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キリスト教文学における罪と赦し、イエス・キリストの受難と復活

作者: 小島 剛

 罪についてヨハネの福音書8:7を引用する人が多い。「あなた方の中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」という、姦淫する女を赦すイエスとして知られている部分である。

 どの聖書にもついている注だが、この挿話は古い写本にはない。岩波文庫版に至ってはそもそも載せてすらいない。

 キリスト教文学者はずっと深い罪と赦しの理解をしてきたようだ。例えば『罪と罰」の有名なシーンでソーニャがラスコーリニコフに聖書を読んで聞かせるの場面がある。箇所はヨハネの福音書11章、つまりラザロの復活の場面である。これが金貸しの老婆を殺したラスコーリニコフの贖罪の意味を持っている。なぜか?

 それは、「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいたものであり」(エペソ人への手紙2:1)とあり、「罪=死」というテーマが新約聖書の中に通奏低音のように流れていて、「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストともに生かしてくださいました。あなた方が救われたのは恵みによるものです」(同2:4-5)キリストの受難と復活が原罪からの解放ととらえられているからである。そこで、「愛=赦し=復活」というテーマもまた、新約聖書を読む際、常に念頭に置くべきことになる。

 明治時代、トルストイの『復活』が訳された時、単なる悲恋物語と解され、キリスト教文学の傑作の評価を受けなかったのは、日本人がこれを理解していなかったからである。『復活』は主人公ネフリュードフが昔過ちを犯したカチューシャを追ってシベリアまで追っていく話だが、愛と贖罪の話なので『復活』と重なりあっているということである。

 『天路歴程』で有名なバニヤンに『Mr Badman の生涯』という小説がある。典型的な悪人の生涯ということだが、この主人公、一生の間一切悪事を働かない。安楽のうちに一生を終え、最後も安らか。バニヤンはこれこそがキリスト者にとって最大の悪だというのである。イエス・キリストの愛・恵み・復活に与らないからというのだろうが、相当に透徹した罪理解ではないだろうか?

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