足取りは重く。
☆
〈リス・ミストレイ〉はもごもごと何かを叫び散らそうとしている。
不可思議なクリーチャーへと進化した瀬川遊丹が、〈古崎徹〉に支配されていた彼女を粘着性の泡で拘束していたのだが……。
瀬川遊丹の希望でリスをキャラロストさせることもできず、かといって自由にしたところで僕らの敵になることは間違いない。
〈古崎徹〉が支配したキャラクターの視点を全て共有していることも知っているため、瀬川には真っ先にリスの視界を泡で塞ぐように言ってある。
とりあえず、動力機関のある腹部へと投擲用のナイフ型【ジャミングスパイク】を突き刺す。
これでリス・ミストレイのアーマーはほぼ無力化することができた。
ついでに四肢も切断してライフゲージギリギリにしておくのが望ましいと考えるが、それは瀬川に止められてしまう。
『よろしく頼まれた子が手足捥がれた状態で見せられたらアンタどう思う?』
「いや彼女NPCだし、不快云々は感じないと思うんだけど。」
『またNPC? あたしをこんなにしたオッサンも自分をNPCって言ってたけど、どういう意味?』
「”ノンプレイヤーキャラクター”、ゲーム内のAIが操るプレイヤーってこと。
〈学院会〉とは関係ない。重要なNPCなら、彼女がキャラロストしたところで、またどこかでしれっと生き返ると思う。」
モブだったらその限りではないかもしれないけど、ゲームの進行上、どうしても必要なNPCはそもそも殺せない不死属性がついてたりするものだ。
案外、手足を斬って無力化してもライフゲージはミリ単位で残るかも。
そうなればこちらとしても対処は楽だ。
しかし、瀬川はそれを良しとはしない。
『流石にゲーム脳すぎない? ていうかサイコパス?
リンドーってNPCに彼女ともう一人を頼むって言われたの。
人工知能って言っても、彼らはこの世界の住人ってことでしょう?
平気で蔑ろにできるアンタの考え、本気でわかんないや。』
瀬川も〈古崎徹〉に意識不明の重体に陥れられた一人だ。
彼女はいくら説明しようとも〈リス・ミストレイ〉を支配している古崎徹の存在に憤りを感じていないようだ。
少なくとも、NPCの心配をして立ち止まる程度の鬱憤は持ちあわせていない。
僕からしたら、そのほうがよっぽど異常に思える。
「……わかった。じゃあずっとそうやってればいい。
見たところ、瀬川が変化したクリーチャーは拘束に優れたタイプみたいだし、僕が何かする必要もないだろ。
絶対に逃がすなよ。」
踵を返す。ブラフかどうかは分からないが、古崎徹はこの街にミサイルを落とすという。
それが本当なら悠長に無駄話している暇はない。
瀬川に対して怒っているわけではない。
けれど彼女はこちらの反応を見るや、「ちょ、ちょっと」と慌てた声をかけてくる。
『ねぇ! 気持ちはわかるよ! あたしも半年間ずっと、このゲームに閉じ込められてたから。
クラスメイトとか、親友とか、付き合っている人とか、家族にも、全部取り残されている感覚があって、細い腕とかカッサカサな肌とか触って、自分には何もないんだって気持ちになった。
何か縋れるものが欲しかった。じゃないと今のアンタみたいに今頃古崎を闇討ちしてたかもしれない。
でも、今はナナやカイと話したおかげでその気持ちも薄れたの。
今は”これしかない”って思えるのかもしれないけど、一度落ち着いて考えてみて。
そのうち、あの古崎の馬鹿なんてどうでもよく――』
トマトを地面に投げつけたような、生々しい打撃音が響いた。
振り返るとそこには、息を切らした湯本紗矢の姿があった。
背部スラスターユニットが真っ赤に熱せられている。
推進器がオーバーヒートする限界の巡航速度でこちらまで戻ってきたらしい。
彼女は続けざまにサブ兵装として用意していたであろうハンドガンを手に、怯んだ瀬川へと数発撃ち込んだ。
呼吸のリズムがおかしい。長く吐いて、短く吸って、せき込む。
スターダスト・オンラインではプレイヤーが息切れする概念はない。
あるとすれば、それは精神的なものが原因である。
虚を突かれた瀬川は、自分を守る泡を作り出す前にダメージをうけ、その身体は1mほど吹き飛んで近くの露店じみた建物に突っ込んだ。
「…………殺そう。 また古崎徹に操られるかもしれない。」
湯本紗矢が拘束された〈リス・ミストレイ〉へ近づく。
泡で口を閉じられている彼女は、今は話そうとはせず、ひたすら笑みを浮かべている。
「いやいい。 今拘束している泡がなくなっても、彼女は一度アーマーを修理しないと動けない。
今は向こうと合流するほうが先だ。」
「庇いますか?」
「関係ない人を巻き込みたくないって、紗矢の方針だろ?」
「そう、ですね。あたしが……」
彼女の返答を待たずに駆け出す。
その間に紗矢は、僕へと専用カスタムパーツ【グラム・ストーカー】を譲渡してくれた。
これで【Ver.シグルド】本来の性能を引き出すことができるだろう。
けれど、シグルドの足取りは重くなる一方だった。




