっといい人を捕まえたのかと思ったけれど、違うのね。」


「ええ、違います。」

 助けてくれたのは感謝するけど、メルはあんなひどい男と恋人になんて絶対にならないと思った。助けてくれたことには感謝できても、ここへ連れてきてくれた意図もよく判らない。

 全く説明がないまま自分は姿を見せないなんて…!

 シンのメルへの扱いはとても雑だと思う。


「ねえあなた、着替えを用意してあげるから、着替えたらお茶にしましょう。せっかくのお客様なんだから、もっと楽しませてもらわなくっちゃ。」

 シャナが踊るようにパンパンと手を叩くと、メルの体に向かって魚の鱗のような小さなキラキラしたものが集まってきた。

「あなたはとっても清らかな香りがするわ、そうね、シンの香りもするけれどそれよりももっといい匂い。秘密の匂いがするわ…、」


 また『秘密』。シンやシャナの言う秘密って何のことだろう。メルはちょっと眉を潜ませた。

 前世の記憶のことだろうか。ゲームの先のシナリオを知っていることだろうか。どっちにしても迂闊に話していいことには思えない。


 シャナはにっこりと微笑むとパチンと指を鳴らした。美しいシャナの微笑みを見ているうちに、メルは綺麗な濃紺のワンピースを着させられていた。首回りが広く開いていて、裾は漣を感じさせるような白いスカラップレースで縁取られていた。

 魔法が服を作ったのだろうか。これって服よね? とメルは何度も瞬きした。

 

「とっても素敵よ、メル、行きましょう、」

 メルは手を引っ張られるようにして歩いてシャナの後を急ぎ足でついて歩いた。シャナの手は少し冷たい。

 水色の部屋を出て、天井も床も壁も青色の廊下を歩いて、どんどんと奥まった方角へと歩いて行く。

「どこへ行くのですか?」

「この神殿で一番美しいところ。私の一番好きなところ。」


 何階か分の階段を一緒に上った一番先にあったのは、透明な半円状の天井で覆われた屋上だった。白いタイルで床は覆われていて、白いテーブルと椅子が4脚あり、黄緑色の球形の実をいくつも成らせた木が角の四隅にある大きな花瓶に活けられていて、シャナはその空間の真ん中に立つと、「さあ、座って、」と手招きしてメルを呼んだ。


 ※ ※ ※


 席に着いたメルとシャナのために、お茶の用意と焼き菓子を乗せたカートを押した肌の青い侍女たちが現れて静々と給仕をしてくれた。誰もが白い長いロングドレスのような侍女服を着ていて、頭には白い頭巾を被っていた。顔が隠れているので表情が読めないけれど、メルのことを嫌っている様子はないのはなんとなく伝わってきた。

「この者たちにはあなたの世話をするように言いつけてあるから、後で面倒を見てもらってね。」

 シャナが指をさして「あの子がペスラ、その隣がスティよ。二人とも治癒が使えるからあなたの傷も治してくれると思うわ、」と微笑む。

「ありがとうござます。よろしくお願いします。」

 ぺこりとお辞儀したメルに、ペスラとスティと呼ばれた美しい侍女二人は小さく微笑んで会釈してくれた。

「あなたをこのまま精霊の国に連れて行ってもいいのだけれど、この神殿の道順はしばらくあっちを回らないの。だからごめんね、」

 シャナの言葉に、メルは神殿の道順って何だろうと思ったけれど、聞き流してしまった。

「さ、どうぞ、冷めないうちに。」

 勧められて、こんなところで飲むお茶って何味なのかなと思いながらメルがカップに注がれた液体を見ると、見慣れた紅茶の色をしていて香りも紅茶そのものだった。手に取った焼き菓子も街の菓子屋で売っているような上質の焼き菓子で、ほんのりとバターと砂糖の甘い香りがする。

「大丈夫よ、食べても。ここは無垢の里じゃないから。」

「ありがとうございます。」

「安心してたくさん食べて。」

 小さく笑ってシャナは紅茶を啜り、手に取った焼き菓子を食べる。


「シャナ様、伺ってもいいですか? 無垢の里ってどこですか?」

 ゲームにはそんな場所は出てこなかった。ゲームのシナリオとは別の流れがこの世界には存在しているのだろうか。メルは注意深くシャナを見つめた。


「あなたはそこから来たんじゃないの? あそこにはシンの隠れ家がいくつかあるもの。」

「いいえ、地上の、領都マルクトの近くの街から来たのだと思います。」

 メルは用心して自分の住む街の名前を告げなかった。とっさに、バレてはいけないと思ってしまった。

「無垢の里のこと、よくご存じなのですか?」

 精霊の国は聞いたことがあっても、無垢の里は初めて聞いた。メルは様子を伺いつつシャナに尋ねてみた。

「あの里は…、現世(うつしよ)と精霊の世界の狭間にあるの。この神殿みたいに現世に紛れ込んだ異空間ではなくて、どっちでもない世界よ。死ねない世界とでもいうのが正しいのかしら。あの里で何かを食べると、あの里に縛られてしまうわ。」


