6 助けたい、助けられたい
隣の村への道を駆け抜けていくと、犬の鳴き声が聞こえ始めていた。月の神殿の前の広場には戦闘の気配がして、剣の交わる金属音が人の声とともに聞こえてきた。
カイル兄さんを捕まえた盗賊団たちに父さんたちは追いついたんだ!
メルは顔を引き締める。丸腰に近いメルがどうやったら勝てるんだろう。腰に感じた固いものの存在を思い出したメルは、兄さんごめんねと思いながら鉄扇を使わせてもらおうと閃いた。
ロバのラドーラの耳に止まれと呼びかけて綱を引いて止めると、廃屋のような家の前に軽くつないだ。
「ここにいるんだよ、おとなしくしてるんだよ、」と言い聞かせて、メルは鉄扇を手に走り出す。
武器を使った実戦の経験はメルにはない。あるのはこの土地に住む者ならではの土地勘と、道場で学んだ型だけだった。昨夜の魔物たちとの遭遇が初めての実戦だった。
走りながら鉄扇を広げると、広がり円を描いた端がきらりと光った。月明りに仰いで見ると研がれていて、ナイフのように鋭利な角度がつけてあった。
きっとこれを持って舞うと、殺傷力を持って人を傷つける。私は、誰かを殺す覚悟で舞うんだ…!
兄さんや父さんを助けるためとはいえ、誰かを傷つけるなんて、したくないとかしなくちゃいけないとかそんな次元の話じゃなくて、やらないと助けられないのだろうと思う。
でも、人を殺したいと思わない。急所を外して、動けなくするだけになるくらいを狙おう。
メルは唇を噛む。
私が死なないように戦って、兄さんを助けて、みんなと逃げる。私がなりたいのは竜の調伏師で、人殺しなんかじゃない。
月明りの下で叫ぶ声や剣戟が響いていた。メルはどうして盗賊団たちがここまで来たのかを知った。
月の女神の神殿の前に、猿轡を嵌められ縄で身動きが取れないように縛られている半裸の女たちがいて、その前に、戦っている盗賊団の者たちとは別に、剣を持った見張りたちが剣を手にニヤニヤと笑っていた。苦しそうに何かを伝えようと泣き喚く3人の女たちはどう見ても暴行を受けた状態にしか見えなくて、抵抗したのか顔が変色するまで殴られている者もいて、近親者じゃないメルから見ても心が苦しくなった。
戦う者の中にカイルを見つけてメルはほっとした。でも、カイルは助け出されてはいたものの、怪我をしているのか足を引きずっていて動きに切れがない。
兄さんはここへ誘き出す餌にされたんだ…!
「待ってろ、セシル!」と言い聞かせるような冒険者の声が、怒号の中、切なく響く。
人質を取るなんて卑怯だわ。今すぐ割って入って加勢したい!
メルはカッと頭に血が上る思いがしたけれど、怪我をしながらも戦っているカイルの助けになるように、先に人質を助けようと冷静に考え直した。
雑木林の中を進んで裏手に回って、奇襲をかけよう。
昨夜もここに来た。場所に慣れている分、夜目も効く。
背を屈めて足音を忍ばせ、メルは気配を消すと戦闘の混乱を避けて雑木林の中に身を潜めるようにヒタヒタと伝って歩いて回り込む。
ふいに、ククッと小さく喉を鳴らすような鳥の鳴き声がした。
ピクリと肩を震わせて立ち止まりしゃがんだメルは、傍に人の気配を感じた。
「お前、焼け死ななかったんだな、」
びくついたメルの隣に悠然とした態度で片膝をついてしゃがみ込んでいるのはシンで、メルは驚きすぎて軽く咽てしまった。
「びっくりするじゃない、どうしてここに。」
小声で返してメルは、こんな時に面倒な、とつい思ってしまう。
