第一話 大迷宮時代
平成元年、一月八日。
発端は「指先から火が出た」という情報だった。
真っ先に情報を手に入れた日本のマスコミはつまらない冗談だと笑い、そのネタを捨てた。
しかし時が経つにつれ、マスコミの対応は一転した。
「指先から火が出た」「コップの水が凍った」「触っていないティッシュが勝手に浮いた」「未来が見えた」。国内の様々な場所で同じような情報が上がっていたのだ。
更なる調査によって、マスコミは一度捨てたネタを拾わざるを得なくなった。
日本国内にとどまらず、世界中、ありとあらゆるところで同時に、その事態は起こっていたのだ。
サイコキネシス、異能、超能力。様々な能力の発現。
「元号が変わった」ということ以外何の前触れもなく、過去に前例を見ない未知の力が訪れたのである。
出現した力を人々は魔法と呼んだ。
魔法は個々人によって力の差が激しく、差別の種にもなった。
しかし、それでも未知なる力に世界中が歓喜し、その恩恵を存分に味わった。
平成から始まった新たな時代。
「大魔法時代」である。
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時は流れ、令和元年、五月一日。
魔力の灯火で照らされる夜の街。新たな基礎科目「魔法」。
魔法という超常現象が日常になった世界の、ある一日。
平成から令和へと移り変わるその日。
驚くほど何の前触れなく、誰も想像することができないほどの厄災が現れた。
世界中の都市のその中心で、空を覆うほどに巨大な”壁”が、何もない空間から唐突に体現した。
壁はすべてを飲み込んだ。出現した周りにある建物も、景色も、人間すらも飲み込んだ。
壁は、巨大な扉を持っていた。呪われているかのような、禍々しい扉。
地響きとともに扉は開け放たれ、中から怪物がわらわらと湧き出す。
迷宮から人類の住処へと出てきたモンスターに、人々は殺され、食われ、蹂躙された。
しかし、現れた脅威を前に国は黙っていない。
ワシントンに出現した壁に対し早急な処置が必要だと判断したアメリカ。すぐさま超大型の爆破魔法を行使する。
アメリカが世界最高の知識、技術をもって開発を進めてきた魔法だ。
爆発の威力は水素爆弾五百発分と想定される。
平成元年から三十年という長い月日をかけて作り上げられた、魔法技術の結晶とも言える攻撃だ。
だが迷宮の外壁に傷一つつけることはできなかった。
中国は、秘密裏に開発していた核融合レーザーを、北京の逆円錐型巨大建造物に向けて照射した。
海をも蒸発させると言われる超高熱量のレーザー。開発者が、この光線で貫けないものは存在しないと豪語していた代物である。
これに対して謎の建造物の外壁は、あろうことかレーザーを反射し、中国の国土の七パーセントを焼き尽くしたのだ。
大魔法時代に研究された魔法ですら。
高度に開発された破壊兵器ですら。
未知の壁を破れない。
わらわらと湧き出るモンスターに殺され絶滅する、あってはならない未来が人々の脳裏に浮かぶ。
そんな中だった。
『栄光の担い手』。
日本で随一の魔法使い集団と呼ばれる彼らが巨大建造物の中に入り、なんと帰還したのである。
巨大建造物出現の翌日の正午。湧き出る怪物を魔法で倒しながら、栄光の担い手のメンバー二十数人は勇敢にも巨大建造物の中に侵入した。
GPS及び魔法的通信網による通信を行っていた彼らだが、扉に入った瞬間、その通信は一瞬にして途絶えた。
音声通話、及び情報収集を行っていたサポートチームは、探索チームの死亡を確信し後悔の念に駆られた。
しかし、同日午後六時のことだった。
栄光の担い手が入って以降、怪物が一匹も出なくなった扉から、五人の人間が帰ってきたのだ。
血まみれで服は破け、満身創痍を身に宿したような姿。
その数を四分の一以下に減らして戻ってきた彼らは、開口一番にこう言い放った。
「あそこには宝が眠っている」
一人の男が、腰につけていた禍々しい剣を天に掲げる。途端、晴天であるはずの空に渦巻く漆黒の雲。
息をつく暇もなく、巨大な閃光と爆音が彼らの周囲を渦巻いた。
虎が駆けるかのように、衝撃波が広がる。
しばらくして彼が剣を下ろし、黒雲が跡形もなく消え去る。
そこまできてようやく、周りにいた野次馬は理解した。
雷が落ちたのだ、と。
「世界が、変わるぞ」
人類初となる迷宮挑戦者の心臓を揺するような低い声は、ネットワークを通じて、全世界の人々の感情を確実に捉えた。
大迷宮時代。
魔法を手に入れた人類が、新たなる世界へと踏み入る時代。
これは何もかもを失った男が、大切なものを取り戻すため、魔剣一本を持って迷宮に挑む物語である。