主人格と副人格
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4年前、マス・ナーブ・コンバータ――M.N.C.にてリハビリテーションプログラムを受けていた〈月谷唯花〉は、古崎グループによって秘密裏に行われたスターダスト・オンラインのVR環境テストに巻き込まれ、VR空間に閉じ込められた。
神経系情報のデータ変換が行われないまま、彼女はスターダスト・オンラインでプレイヤーでもクリーチャーでもない存在〈 〉――〈名無し〉となって開発中のゲーム内をさ迷った。
それから数か月後、彼女は〈ロク〉と出会う。
まともなプレイヤーと出会ったのはそれが初めてだった。
彼は言った。
このスターダスト・オンラインはすぐ沢山の人でいっぱいになる、と。
それは本当だった。
開催されたクローズドベータテストでは、プレイヤー約100名が参加した。
〈名無し〉はその嬉しさを〈ロク〉に伝えたいと願った。
彼女はその100名の中に彼がいると信じ切っていた。
けれど予想は最悪の形で裏切られる。
プレイヤー名〈トール〉――古崎徹は、〈名無し〉を特別イベントの標的に設定したのだ。
不死属性をつけられた彼女は、さもクリーチャーのごとく他プレイヤーへと狙われ、度重なるキャラロストを強いられた。
しかし、不死属性故にロストもできず、決まったところに復活させられる。
嫌になったところで、この世界に逃げ場はない。
そう知った彼女が選んだのは、スターダスト・オンラインの荒廃した大地を好きになることだった。
【エルド・アーサー】という巨躯の獣を慈しみ、大地を駆るリザルターアーマーに娯楽を覚える。
一方でストレスは決して癒えることはなかった。ただ目を遠ざけることはできても、彼女の心には理不尽と痛み、本来あったはずのなけなしのプライドさえ他者に侵され、ズタボロにされる。
それらは全て、もう一方の人格を作り出すことで賄った。
〈月谷唯花〉はVRゲーム内で解離性障害に似た症状を発症してしまった。
所謂二重人格となった彼女は、後に〈ヴィスカ〉と呼ばれる主人格と〈名無し〉と称される副人格に分かれることになる。
ターニングポイントとなったのが、〈学院会〉によって彼女が拘束された3か月後、ちょうど〈戸鐘波留〉がゲーム内に取り残された〈ロク〉を救おうと動き出した時期だった。
波留によって、次世代アーマー【スレイプニーラビット】を装着した〈ヴィスカ〉というキャラクターへと〈名無し〉はコンバートされた。
しかし、〈月谷唯花〉の全てが移されたわけではなかった。
〈名無し〉という虚ろな存在は、副人格を宿して単独でスターダスト・オンラインをさ迷った。
理由は、副人格である彼女が、主人格に被りそうになった全ての苦痛を背負って守ろうとしたからだ。
プレイヤーに理不尽な攻撃をうけたことも、誰もいない荒廃した世界に閉じ込められた孤独も、脳裏にまとわりつく痛覚の残滓も、主人格には耐えられないと判断した。
やがて〈名無し〉は【ジェネシス・アーサー】という器を手に入れ、無差別にプレイヤーを狩る獣へと変貌していく。
だが…………〈古崎徹〉に【スティングライフル・オルフェウス】を撃たれたことで状況は一変する。
〈名無し〉はM.N.C.にてリハビリテーションを受けていたころから、現実復帰を目的とした身体の痛覚設定が有効になってしまっていた。
それが原因で〈名無し〉はまともな思考すらできなくなっていた。
しかし、〈古崎徹〉が湯本紗矢との戦いで痛覚設定を無効化したことにより、彼に支配されていた〈名無し〉もピタリと痛みが消失したのだ。
そうなったことで、まともな思考ができるようになった副人格である〈名無し〉は、自分の目的を果たすべきだと思い立った。
つまるところ、それは主人格である〈ヴィスカ〉の幸せである。
――〈ヴィスカ〉の幸せはどこに望めばいいのだろう?
〈名無し〉は考えた末に、〈イチモツしゃぶしゃぶ〉に行きついた。
度重なった彼女の危機に彼は自身の危険を顧みずに何度も助けてくれた。
では〈ロク〉に対する贖罪はどうするのか、彼は名無しと出会ったことでゲームに閉じ込められるに至った。
その後ろめたい気持ちは?
明確な負の感情――であるなら、副人格である〈名無し〉が引き受けることだが、彼女はそれを拒んだ。
その一点だけは、主人格である〈ヴィスカ〉へと託してしまっていた。
理由は、贖罪なんてしなくとも良いと考えたからだ。
……〈ロク〉と〈イチモツしゃぶしゃぶ〉の立場を入れ替えてしまえばいい。
そうなれば、〈ヴィスカ〉はイチモツしゃぶしゃぶによって救われ、表面上は戸鐘路久も帰還したことにできる。
直近の3年間を現実世界で過ごしたのは彼のほうだ。
周囲の人間を誤魔化すことはさほど難しいことでもないだろう。
〈月谷唯花〉が現実に戻っても、彼ならどうにかしてくれる。
月谷芥には無理だった。戸鐘波留にも。けれど、彼なら。
利己的、あるいは利他的――突き詰めれば独善的ともいえるその考えを〈名無し〉は実行に移した。
現在。
【オルフェウス】によって共有させた〈古崎徹〉の思考を誘導し、イチモツしゃぶしゃぶへとその銃を受け渡すことに成功した。
古崎本人も、相手を攪乱するためのものだと誤認しているようだが、集めた〈学院会〉のプレイヤーへと自分が何者か聞いて回っているあたり、疑ってはいるようだ。
(”まぁ、後の祭りだが”)
〈名無し〉は【ジェネシス・アーサー】を自身の器として潜伏している。
古崎徹の指示に従うよう動いているため、操作感で彼に感づかれることはないだろう。
それより問題なのは主人格のほうだ。
彼女は副人格(名無し)の思い通りに従ってはくれない。
名無しがロクを貶めようとしていることも気づいているだろう。
行動には出さないが、内心で名無しは溜息をついた。
(”……私は、貴方のために戦ってるのに、どうして傍にいないの?”)
あのとき、思考誘導させた古崎徹に、ヴィスカのキャラクターをロストさせたのは間違いではなかったはずだ。
おかげで”二人の戸鐘路久”を協力させるよう仕向けることができた。
けれど、キャラロストに乗じて〈ヴィスカ〉が【キャリバー・タウン】の外へ行ってしまうとは予想がしていなかった。
行方はわからない。しかしながら、こちらの邪魔をしてくるのは確実だろう。
彼女が来る前に、〈ロク〉と〈イチモツしゃぶしゃぶ〉の入れ替わりを行わなければならない。
…………。
ジェネシス・アーサーの俯瞰視点が【キャリバーNX09】の外周を駆けるアーマー使いたちを視認した。
思ったよりも早い到達だ。
まるで、名無しの思惑が実現できるよう、神様が取り計らってくれているようだった。
(”あなたとならば、この町を抜け出せるー。
いますぐ、つれだして…”)




