トライ&エラー
一度目の衝撃――僕の落下ではまだガラス防壁は割れてはいなかった。
ガラス繊維の透過が白く濁って見にくくなる程度。それでも十数メートルから落ちた衝撃は、いくら痛覚が除いてあるとしても平気というわけではない。
動力部が故障したリザルターアーマーの四肢はいずれもガタついて動かなかったが、落下の衝撃で右腕関節がありえない方向へ曲がってしまった。
本来は、この場合、システム側が意図的に右腕の感覚を切って操作をできなくさせていたはずだった。
だが、不思議なことに【Result OS】を外したリザルターアーマーに入っている僕というプレイヤーは、ありえない方向に曲がった右腕の感覚が残ってしまっている。
――これ、バグかなにかだろうか。
トールにプレイヤーキルされて足を折られたときは、リザルターアーマーの駆動と中身の身体の感覚がしっかり途切れていたため、今みたいな気持ち悪い感覚はなかった。
……もちろん、今はリザルターアーマーの動力不足や姿勢制御、バランサーの故障で動かせなないが……。
僕は右腕の先を見た。
リザルターアーマーの手甲で覆われていたが、落下の衝撃で破損し、わずかに中指の肌が露出しているのが見えた。
おそるおそる右腕の感覚を辿り、中指を動かす。
ひしゃげ、ねじれて一回転した手首の指先が……今確かに、動いた。
ひぇっ!
化物チックな自分の体に悲鳴をあげそうになったところで、【エルド・アーサー】がついにその巨体をガラス防壁に衝突させた。
落下地点はちょうどあの怪物自身が突進で傷つけた箇所、ドンピシャで落とし込むことができた。
「お、おい!NPC! 地面が、ガラスが割れるぞ! 俺はこんなことになるだなんて聞いていない! 【王の権威】使ってまたジェネレーターがオーバーヒートした! スラスターが使えないんだよ! 今ガラスが割れたら……」
「大丈夫、僕も使えない。」
もはやなるようにしかならない。ケセラセラ。
テキトーにトールへ捻じれた中指を立ててサムズアップしてみせる。いや、これ”くたばれ”って意味か。
「裏切りやがって――ぁおぉぉぅ!?」
ビルでも倒壊したかのような衝撃に、ガラス防壁は薄氷がごとく見る見るひび割れを拡大させていく。
トールが推進力もなしに自力で駆け出してガラスの張り巡らされた床から出ていこうとした。
けれどそれは悪手だった。
立ち上がる【エルド・アーサー】は背を向けた獲物に飛び掛かろうと、割れたガラスの上で力を貯め始めた。
一息に奴が飛び跳ねようとした瞬間、それがダメ押しとなって床が瓦解する。
「死ぬのも殺されるのもごめんだ!! 畜生ぉぉぉ!!」
二人と一匹がサイロ基地の暗闇へと落下した。
……………………。
気絶する要素がこのゲームにはない。
急速で巡り巡る視界に、目をつぶることはできても圧倒的な浮遊感は毛ほども拭い去ることはできない。
トールが幾度なく「落下死は一瞬だよな?そうだよな?俺、どぅなんの?」と質問してきたが、何回かスルーしていると黙った。
そんな会話が悠長にできるほどの降下時間。
ふと過ぎ去っていく一瞬の風景を眺めると、妖しくそこだけライトアップされた壁面に『FLOOR 97』と書かれていた。
「――!! やった。 回復した! 回復したぞ!」
背後で声をあげたトールの言葉を最後に、僕はようやく地面に落下した。
――――――――――――――都内某所、テナントビルの4階にて。
「大ピンチじゃないか。お孫さんにもその【Result OS】とやらの解除を教えてやるべきじゃないか? 強くなるんだろ?」
石橋が波留へと告げたが、それを溜息と失望で返したのはスタジオメンバーの面々だった。
「石橋マネージャ、今まで何聞いてたんで? 凄く簡潔にいって、マニピュレートは恐ろしく手間のかかる操作方法なんですよ。
そんな機能紹介したら、あのお孫様が嫌味やら癇癪やら色々面倒くさいことになるに決まってる。会長に怒鳴られるのはマネージャになるかも」
「う……だが古崎会長のお孫さん――徹くんも、秀才と呼ばれる類のお子さんだ。
ジュニアテニス選手権では初めて1年でベスト8まで昇りつめるくらいだと、かねがね会長から聞かされているし、つい最近までは海外に語学留学までしていたそうじゃないか。
対して、君の弟さんは……その、他人の弟をこういうのもアレだが、戸鐘、君と違って一般的な子供だと記憶している。
そんな彼にも出来てるんだ。 徹くんなら――」
石橋の言葉に波留がケラケラと笑い転げる。
「それはあたしの弟とは真逆だよ。 ロクは物覚えが悪すぎるから、あたしや徹くんみたいにいきなりスーパープレイを決められる人間じゃない。
ただ、ロクには続ける才能”だけ”はあった。
普通の人なら飽きるか嫌気がさすか、どちらかに流れるはずのことにも、愚直にトライ&エラーを繰り返す才能だけはあったの。
でもロクの興味はTVゲームにしか向けられなかった。
TVゲームってやっぱり旬があるじゃない?
