心の赴くままに
粗末な鉄筋の組み合わせでつくられた足場が途切れる。
代わりに、行く手には【キャリバーNX09】の胴体部へとあがるステップがあった。
〈ロク〉〈HALⅡ〉〈湯本紗矢〉〈イチモツしゃぶしゃぶ〉はそれぞれ躊躇することなく、胴体へと乗り上がった。
100mほど前方には、横たわる【ジェネシス・アーサー】の姿がある。
タールの染みわたった赤黒い獅子は、牙の隙間から吐息を漏らしながら長い溜息をついているようにみえた。
まるでこの場に降り立った4人に呆れているようにも見える。
「――で、キミらはどうしてここにきたんだ?」
ジェネシス・アーサーの膝元、タール油に塗れながら背を預けて座り込む青年が首を傾げている。
俯いているせいで表情は見えなかったが、声音に怒気は含まれていない。
純粋な好奇心からくる問いのように思えた。
〈HALⅡ〉は、潜伏するプレイヤー及び彼の使役するクリーチャーがいないか、視界を巡らしつつも彼へ答えを告げる。
「もうスターダスト・オンラインの犠牲者を生み出さないため。」
「このVRゲームの所有権は古崎にあるのに?」
「それでも、傷つく人たちがいるから」
〈HALⅡ〉は毅然とした態度で質問に即答する。
堅い意志を感じさせる答えは、再び青年の肩をがくりと脱力させた。
「――正直にいえば、もう俺に関わらないでほしい。
戸鐘路久、キミにはこのゲームを自由にプレイする権利をやるよ。
釧路七重、瀬川遊丹には古崎グループの力でこのゲームで受けた傷のケアを全力でサポートさせる。
月谷芥にも同様に、だ。 瀬川遊丹を大切に思うなら悪い条件じゃない。
そして戸鐘波留、貴女には再びゲームクリエイターとして輝ける場を提供する。
もちろん、今度は古崎グループの息がかかっていないスタジオだ。
加えて、金輪際古崎グループは貴女の前には現れない。
約束する。」
「ご生憎様。 アタシは自分の息子であるこのゲームから簡単に引く気はないよ。」
「――下らない!」
青年は怒声をあげると同時に、キャリバーNX09の装甲が金属音の悲鳴をあげた。
ジェネシス・アーサーがその場で一度地団駄を踏んだらしい。
「来い、皆! 彼女が俺たちの生活を脅かす元凶だ!」
青年が顔をあげる。
同時に【ジェネシス・アーサー】の足元で流れていたタールの中から、十数人の【フォビドゥン・マン】が現れた。
「そんなところに隠れていたのかっ!」
〈ロク〉がいち早く反応し、敵へと高速接近できるよう、【グラム・ストーカー】の遠隔端末を宙へと展開する。
「攻撃するなよ! 彼らは全員〈学院会〉のプレイヤー、俺の仲間だ!」
青年は声を荒げて告げる。
油まみれの肩は上下に揺れており、まるで本当に彼ら【フォビドゥン・マン】化したプレイヤーを心配しているようにみえた。
「ふざけるな、何が仲間だ!
散々こき使った挙句、キャラクターを支配して駒にしたようなヤツが!
そいつらもあの銃で操っているんだろ!?」
先手を打つため、〈ロク〉が開戦の一歩目を踏み出そうとした。
しかし、
『操られてねぇよ。 オレは徹のことを信じてんだからよ。』
一体のフォビドゥン・マンが前に出てきて〈ロク〉へと対峙する。
それを皮切りに、タールから現れたフォビドゥン・マン全員が青年を庇うようにして〈ロク〉へ向き直る。
全員の動きがバラバラで、かつ緩慢。 明らかにクリーチャーとなってしまった身体の操作に慣れていない印象を受ける。
もし、古崎徹が操っているなら、庇うという目的の下でこのような無駄な動きはしないはずだ。
『戸鐘、こんな姿じゃわかんねえかもしれないが、オレだ。
同じクラスの松岡雄途だ。
こんなことはやめてくれ。 オレは昼休みや休憩時間、ずっと独りでも平気な顔してるオマエを羨ましいと思った。
きっとこいつは、独りでなんでもできちまうんだって。
案の定、オマエが〈学院会〉に反発するネームレスだと聞いたときは、驚くと同時にやっぱりなって思っちまってたんだわ。
気持ちだって理解できる。
姉ちゃんの作ったゲームをプレイしたいのに、俺らに邪魔されて、そりゃあ良い思いなんてするはずがねえ。
――でも、逆にいえばよ?
