現実と仮想
『――なんてことしやがるんだ!? ゲームがしたいってだけで人を殴る!?
ふざけんなよ! 大体よ! 戸鐘、オマエはこっちにいるべき人間だろ?
スターダスト・オンラインがなくなってもいいのかよ!?
プレイしたくなのかよ!?』
もはやどのフォビドゥン・マンが発しているのかわからないが、松岡雄途の怒声が響き渡る。
松岡の言う通り、一つの気がかりは〈ロク〉にもあった。
彼は一体のフォビドゥン・マンを木片を散らせながら殴り飛ばす。
そこに戸惑いは欠片もなかったが、〈イチモツしゃぶしゃぶ〉の動向が気になった。
松岡をはじめとする〈学院会〉のプレイヤーは気づいていないようだが、こちらに向けられた言葉の数々はそのまま〈イチモツしゃぶしゃぶ〉に刺さる。
そもそもスターダスト・オンラインをプレイしたいと願っているのは彼だ。
そして、彼らと曲がりなりにも学院生活を過ごしたのも〈イチモツしゃぶしゃぶ〉である。
けれど〈イチモツしゃぶしゃぶ〉はロクの代わりに他の面々を庇うようにして警戒しているだけだ。
その判断は正しい。古崎徹の得意とする戦法はだまし討ちにある。
相手が待ち構えていたキャリバーNX09上の戦闘。先手は相手にとられる可能性が高い。
後手に回るなら徹底して身構える必要がある。
「譲れないって思うなら本気で戦えばよかったんだ!
〈学院会〉なんて使わずにできることがあった。 口論の余地なんて、ないっ!」
一体の【フォビドゥン・マン】をキャラロストさせる。
胴体から二つに分かれたフォビドゥン・マンが鉄板を跳ねながら消失する。
嘆きや呻きの隙間から戸鐘路久への非難が呪詛のように聞こえてくる。
こうなってしまえば現実世界に戻っても、鳴無学院で通学なんてできないだろう。
それは昼休み、月谷芥の集会を襲った生徒たちをみればわかる。
ヘイトは一気に戸鐘路久に集中するだろう。
……けどそれは自分が背負うべきものだ。
〈イチモツしゃぶしゃぶ〉では松岡の言い分をここまで跳ねのけることはできなかったかもしれない。
今〈ロク〉がフォビドゥン・マンを蹴散らすことは、ある意味彼にしかできない。
「(僕が戸鐘路久だ。)」
【グラム・ストーカー】に蓄えていたエネルギーを使い切り、今度はアーマーの推進器を使って加速する。
【result OS】を解除して行う複雑なマニューバで複数人のフォビドゥン・マンが作り出した木壁を打ち破る。
『くた、くたばれ! この、狂人どもが!!』
弾丸のような勢いで伸びてくる枝を次々に躱す。
学院会のプレイヤーらもクリーチャー化した自身の身体を操ることになれたのか、アビリティを用いた攻撃・防御をしはじめる。
――最初からそうすればよかったのに。
そう感じてしまう時点で〈ロク〉自身も彼らに感情移入せざるを得なかった。
所詮は自分も凡人だったから。
結局、こうやって争うことが凡人である自分たちの宿命で、天才はその遥か彼方で前へ前へと歩いている。
波留や紗矢のように、目的のために。
「だから、そうやって僕ら見て嗤っているオマエも同類なんだ! 古崎ィ!」
かかってくるフォビドゥン・マンの全てを葬り、その消滅していく樹皮の身体を放りつける。
青年の足元で倒れたフォビドゥン・マンが「徹、」と手を伸ばす。
その声音はたしか、同じクラスの〈渡木ほのか〉のものだった。彼女もまた古崎徹とよくつるんでいた生徒の一人だ。
けれど青年はのそりと【ジェネシス・アーサー】から身を起こすと、幽鬼がごとく足元をふらつかせた。
その表情は確かに嗤っている。
だが。
「……また……意識が。 なんだ、どうして皆倒れている?
ほのか、誰の許可を得て戦ってるんだ。
”お前ら”も!
