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7 この子を助けたい

 マントをしっかりと着たメルが先に馬の鞍を跨ぐと、手綱を捕まえていてくれた傭兵の一人が「いいぞ、」と低くファーシィに声をかけた。

 ファーシィはやっぱり自力で乗れないようでもたもたとしていたので、レーマンたちが掛け声をかけて無理やり馬上に押し上げてくれた。緊張して固まっているのか、ファーシィはメルの腰をしっかり抱きしめている。

 こりゃ、馬自体、初めて乗るんじゃないのかな。メルは苦笑いをして、落とさないように走るだけだわ、と覚悟を決めた。

 何か呪文を唱えて光り始めた指で、ファーシィはメルの肩に手を乗せた。内緒話なのかと耳を寄せると、どういう訳かファーシィはメルの耳朶を摘まみ、自分の右耳も同じようにして摘まむと「これで良し、」と微笑んだ。じんわりと、耳が熱くなる。

<今のは何? ファーシィ。>

 ファーシィは口をパクパクとさせた後、囁くように唇を動かした。「聞こえる? メル。聞こえたら頷いて見せて?」

 戸惑いながらメルは小さく頷いた。ファーシィは一見すると唇をこすり合わせているだけに見えたけれど、実際は、メルにしか聞こえない声で話しかけてくれていた。

「私の耳とメルの耳は魔法でつながっているわ。相手の声はどんな声だろうと拾うの。大声を出しても大丈夫よ、調節できるから。」

 王様の耳(イーヴスドロップ)だ。風系の中級魔法だわ。ファーシィは、本当に普通の魔法使いなのかな。

 レーマンたちにはファーシィの声は聞こえないので、被せるように話しかけてくる。

「いいかい、メル。何があっても振り向くな。最適な道を選んでとにかく走れ。判ったな?」

<はい。了解です。>

「私は別の道から追いかける。他の者たちはメルの後を追う。いいな?」


 計画では、レーマンの乗った馬は大通りを駆け抜けて、騎士団や自警団の注意を引いて月の女神の神殿まで誘導する役を担っていた。


「レーマン、あなたたちは大丈夫ですか?」

 張り詰めた表情のローザが、宿屋の裏庭にある馬車小屋の前に集まっているジョルダン商会の傭兵たちや宿屋の用心棒や自警団の者たちを前に、毅然と声をかけた。

「大丈夫です、奥様。馬に乗る者と、宿に残る者とで手分けします。まだまだ若い者には負けません。な、みんな!」

 オー!と他の傭兵たちが拳を上げた。

「現役の騎士たちとは年季が違うのだと見せつけてやります!」

「お任せください!」

「宿には自警団と用心棒、先ほど応援に騎士団に援軍の要請をかけました。今日はあちこちで捕り物をしているようですから、こちらはこちらで対応するしかないかもしれませんが、我々は数があります。」

 松明(たいまつ)を手に集まってきているこの宿の用心棒たちや周辺の自治を守る自警団の者たちは、「ここは私たちに任せてくれ、」と頼もしく胸を叩いている。


 ファーシィの存在がバレてしまったメルが、ローザの部屋にコルザに連れられて行くと、居合わせた傭兵隊長のレーマンと宿屋の主人セフォールも交えて、ファーシィを月の女神の神殿まで逃がす計画が立ってしまった。

 宿のある北東の地区から盗賊団や獣人たちの襲撃を排除したい自警団たちも加わって、メルがファーシィを連れて馬を走らせ集まってきた盗賊団たちを背後から討つようにして傭兵たちと自警団たちが捕まえるという計画は、最初、女の子を囮に使うなんてなりませんとローザが頑なに拒絶し続けたけれど、メルのたっての希望と、同じ冒険者として鉅の指輪を付けているメルの方が月の女神さまの加護を期待できるかもしれないという傭兵たちの説得で実行されるに運びとなった。

 単純な計画なだけに、実行するメルの行動が鍵になっていた。街中にある騎士団の駐在所や各地区の自警団の詰め所を教えてもらい、何度も街の地図の上でルートを確認して、何度も方角と道順を繰り返して頭に入れた。


「メル、今からでも囮の役は他の者に変われるのです。あなたが無理をする必要などないのですよ、」

 馬上を見上げて、ローザは青白い顔をして訴えかけた。月明りに輝く美しいローザの顔を見下ろして、メルは小さく首を振った。

 宿の裏庭の出入り口には心配した他の宿泊客たちも集まっていて、その中には、侍女に連れられて出てきたナイトウェア姿のスリジエとミモザの心配そうな顔もあった。

 

 私はあの時、この人たちに信じてもらえたから、人を憎まなくて済んだんだわ。

 

