第八話 嫌な予感
その男が現れたのは、俺が動けなくなって四日目の昼だった。
「やあどうも、こんにちは」
眼鏡をかけているそいつは、一見して頭の良い優等生といった雰囲気があった。
俺が乗っている車椅子を押していた藤宮が、すぐに言葉を返す。
「こんにちは。えっと」
「僕は貝原優馬。この高校の三年生。今年で卒業する者です」
名前を聞いて思い出した。
「確か、生徒会副会長の」
「その通りです。よく知っていますね」
生徒会副会長、貝原優馬。
俺が通っていた高校でもトップに近い優秀な成績を収めていた男。
なんでもそつなくこなし、クラスでも人気も高く、魔法の才能もある。
クラスは違かったけど、俺も名前を知っている。そこそこ有名な生徒だった。
「それで、私達に何か用ですか?」
藤宮が尋ねると、貝原は笑顔で答える。
「いえいえ、用というほどではありませんが」
視線を俺に移してくる。
「車椅子に乗っている様子をよく見かけるので、何か僕にもお手伝いできることがあればと思い、声をかけたのですよ」
善意の塊みたいな言葉に、藤宮が少し困惑の声をあげた。
「手伝ってもらえるのは嬉しいです、けど……今は特に困ったこともないので大丈夫です。話しかけてくれたのに、ごめんなさい」
「いえいえ、お構いなく。僕が勝手にやっていることですしね。それに、今すぐにという話でもありません。何か困ったことがあれば、いつでも呼んでください。それでは」
終始笑顔を絶やすことなく話を終えると、貝原は礼をしてから歩いていった。
姿が見えなくなってから、藤宮が言う。
「礼儀正しい人だったね」
「……そうだな」
「でも、ケンくんの周りのことは私がなんとかするから、心配しないでね!」
「随分と過保護だな」
藤宮は何事もなかったようにニコニコとしている。
だが俺はモヤッとした嫌な予感が心に残っていた。
貝原優馬。あの髪を切りそろえたいかにも優等生らしき男が、どこかうさんくさく見えた気がした。
このまま関わっていたら、ひどい目に合いそうな、そんな気が。
いや、流石に考えすぎか。
■□■□■□
夕方。
避難所のテントに戻ってきた俺と藤宮。
そろそろ暗くなってきたので電気をつけようと、藤宮がテント内の魔光灯に魔力を通す。
「あれ?」
困惑気味に何度も通しているが、魔光灯がつく気配は無い。
「藤宮、どうかしたか」
「えっと、魔力を通しても魔光灯がつかないの。故障しちゃったかな」
「故障、か」
魔光灯は魔力を使って明かりを灯す魔道具だ。
電気を使う光源とは違って、少ない魔力で長時間発光するような魔法陣を使っているだけなので、構造としては単純。
魔法陣が傷つかない限り、故障することなんてそうそう無いはずなんだが。
未だ暗いままのそれを俺の目の前まで持ってきた藤宮。
「どうしよう。今持ってる魔光灯、これしかないんだけど……」
「藤宮の魔法で辺りを照らせないのか?」
「できなくもないけど、他のことに集中しちゃうと、うまく魔法を使えないんだよね」
「それは困ったな」
これから夕食を食べるのに、明かりが無いのは流石にきつい。
避難所なんだし、探せばどこかに懐中電灯ぐらいはあるかもしれない。
けど、俺が動けないから藤宮一人に探させることになる。それはちょっと申し訳ない。
どうしたものかと悩んでいた時、突然後ろから声をかけられた。
「やあどうも、こんばんは」
「あっ、貝原さん。こんばんは」
いつの間にか俺たちの後ろに立っていた貝原。
顔に笑みを浮かべているそいつに、藤宮も笑顔で対応する。
「えっと、何か用ですか?」
「いえいえ、困っていた様子でしたので。それで、何か問題でも?」
藤宮は、貝原が急に現れたことに驚いていたようだったが、すぐに魔光灯の話をする。
「えっと、私が使っていた魔光灯が故障しちゃったみたいで、魔力を通しても使えないんです。明かりがないと色々不便だけど、私、これしか持ってなくて……」
「少し見せてもらっても?」
藤宮は頷いて、持っていた魔光灯を貝原へと渡す。
受け取った貝原は、様々な角度からそれをじっと見て、何かを確認している。
すると唐突に、
「なるほど」
と納得した様子で呟いて説明を始めた。
「書いてある魔法陣は特に問題ありませんが、魔法陣が書かれている基盤に、少しだけヒビが入っていますね」
そう言うと、貝原は右手を広げて水色と茶色の光を展開した。
光は幾重にも重なり合い、複雑な模様を描きながら魔光灯へと入っていく。
少しして光が収まると、笑みを浮かべて貝原は言った。
「気休め程度ですが、修理しました。これで一応使えると思いますよ」
「え、ほんとですか!?」
貝原に魔光灯を返された藤宮。
早速魔力を通すと、普段と変わらない光がそれに灯った。
「わっ! ついた!」
「すごいな……」
思わず感嘆の声が漏れる。
魔光灯の修理をできる人なんて初めて見たぞ。
喜ぶ藤宮が感謝の気持ちを伝える。
「ありがとうございます、貝原さん。本当に助かりました」
貝原は笑みを浮かべたまま答える。
「困っている時はお互い様ですよ。それと僕のことはもっと気軽に、優馬と呼んでください」
「はい、優馬さん、ありがとうございました」
「いえいえ。また何かあったときには呼んでください。それでは」
それだけ言うと、貝原は歩いてテントから出ていく。姿はすぐに見えなくなった。
すると藤宮は感動した様子で話し始める。
「凄かったね! 魔光灯直しちゃうなんて、びっくりしたよ」
「そうだな」
「正直、お昼に初めて会った時には、ちょっと怪しいなあって思ってたけど、すごく優しい人だったね」
「……ああ」
元通りになった魔光灯を、藤宮は机の上に置いた。
「ご飯準備するから、ちょっと待っててね」
うきうきとした足取りで夕食の準備を始める藤宮。
「…………」
俺は引っかかりを感じていた。
何かがおかしい。見えない棘を刺されているかのような違和感があった。
けれど、それが何なのかが分からない。
すごく嫌な感じだ。
食器を机の上に出し始める藤宮の横で、俺はずっと、修理された魔光灯を見続けていた。
──修理したはずの魔光灯が完全に壊れたのは、その二日後のことだった。