棺桶より
☆
三日前・午後10時00分――学院会・ペントハウス。
私は人を模った棺桶にいる。
意識があるのに私の身体は少しも言うことを聞いてくれず、声をはりあげて助けを呼ぼうとも誰も私に気づいてはくれない。
できることといえば、暗中で浮かぶ2つの小窓のような閉塞した視界を眺めることだけだ。
1つは、白い天井に黒い斑点がまばらについた天井が見える。
毎日、看護師らしき誰かが無関心な表情で何かを呟いて、視界から外れていく。
その繰り返しを延々と見せられる小窓だ。
おそらく、私はどこかの病院で寝かされているのだろう。
この小窓を見ていると気持ちが滅入ってしまうのを感じる。
時々、私を見舞うために二人の男女がそれぞれ会いに来てくれる。
一人は月谷 芥。妹が事故にあったときから医者を志すようになった愚直な私の大事な人だ。
ただでさえ忙しい身の上なのに、彼は私の通う鳴無学院で生徒会長まで勤めてしまっている。立候補すらしていないのに投票で生徒会長選挙で一位になってしまったため、止む無く務めている。
その割に、行事進行で失敗したことがないあたり彼らしい。
『疲れないの?』と聞けば『疲れてる暇なんてないさ。なまけたら唯花に怒られるよ。』と暑苦しい笑みを向けてくる、そんな芥を私は羨ましく思っていた。
けれど、小窓に映り込んだ彼は唇を固く結んで眉間にしわをよせていた。
今にも泣きだしてしまいそうな表情で、病床の私を覗き込んでいる。
「今度は絶対に助けるから。 何を犠牲にしても」
幾日も寝ていないのかもしれない。彼は私から視線を外すと、三白眼の瞳を虚空へ向けて何かを睨んでいた。
――何を犠牲にしても。 そんなこと言っても、彼が犠牲にするのは自分自身だ。
自分を犠牲にして、私をこの棺桶から出そうとしている。
そのことがただ辛かった。
もう一人は釧路七重。小学校からの幼馴染である彼女は、私の一番の親友だった。
他人の目を気にしすぎる私と比べて、彼女は一匹狼とか孤高という言葉が似合う強い女の子だ。
八方美人で本音を隠しがちな私は彼女の前では、とっても幼い自分をみせてしまう。単純な好き嫌いが言えてしまうのだ。
七重は……私のことが好き、らしい。
”友達として”とか”家族ような”という表現じゃなくて、純粋に恋愛感情として、私のことが好きだと告げてくれた。
……人が行きかう駅で急に手を握られ、告白されたことに驚いてしまった私は七重の手を振りほどいてしまった。
それが彼女を傷つけた。
私は七重という本音を言える相手を失って、当時生徒会長だった芥に縋りついてしまった。
その間に……彼のことが好きになっていた。
『ナナちゃん、ごめん。 私好きな人がいるんだ』
『ん、わかった。真剣に考えてくれて、ありがと』
『でも私たちが親友だってことは変わらないよ』
『当たり前だよ。 うん。』
嘘だ。
七重に告白されたとき、私にはただ戸惑いだけしかなかった。好きな人ができたのは七重の告白があった後だ。
小窓から私を覗く七重は、冗談交じりに微笑む。
「元会長さんがいたから病室出てくまで待ってたの。 待合室のゴルゴ1〇、もうじき読破できそう。 私も裏稼業でスナイパーやってるからね、結構面白く読んじゃったよ」
元々、自分から多くを語ろうとはしない正確な彼女はじきに黙りこんでしまう。
そして振り出しの雨のようにポツリと短くこう言う。
「ごめん、なさい。
私が告白なんてしなきゃ、ユニは思い悩んだりしなかったし、『スターダストオンライン』にログインすることだって、なかったかもしれないっ。
キャラロストだってしなくて済んだかもしれない……」
ごめんなさい。そう連呼する親友にすら何も返事をすることができない。
「私、バカだ。
告白したとき、好きって言ってもらえるなんて最初から期待してなかった。
