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力の代償



               ☆

 

 同日。朝。



 その男子部員の様子がおかしいことは、野球部へ所属する誰もがわかっていた。

 だが、その原因を知るものは限られていたし、知っていたとしても傍観するのが良策だと心得ていた。



「サードォ! セカンドランナー刺せたぞ! 練習試合で安牌狙ってどうすんだオマエはぁ!!」



 ファースト側ベンチから声を張り上げる野球部の顧問教諭。

 説教の的となっているのはサードを守っている部員だが、グラウンド内にいる全ての者がこのミスがキャッチャーの指示違いによるものだと知っていた。

 

 1アウト、ランナーを1塁に置く状況下だ。

 当たり障りのないサードゴロはダブルプレーをする絶好のチャンス。

 にも関わらず、キャッチャーが声を張り上げて指示を出したのはファーストへの送球。


 聞きなれた頼れるキャッチャーからの指示だ。

 サードを守る部員はセカンド送球の体勢を無理やり変えて、ファーストへと球を送った。


 結果、サードの判断ミスによってダブルプレーは叶わなかった。



「監督。ちょっと、失礼します……気持ちが悪くて」



 攻守交替のタイミングでついにキャッチャーが監督へと告げる。



「お、おぉ。 立ち眩みしてるようじゃ、次の交流戦が危ういぞ。ははは」



 監督から身を案ずる言葉は一つもない。

 大事な交流戦を前にしたこの時期に、チームの中心であるこの選手――柊木匠ひいらぎ たくみの不在はありえない。

 「大丈夫か?」と問うて「無理です」なんて返された日には、野球部の沽券にかかわる問題に発展するだろう。

 柊木匠は天才高校球児だ。

 キャッチング技術、盗塁を許さぬ肩力、部員を一人でまとめあげるカリスマ。

 

 高校入学以前は凡庸な選手だったと聞いていたが、鳴無学院野球部に入部したことで能力は開花した。

 その功績は言わずもがな、野球部監督にあるといえる。

 


 ――根性論ばかり喚き散らすあの老害に、我が最高傑作を魅せつけてやりたい。


 次の交流戦にて対戦する他校の野球部監督に因縁があった。

 故に、中年太りで張った自身の腹部のように、部監督は柊木匠に期待を膨らませているのだ。


 もちろん、期待するのは監督だけではない。部のチームメイトも保護者会も、地方テレビの報道部ですら柊木匠に注目している。

 鳴無学院の名声に野球部も加わるとなれば、十二分な話題性となる。

 最近ではプロスカウトの影すらチラついているくらいだ。



 昨日までは、柊木匠自身、その肥大化した周囲の期待に酔いしれていた。

 だが今まさに、朝練で”本当の自分”の実力を知ってしまった。



 ベンチの奥へと身を隠して、柊木匠は身を震わせていた。



「……オェ。」



 自分を彩る他者の期待は重責に替わり、自分を苛むようになってしまった。


 さっきのプレーは凡ミスすぎる。

 サード――田村の奴、おれにばっかり頼り過ぎなんだよ。少しは自分で考えてプレーしろって。

 お前のせいで俺がミスったって皆にバレたんだろうが……。



「なんで俺、人のせいにしてんだ?

 ……わかんないんだよぉ。処理する問題が多すぎて、今の俺じゃ追いつけないんだ。

 脳みそがグチャグチャになってる……!」



 他の部員を責めるなんて、昨日までの柊木匠には考えられないことだった。

 チームメイトのミスは自分を更に際立たせるチャンスだと思っていた。

 けれど、”V.B.W.――バーチャルブレインウーンズ”が消失したことで、そんな思考も消し飛び、自分のプライドを守ることに必死になってしまう。

 


「キャラロストするなんて思ってなかったんだよ。

 いきなり鎌持ったプレイヤーキラーが襲い掛かってくるなんて、わかるわけないじゃんかよぉ。

 皆を甲子園へつれていくって約束してんだぞ……。

 俺が悪いわけじゃないのに、俺が責められるじゃん。っちくしょ……」



 もはや思考が言葉として漏れている。

 誰かに聞かれでもしたら怪しい人物に思われてしまうに違いなかった。

 しかし柊木匠には気に掛ける余裕すらなくなっていた。



「俺のせいじゃないんだよ。 俺のせいじゃないんだ……」



 うわ言を呟きながらさ迷う間に、柊木匠は部室へと戻っていた。

 床に散らばっていた備品のひとつに足をかけると、彼は砂利とコンクリートの地べたに転倒し、胎児のように身体を縮こませた。

 


「そうだよ。 あいつのせいなんだ。」



 瀕する思考が鬱蒼とした脳内に一つのアイデアを浮かび上がらせた。

 蘇るのは、学院会のメンバーを守ると約束しておいて、守ってくれなかった一人のプレイヤー〈リヴェンサー〉だ。

 本名は月谷芥。

 ……奴に酬いを与えるべきだ。


 転がっていた金属バットを手に取ると、死人のように柊木匠は立ち上がった。



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