「お前を追いかけてついてきた。私と一緒に来なかったくせにこんなところに来るなんて、お前はどうかしている。」
「余計なお世話、だわ。」
メルは答えながらも盗賊団の背後を狙って、そろそろと歩みを進めている。
「用がないなら帰って。私、今、とっても忙しいの、」
「あの女たちを助け出すのか?」
「そうね、あいつを倒そうと思ってるわ、」
女たちの前に剣を持って威嚇している見張りはひとりになっていた。ほかの盗賊たちはカイルたちに応戦している。
「お前は本当にお人よしだな、」
シンは呆れたように小さく溜め息をついた。
「そんな扇子は武器とは言えないぞ。ひとりじゃ心細いだろう? お前に力を貸してやってもいい、」
ぐっと腕を掴まれて、メルはギョッとしてシンを見つめた。
「なんとなく、あなたには力を借りたくないのだけど?」
また何か秘密を持たされそうな気がする。
ニヤリと笑ったシンは、メルの腕をグイッと引っ張ってメルを倒すと、押し倒すようにのしかかってきた。
「離して、」
馬乗りになったシンは、メルの顔を両手で包み込んだ。
月明りも差し込まない雑木林の中なのに、シンの瞳は赤緑色に輝いている。ああ、これが魔力を持つ者の煌めきなのね、とメルはしみじみと感心してしまった。こんな鮮やかな力を見せつけられたら、誰だって傅いてしまうわ…。
「お前の瞳の中のものが欲しい。とても美しい秘密だ。だが今日はこれで良しとしよう、」
近付いてくる気配にメルは慌てて口を両手で隠した。それでも左手の甲にキスされてしまい、メルは『またやられた、』と動揺してしまう。
顔を離したシンは、真っ赤な顔になってまだ口を両手で隠すメルを見ながら、目を細めた。
「そう恥ずかしがるな。お前には力を与えた。」
「もっとましなやり方はないの、」
鼻で笑ったシンが腹立たしくて、メルは口を隠したまま睨みつける。
「試しに口笛を吹いてみろ。お前が生む風に付加を与えてやった。」
「いま、試しても?」
シンにやられっぱなしは悔しい。お返しがしてやりたい。
「やめておけ、お前の口をまた塞がないといけなくなる。」
笑いながらメルから降りたシンは、メルの腕を掴んで起こしてくれた。
「さあ行け、後ろは援護してやる、」
「言われなくても行くわ、」
メルは身を屈めたまま走り出した。
付加って何だろう。あいつは魔法を使うけれど、どんな魔法を使うのかは教えてはくれない…。
人質を取っていた盗賊が気配に振り向く前に、試しに「ピュイッ」と口笛を吹いてみる。あっという間に白い風が勢いよく襲った。
白い風?
ほんとに魔法を使えるようにして貰ったんだわ、とメルが驚きながらも鉄扇を広げず束ねたまま勢いよく手首に叩き込むと、盗賊は衝撃に剣を落とした。ついでに勢いよく回し蹴りをしてわき腹に蹴りを入れる。舞うようなメルの動きにあわせて、花を散らすように花弁が舞う。
「ナニコレ、」
思わず、突然現れた桜の花弁に驚いたメルに、シンはニヤニヤとしながら、「美しいだろう、」と笑う。
戦いの最中に桜の花を散らしながら舞うって、あなた、ふざけてるの?! と言おうとして、メルはよろめいた男をさらに蹴り飛ばした。前のめりに倒れた男は、呻き声をあげて蹲っている。
気にしないでやれることをやろう、と割り切ってメルは動くたびに現れる桜の花弁を見ないことにした。
「メル!」
カイルがメルに気がついてくれた。
「こっちは任せて!」
メルは人質になっている女たちの縄を急いで外した。
「助けに来たわ、逃げましょう、」
