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名無し


 ――――――――――――――都内某所、テナントビルの4階にて。


「この現象は一体……?」


 ロクとトール、二人の動向をモニターでチェックする諸は困惑の表情を浮かべていた。

 その隣で波留も何やら思考を巡らせているようだった。

 ロクたちがサイロ基地の最下層についたあたりから、彼女の独り言は勢いを増している。

 独り言のくせにマシンガントークじみた早口で、次から次へと仮定を述べているようだった。


 サーバーの乗っ取り? 単純なバグ? NPCの活動アルゴリズムに不備があった?


 誰かのミスであれば、このスタジオ内ではすぐに名乗り出る者がいるだろう。

 『スターダスト・オンライン』開発において、僅かな不備が大きな事故に発展することがありえるということを、このスタジオメンバーの全員が理解しているからだ。


 けれど、皆が一様に考え込んでいるあたり、これは原因不明の案件ということになる。

 

(よりにもよって最終段階に入ったこの時期に……。)


 事態は刻々と深刻さを増している。

 ゲーム内定点カメラに映らない一人のプレイヤーらしき人物のせいで。


 軍による大規模なジャミング・クラッキング・なんじゃらホイ。


 波留がそこまで思考を飛躍させたところで「ハッ」と我に返る。


「宇宙人による電波攻撃か!?」


「いやそれはない……」



 やんわりと諸が否定する。

 開発部門を仕切る波留ですら混乱しているのだ。諸もわずかに冷や汗が滲み始めた。


 モニターに目を移すと、確かに高レベル帯リザルターアーマー【アリアドネ・フィルター】が敵としてプレイヤー・ロクに襲い掛かっている。


 高出力ビームの一撃が掠れたトールは、脚部の破損で動けずにいるようだが未だ存命だ。

 まがいなりにも運動センスに優れているおかげか、あの距離のビーム砲を躱すのは見事だ。

 本来ならトールも評価されるべきところだが、今はこの敵――名前が空欄になっているプレイヤーの正体を突き止めなければならない。

 


「……――主任。これだけ記録漁って頭絞って何も検討がつかないなら……原因は基盤のほうにあるのかもしれないです。」



 諸が恐る恐るそう告げると、いの一番に反応したのは石橋マンタだった。



「基盤? M.N.Cマス・ナーブ・コンバーターに問題があると? そりゃあ笑えるジョークだな」



 演劇チックな笑い声をあげる石橋に対して、波留は俯いたまま視線を一定にとどめていた。



「人の神経系と電脳空間を繋げられる魔法の機器……うん、あたしもそんな気がする。でも仮にそうだとしても、あたしたちがどうにか出来る領域じゃないよ。

 M.N.C.の販売元である米企業『エンドテック』社に答えを求められるわけじゃなし。

 かといってあたしたちが弄るには、M.N.C.のプログラムはブラックボックスだらけ。

 そもそも開けられたところで、元々は医療機関で使われているような装置がいじれると思う?」



 魔法。そんなワードが飛び出るほどの革新的な力をひめたマス・ナーブ・コンバーターは本来医療用に使われている。


 主にVR空間でのリハビリや神経系の麻痺に効果があるとされている。が、『スターダストオンライン』のスポンサーである古崎グループはこれをVRゲームとして転用していた。

 波留たちはつくったのはあくまでも、M.N.C.が変換した人間の神経系の活動情報を利用し、『スターダストオンライン』VR世界のキャラクターに感覚を移しているにすぎない。


 もっとも、それ自体、偉業と呼べることなのだが……。



「石橋さん、このM.N.C.って元々は国内のV大学病院から下りてきたものを使わせてくれてるんだよね?」



「あそこは古崎グループが出資しているからな。それが?」



 ?マークを浮かべる石橋を無視して波留は再びモニターに向き直る。

 そしてうわ言のように諸へと言った。



「……幽霊は何者なのかわからないから幽霊なんだよね?」



「……さっきの話? わ、わかりませんよ。そんなの」



「あたしはこのプレイヤーの正体がわかったかもしれない。

 ――けど、一言で表すなら、あれこそ幽霊と呼べる存在かもしれない。

 ……バーチャルブレインウーンズは多分、人格にも影響を与えるんだ。」


 声のトーンが本気のソレだった。

 波留の言葉を聞いて諸が唾を飲み込むことしかできなかった。



「残りの説明はあとだ。 ごめん、石橋さん。 プレイヤーと連絡をとるよ!」




 

