第九話 鋭く尖った悪意
貝原が魔光灯直した二日後の夜。
夕食を食べ終わったちょうどその時だった。
突然、ガラスが砕ける甲高い音が響く。
「きゃっ!」
藤宮の小さい悲鳴が聞こえた頃には、すでに光が失われていた。
周りにいる他の避難客の人が、少し驚いた様子で俺たちの方を見てくる。
「大丈夫です、魔光灯が割れただけなので」
なんとか落ち着いて俺が言うと、向けられていた視線は興味をなくして無くなる。
次いで、少し怯えた様子の藤宮に声をかけた。
「藤宮、大丈夫か」
「う、うん。大丈夫だよ。ちょっとびっくりしただけ。ケンくんは怪我してない?」
「俺も大丈夫だ。それより……」
唐突に壊れた魔光灯を、藤宮が手に取る。同時に、魔法で光の球を生成して辺りを照らした。
「壊れちゃってるね」
「完全にだめだな、これは」
魔光灯の容器となるガラスは割れていない。
だが、魔法陣が書かれている基盤にたくさんのヒビが走っている。
当然、魔法陣はもう光っていないし、使うこともできないだろう。
「どうして壊れちゃったんだろう……」
「寿命だろ。貝原に直してもらった時点で、既に限界だったのかもな」
と自分で言ったものの、心のどこかで引っかかりを覚えた。
(直してすぐに壊れるものなのか? 床に落としたわけでも無い。ただ普通に使ってただけなのに)
魔法陣が書かれている基盤は、まるで蜘蛛の巣の模様のようにヒビが入っている。かなりひどい壊れ方だ。
ガラスを割らないように、慎重に外から衝撃を加えないとこうは壊れないだろう。
何らかの原因があって壊れたと見るべきだ。
だけど、直してもらったばかりの魔光灯を、藤宮が適当に扱うとは思えない。
(誰かが意図的に壊そうとしていたのか?)
俺たちのいない間に、魔光灯に適度に衝撃を加えて、壊れやすいようにしておく。
俺たちが使っている間に、魔法陣の摩耗でちょうど基盤が割れてしまうように。
(いや、ありえないだろ)
そんな神がかり的な微調整をできるとは思えない。
仮にできたとしても、どうしてわざわざそんなことをする必要があるんだろうか。
魔光灯を壊したからと言って、得することなんて何もないだろう。
「とりあえず、私が片付けておくね」
「ああ」
藤宮は光の球を出しながら、壊れた魔光灯をゴミ箱の近くに置こうとする。
すると、唐突に耳慣れた声が聞こえた。
「やあどうも、こんばんは」
腰の後ろで手を組んで、ニコリと笑みを浮かべた貝原が藤宮の横に立っていた。
「何かお困りのように見えますが」
「あ、優馬さん! 魔光灯が!」
丁度いいところにと言わんばかりに、藤宮は持っていた魔光灯を差し出す。
「あの、急にパキンって割れちゃって」
「見てみましょう」
差し出されたそれを受け取ると、貝原は笑みをそのまま観察した。
三百六十度一通り見終えると、笑顔でこう言ってくる。
「これ、完全に壊れてますね」
「ですよね……」
落ち込む藤宮に淡々とした口調で貝原が続ける。
「ここまでくると僕でも修理するのは難しいです。新しいのを調達するしかないですね」
「前回は修理できていたのに、今回は無理なのか」
「無理です。前回は少しヒビが入っていただけでしたから、ヒビを直して、魔法陣の失われた部分を適当に繋いで終わりでした。ですが今回は」
笑顔で喋りながら、貝原は魔光灯を揺らす。
すると中の基盤がガタガタと揺れて、その破片と思わしきものが跳ねた。
「一部砕けています。繋げるだけでなく、失われた部分を新たに補完しなければ使えません。そんなことをするならば、新しく魔法陣を書いたほうが楽ですね。圧倒的に」
机の上に魔光灯を置く貝原。
落ち込む藤宮に視線を移して言った。
「明かりがないままでは不便でしょう。何か手立てはありますか?」
「うーん……誰か貸してくれる人がいればなあ」
「避難所では魔光灯は必須ですからね。余っていて貸す余裕があるなんて人は、恐らくいないでしょう」
「そうだよね……。どうしよう、流石に私の魔法でずっと照らすのも無理だし」
藤宮の魔法は便利だが、無限に使えるわけではないだろう。
夜の間ずっと使い続けていれば、魔力切れを起こして気を失ってしまうかもしれない。
得策ではないな。
むっとした表情で悩む藤宮。
すると貝原が、助け舟を出すようにして進言した。