 メルは生まれ故郷ククルールに戻った日のことを思い返していた。

 久しぶりに帰った生まれ故郷は、メルを最初拒絶した。

 暖かく迎え入れてくれるものとばかり思っていたのに、言葉が通じないメルを、あの街で生まれ育ったメルだと信じてくれなかった。

 髪の長さに変化がないメルを、人間だと信じてくれなかった。

 私がメルなのだと言っても通じなかった悔しさを、出会ったばかりのこの人たちは信じてくれた。女の子として、人間として扱ってくれた。


<奥様、私に行かせてください。私が奥様にしてもらったように、私はこの子を助けたいのです。>

 通訳をするコルザの顔色が変わる。

「コルザ、何と言っているのです、」

「すみません、」

 急いでメルの言葉を伝えて、コルザはギュッと胸の前で手を握りしめている。


 どんな理由があって追われているのかなんて、ファーシィから見た事情しか知らない。

 ファーシィが本当に善人なのかどうかなのも、判らない。

 本当のことを話してくれているのかどうかなんて、裏付けのしようがないからわからない。

 でも、私は、ファーシィを信じる。


 例え騙されているのだとしても、例え裏切られる未来が待っているのだとしても、あの時自分の勘を信じて私を庇ってくれたこの人たちのように、私も、自分の勘を信じる。


<知り合って間もないのに、奥様は私を庇ってくれました。検問所で、大勢の人を前に、私のために戦ってくれました。私も、ファーシィを信じて、助けたい。>

 絞り出すようにして言葉を伝えるメルを見て、通訳もしないでコルザはぽろぽろと涙を零して泣いている。

<今だって、私を信じて下さったから、ファーシィを助ける算段を考えて下さった。感謝しています。囮にならされただなんて考えていません。>

 スリジエとミモザが、侍女たちの制止を振り切って、ローザの傍まで走り寄ってきた。

「あなたたち、眠っていたのではないの、ああ、こんな危ないところに来てはダメよ、」

 戸惑いながらも自分の背に子供たちを隠そうとするローザを見て、ますますこの人たちを巻き込んではダメだと思った。獣人に脅されていようと何だろうと、盗賊団に人生を変えられる人が増えるのは許せない。異形の暴力を振るう集団への怖さよりも、怒りが湧いてくる。


 私にできるのは、馬を飛ばしてファーシィを助けること。

 私にできるのは、ここから盗賊団を引き離して、この人たちを守ること…。


<行ってきます。必ず、帰ってきます。>

「メル、絶対帰って来て! 待ってるから!」

「ミモザも、応援してる。お母さまは、ミモザが守るから大丈夫!」

 メルの女神の言葉(マザー・タン)になれてしまっているスリジエたちは、無邪気に手を振ってメルを応援してくれた。

「コルザ、何と言ってるのです、」

 泣いているコルザが、涙を拭って、言葉を伝える前に、表通りから「来たぞー!」という声が聞こえてきた。

 

 やっぱり、帽子の魔法の仕掛けに気が付いたんだわ。


 メルは唇を噛んで、<行きます!>と伝えて、馬の脇腹を蹴った。胸が苦しくなるほどしがみついているファーシィは、私がしっかりしてさえいれば落ちることはないだろう。

 走り始めた馬の手綱をしっかりと握って、夜の街の灯りに目を凝らす。南西の方角へ進んでいけるように、頭の中で地図を開く。


 コルザがメルの言葉を伝える頃には表通りが騒がしくなって、剣を手に用心棒や自警団たちが飛び出して行った。

 抱き着いてくる子供たちを抱きしめて、ローザは宿屋の中へと入りながら、「待ちましょう。帰ってくるのを、信じて待ちましょう、」と何度も繰り返した。


 ※ ※ ※


 丸くなっていく月へどんどん向かっていくように、南西の方角へと馬を走らせる。

 教えてもらっていた通りに詰め所を回る安全なルートを正確に進んでいくなら、途中で自警団の旗を3回見る予定になっていた。

 メルが使わせてもらっている馬は宿屋で一番の穏やかな馬だと聞いていたけれど、あちこちで遭遇する騎士団や自警団、盗賊たちの剣を交える音に刺激を受けているのか、どんどんスピードが上がっていく。