 まるで黄泉の国みたい、と思い、メルは日本的すぎるかな、と自分の思い付きを否定した。この世界には黄泉の国はないけれど、4人の女神のうちの1人の女神が治める煉獄という死後の世界がある。

「そんな大変なところに、あの人は隠れ家を持っているのですか?」


「ええ、大変なところだから、そうそう追いかけてこないでしょう? 水も飲めないような世界になんて、巻き込まれては困るもの。」


 絶対に何も食べないと誓わないといけないような場所に家を持ちたいなんて変わってるわね、とメルは思い、手元にある紅茶や焼き菓子を改めてみた。紅茶はどう見ても普通に上質な茶葉の良い香りがする。


「フフ、メルったら警戒しちゃったのね。ここは違うわ。大丈夫、安心して。私の神殿に供えられる極上品だから。神官たちが上質なものを捧げてくれているのよ、」

 シャナは二つ目の焼き菓子を手に取った。

 メルも真似をして恐る恐る焼き菓子を手に取り、食べようとした瞬間、シャナがさりげないふりで、メルに尋ねた。

「ねえ、あなたはとっても奇妙な人間なの。どうして私が水の精霊王だってわかったの?」


 メルはきょとんとした。

「どうしてって、シャナ様は、水の精霊王様でしょう?」

 メルはゲームのキャラクターに商品名のように表示された登場人物名と肩書を脳裏に思い出しながら答えた。この世界はゲームの世界と同じだもの、同じ名前と肩書でしょう、と念を押しかけて、はっと我に返る。


「私は人間の前にこの姿で姿を現したことなどないわ。魔力の無い人間には私は水色の光の塊に見えているはず。初対面なはずなのに私を認識できて、どうして私が水の精霊王だと判るのかしら。」


 シャナの青い瞳がメルをしっかりと見つめている。言われてみれば、メルが生きてきた中で、精霊王とされる存在を記した書物に描かれているものは、暗い背景の中に丸い発光物のような何か、といった表現で描かれていて具体的な描写は誤魔化されてきている。

 ゲームとは違って、人間のメルには光の玉に見えているはずだ。ヒト型と認識できて初めて、誰なのかを判別できる…。

 しまった、と気が付いたメルは、動揺を隠しながら冷静に考える。

 人間を両親に持つメルは魔力は持っていないはずだった。ならどうして、と記憶を遡っているうちに、シンに2度もキスをされたからだ、と思い付いた。きっと印をつけられてしまった。考えたくないけれど、私はシンのものだという加護に近い印だと思う。口から花嵐を拭く魔法は、きっと貸与だわ…。

 一般論として(あやかし)に魅入られると印を付けられたり能力の貸与があると聞いたことはあったけれど、いざ自分がその対象となると実感が湧かない。

 シンは妖、という再確認をして、複雑な気分になった。


「私の姿を認識できているということは、魔力を持っているのでしょう。でも魔力を持っていても、相手が誰なのかを言い当てるのは難しいのではなくて?」


 メルは黙って、シャナの顔を見つめ直した。

 シャナがシャナであると知る理由…。

 ゲームで見た、なんて理由にはならない。


「シンがあなたを連れてきた時、あなたは怪我をしていたわ。シンがさせた怪我ではないみたい。シンは私の友人ではあるけれど、あなたのことはただの客人だと思っているわ。とっても胡乱な客人。あなたの返答次第では、私はあなたを『助からなかった』と告げてこのままこの湖の底から捨ててしまうこともできるのよ。」

 シャナの瞳が怪しく光る。


 目の前の、精霊王と呼ばれるほどの存在を納得させられる何かを提示しなくては…! 

 何か、うまく考えなくては。

 生きて、ここから帰れるように、この場を切り抜けなくては。


「脅し、ですか?」


「そうね、でも、あなたの方が私には脅威だわ。初対面なのに、人間なのに、私のことを知っているのだもの。」


 メルは冷静なふりをして、時間を稼ごうと紅茶を口に含みながら考えた。

 前世のことは話せない。この世界がゲームだということも、話すべきではない。

 ゲームのイベントとして水の精霊王が水竜王と結婚するなんて、この先の未来を変えるようなことを告げてもいけない。

 だからと言って、このまま湖の底に捨てられるのも困る、どうしよう…。


 シャナは黙ってメルを見つめていた。美しい顔が無表情になるととても怖いのだとメルは実感する…。


「私は…、」


 鋭い視線と無言の重圧に耐え切れなくなったメルが口を開こうとした時、天井のドームに何かが体当たりする影が見えた。

 ドオオォォン、ドオオオォン、と何度も繰り返す姿はどう見ても竜で、鋭い黄色の瞳と水色っぽい銀色の固い鱗で覆われた美しい竜の姿をメルは前世に見たことがあった。

 ゲームで見た姿とまるで同じだわ…。

 メルは思わず「水竜王のマルケヴェス…、」と呟いてしまった。

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