「僕が少しお手伝いをしましょうか」
え、と口から声が漏れる藤宮。
貝原はすかさず言う。
「僕の家に使っていない魔光灯があるので、それをお譲りしましょう」
「そ、そんな、いいんですか?」
「ええ。余っているだけではどうせ使わないので。もちろん、お金を取ったりはしませんよ」
ニコリとした表情を変えることなく言う貝原に、藤宮はキラキラとした眼差しを向けていた。
「ありがとうございます! 本当に助かります!」
「いえいえ。困っている人の役に立てれば、僕も嬉しいですから。ただ」
貝原は一転して、若干困ったような表情で口を開く。
「今すぐにでも自分の家まで取りに行きたいところなのですが……あいにく僕は、光魔法を使えなくてですね」
電柱についた魔光灯が機能していない今、夜は暗い。
それで光魔法を使えないってことは、要するに。
「藤宮さん、申し訳ないのですが、一緒についてきてもらえないでしょうか?」
「だめだ」
胸騒ぎがした俺は、反射的にそう言っていた。
「壁が出てきたばかりで状況がつかめていない今、安易に外に出ると危険だ。建物が崩れる可能性もある」
貝原は少し不意をつかれたような表情をしていたが、すぐに笑顔を浮かべて反論してきた。
「いえいえ、あれは壁ではありません。迷宮です。中に入らなければ危険ではありませんよ。ニュースを見ませんでしたか?」
「迷宮?」
常に藤宮に車椅子を押されながらの生活で、あまりテレビを確認していなかった。
初耳の情報だ。
「本当に知らないようですね。あの巨大な物体は迷宮と呼ばれ、日本一の魔導師の集団『栄光の担い手』が入り、瀕死で帰って来るほどの危険度を持っています。が、それ以上に貴重な宝や武器が眠っていると言われていますよ。僕も詳しくは知りませんが」
迷、宮。
ミナを飲みこんだあの巨大な物体が。
宝をその中に秘めているって言うのか?
「もちろん、信じるかどうかはあなた方次第ですが。中からモンスターと呼ばれる怪物が出てくるようですが、それも上級魔導師などがチームを組んで討伐しているようですし」
「あの中から、モンスターが?」
「ええ。巨大な扉から湧き出てくるそうですよ。そこが入り口にもなっているとテレビでは放送されていましたね」
あの迷宮には入り口がある。
モンスターが湧き出てきて、それを倒しながら中を進んでいく、って……。
それじゃあまるで、ゲームに出てくるダンジョンとか迷宮じゃないか。
「まあ、その話は今はどうでもいいんですよ。僕が今聞いているのは、今から魔光灯を取りに行きたいので、藤宮さんに一緒に来ていただけるかということです」
「どうでもいいって……。というか、その話はだめだって言っただろ」
「あなたには聞いていません。今は藤宮彩さんに聞いているのです」
はっきりとそう言われて、俺は押し黙るしかなかった。
はっとして藤宮を見ると、藤宮は俺のことを見ていた。
「藤宮」
「……私、ちょっと行ってくるね」
「藤宮!」
思わず強く言ったが、藤宮は落ち着いた様子で首を横に振った。
「大丈夫、別に危ないことをするわけじゃないんだよ。それに、魔光灯が無いとずっと不便なままなのには変わりないしね」
「取りに行くなら明日の朝だって別に遅くはないだろ」
もう俺の説得を受け入れる気は無いのか、柔らかい笑顔を浮かべて藤宮は言う。
「今から一緒に取りに行こうって、優馬さんが言ってくれてるから。せっかく誘ってもらったのに、わざわざ断るのは申し訳ないよ」
その言葉を聞いて、俺は思わず顔をしかめた。
どうしても、藤宮は今行くつもりらしい。
「それなら早速、行こうか」
なぜかは分からない。
だけれど、確実に心の中で俺は焦っていた。
このまま流されちゃだめだ。また失うぞ。失ってはいけないものを。
切なげに笑う藤宮を見る度。
能面を貼り付けたような笑顔を浮かべる貝原を見る度。
まるで自分がもう一人存在しているかのように、心の中で呼びかけられる。
このままじゃだめだと。
鋭く尖った悪意が、どこからともなく俺の五感をつついてはかき回してくる感覚がした。
「俺も、行くよ」
俺の口から、とっさに言葉が出ていた。
驚きをあらわにする藤宮。口をぽかんと開けて俺の方に振り返っている。
そして。
その横で、今まで一度も崩れたところを見なかった貝原の笑顔が、歪んでいた。