 ――【サウスオーバー地区 月面軍事サイロ基地 ムーンポッド最下層】。


 殴打。再び殴打。

 大気を押し出してこちらの身体を震わせる大型トラックの衝突。


 それが何度も繰り返されている状態だった。

 しかし”アリアドネ”と彼女が称した電流の結界はその巨腕の攻撃を一度も通していない。 

 眼前まで迫った【エルド・アーサー】は雷に阻まれ弾け飛んだ鉤爪付きの拳を何度も打ち付けていた。

 タール状にねばついていた黒い皮膚も今では剥がれ落ちて、奥のビビットな赤色の肌を晒している。

 まるで拳が徐々に燃え始めているように見えた。

 滴る血痕で鉤爪も染まっていく。


 そうまでして僕を殺したいのだろうか。

 否、むしろ僕しかいないからそうするのか。


 不思議なことに【エルドアーサー】は、この結界をつくった彼女ではなく真っ先に僕を狙っていた。

 度重なる格闘攻撃のラッシュは、一撃喰らえば二度と抜け出せなくなるだろう。

 だがその攻撃に堪えているこの電流の性能は恐ろしい。


 ……これ切れたら僕死ぬなー。


 もはや何度覚悟したか忘れてしまったほどの今際の際だ。


 結局無力な自分に悲しくなる一方で、あの蜘蛛プレイヤー――……もう蜘蛛じゃないから、とりあえず”名無し”としておこう。


 ついさっき僕が与えたダメージのリカバリーに入ったようで、またもやぐったりと脱力していた。やがて使用できなくなった肩部のミサイルランチャーと破損した肩掛けのような追加装甲が外れる。

 そんなパージを数秒で済まし、再び複眼に光を宿したかと思うと彼女は【エルド・アーサー】に踏み込んだ。



「正面からやり合うのか?!」



 背部の虫の腹部っぽいスラスターだけを残し、推進力をもちいて高速移動する彼女のアーマーは酷く簡素になりつつあった。

 十中八九、まだ装着していない兵装を残しているのだろうが、余分なパーツを取り除いた分、可動域が広がって機動力は格段にあがっている。


 ようやく敵対する存在に意識を向けた【エルド・アーサー】がこちらへの攻撃をやめてくれた。

 いつの間にか【エルド・アーサー】の腕は真っ赤な生皮膚を晒し、肩部の皮膚にまでひび割れがつきはじめていた。


 名無しは躊躇うことなく巨躯へと立ち向かう。

 予備動作にすら風圧が押し寄せるクリーチャーの振りかぶり。

 攻撃範囲は広く、避けるには先んじて横方へ回避するのが好ましいが、彼女は正面から突っ込むのをやめない。


 振り下ろされる必殺の一撃、それに合わせるようにして名無しも自身の左腕を振り上げた。

 彼女の腕から射出されるワイヤーのようなものがガラクタの一つに食らいつく。


「あれは僕の【30mm機関砲】?」



  【30mm機関砲 リベンジャー(粗悪)】のバレルへと巻き付いたワイヤーが突撃する彼女の勢いに若干引かれて、銃口が【エルド・アーサー】と名無しの直線上に捉えていた。

 流石、蜘蛛足がなくなっても蜘蛛じみている。


 ワイヤーを引っかけて攻撃を避けるつもりのようだが……。



「でも最初からよけるつもりなら、もっと初動を早くしろって」



 振り下げられた【エルド・アーサー】の腕は彼女を捉えている。

 ワイヤーによる不規則な動きであっても、移動距離が短すぎる。


 咄嗟にメニューから【10mm徹甲マシンガン】の兵装を選択するが、時間が足りない。


 直撃する。そう思った瞬間、けたたましい銃声が響き【エルド・アーサー】の巨躯が痙攣した。

 体勢を崩すエルド・アーサーの攻撃を避けて、そのまま剣型近接兵装で彼女は一閃する。


 【30mm機関砲】が一瞬だけ作動した!?


 巻き付いたワイヤーが淡い燐光を放って、機関砲の銃身に接続していた。

 兵装に有線接続できるワイヤーってことか。なにそれめちゃくちゃ便利じゃん。


 一方的に【エルド・アーサー】へダメージを与えた彼女だが、僕と対峙したときと同じように、やはりまたしても複眼の光を消して沈黙する。


 しかし今度は彼女との距離が狭まったことで、それがただ制止して黙り込んでいるわけではないと気づく。

 彼女の呼吸は荒れていた。

 過呼吸じみた浅い息遣いがここからでも伝わってくる。


 このゲーム内じゃ不快感はあっても痛みや苦しみのような直接的苦痛は感じないはずなのに、彼女はどうしてこうも苦しがっている?

 そういう演出とかロールプレイか?


 なんにしても【エルド・アーサー】がこのまま黙っているとは思えない。


 声をかけようとしたが、その声はクリーチャーの咆哮によって阻まれた。



「ああくそ、今度はなんだ……は?」



 【エルド・アーサー】の外殻のような皮膚が突如崩れ始めていた。






 

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