喧嘩
☆
同日・都内某所のファミレス。
時刻 1:02。
「――つーわけで、アタシはパスするッス。
今回の件は古崎牙一郎じゃなくて、そのバカ孫の一人舞台。
一応、周囲の警戒はしてみたっスけど、ファミレス内に怪しい人物は一人もいなかったッス。
あそこで騒いでいる大学生が古崎徹の協力者かと睨んだっスけど……別に変な挙動もなかったですし。」
硬貨を幾枚かテーブルに置いて湯本紗矢が席を立つ。
一度、彼女は戸鐘波留――姉さんへと視線を送った。許諾を得ようとしているらしい。
「まだ紗矢っちの助力が必要だよっ。
開発者として”『スターダスト・オンライン』をあたしは消さなきゃいけないから”」
真っ先に驚きの声をあげたのは笹川だった。
「ちょ、ちょっと、どういうわけさ!? 『スターダスト・オンライン』を消すって、正気?」
「むしろ最も正気な選択で、自然な流れだ。
姉さんが言ったこと、少しは理解できてるんだろ?」
僕の言葉が不服らしい。笹川が若干語尾を強めて告げる
「本物のオマエがゲーム内にいて、こっちに戻ってくるのに苦労したって話だろ? わかるよ、そんなゲームを世に放っておくリスクだってわかるさっ。
けどっ、……」
彼はまたしてもこちらを伺うような目を向けてきた。
「――そうだな。
スターダストオンラインが無くなってV.B.W.も消失すれば、”一番困るのは学院会”だよな」
学院会に所属する鳴無学院生徒らは、強化屋で脳を弄って一定の能力を強化し、試験や諸大会等で優秀な成績を収めている。
それがなくなったら、学院会の面々は優秀でも天才でもなくなる。
ふと口をついて出た言葉だったが、笹川に告げるとわずかに胸がスッキリする感覚があった。
「っ、このボッチ陰キャラが! 俺のほう見て言ったな!!
お前、この期に及んでまだ俺が学院会のメンバーだと思ってるのか?
あんなに堂々とオフィサーに楯突いたっいうのに!?」
急に声を荒げた笹川の声音は裏返る。
演劇部の演技じみた発声ではないにしろ、周囲の目がある中で叫び出すのも若干痛々しい。
「だからって、笹川が”不正”して好成績残していた事実は消えないだろ?
卑怯な手使って優越感に浸って、一体何人の生徒を見下してきた?
僕や七重がたかが一回の小テストごときに四苦八苦しているのを見て、何度蔑む気持ちを抱いた?」
「黙れよっ!」
笹川に胸倉をつかまれる。テーブルが揺れた拍子に運悪く冷水用のプラスチックコップではなく、笹川が持ってきたドリンクバー用のガラスコップが落下し、派手な音を立てて割れた。
中に入っていた青汁っぽい色合いの液体が床へと広がり、炭酸がシュワりと弾けた。
お茶に炭酸でも混ぜたのだろうか……まるで子供じみてる。
「僕はともかく、七重は凄く頑張っていた。でも今日の放課後なんか凄いぞ?
こっちが30分かけて解いた設問を古崎は数分で解いて、僕らを補講から追い出したんだ。
努力すら軽んじられた奴の気持ちってお前にはわからないだろ?
だって優秀だもんな。」
「わかるよ! わかるから、今こうして」
「そりゃあそうだ。なにせ、キョロ充極めたくせに友達皆無だもんな、お前。努力なんてしたくなくなるよな。 ゲームの中で友達つくりたくもなる」
「――このクソ野郎ッ!
被害者ぶって、”お前が経験した”ことじゃねえんだろ!!」
……。
「――危なっ」
姉さんの声が聞こえたと思った瞬間、視界が揺れて耳鳴りがしていた。
笹川の下手くそな左フックが僕のこめかみに命中したらしい。
痛みはないが、頭が揺らされたことで、その場に尻もちをついてしまった。
「キハハハ、ウケるッス。 でも刃傷沙汰はよくないッスね」
放心状態な僕と笹川は、やっぱり喧嘩慣れというものをしていない。
喧嘩になるほど他人と深くは関わってない。
「いつの間にか」なんて感覚はないが、僕であって僕ではない誰かが、勝手に他人と仲良くなっているのは……怖いじゃないか。
席を外して尻もちをついた僕へとしゃがみ込んで、湯本はこちらの手を掴んだ。
割れたガラスで切ったらしく、そこには一筋、血が流れていた。
「ご、ごめん! 痛いだろ!? そこまでする気はなくて」
動転したままで笹川が謝罪してくる。
「いや痛くない。いいよもう。」
湯本に言われるまで、ガラスが刺さっているなんて少しも気づかなかった。
気づくと痛みを感じるが、なんだか感覚が鈍い。
紙ナプキンとばんそうこうで素早く処置を済ませると、彼女はそのまま手を引いて僕を起こした。
「ロクも笹川くんも、本当にごめんなさい。 笹川くんに落ち度はないよ。
責められるべきはあたし。 でも、今のロクは正真正銘、本物の戸鐘路久なんだ。それだけは……」
「波留さん、そういうんじゃないんスよ。 とりあえず鬱憤が溜まってるんスよ。
原因がわかったからって、YESとNOで次に進めるわけじゃないッス」
「……?」
こちらの胸の内を見透かされているような気がして、手当のお礼も言わずに湯本の手を振りほどく。
同時に、自分の行動がいじける子供じみたものだと気づいて後悔する。
この3年間を過ごしたのは僕じゃなかったかもしれない。
けど、今こうして存在している戸鐘路久には記憶も実感もしっかりある。
なら、僕は現在を享受するべきなんだ。
わかっている。つもりなのに、
言い聞かせながらも、やはり口はなかなか動かない。
笹川に謝罪の言葉を告げるためのキッカケが欲しかった。
そんなときだ。
「――戸鐘路久。 いやオレにとってはネームレスか。
笹川宗次は、人を見下すよりも先に『スターダスト・オンライン』を困っている人のために使おうと尽力していたぞ。」
振り向くとそこには、端正な顔立ちと静謐な雰囲気を纏った青年が立っていた。
彼は持っていたスマートフォンを一度だけ操作すると、改めて僕へと告げた。
「彼に『スターダストオンライン』へ誘われた〈水戸亜夢〉も〈北見灯子〉も、演劇部と勉学の両立ができずに悩む生徒だった。
水戸亜夢はヤケを起こして自傷行為に及ぶこともあったらしいと保険医の先生から相談をうけたことがある。
北見灯子も演技の才能がありながら、家庭の事情と課題の提出で時間がとれず、過労で倒れて登校できないこともあったようだ。
他にも数人ほどが『スターダスト・オンライン』に誘われたことで状況を改善させている。
もちろん、結局は奴らの言いなりだったオレが言えることじゃないんだがね。
が、彼が悪意だけで行っていたわけではないことは保証したい」
「月谷会長……、よくご無事で」
笹川は青年――鳴無学院元生徒会長、月谷芥こと〈リヴェンサー〉に一礼した。