猿轡を外してやり、一人二人と巻かれていた縄を外していると、「ウオオオ…!」と唸り声を上げながら、突き飛ばされた男がメルに向かってきた。
人間というだけで、昨日の狼頭男よりもましに見える。メルはそう思うと少し余裕が持てた。
「よくもっ、」
花を舞散らしながらくるりと躱して、メルが「ピュイッ」と口笛を吹くと、また花吹雪が男を襲う。メルは踵で顎を蹴り上げた。
倒れた男を無視して、メルは急いで縄に向き合う。
「メル!」
「カイル兄さん、こっちは私が何とかする。父さん、アオも母さんも無事よっ、」
叫びながらメルは縄を解いて、女たちを逃がそうとし、戦闘している男たちを見た。敵を切り倒した冒険者は、駆けつけると解放され走り出した女たちを抱きしめて庇っていた。
盗賊たちは何人かが地面に倒れていて、まだ立っているのは、血だらけで足を引きずるカイルと、父のラルーサと、腕を怪我している叔父のシュレイザと、盗賊団の屈強な大柄な男が二人だけだった。犬たちが吠えたり噛みついたりして、カイルたちの加勢している。人数で一見優勢に思えたけれど、体格差がひどくある。
今のうちにと判断して、早くこの人の縄を、とメルは最後の、顔を伏せて泣いている女の縄を手に取った。どういう訳か、この女を絡めて縛る縄は他の女を縛っていた縄とは巻き方が違っていた。
「メルっ!」
カイルの声がして、メルの方に向かって動ける盗賊団の男たちが突進してきた。最後の一人の縄を解こうとしているメルを狙っている。
「危ないっ!」
父さんの声が聞こえるわ、でもあと少しなの、縄を解かなくちゃ、とメルが思い躱そうとした瞬間、ドンと背中に衝撃が走って地面に突き飛ばされた。小脇に挟んでいた鉄扇が落ちる。
誰かが私を庇ってくれた。黒いマントに赤黒い髪、シンだわ。
あっ、拾って戦わないと、と思い振り返りかけた瞬間、再び剣を手に突っ込んでくる盗賊を見た。
視界が真っ暗になる。
何かがメルの前にいて、激しい剣の音が鳴り響いた。
「え、」
メルが打った腰を擦りながら起き上がると、メルを庇うようにシンが剣を構えて、屈強な男二人の太刀を堪えていた。
「メル、大丈夫か、」
「ええ、大丈夫。でも、どうして?」
「決まっている、お前は私のものだ、」
シンが答えると、屈強な盗賊の男たちは、ニヤニヤと笑った。
「お熱いねえ。二人とも、場違いだぜ、」
「綺麗な顔の兄ちゃん、そんな細い腕で俺らの攻撃に耐えられると思っているのか、」
見た目の筋肉量はどう見ても盗賊団の方が上だろう。でもシンは魔力を持つ存在で、とても人間とは思えない。メルはシンの方が危険だと思えた。
「おかしいなあ、笑えて堪らないな、」と、盗賊団の一人が、力で押してくる。
急に、ザクリ、と何かの音がする。
「うわっ、」
気配を忍ばせながら駆け寄ったカイルが後ろから盗賊団の一人の背に剣を立てていた。血飛沫を吐いてのけ反った盗賊の腹をシンは蹴り上げ、「油断するな、」と喉元を踏みつけ笑った。
「笑えなくしてやったぞ、」
「くそっ」
間合いをとっていた残った一人の盗賊が、振り返りざまにカイルに切りつけた。剣戟が響く。
「兄さん!」
メルが叫ぶのと同時に、カイルが後ろに引き、駆けつけたシュレイザがすかさず剣を振り払っていた。
「ギャアアア…!」
盗賊が腕を抑えて蹲る。血だらけの剣が、地面に投げ出された。
立っている盗賊はいなかった。よかった、勝ったんだわ。
メルは立ち上がり、「父さん、」と駆け寄ろうとした瞬間、背中から胸にかけて何かの衝撃を受けた。
腕が体に締め付けられる。縄? 誰が一体?