ただ、少しの間だけでもユニが私のことを想って悩んでくれればいいって思った。
他の友達に囲まれてるユニにヤキモチ妬いてたんだ。
もし罰が当たるなら、私の方なのにっ」
ここは棺桶だった。
静かに慟哭する七重は、しばらくして病室から去っていった。
程なくして消灯時間となり、小窓は暗転する。
もう1つの小窓には、見知ったものが何もない”英国風の個室”が映っている。
私がこうなった原因であるVRゲーム『スターダストオンライン』の世界を映す小窓だ。
客間やパーティールームのようにだだっ広い空間にはアンティーク調の家具が並べられている。
私は、どうやら備え付けのバーカウンター席でぐったりとしているようだ。
視界が横に見えているのもそのせいらしい。
どうやらここは”彼”の拠点らしい。
二人掛け用のソファに寝ころぶ人物を私は知っていた。
――木馬太一。
芥と話している姿を何度か見かけたことがある。
確か、医療器具メーカーのセールスマンで芥の妹・唯花ちゃんの治療に関わっていた人だったはず。
どうしてこんな人が『スターダストオンライン』をプレイしているのか、はっきりとはわかっていない。
けれど木馬太一が命令をうけてプレイしていることは一目瞭然だった。
ふと、彼はソファから起き上がる。
「いらっしゃったのですか」
一瞬だけ私に言ったのかと思ったが、ただの勘違いだった。
木馬太一が告げたのはカウンター席にへばりつく私ではなく、その背後にいた誰かだった。
急に視界を覆われて何もみえなくなる。
「いちゃ悪いかい? ここは俺のためにある世界だ。 俺はどこにでもいけるし、誰でも支配できる。」
光と影が交互に現れて目が痛くなりそうだった。
けれど、このゲームは痛覚や苦しみは感じない仕様だ。
たとえ眼球に指が触れていようとも何も感じることはない。
どうやら背後の人物が私の頬を撫でているようだった。
そのたびに左の瞳がめくれ上がっているのが視界の歪み方でわかる。
「そのはずなんだけどさぁ、ウジ虫が一匹、やたらと飛び回ってるんだよね。オマケにバカ一人は俺の許可なくメンバーを増やしてるし……」
ヘッドアーマーに包まれたこの声を私は知っている。
何度か姿をみたこともあったが、全身を鎧が包んでいるせいで顔はみることができなかった。
「随分と、ご機嫌な優れないようです。少し休んでは?」
「黙れ。 それよりもM.N.C.の調整はできているんだろうな?」
「はい。ようやくコンバーターの調整プログラムが組み終わりました。 これでゲーム内の痛覚伝達も自由です」
「そりゃあ、いいね。」
M.N.C.。マス・ナーブ・コンバーター……芥がよく話に出していた気がする。
彼はこの機具を技術を学ぶために医療関係の道を選んだって……。
じゃあ、痛覚伝達ってもしかして――。
「――ところで、ねえ知ってるかい?」
背後の人物が突然声を張り上げた。
「向こうの世界で意識がない状態でも、こっちではちゃんと”目覚めて”いるんだってね。
ただ、このキャラは使わせないようにしてるから、ほとんど動けない状態だろうけど」
頬を撫でる指の動きが止まる。そこでようやく、声の主は私に向かって話しかけているのだと気づいた。
「オフィサー。試しにコンバーターをいじってもらえるかな? ”痛覚”だけ彼女に返してあげようと思うんだ」
「可能ではありますが、そんなことをすれば彼女の精神がどうなるか……。
いえ、出来ないとは言ってません。わかりました。やりましょう。」
「ありがとう。オフィサーのおかげで今日はぐっすり眠れそうだよ。
……それじゃあ、試しにこの目玉から抉ってみようか」
彼がそう告げた途端、頬には鉄やすりで撫でられる不快感が蘇ってきた。
そして次の瞬間――。