さっき徹が出した条件で、オマエのほうは終わんだろ?
今からでも町の外へいきゃあいい。
オレはキャラロスト怖えから無理だが、戸鐘に度胸がある。
頼むから、オレと母さんの生活を奪い取らないでくれ……頼む』
フォビドゥン・マン――〈松岡雄途〉は木の軋む音を立てながら、身体を”く”の字に曲げた。
頭を下げているということは言動から察することができた。
そして〈ロク〉は、松岡が母子家庭であることも知っている。
松岡が戸鐘路久というぼっちに一目置いていたという話も、全て嘘というわけではないだろう。
スクールカーストでいえば底辺の戸鐘路久、そんな彼に目的もなく雑談しようと話しかけてくるのは松岡雄途くらいだ。
〈ロク〉が雑念を振り払う。
――つまり彼は、【ジェネシス・アーサー】より発せられた招集の命令に従って、古崎徹のところまでやってきたということか。
……まだこんなに〈学院会〉プレイヤーが生き残っていたなんて。
「わかっただろ?
これは俺だけの意思じゃないんだ。
今日の昼休み、月谷芥がスターダスト・オンラインのプレイを中止するよう呼びかけたらしいが、それでログインしないのは元の生活に戻れる奴らだけだ。
ここにいるのは、『スターダスト・オンライン』がなければ生活自体が破綻する。あるいは取り返しがつかなくなる連中ばかり。
俺に――〈古崎徹〉に操られると知ったうえで、ここにいる。
キミらは、ただ自分の矜持や罪悪感だけで彼らを蔑ろにするのか?」
タールを被ったフォビドゥン・マンは地獄にいる亡者がごとく、危うい足取りでロクたちに歩み寄ってくる。
「――み、皆、大丈夫。彼らを撃っても、バトルロワイアルモード下なら直接キャラロストはしないっ」
〈HALⅡ〉は仲間に呼びかけたつもりだったが、真っ先に答えを返したのはフォビドゥン・マンの群れだった。
「スターダスト・オンラインがなくなるのなら、ロストしようがしまいが、わたしたちはおしまい!」
「ぁ……」
気圧されたHALⅡがあとずさりを始める。
覚悟を決めていたはずなのに、いざ目の前にリスクを被る人々が現れたら、足が震えてしまう。
いつか誰かに「矢面に立て」だなんて言った自分がおこがましく思えてきた。
「でも……でもっ。」
HALⅡが無我夢中で叫ぶ。
義務感と使命に突き動かされたことで出た言葉だったが、口にしてみればやっぱりそれは、自分がやらなければならないことなのだと確信できた。
「やっぱり、スターダスト・オンラインはもう終わりしなきゃいけないの!」」
その瞬間、一陣の風が吹き荒び、複数の【フォビドゥン・マン】が一斉にキャリバーNX09の胴体の上を二度三度バウンドして木片をまき散らしていた。
数秒後には、彼らにまとまりついていたタールの雫が雨のように降り注ぐ。
その雨下の中心には、拳を突き出した〈ロク〉の姿があった。
松岡雄途に懇願された手前、〈ロク〉は確かに心が揺らぎそうになった。
ファッション不良を気取った彼だが、人一倍母想いな性格は嫌いではない。
――けれど、それは他人ごとだ。
鳴無学院での生活は、〈ロク〉の記憶に刻まれている。
だがしかし、あくまでそれらの過去は〈イチモツしゃぶしゃぶ〉が体験したことであり、〈ロク〉にはまったく関係がない。
オマケに愛するべき湯本紗矢に一瞬でも戸惑った表情を見せてしまったことが悔しい。
ついに暴力を振るった〈ロク〉へフォビドゥン・マンの非難の眼差しが向けられる。
ロクは浮遊する【グラム・ストーカー】を装甲に格納すると高らかに告げる
「上等! 僕にはスターダスト・オンラインがどうなろうと関係ない。
それどころか、僕はお前らみたいに、”天才”の脚を引っ張る偽物どもが大嫌いだ!
――悪党でもヒールでもヴィランでも構わない!
僕は古崎徹を完膚なきまでに倒しきる!」