「お人よしのお嬢ちゃん、お前さんは何か不思議な力を持っているね。」
振り返りながらメルが見たのは、半裸の女がさっきまで自分を縛っていた縄を手に握っていた。メルが解けなかった縄を使って、メルを捕まえて笑っていた。
髪を耳にかけて、不敵な笑みを浮かべている左頬にほくろがある女は、泣いて顔を伏せていた時は判らなかったけれど、顔が腫れていなかった。
左耳には、イヤーカフスを付けている。
あれは、盗賊団の証…。この女は、捕らわれたふりをしていたんだわ。
「お前さんは私たちとくるんだよ、」
ギリギリと音を立てて、縄がメルの体に、肌に食い込んでいく。
メルを捕まえた縄を手に、女はメルを盾代わりに前を歩かせ、怪我をした盗賊の男たちを蹴って起こして歩く。
「エルギオス、判っているね、」
女は冒険者に向かって声をかけた。
「追ってくるんじゃないよ、この娘を死なせたくはないだろう、」
女の声は淡々としていて冷たくて、メルには盗賊団のボスか何かにしか思えなかった。さっきまで助けてと泣いて叫んでいた女の声には思えない。
あれは、演技だったんだわ。
メルが蹴り倒した盗賊は女ボスに蹴られて起こされると、メルを一瞥した後、一目散に村の外へと向かって走り出していた。
「さて、お前さんたち、いいかい、今日のところは引き上げるとするよ。この娘と物々交換で引き換えだ。そこの自称冒険者、盗賊団ギルド『竜の翼』の足抜けはご法度だ、抜けたきゃ銀貨を100枚用意しな。容易いことだろう?」
「リズ、足抜けなんかじゃない、俺たちはきちんと退団料を支払ったはずだ。今更お前に追われる筋合いなんてない、」
メルを縛った縄をしっかりと掴んで、女は立ち止まって振り返った。
「お前が払ったのは二人分だろう、エルギオス。その女の腹にはお前の子がいるんだ、もう一人分払ってもらわないと割に合わないだろう、払わないつもりならこの先も追いかけ続けるよ。」
リズと呼ばれた盗賊団の女ボスは、冒険者に抱きかかえられている傷だらけで顔を赤黒く腫らした半裸の女を見て笑った。
「泥棒猫が私からエルギオスを奪ったんだ。きっちりお前さんたちにはケリを付けさせてもらうよ、」
メルは話を聞きながら、シンを見ていた。シンはメルを見ながら、そっと気配を消して距離を保ち続けている。
馬のいななき声がして、もう一頭の馬の手綱を引いて馬に乗った盗賊団の男が神殿の前まで乗り込んできた。唸り声をあげて威嚇する犬たちをせせら笑うように、盗賊たちは堂々と、メルを盾にして逃げようとしていた。
「さあ、お嬢ちゃん、乗るんだ、」
目の前で停まった馬に乗せようとリズがメルの縄を持つ手を離した瞬間、メルは思い切り口笛を吹いた。
たちまち舞い起こった花吹雪が女や馬を巻き込んだ。
このまま人質になんて、なってやるもんか!
メルは捨て身で体には縄が巻き付いたまま勢いよく回し蹴りをしてリズを蹴り飛ばして、向かってきた誰かの胸に飛び込んだ。
花が舞う。
月明かりで、花吹雪が煌めく。
「メル!」
カイルの声は遠くから聞こえた、じゃあ、これは誰?
次の瞬間、メルは空中に浮かんでいた。しっかりと何かがメルを捕まえていた。身動きが取れない。どうして?
様子を伺っていた犬たちが一斉に吠え始めた。犬も人も神殿も、どんどん小さくなっていく。
どんどん地面が遠くなっていき、どんどん高度が上がって勢いが増し、どんどん冷たい風に晒されていく。
「メル! メル!」
遠くから微かに聞こえてくる声は父やカイルのもので、メルは何度も目をぱちくりしていた。逃げられない自分、遠くなる地面…。今ある状況は…。
まさかね。
メルが恐る恐る振り返り見上げると、月影に、どう見ても竜の腹が見えて、どう考えても竜が、自分を捕まえて空を飛んでいた。
冷たくて鋭い風が、顔に当たる。
落ちたら死ぬんだわと、眼下に小さく見える木々を見てメルは小さく身震いをしながら思う。
月の浮かぶ夜空に、煙の立ち上る街の方角からワイバーンが何匹かこちらに向かって飛んでくるのが見える。
「ギイヤアアア…!」
雷鳴のような竜の咆哮が頭上から響いた。
迫ってくるワイバーンたちに向かって牽制するかのような竜の迫力に圧倒されて、メルはさすがに気を失ってしまった。
ありがとうございました