 白い通り、灰色の通り…、過ぎていく街並みは早すぎて同じに見えて、通りを彩る石畳の色で、位置を測る。

<大丈夫だから、怖くないから、大丈夫だから!>

 叫ぶように言い聞かせて、手綱を引いて落ち着かせようとすると、メルの背中から、ファーシィが注意する。

「駄目よ、そのままでいい。私は大丈夫だから、メル、スピードを落とさないで!」

<ファーシィ、怖くないの?>

「怖いに決まってるわ。私、馬なんて初めて乗るのよ、」

<え、>

「乗れないなんて言えないじゃない!」

 勢いを殺せないままメルたちは駆け抜ける。

 通りの角で剣を交える騎士団と盗賊のすぐ傍を駆け抜けると、一つ目の詰め所の旗が見えてきた。

 馬に乗って逃げるメルたちを見て驚いた様子な自警団の猛者たちに、メルは大声で警戒を促した。

<追手が来る! 武器を構えろ!>

「メル、言葉!」

<ファーシィ、頼む!>

「盗賊団が来るわ! すぐ近くで抗戦中!」

 ファーシィが怒鳴ると、ポカンとした顔つきだった男たちが、慌てて松明を手に駆け出して行った。


<ありがと、ファーシィ、>

「どういたしまして。言葉って、ホント、重要ね。」

 馬は狂ったように足を鳴らして通りを駆け抜ける。頭の中で地図に線を引いて、目的地までを考える。出来るだけまっすぐに行きたい。曲がり角は減らしていきたい。

<ファーシィ、あと少ししたら海が見えてくる。大丈夫だから、>

 人目につかないように裏通りばかりを抜けていきたくても、まっすぐ前に、盗賊団の集団が道に広がって封鎖しているのが見えた。

「なんだあの馬は! 捕まえろ!」


 仕方ない。別の道を行こう。

 ギリギリまで近づいて、計画にない道を曲がって、走る。

 後方から、追う声が聞こえる。


 絶対に捕まるもんか。

 馬のスピードが速くて頭の中の地図が追えなくなってくる前に、どこかで一度、通りを戻って修正した方が良さそう。


 そんなことを考えている間に、また盗賊団に出くわしてしまう。

 獣人はいない。見るからに人間で、見るからに、寄せ集めの集団だ。

「止まれ! 剣が見えないのか!」

 ぎらつく目も剣も見えてるけど、止まったりはしない。メルは冷静に頭を数える。

 数は、さっきよりも少ない。

 ルートを修正するためにまた曲がって詰め所の通過を優先するよりも、このまま最終目的地である月の女神の神殿を目指そう!

 覚悟を決めると、メルはファーシィに呼び掛けた。

<ファーシィ、しっかり捕まって! このまま駆け抜ける!>

「メ、メル!」

 剣や斧などの武器を構えたまま、メルたちの乗る馬を堰き止めようとしている盗賊団を睨みつけると、メルは気持ちを確かに持った。


 絶対大丈夫。

 絶対、捕まったりしない!


 根拠のない自信だったけれど、そう自分に暗示をかけて、手綱をしっかりと握った。

 切りつけてくる盗賊団を蹴散らす、と言っても1人目までで、2人目、3人目ともなると、刃物を持って使付いてくる気配にビビったのか、馬の方が恐れをなして勢いがなくなる。

「駄目だ、通させないぞ、止まれ、命が惜しいだろ、」

「おい、見ろ、後ろ、」

 ファーシィの存在に気付かれてしまった。

 無理をさせていると判っていても、馬で突っ切った方が確実な気がして、メルはそれでも馬を走らせようとする。

「後ろは魔法使いか、ますます怪しい、」

<動いて!>

 馬は走る勢いが来て、歩くのさえも、怪しくなってくる。このままでは、引き摺り降ろされてしまう。

<大丈夫だから動いて!>

 勢いがなくなっていく馬の周囲を取り囲むように、盗賊団が集まってきた。


「仕方ないわね!」


 耳元で、何かを詠唱する声が風の中、聞こえてくる。

 腰を捕まえるファーシィの腕の圧を、感じなくなる。


<ファーシィ?>


かま(ウィンド・)いたち(ビースト)!」


 上空の空中に、突然、何匹かのいたちのような獣が出現して、盗賊団たちに向かって飛び掛かっていった。

「なんだ、なんだこれは!」

「化け物! 化け物だ!」

 メルたちの前方にいた盗賊団たちが、のたうち回るようにして身を伏せた。

「やめろ!」

「やめてくれ!」

 周囲には悲鳴と剣の音に加えて、獣が空中を飛び交っていくのと同時に血飛沫が上がる。

 

 突然の血の匂いと悲鳴に面喰っていると、「メル、今よ!」と声がする。

 気を取り直して手綱を握り直すと同時に、喧騒の中を馬が嘶いて、倒れた盗賊たちの上を飛び越えて、勢いよく飛び出した。

 あまりの勢いに動転しかけて、懸命にメルは手綱を握りしめた。

 通りを駆け抜けていくうちに、ファーシィが振り返って「ありがと!」と叫んだのが聞こえた。

「何をしたの、ファーシィ、」

<何って、召喚したの。>

「ファーシィ、ただの魔法使いじゃないの?」

 それ、召喚魔術師(ウォーロック)の技だよね? しかも、かなり上級の風系の魔法…。

「あ、言ってなかった?」

<聞いてない!>

 馬の勢いが戻ってくると、安心できて、なんだかとても笑えてきた。

<もしかして、まだ何か秘密があったりする?>

「特にないわ。」

<特に?>

「あった。」

<何? 驚かないから言って?>

「私は可愛い女の子だってこと!」

<ファーシィ!>

 笑ったりしたら舌を噛む、笑ったりしたら気が緩む、と思っても、つい微笑みながらメルは手綱を握り締めた。

 頭の中の地図ではあと少し。

 大丈夫。少し、いえ、随分安全な詰め所を回るルートから離れてしまっているけれど、きっと、大丈夫!


 月の女神の神殿を目指して馬を走らせて、あと一つ角を曲がれば、表玄関に出る!

 

 興奮しながら手綱を掴んで角を曲がらせたメルたちが見たのは、月の女神の神殿の前に群がる盗賊団と、それを抑え込もうとする騎士団の鬼気迫る戦闘だった。

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