オフィサーの苦悩Ⅳ
☆
あのプシ猫とかいう卑猥なネームの女児といい。
光学迷彩で隠れていた無能そうな中二病野郎といい。
ただリヴェンサーを貶めて排除するという簡単な任務がどうしてこの有様になった?
どこから間違えていた?
瀬川遊丹を意識不明の重体から解放することを名目に、リヴェンサーには月面露出地区・フリーフィールドへ赴いてもらい、様々なクリーチャー・NPCのデータ・ログを記録してもらった。
そのデータ・ログから、神経系情報の項目を取り出して『スターダストオンライン』に接続されているM.N.C.(マス・ナーブ・コンバータ)へのアクセスを可能にした。
このわたしが! 自力で、だ!
多少、会社の備品やPCを使わせてもらったが……。
「それは!
アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコ、シリコンバレーに拠点を構える世界にその名を轟かせた企業『エンドテック』の傘下にあるわが社のピンチだったからだ!」
オフィサー・木馬太一は土埃に塗れたままで己の拳を自身の膝へと叩きつけた。
幾度かで動きは緩慢になる。
笹川宗次から受けた爆破のダメージのせいで、すっかり借りもののリザルターアーマーはダメージを受けてしまった。
【アンチグラムシステム】によって剥き出しとなった冷却装置は、スラスターによる加速やエネルギー充填速度が増加する反面、分厚い鋼板による防御がなくなるため、命中すれば攻撃は直に動力部へのダメージとなる。
「その直撃から守るためのカイトシールドを、わたしは剣に持ち替えてしまったわけか! ははは……なんてザマだ。」
爆風によって舞い上がった砂埃。その向こうにいる複数の影は”戦場の霧”とも称するべき摩擦だ。
我がクライアントは、リヴェンサーには味方がいないと断言していた。
現実世界ではそうとも言い切れないが、殊、『スターダストオンライン』をプレイする人間は全員、リヴェンサーという守り神を疎ましく思っているのだ、と。
それは一つの面から言えば、確かに的を射ていた言えるだろう。
現在も流れるクラン専用のメッセージログがその証拠だ。
リヴェンサーが学院会を退去したことで彼らの不満は一挙に氾濫した。
ネームレスや局所的に街内に現れたクリーチャーへの対処、そしてプレイヤー間のいざこざの解決を一挙に担っていてくれたリヴェンサーは、今では学院会メンバーにとっての大悪党になっている。
2レスに一つのペースで「殺せ」の文字が含まれたメッセージが流れていく。
自分でリヴェンサーを倒そうという気概のあるプレイヤーは一人もいない。
彼らの目的は、誰かを焚きつけてリヴェンサーに挑ませ、返り討ちに合い殺されることだ。
誰かがキャラロストされれば、鳴無学院の生徒から一人、天才が消える。
……蓋を開けば、”ネームレス”というプレイヤーキラーは、必要悪だったと言っても過言ではないのでしょう。あるいは、学院会のメンバーがつくった集団偏執の産物だ。
ロマンチックにいえば、呪いともいえるな。
けれど、ネームレスは実在する。実在し、学院会というマジョリティに反旗を翻して、リヴェンサーを庇っている。
だからこそ、今わたしは借り物のリザルターアーマーを大損壊させてクライアントの評価を下げてしまう危機に立たされた。
『リヴェンサーが俺のフレンドリストから消失しないんだけど。』
そぅら、クライアントからの催促メールが届いた。
無知蒙昧のガキンチョが。 お前の算段が甘いからこうやって想定外の出来事ばかりが起こって現場の人間が困るのだ。
「【チャフ・グレムビー】の情報を瀬川遊丹のキャラクターへアップロードし、リヴェンサーも彼女を庇うために彼女自身にやられて倒れました。
計画が順調だったことは坊ちゃんから見ても明らかで」
『要は宿題やったけど忘れて提出できませんってことだろ?
そういうのいいから、倒せるの? ――それとも倒せなかったの? 』
こういうときだけ結果主義みたいな聞き方をしやがる!
わたしの努力が1か0に変換されていく!
