湾曲の刃は被害者を映す
プシ猫の見上げる視界に月は出ていない。
月は現在彼女がいるスペースコロニー『アイランド2』そのものだからである。
しかし、プシ猫は自身の頭上を覆っていた熱量の塊に三日月を見た。
大きな鎌だ。
草刈り鎌を更に湾曲させて巨大化させた刀身が、自分の頭を切り裂こうとしたのだ。
プシ猫がそう気づく頃には、走馬燈がごとく伸張された時間の流れがゴム糸を弾いたみたいに氾濫した。
「そのまま伏せていろよ!」
リヴェンサーが叫ぶや否や、彼は構えていた大剣で大鎌を弾いていた。
鎌の使い手は、不安定なアンテナ塔の足場を揺らしながら、颯爽とリヴェンサーに距離をとった。
プシ猫が見えた数撃の打ち合いでは、リヴェンサーが勝っていたようにみえた。
路久を負かしたのは何もアーマーの性能だけではない。
そう思わせるには十分すぎるほど、取り回しづらいはずの大剣を巧みに操り、襲撃者の攻撃をさばいていた。
故に、鎌の使い手は距離を取ったのだ。
長柄物を使う敵の姿は、接近された状態ではただの黒い塊にしか見えなかった。
だが、距離をとった今でもその印象は変わらない。
黒い塊だ。
詳細に述べるなら、ゴミ箱に使われているような黒いビニール袋……そしてそこに鴉が群がっているような……。
一見すればクリーチャーにしか見えない外見だったが、ディスプレイ表示には目の前のソレが”バンディット(犯罪者)”プレイヤーになったことを示すメッセージが表れていた。
プレイヤー名は”ニァンニャンEU”?
テキトーな名前だ。私やネームレスである彼よりも、下ネタっぽさがないという点で劣っている。
内心でジョーク混じりの独白をし、プシ猫は自身の主兵装を手に取った。
まがいなりにもネームレスの戦い方は見てきたのだから。
そう言い聞かせながら、銃剣、銃床、どちらでも攻撃が加えられるように構えをとる。
「どうして私を守ったですか? このゴミ袋鴉は学院会の差し金では?」
「…………そんな、何故君が……?」
「?」
リヴェンサーの返事がないことを不審に思った彼女が振り向くと、その表情は驚愕を浮かべたまま固まっていた。
「弁明がないなら、私の敵は貴方とアレ、二人ですか?」
プシ猫が声を張り上げてようやく、リヴェンサーは我に帰って大剣を構えなおした。
「――、あれは学院会の者ではない。」
リヴェンサーの狼狽にプシ猫が怪訝な瞳を向けた。
現実世界での彼は、淡々とモノを語る堅物な生徒会長という印象だっただけに、その同様が浮彫りになってはっきりとみえてしまう。
それが物語るのは、一つしかない。
「どうせ信じないでしょうが、私もネームレスと呼ばれた彼も、あのプレイヤーのことは知らないです。」
第三勢力?
学院会はこのサーバーにいる全てのプレイヤーを管理しているはず。
その網を潜り抜けたのは私と戸鐘路久の二人のみ。
当の私たちですら、他の活動している勢力がいるなんて聞いたことはない。
リヴェンサーに嘘だと咎められる覚悟はあったが、彼は別段プシ猫の発言を気にかけず、プシ猫と襲撃者の間に割って入るように、自身の片翼でプシ猫を守るように広げる。
「俺は君のことを頼むと、遊丹から言われている。」
「……ユニ、それはお節介です……」
恋敵に守られることより侮辱的なことがどれほどあろうか。
聞く耳持たずにプシ猫は兵装を切り替える。
【10㎜徹甲マシンガン】は初期から所持している兵装の一つ。
初心者にあてがわれる主兵装なわりにリコイルが大きく、初期アーマーでは小さい的にあてるためにそれなりのテクニックが要求される。
プシ猫のメインアームである【電磁式ライフル】は現在、使える状況にないのだから、このマシンガンを使う以外、手はなかった。
だがしかし、射撃環境のみを考えて設計されたアーマー【キャノンサス】であれば、この程度のリコイル制御は些事に他ならない。
よって、プレイヤーテクニックによるデメリットは相殺される。
守られるのが嫌なら、己で戦う。
湾曲した羽根の形状を隠れ蓑して、プシ猫が左方から飛び出した。
視界のディスプレイ表示にマシンガンと連動してターゲットサイトが追加される。
”ニァンニャンEU”を中央に捉えたところでプシ猫は引き金を引いた。
マシンガンを持つ右腕のサスペンションやカウンターリコイル機能が働き、機関銃の反動下にあっても微動だにせず、弾丸はターゲットへと向かっていく。
「くっ! 大人しく守られていろ」
「そんなの死んでも嫌です。 私からユニを奪っておいて!」
「本音が出たな! そういうところが彼女を――くそっ。 君は撃つべきじゃないんだよ!アレに」
しかし、リヴェンサーの叫びとは裏腹に、集弾率に優れた弾筋はレーザービームのように赤茶けた残光を描き、やがて敵へと着弾する。
アーマーと呼んでいいのか定かではない”ニァンニャンEU”の黒い羽毛のような装甲を貫き、その身体が跳ね上がる。
