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失った人

 

 荒野。

 小規模なクレーターや鉄筋の突き出た廃墟の街並み。

 一歩踏めば何かが塵と化すそんな月面露出地区フリーフィールドで、一人のプレイヤーがくるりと身を翻す。


 かと思えば、そのまま背中から地面へと倒れこむ。

 受け身も取らずに〈北見灯子〉は鉄屑の空っぽな騒音を立ててまた横たわった。



「お、おい。 笹川、あいつどうなってんだ?

 キャラロスト……したら、いないもんな。

 なんであんな……」



 先ほどまで〈北見灯子〉に支配されていたであろう〈学院会〉プレイヤー――確か、ノリくんだったはず――がこちらに話しかけてくる。

 彼のほかにも、次々に他のプレイヤーが眠気眼のような視線で辺りを見回している。

 【アンチピロウスプレー】の内容物は、近くにいたプレイヤーの支配状態も解除していた。

 その中でも、ノリくんは支配されていた時間が短いようで、すぐさま今の状況を確認しようと努めているようだった。


 笹川は彼の問いに首を傾げるしかなかった。


 口ではああ言ってても北見だって、支配されてるもんだとばかり思ってたんだが……。

 やっぱり、彼女はれっきとした〈古崎徹〉の仲間なのだろうか。



「スプレーの効果は、北見にも効いてるはずなんだけどな……。」



 だとすれば北見は古崎の支配から解放されている。

 ではあの半狂乱の理由は?

 

 あれこれ考えている間にも、距離が離れた北見には雑魚クリーチャーが群がり始めている。


 【オートマチックハイエクスプロージョン】の炸裂弾がクリーチャー【リトルスタッカー】や【ジェル・ラット】の身体を貫いて破裂させる。

 クリーチャーの肉片や体液が飛び散り、北見の身体を汚していく。



 フェイスガードも付けていない彼女は、頬まで体液の油っぽい遊色に塗れていた。

 目玉をひん剥いて虚空を見つめている姿は、痛々しさを通り越して不気味に思えた。



「き、北見……どしたんだよ? 」



 笹川が恐る恐る声をかけるも反応はない。

 こちらが回復したことで一時的に表示された彼女のライフゲージは既に10分の一まで減少している。

 彼女は笹川と再会した最初から、こんなにも瀕死な状態で月面露出地区にいたということだ。

 自分は倒されないという自信あるいは、殺されてもいいという自棄がなければ、そんな選択肢は選べない。


 彼女を守るフリをしながらも、笹川の構えたライフルは北見へと向けられている。



「徹、徹……どうして呼んでも出てくれないの?

 私には貴方がいないと……いや、貴方には私がいないと、皆にいじめられてしまうわ」



 うわ言が口をついて出ているようだった。

 誰に宛てるでもない古崎徹への想いがにじみ出ている。

 数分前まで人を陥れようとしていた彼女はいない。



「お、おい!風紀隊! なぁ、あっちからまたモンスターがやってきてる。

 しかもちょっと強そうなんだ。 

 俺たちも戦うから生き残る術を教えてくれ!」



 気を取り戻した数人が、キャリバータウンの外壁を背に組んだ簡易バリケードの向こうから笹川のことを呼ぶ。


 孤立させるわけにもいかず、彼女の腕をとってバリケードのほうへ向かおうとした。 



「北見、もう古崎に恐れる必要はないんだ。

 そのライフのままでいたらクリーチャーの攻撃一発でロストしちまう。

 早くこっちに――」


 しかし、取ろうとした腕が急に持ち上がり、彼女は手のひらサイズのハンドガンを手にし、自分の頭へ向けて引き金を引こうとした。

 間一髪で笹川は強引に彼女を押しのけて射線をずらす。


 アーマーに跳弾した弾丸は彼方へと消えていく。

 掠れただけでも北見のライフゲージには大事だった。



「もう一度! もう一度、《パーソナル・リザーブ》に戻れば、徹と繋がれるかもしれない!

