残滓の憂鬱
涙声の姉さんがクスリと含み笑いをした。
笹川は僕と湯本だけに見えるように手をサムズアップさせる。
前言撤回だ。空気を読んだ上で恍けてみせたわけか。
こいつのことは中学時代から何かとこちらの”ぼっち”を弄ってくるので大嫌いだったが、今回ばかりは頭が下がる。
一方、僕は自分のことで頭がいっぱいになっていた。
だってそうだろ?
VR内であろうが現実であろうが、もう一人の自分が複製された、なんてそれこそSF映画の領域だ。
それに、根本的なことで気になる部分がある。
「僕はゲームの中の僕と、現実世界の僕とで二つに分かれたんだよね?
――正直に答えてほしいんだけど、そうなると今の僕はどっち?」
「君は正真正銘、戸鐘路久。 あたしが愛してやまない可愛い弟。」
頬をヒクつかせてこちらを見てくる笹川がウザい。
反面、湯本紗矢は怪訝そうな顔を浮かべていた。
「ンッン……最初の部分だけでいいから。
でも、それだと余計に話が読めない。
僕はどこでゲーム内の自分と現実世界の……つまり、僕の代わりと入れ替わったの?
話を聞く限り、テストプレイヤーとして呼ばれた日のすぐ後ってわけじゃなさそうだし……。
3年前から今日まで、それ以降の記憶だって僕はちゃんと覚えているつもりさ。
何か身体に劇的な変化が生まれたって感覚はなかったんだけど……。」
「簡単なことだよ。
『スターダストオンライン』内での死亡、キャラロストを繰り返すことでゲーム内のロクの神経系情報を少しずつダミーへと混入させて言ったんだ。」
時々、脳裏にフラッシュバックした映像の正体はそれか。
でも今はそれがしっかりと自分の体験からきたものだと認識できている。
統合された……ってことでいいのかな。
「……なんかすごい冒涜的なやり方な気がするんだけど。」
「”現実世界のロクとゲーム内のロクを分けた”とは言ったけど、M.N.C.のシステム自体、元の神経系情報とVR内での神経系情報とで分けるんだ。
そして、ゲーム後の神経系情報を現実世界の身体・脳に上書きすることで初めて、フルダイブVR体験という形になる。
考えようによっては、『スターダストオンライン』をプレイしている人は誰でも、もう一人の自分を用意してることになるよ。
……言葉を大げさにしたのは謝る。
けどね、実質、”クローン技術は可能であってもしてはいけない”そういう鉄則をあたしは犯したんだ。
我儘だってことはわかるけど、これが凄く重いことだってことをわかってほしい。
その上で、あたしはやっぱりロクに謝らなくちゃいけないし、償わないと……。」
「でもさ、姉さんがダミーをつくってなきゃ、僕は今頃病院のベッドで寝たきりになってた可能性が高いんでしょ?
だったらいいよ。こうして僕も元通りに戻れたわけだし……。」
「それは、そうだけど……。」
言葉を濁らせる姉さんに、僕自身も他になんと伝えたらいいかわからない。
彼女に言われたことは理解できるにしろ、自分がもう一人いた、なんて事実は有耶無耶にできるならそれでいいとさえ思えている。
現実逃避と言われたら、それまでかも知れないけど……哲学は嫌いだ。
「言ってることサッパリわからないんだけど。
何オマエ、ぼっちが寂しくて分裂したの?」
「黙っとけ。」
笹川が口を挟んでくる。
何か舞い上がっているようだが、多分、あれだろう。
気持ちが沈んでるクラスメイトを見つけるとわざとお道化てみせる男の子チックな心境なのだろう。
「いや、黙らんよ。 俺たちの話は終わってない。
というか始まってすらいない。
さっき名前が挙がった〈古崎牙一郎〉って古崎く――古崎徹のお祖父さんの名前だ。
なら、察するにその〈トール〉ってプレイヤーは……古崎徹本人ってこと?」
笹川の問いに姉さんが頷いた。
「結局、テストプレイに乱入してきた〈トール〉の身元はわからずじまいだけど、十中八九、古崎会長の孫・徹くんだろうね。」
「じゃ、じゃあ、古崎くんは俺なんかよりもずっと先んじて『スターダストオンライン』をプレイしていたってこと?」
「多分。 あたしも最初は意外だったんだ。
坂城 諸――あたしの協力者なんだけど。
彼となんとか『スターダストオンライン』のデータを回収して、ゲームサーバー内に取り残されたロクを助けようとしたんだけど、本来サーバーが稼働していないはずの『スターダストオンライン』が夜間帯だけプレイ可能になっていたんだ。
でもよくよく考えてみたら、スターダストオンラインが発売中止になって、その没データ全てを回収したのも古崎グループだったわけだし……私的に使っていても何ら不思議じゃないんだよね。」
「でも、古崎くんも俺と同じように友達から誘われて『スターダストオンライン』を始めたって。
それに、学院会の古参プレイヤーは”オフィサー”って聞いたぞ」
「嘘ッスね。
むしろ『スターダストオンライン』を鳴無学院の生徒に流行らせたのも古崎徹ッスよ。
あんな電子ドラッグと変わらないものを、遊び半分で。」
「電子ドラッグって……、そりゃあ”強化屋”自体は近いかもしれないけどさ。
案外バトルは楽しいんだぞ。」
湯本紗矢の言葉をフォローするように笹川が被せ気味に発言する。
開発者である姉さんへの配慮だろうか。
けれど、笹川が同意を求めてきたのは僕だった。
「痛いのとか、人間関係がドロドロになったりとか、そういうのは嫌だけど、純粋にプレイできるなら俺はやってみたいよ、スターダストオンライン。 な?」
「あ……そう、だな?」
「なんでそこで疑問系になるんだよぉ、お前は」
笹川の項垂れっぷりに思わず顔が引きつってしまった。
そんなこと言われても、姉さんの話を聞いて、このゲームをそのまま好きでいられることのほうが不自然に思えないだろうか?