私の【キャノンサス】同様、装甲を削って身のこなしがしやすいように作ったのかもしれない。でないとここまで派手にダメージを受けるはずがない。
……ライフゲージはそれなりに減っている。これなら。
『スターダストオンライン』において、実弾銃器であってもリザルターアーマーのエネルギーを消費して撃つ仕様となっている。
プシ猫はアーマーによるチャージから更に、背部のエネルギー貯蔵パックにマシンガンを接続して素早いリチャージを行う。
そして間髪入れずにマシンガンは再度フルオートで撃てる状態になった。
「私が後方支援をするです。 リヴェンサー、貴方は敵の接近を――ぁ」
プシ猫の声が金切り音にかき消される。
その音が人によって出された叫びだということに気づいたのは、”ニァンニャンEU”というプレイヤーが倒れこんでからだった。
金網でできた足場に何度も身体を打ち付けて、プシ猫にうたれた箇所を押えては苦悶の声をあげる。
「このプレイヤー、何かおかしいです。」
唯一、脅威といえた大鎌も敵は手放してのたうち回っている。
そのあまりにも痛々しい豹変ぶりにプシ猫の内心も震え上がっていた。
しかし、油断してはいけない。
そう自分に言い聞かせて、プシ猫は再度銃器を構え、敵が即死してキャラロストしないよう、脚部へと狙いを定める。
だが、リヴェンサーはプシ猫の傍らに立つと、マシンガンの銃口を無理やり掴み上げた。
「もうよせ。 君は早くこの場から去るべきだ。 言った通り、”彼女”は学院会の者ではない。――だが、俺の管轄だ。」
プシ猫に有無を言わさず、リヴェンサーは通信器で誰かと喋り始めた。
その間に、リヴェンサーは暴れる襲撃者を大剣の平で抑え込む。
「……オフィサー……一体どうなっている!? どうして彼女が……れた状態になっている……。」
端で彼の声音が荒れているのが聞こえてきたが、襲撃者の叫びと重なってよく聞こえなかった。
否、リヴェンサーの話す内容よりも、襲撃者の様子があまりにも痛々しくて、そっちに気を取られていたせいかもしれない。
いつの間にか、右腕にまで震えが影響して、しっかりと狙いが定まらなくなっていた。
どうして?
『スターダストオンライン』で苦痛は感じないはずなのに、どうして目の前の敵は苦しんでいるのだろう。
”ニァンニャンEU”というプレイヤーが暴れた拍子に、彼を覆っていた鴉の羽毛じみた外装がめくれあがり、内側の様子が少しだけみえた。
その内装はプシ猫の【キャノンサス】アーマー同様、活動最低限の外骨格のみを残して装甲が削られたものに仕上がっていた。
あれなら背部スラスターによる推進力は高まり、強襲することは容易かもしれない。
けど、今みたいに被弾したらすぐにでもライフゲージは削れてしまう。
「……そんなアーマー、まるで、殺してくださいって言ってるみたいに見えるです」
プシ猫の呟きにリヴェンサーが振り向いた。
その表情は、見る見るうちに失意と絶望に満ちていく。
「学院会が……裏切ったのか」
「い、一体なにを……」
プシ猫がリヴェンサーに問いかける前に、二人は救難アンテナ塔の階下で騒めく人の声を聴いた。
人混みが薄かった救難アンテナ塔の足元にはいつの間にか人だかりができていた。
あのランダムな挙動は、明らかに中身のあるプレイヤーだった。
「私をはめたのですかっ!?」
プシ猫が吠える。だがリヴェンサーの関心は彼女ではなく、彼が今も取り押さえている”ニァンニャンEU”に向けられていた。
依然として必死な表情を絶やさず、苦しみ暴れる襲撃者を抑え込もうとしている。
「何か、敵を無力化する兵装は!? 俺の【コーティング・アッシュ】では威力が高すぎるんだ!」
人だかりを意にも留めず、リヴェンサーが怒鳴る。
「――【エレキ・バヨネット】なら電気ショックと同じ要領で可能かも。 で、でもこのゲームに気絶する要素なんてないです!」
「それで構わない。早くしろ。じゃないと、彼女が……」
尋常ならざる雰囲気を感じ取って、プシ猫は謂われたとおり、メニューから主兵装の【電磁式ライフル】を呼びだす。
そしてその先に備わった銃剣を手に取った。
「ぁ……ぁあぁあああぁあああぁああぁ!!」
「っあぐっ!」
銃剣を持ったプシ猫の接近に、”ニァンニャンEU”が抵抗を強める。
傷つけぬよう加減しながら抑え込んでいたリヴェンサーの身体が浮き上がり、抜け出されてしまった。
「とめろ! 彼女を――遊丹を止めてくれ!」
「――ユニ……?」
リヴェンサーの言葉にプシ猫は思わず、声をあげた。
そして彼女――”ニァンニャンEU”の姿を見る間もなく、エレキバヨネットの刀身は空を切り、襲撃者は軽装甲のアーマーとありったけの推進剤を消費して、アンテナ塔から地上へ逃げるように飛び込む。
そして……その両腕の大鎌が、地上のプレイヤーを捉えていた。