俺の駒が、勝手にロストさせられてんじゃねえよ。」
話す声音と浮かべる表情が一致していない。
それどころか、渡木ほのかの名前を発して心配しているようにも見えた青年は、あろうことか、フォビドゥン・マンの頭部を足で踏みつけ始めた。
「おい、ライフゲージ減ってるじゃんか、ほのか! 戦うなって言ってるだろ。」
ライフゲージが減少しているのは当たり前だ。
古崎徹自身が彼女へ攻撃しているのだから。
それなのに聞こえてくる〈古崎徹〉の声は、さも〈渡木ほのか〉が第三者にダメージを与えられているかのように続けた。
残り少ないライフが見る見るうちに減少していく。その光景に〈渡木ほのか〉が嗚咽まじりの声を発する。
「やめ……て! もう、やめ。 あぁ、あぁあぁあ痛い痛い痛い痛い……」
突如彼女の声音の様子が変わる。
それと同時に〈湯本紗矢〉が「ダメ!」と声を張り上げた。
「先輩! 木馬太一から連絡です! 〈古崎徹〉が痛覚設定を有効にしました!
……この場にいる全員を対象に、です!」
紗矢は話終える前に【軽量型対空砲ヴィジランテ】を構えると、威嚇射撃のために【ジェネシス・アーサー】と青年へ数発発砲する。
咄嗟に青年の動きを押さえ留めようとしたのかもしれない。
だが、青年は踏み込む脚の力を緩めなかった。
「痛覚なんてやる意味がない。 俺が弄るわけないだろ、あんな危ない代物を。
”ほのか”もそう思うよな?
あれ……なんで、キャラロストしてんの?」
痛みに悶えた渡木ほのかの声がぱたりと消えた。
同時に乾いた木片の弾ける音とともに、彼女の身体が消滅していく。
自分が何をしているのか、古崎徹はわかっていない。
『戸鐘路久、聞こえるか。 私だ、木馬太一だ』
個人回線が開いて木馬太一の声が〈ロク〉だけに聞こえるよう、ヘッドアーマー内に響く。
「正気じゃない。古崎徹に一体なにがあったんだ? ……まさか」
『そのまさかだ。 古崎圭吾は交渉に応じた。
私はたった今、現実世界の古崎徹とVR世界の彼とのリンクを解除したところだ。
……じきに現実の古崎徹は目を覚ますはず。』
「その影響であいつはおかしくなってる?」
『いいや。 古崎徹はまだ現実世界に帰れなくなったことを知らない。
それに、彼の場合、オマエとダミーのようにゲーム内で神経的外傷を被ったわけじゃない。
クリーンな状態で、ゲーム世界と現実世界に複製された。
……あれではM.N.C.のコンバートシステムそのものに異常があるとしか思えない。
長い説明は省くが、スターダスト・オンラインはM.N.C.――マスナーブ・コンバータによって神経系情報をVRゲームに転用できるように変換する機器だ。
そこに異常が生まれた場合、視覚情報や認識にギャップが生まれる可能性がある。
……つまり、自分の行動に自覚が持てない』
木馬太一は淡々と問題解決のための仮説を並べる。
頼もしい反面、その変わりようが不気味に思えた。
彼は「だが、」と話を続ける。
「M.N.C.自体に干渉する方法なんて、ゲーム内では【スティングライフル・オルフェウス】を持つ彼にしかできない。
けどそれも、おかしな話だ。
今の彼は、自爆しているようにしかみえない。 支配できるキャラクターを増やす。
その目的を自ら潰そうとしている。」
木馬太一の言い分は説得力がある。
M.N.C.を好きに弄れるなら、前に木馬太一が警告したように、こちらの五感伝達を妨害すればいい。たとえば、それこと視覚だけでも古崎徹は〈ロク〉たちを簡単に葬れるはずだ。
何か別の策がある?
〈ロク〉が周辺を見渡すと、一つの気がかりに目が留まった。
それは、青年の凶行に必要以上の驚愕をみせる〈イチモツしゃぶしゃぶ〉の顔だった。
ヒントは芋づる式ですぐに答えへとつながった。
「……一人いる。
M.N.C.側から古崎徹を妨害できる”存在”が。
彼女はたしか、元々M.N.C.から現れた神経系情報の塊だったはず」
『誰だ……あ、そうか――』
木馬太一は〈ロク〉が何を言いたいのか気づいたらしい。
彼はすぐに通信口から離れ、自身の作業へ戻ったようだった。
――ヴィスカ。彼女が古崎徹を倒す手助けをしてくれている……?