〈トール〉に何度も殺され、学院会の奴らに殺され、挙句の果てには現実と同じ苦痛をVR内で負わされた。
そんな僕が、このゲームを遊びたいと思い続けられるわけがない。
「戸鐘先輩、ちょっと聞きたいんスけど……。
〈名無し〉〈ヴィスカ〉〈月谷唯花〉、この三つの名前を覚えていますか?」
困惑が表情に出ていたらしい。
訝る視線でこちらを覗きつつ、湯本紗矢は僕にそう問うてきた。
「バカにするなよ。姉さんの話聞いてようやく自分の記憶だって実感できてきたんだ。
――〈名無し〉はテストプレイヤーである僕がサイロ基地の底で会った女の子で、〈ヴィスカ〉はオフィサーを倒して……くれて、〈月谷唯花〉は誰だっけ……。」
記憶の引き出しが消えていく。
確かに覚えているはずの記憶が、想起しようと手をかけた瞬間、霞みとなって四散していってしまう。
「なんだこれ……」
「は、はぁ? お前何言ってんだよ。”ヴィスカ”さんは隣にいるじゃんか。
……話し方とか態度とかめちゃくちゃ変わってるから、別人かと思ったけど……。」
笹川が告げる言葉の意味がわからない。
”わかる”と思って記憶を参照すると、そこには何もない。
そんな状態が続いている。
湯本紗矢の鋭い眼差しが今度は姉さんへと注がれた。
僕の反応をみて姉さんは青ざめた顔をしている。
「波留さん、質問します。 この戸鐘先輩の”抜け殻”は今どうしてるッスか?」
「それは……」
「波留さんは、戸鐘先輩が受けた苦痛に関する神経系情報のみをダミーへと流し込み、残りの神経系情報をこの戸鐘先輩の肉体へ返した。そうッスよね? 」
「そうだよ。
一度は痛覚パラメーターによって受けた神経系のダメージをゲーム内で直せるか試したけど、上手くいかなかった。 ロクは苦しみ続けた。
だから、ダミーが『スターダストオンライン』内でキャラロストを繰り返すたびに、少しずつ、痛覚ダメージの神経系情報を流し込んだ。
……オフィサーが再度、痛覚パラメーターを用いたときは、キャラロストの手前でも神経系情報の流出を確認した。
だから、オフィサーによって与えられた苦痛共々、テストプレイでロクが受けた苦痛もダミーにアップロードした。
ゲーム内のロクはダミーに痛覚ダメージを肩代わりしてもらうことで、ようやく現実世界の肉体に戻すことができたんだ。
……でもこんなことって。」
「……それは、本当に重い罪ッスよ。波留さん……。
その代償は、波留さん自身じゃなくて戸鐘先輩が受けることになりました。
――戸鐘路久にとっての月谷唯花に関する情報・記憶は、ダミーに奪われたんです。
端的にいえば、波留さんの救出は一部失敗したってことです」
「で、でも!オフィサーによってタイミングはずらされたけど、ダミーとオリジナルの入れ替えは上手くいっていたはず!
誰かが手を加えない限り、こんな失敗なんて――」
姉さんは途中まで言って、何かに気づき、そのまま固まってしまった。
「アタシがいるんスよ……。
正確にいえば、アタシを媒体にして動いていた”ヴィスカ”が。
彼女が、ダミーを庇ったってことでしょう……。」
「……そんな。 ロクを助けるために協力してくれるって彼女はいったんだ!」
感情的になって席から立ちあがる姉さんに対して、湯本は喜怒哀楽のどちらにも舵を取らない表情を浮かべて言った。
「だから波留さんは”天才”なんスよ。
たとえ戸鐘先輩から抜き出した痛覚だけの神経パターンにすぎなくても、あの子にとっては自分と同じ”残りカス”なんスよ。」