 離してよ! もう、あんたたちのことなんてどうでもいい。

 構わないって約束するから、徹とあたしの邪魔をしないで!」



「っざけんなって、そのライフゲージで弾丸喰らったらキャラロストしちまうだろ!?

 北見も〈学院会〉としてV.B.W.の影響があるんだから、下手すれば寝たきりになる可能性だってある!」



 彼女の手に握られていた兵装を無理やり奪って、自分のアイテムとしてストレージへと保管する。

 システム側が”窃盗”の警告音をヘッドアーマー内で響かせるが、とんでもない。彼女の手にこの――【オルフェウス・ハンディ】とやらが握られているほうがよっぽど危機である。



「返して……! 返してよぉ。 何でもしてあげるから、あたしのこと好きだったからスターダスト・オンラインに誘ったんでしょう? 

 もうあたし、”現実あっち”の身体はいらないから好きにしていいよ。

 だって肉体なんか重ねるよりも、こっちで交わっているほうがよっぽど好きな人と一緒にいられるもの。

 だからその銃返して、徹とのつながりを返して」



 足元に縋ってくる彼女に悪寒を感じる。

 満身創痍な体躯で忍び寄る姿はホラー映画にも勝る勢いだった。



「あ、あっちってなんだよ! あっちもそっちもねえよ。

 北見は一人だけだって、お前。ゲームやりすぎて変なことを混同しすぎてるだけだって。

 早く……早く、バリケードの方まで来てくれ、頼むから!」



 バリケードへ迫るクリーチャーを遠方から狙い撃って倒す。

 しかし、次第に撃破に必要な弾数が増えていくことに気づく。

 果てには、人間以上の体躯を誇る肉塊じみたクリーチャーに【オートマチック・ハイエクスプロージョン】の残弾を使いつくしてしまった。

 一時的にリロードまでの硬直時間が生まれてしまう。



「…………」



 北見はようやく観念してくれたのか、バリケードへと駆け始めた。

 彼女をターゲティングしていたクリーチャーをサブ兵装のビームピストルで撃ちぬきながら、笹川もバリケードへと向かおうとした。


 しかし次の瞬間、バリケードがある方向から、甲高い飛翔音とともに地上から天へと真っ赤な柱が立った。

 それはミリタリー映画などでみる、信号弾のようなものに見えた。



 飛翔体の放つ光に照らされ、空へ向けて手筒のようなものを持っている北見が笑みを浮かべている。

 不審な行動にいち早く気づいた”ノリくん”は北見へと殴り掛かった。

 笹川がそれを止めようとした瞬間、信号弾の間延びした飛翔音に呼応するかのように、キャリバータウンとは逆の方向から轟声が大気を揺らす。


 巨人の腹底から轟く咆哮であることは明らかだった。



「計画は成功させるから、今度は徹からあたしを求めて――ね」



 彼女の声だけが他の騒音を縫ってはっきりと笹川の耳に届いた。

 その計画とやらがどういう意味か、笹川にはすぐに気づいた。


 他のバリケードから這い出てきたプレイヤーに、北見が殴られ、射撃される。

 皆、笹川に遠慮して仕返しこそしてなかったが、自身を支配していた北見に不審な行動があればすぐに殺せるよう準備していたのだ。

 全ては自衛のために。



 少なかった北見灯子のライフゲージは瞬く間に減少していく。



「や、やめろ!! お前ら、北見だって〈学院会〉なんだぞ!!」



 もはや笹川の声は誰にも届かず、北見は狂ったような笑みだけを浮かべて……消失した。 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 第7章 Please call my name. 失った人  うぼぁ〜……色々と、メンヘラとか麻薬関連的に、灯子ちゃんにはイヤンなリアリティを感じるんですよね〜★……笹川くん哀れ。
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