ファムファタルな彼女
そのトロフィーの台座には〈古崎徹〉の名前が彫られている。
殴打した際に、持ち手として使った先端にはボールを蹴り上げようとする男の人形が付いている。
どうやら徹が小学生の頃に出場した少年サッカー大会での記念品らしい。
台座には驚くほどの血が付着していたが、あたしの手には返り血の一滴もついていなかった。
絨毯には、他にもたくさんのトロフィーや小物、冊子類が散乱している。
その中で彼の所有物を掴めたのがとても誇らしい。
同時に、彼があたしを常に見守っていてくれているかのように思えて、もっともっと愛おしくなる。
呻いた男にまたがって追い打ちをかける。
既に意識を失いかけている目出し帽の男は、緩慢な動作で懐のポーチから何かを取り出そうとしたが、その前にもう一度、今度は顔面目掛けてトロフィーを打ち付ける。
しかし、二度目の殴打で持ち手にしていた人形の足が取れ、トロフィーは弧を描いて牙一郎の横たわるベッドへと血しぶきをまき散らして落下する。
「あぁ……ァア。」
真っ白なシーツに赤の雨玉模様を描かれ、牙一郎は皺で垂れた瞼をいっぱいに開いて、目の前に横たわる血だらけのトロフィーを大事そうに抱えた。
「徹に血なんていらんのだ。 ……もう古崎グループに武力は必要ないんだ。
どうして終わりにさせてくれない……?」
牙一郎の独白に……少しだけこちらの気持ちが否定された気分になる。
あたしのほうが彼を理解しているのだと叫びだしたくなるが、徹はそういうことを望んだりしない。
彼は彼のために他人が何をしたかで平等に人を評価してくれる。
「――ッ」
今はもうグッタリとしている目出し帽の男から長銃を奪おうとした。
ゲームではアサルトライフル系の兵装に分類されるだろう真っ黒なその長銃は、驚くほどに軽量だった。
銃を吊るしているストラップが男の首に引掛ってなかなか取れない。
その間に、圭吾へ銃を向けていた女が今度はあたしに向かって拳銃の口を向けた。
焦燥が見てとれるほど女の顔は鬼気迫っており、このままでは殺されてしまうと直感が警告してきた。
「やめて。その子も混乱してるのよ!やめてあげて、佐元さん!」
あたしに寝たふりをするようジェスチャーしてくれたおばさんが、女へと声をあげる。
しかし止まる素振りはない。
けど、たとえあのおばさんの説得が成功しようがしまいが、あたしは撃っていたと思う。
長銃のグリップを握るや否や、間髪入れずに引き金をひく。
直後、部屋には銃声の轟音が……響き渡らなかった。
「――は……?」
間抜けな声をあげたのは、女に撃たぬよう懇願していたおばさんだった。
あたし自身もそんな呆けた声をあげそうになったが、銃の反動が来ることを予想して歯を食いしばっていたのでそうはならなかった。
轟音の代わりに、部屋には微細なモーター音と小さな破裂音だけが虚しく響き渡る。
どおりで軽いわけだ。
目出し帽の男が持っていたのは本物の銃ではなく、単なるモデルガンだった。
あたしにはそれが何を意味するのか理解するのに数秒かかった。
しかしながら、拘束されていた圭吾はあたしを一瞥すると、すぐに行動へ移った。
「なっ! 抵抗はするな!! んぐっ」
圭吾は身体を捻り、拘束の甘い両足で女の片足を挟み上げると、そのまま全身で反転し、彼女に膝を落とさせる。
どんな格闘技なのかは少しもわからなかったが、流れるような動作で圭吾は自身の膝や後ろ手に回され拘束されている腕を巧みにつかって女を床へと叩き伏せる。
この場を仕切っていた女が無力化されたことで、他の黒装束たちも圭吾へ反撃しようと構える。
「虚仮威しが!!
貴様らが危害を加えるなら、この女の首を折るぞ!!」
圭吾は両脚を器用に使い、片方は女の動きを制し、片方は女の首元を床に押しつぶすようにして膝で抑えている。
女を叩き伏せるまでの動きをみれば、彼の脅しが嘘ではないことは嫌が応でもわかってしまう。
目出し帽の男とおばさんから佐元と呼ばれた女、二人を除いた残り2人の襲撃者は、圭吾の威圧に一瞬だけ攻撃を躊躇った。
「よし。モデルガンも含めて凶器になりそうなものは全て床へ落とせ!」
圭吾の命令で一人が止むを得ないといった様子でナイフや包丁のような日用品を衣服の下から取り出す。
佐元が何かを叫ぼうとしたが、圭吾は彼女が口を開いたと思うや否や、膝に体重をかけて喉元を締め上げる。
やがて残ったもう一人の男も警棒のような何かを床へ放った。
「背後を向け、手は後ろに回し、そのまま――……な、おい、キミ!!」
圭吾は慣れた口調で襲撃者集団に淡々と命令を出す。
その脇で、命令も拘束も受けていないあたしはこの場において一番自由に動けた。
握ったままだったモデルガンの長銃をトロフィーと同じように上下逆さまに持ち、ちょうど背を向けた男二人に、モデルガンの持ち手が直撃するよう、渾身の力で二度振りぬいた。
その反動で、頭に嵌っていた『スターダスト・オンライン』へログインするためのヘッドマウントデバイスが床へと落ち込む。
”これはあくまで現実なのだ”と端末は訴えているように見えたが、それよりも優先するべきことがあると自分に言い聞かせる。
「これで徹を傷つける人はいなくなった。」
この場にいる誰もが、何か恐ろしいものでも見たかのような、泣きそうな視線を向けていた。
特に古崎牙一郎は震える腕でトロフィーを抱きかかえながら、頻りに何度も首を横に振って目の前の光景が直視できずにいるようだった。
「『スターダスト・オンライン』が人をおかしくさせる……」
誰かがそう呟いた。