あぁあぁ、なんてこった、わたしの周りだけはしっかり資本主義の空気を纏ってやがる。
今目の前にいる笹川宗次とプシ猫ビッチの会話は如何にも無駄千万。
ビームピストルの2丁拳銃なんてものが無益の長物であることくらい、このゲームをロクに遊んでいないわたしにだって理解できる。
『残念だけど、出来ないなら貴方は一生、まともな職にはつけなくなるね。
ミスの秘匿、隠蔽、その上更に有数企業の機密を漏洩しちゃったんだから。
まぁ、木馬さんもこんな社会には疲れたよね。
ゆっくり隠居生活を満喫するといい』
個人通信相手は木馬太一の返事を聞かぬまま、話をつづけた。
彼の言葉は猫を撫でるかのような優しい声音だったが、その内には無能を貶す侮蔑の念を孕んでいた。
それを聞いて木馬太一の中で何かが弾けた。
「やれますよ、もちろん。 わたしは与えられた仕事は全て無難にこなすエリートだ。
そのためにはわたしの持ち寄った力で、この場を切り抜ける必要がある。」
『……? 今なんて』
会話の途中で通信を切る。
そちらが結果を重んじるなら、こちらだって明確な答えを突きつけましょう。
木馬太一――オフィサーは首筋付近に手をあてた。
本来はリザルターアーマーの鉄の感触があるはずの箇所だったが、そこに触れる前にオフィサーの掌は何か透明な突起物に触れていた。
「《苦痛に対するパラメータの数値を変更》」
音声認識によってオフィサーのヘッドアップディスプレイに旧型じみたデスクトップパソコンの画面が表示される。
指先のフリップ操作でカーソルを動かし、一つのファイルを選んでアプリケーションを起動する。
そこに膨大な量の数列が並んだ文章があった。
数列は頻りに数を変えていく。
内の一つに”0”という数字が変動することなく表示されている数列が存在した。
オフィサーはそれを”50”まで上昇させる。
「これは私的乱用ではありませんっ」
自分に言い聞かせるようにそう唱えた後、オフィサーは〈Apply〉を選択した。
対象は選ばない、プレイヤーの苦痛に対する感度を”有り”にした。
けれども自分が痛みを伴うなんて真っ平御免被る。
【アンチグラム・システム】は装甲板をパージすればするほど、そのエネルギー稼働率を上昇させる。
そして、装甲版の全てを引きはがしたとき、その真価は発揮される。
「これはクライアントに対する”忖度”に他なりませんので!」
装甲が剥がれてその内側にあった黄金色の冷却システムが露わになった。
それと同時にオフィサーは【25mmドラグ・カノン】を可能な限り連射する。
「なんだ? 全部狙いが外れてるじゃんか」
構えた2丁のビームピストルでオフィサーを捉えていた笹川宗次が、彼方へと飛んでいく【25mmドラク・カノン】の砲弾の行方を仰ぎ見た。
「【アンチグラム・システム】は冷却装置の域を超える。」
もはや相手を憤慨させるための言葉はいらない。
リヴェンサーを貶めるなんていう過程なんぞ、必要なかったのだ。
やはりわたし――木馬太一という善人が悪役の真似事をするなんて性に合わない。
ただキャラロストして終わりだ。
オフィサーのリザルターアーマーが内燃機関を轟かせ、化物のような唸り声をあげはじめる。
そして彼はやがて、ファンタジー世界のドラゴンのような二足の魔物へと変容していく。
「なんだよ、出てるゲーム間違えてんじゃないのか!」
笹川宗次が2対のビームピストルでオフィサーを攻撃する。
どちらもしっかりとターゲットへと向かう弾道を描いていた。
だがしかし、オフィサーへと着弾する前にビームの閃光は【アンチグラム・システム】が噴射する放熱の勢いによって打ち消されてしまう。
ドラグカノンの弱点はそのエネルギー消費だ。
だが、アンチグラム・システムはそれすらも防御手段に変えてしまう。
「この【Ver.ファフニール】は黄金に輝く限り、どのようなダメージも通さない。
さぁ、わたしの反撃だ。」
オフィサーがドラグカノンを放つ。
今度は狙いすました一撃だったが、それでも笹川はかろうじて砲弾の直撃を免れた。
だが。
「――!! いっ痛!」
砲弾が笹川の脇を抜けたときに削ったアーマーが裂け、内部の笹川の身体にわずかながらダメージを与えていた。
その些事が、確かな痛みをともなっていた。