昨今の業界事情じゃ特に流行りの移り変わりは激しい。
ロクが一つのゲームを極める頃には既に別のゲームが流行ってて、評価してくれる人間はあんまりいなかったし、本人もそれが大して凄いことだと思ってなかったから知ってるのはあたしと、ロクの友達だけ。
……頭おかしいの。 『エンシェント・ライフ』の【老皇帝の権能】をコマンド表にして攻略ページに乗せるバカって他にいると思う?」
石橋は首を傾げたが、隣で聞いていた諸が突如痙攣してデスクから身を乗り出した。
「一時期話題になったあのコメントですか!? 『エンシェント・ライフ』の攻略wikiの?」
首を振る石橋は訝る視線だけで諸に続きを促す。
「発端は、とある質問者が高難度クエスト【老皇帝の権能】がクリアできないと相談してきたときのことです。
既に『エンシェント・ライフ』は発売から4年ほど経っていて、次作まで出ていた作品でしたから、流行りは過ぎて回答はなかなかこなかった。
けれど、そんなとき一人の投稿者が素っ気ないメッセージとともに奇怪な文字列のコメントの回答を出した。
曰く、このコマンド表通りにやればクリアできる、と。
ありえない。『エンシェント・ライフ』は当時人気だった多人数参加型の狩りゲーでしたから、格ゲーやターン制RPGのようなコマンド入力だけでクリアできる代物では決してない。
というか、そもそも彼の投稿したコマンド表の文字数は尋常ではない長さだった。1000字を超えるコマンドを誰が入力しようとしますか。
質問者は結局、コマンド表通りにやってクリアはできませんでしたが、にわかに話題となってゲーム実況者の一人がコマンド表を半分まで覚えて、【老皇帝の権能】をプレイしたんです。
しかもメモしたコマンド表通りにやるため、画面を見ずにプレイしました。
すると、実況者が500コマンドまで打ち終えてモニターを見た頃には、ボスモンスターは既に瀕死状態だったそうです。しかも、当時の討伐最速タイムを更新する勢いだったとも聞いています」
ゴホンッ。
諸が長い説明を咳払いで締めくくる。
やはり石橋には何がすごいのか分からなかったが、話を聞いていたスタジオのメンバー全てが茫然と諸の話を聞いているのを見て、なかなか二言目が出てこない様子だった。
「だ、だがね。 ただのゲームじゃなくてこれは最新のVR技術が搭載されたゲームだ。
モニター越しのゲームとはわけが違う。そうだろ?」
「それは、確かに。」
(´・ω・`)のような顔をつくって波留が首をかしげる。
一様に皆がガクリと肩を落とした。何か気の利いた言葉を返すことを期待していただけに、諸も同じように苦笑いするほかなかった。
一方で波留は眉間にしわをよせて、考えあぐねている。
「マニピュレートをある程度使いこなしているのは、トライ&エラーし続ける才能をフルに展開していると考えることはできるけど……。さっきも言ったように、ロクは続ける才能”だけ”しかないから柔軟な発想ってあんまりないのよ。
【Result OS】……ううん。マニピュレートによる自由な空中機動がリザルターアーマーには行うことができる、って発想がどこから来たのか、あたしには謎。」
「……そういえば路久くん、さっき透過シャッターの向こうを凝視してましたね。 何かを目で追いかけてるみたいに」
「諸も気づいた? あたしもそこが怪しいと思ったんだけど……あの向こうにあるのは、今二人が戦っているクリーチャー【エルド・アーサー】との最終決戦用のステージだけ。
プレイヤーは真っ向勝負か、弾道ミサイルを爆破させて【エルド・アーサー】を倒すことができるってクエストなんだけど……うーん……」
「何か”いた”んでしょうかね?」
「……あたし、ホラーって嫌いなんだけど」
波留と諸は再び、プレイヤー二人の行方を探るため、定点カメラの視点が映ったモニターを眺めた。




