良かれと思うこと。
「あぁ。 ……唯花は生きてる。
一歩間違えたら殺されていたかもしれない状況だった。
もっとも、意識自体は戻っていないから意思疎通はできないが。」
何を聞くべきか、疑問は次々に湧いてきて言葉に詰まってしまった。
そのわずかな僕の沈黙の合間に、こちらの話が聞こえていただろう〈HALⅡ〉が素早く反応をかえした。
「それはアタシも知らないよ。
当時のニュースサイトや新聞記事でも、月谷唯花は交通事故でうけた傷が悪化して亡くなったって報道されていたよね?」
リヴェンサーは一度〈HALⅡ〉の表情を睨みつけ、その真意を探るかのように目線を外さなかった。
〈HALⅡ〉は思い当たる節がない様子で、彼に首を傾げるだけだった。
「唯花が事故にあった後の1か月。
俺は彼女が使うことになった先端医療機器M.N.C.について学んだ。
唯花が事故にあったのは間接的に自分のせいじゃないかと悔やんでな。
もし可能なら、学生の身分であっても治療のサポートをさせてほしいと願っていた。
もちろん、ちょっとデキる子供なんぞに、看護師や医師の真似事なんて危険極まりないからサポートなんてやらせてくれなかったが。
それでも、マス・ナーブ・コンバータについて調べることは、オレなりの彼女への贖罪として続けてきた。」
「4年前……リヴェンサーくんはまだ中学生くらいってことだね。」
頬を強張らせ、彼は一度だけ頷く。
「唯花は俺が見舞いにくるのを嫌がる。 だから彼女の病室には入らず、見られないところで、簡単な世話だけはやらせてもらったんだ。
元々、入院生活ってのは家族の助けが必要になる場面も多い。
けど、両親ともに唯花を敬遠してたから、その分の仕事もオレが肩代わりすることができた。
その合間に、何度か、M.N.C.治療の現場に遭遇したことがある。
VR空間内のリハビリテーションでは唯花の意識はなかったから、もう少し近くでその業務を見ることができた。
――……違和感があった。
いくつか、オレが読んでいたM.N.C.の資料とは、異なる手順で機器が使用されているのに気づいてしまった。」
怒気を孕むようになった口調をリヴェンサーは一度大きく息を吐いて抑え込んだ。
HALⅡは事情がわかっていない僕へ振り向く。
相変わらず下手な気遣いだ。
「M.N.C.医療の導入は不完全なままで行われてたんだ。
”古崎グループ”の傘下にあったその大学病院でしか取り入れてなかったのがその証拠で、問題視されてる声だって沢山あった。
そのことごとくが封殺されちゃったらしいんだけどね。」
「当時のオレは、古崎グループと唯花の入院する病院が関係していることも知らなかったし、そもそもその頃の古崎グループに対する世間の評価は群を抜いて高かった。
疑う余地すらなかったんだ。
……気づいたところで、ただの学生がどうこうできる問題でもなかったが。
――やがてその日がきた。
丁度、唯花がVR空間でのリハビリテーションを終える頃、会ってはマズいと思ってオレは病院を出た。
その時、M.N.C.の話題で会話をしている3人の男とすれ違ったんだ。
気になって後をつけてみたら、思った通り、彼らは唯花がVR治療を受けている特別処置室へと入っていくのが見えた。
こっそり覗くと、そこにはもう唯花の姿はなくて、リハビリを終えて病室に移動したのだと安堵した。
けれど、病棟の廊下で当時彼女の担当看護師をしてくれていた[鶴岡]に会って、まだ唯花がM.N.C.による治療を受けていると知った。
M.N.C.は専用の端末さえあれば無線通信で個人の病室でも使えることに気づいてなかったんだ。
病室では端末を装着したまま眠る唯花の姿があった。
けれど既に、端末は電源が切れていて、肩をゆすっても唯花は目覚めなかった。
オレは波留さんが戸鐘路久を助けようしたみたいに、唯花を助け出すことができなかった。
彼女の担当医師である[園田]に連絡も取れず、かといって看護師である[鶴岡]さんはM.N.C.に関する操作は基本的な手順以外何もわかっていなかった。
まともなマス・ナーブ・コンバータの専門知識を院内にいる誰一人理解していなかった。
わかるのは訪問してくる外部の関係者のみ。
特別処置室にいた3人の男も既に姿を消していて、責めることも助けを求めることもできなかった。
結局、泣きついた先はなんてことはないM.N.C.の開発を行った【エンドテック】社のコールセンターだった。
しかも存外焦っていたオレは、国内ではなく海外のコールセンターへ連絡をしていた。
だが、それが功を持したのだと思う。
英語での会話だったが、コールセンターの電話口に立った男性は、オレへと細かな指示を出してくれた。
……しかも、唯花の一命を繋ぎとめる方法だけでなく、その後、この大学病院がM.N.C.治療のミスを事故死の扱いで片付けてしまうことさえ予期した上で、どうすればいいのか教えてくれた。」
「【エンドテック】社……。そうか、その時点でエンドテックは古崎グループに疑念を持っていたんだね。」
「そうです。
唯花の身柄自体は病院側で死亡の診断を受けました。
M.N.C.にとって黎明期といわれたその時期に、機器トラブルによる致死事件を残すわけにはいかない。 古崎グループにとっても、エンドテックにとっても月谷唯花の存在はマイナスと言えました。
けれど――」
リヴェンサーは僕へと向き直って続けた。
「エンドテックはその先、つまり、古崎グループが外資系企業の排他を行うことであろうことを予期した上で確実に強請れる材料が欲しかった。
記録上では古崎グループはいくらでも改ざんできてしまう。
だが、生き証人である唯花がいれば、最早否応なしに古崎グループのミスが露呈する。
だからこそ、彼女はエンドテック社にて厳重に保護されている。
高校生活を投げ打って海外留学やらインターンやらでエンドテックに探りを入れたが、結局は唯花が生きているという確信しか得ることはできなかったよ。
オレと【エンドテック】社の接点は、あのコールセンターへの電話と、傘下の末端企業に属していた〈オフィサー〉しかなかった。
故に、〈風紀隊〉に属することで彼の身元を探ったが、やはり古崎徹に何度か邪魔されたこともあった。
今でこそ得意げに語ってはいるが、そんなことがあっても、古崎グループの調査までは至れなかったんだ。エンドテックのほうばかりに気が取られていた。
……そのせいで、瀬川遊丹や他の〈学院会〉プレイヤーを危険にさらし、挙句がこのざまだ。」
一通り話終えたのか、リヴェンサーはぐったりと項垂れた。
言葉の合間に深呼吸を挟んでいた彼は、終始とても息苦しそうだった。
『話は、わかった。
ヴィスカが生きていることが僕は嬉しいし、彼女が……、彼女が現実世界に帰還できる方法があるなら喜んで協力したいと思う。』
リヴェンサーは顔をあげて虚ろな瞳を僕へと向けた。
そうだ。彼は最初に告げていた。
僕のことだけは助けられない、と。
それはつまり、僕だけがこの世界に取り残される結果になるという意味だ。
でも、そんなの些細な問題でしかない。
何から話すべきか。
僕は目の前の男が知らないヴィスカのことを知っている。
たとえば〈学院会〉のレベルアップのために、ヴィスカ自身が何度も傷ついたことを、彼はおそらく知らされていない。
『――なぁ』
「……だめ。」
HALⅡに止められた。
彼女もまた、リヴェンサーに話さないことを選んだのだろう。
その眼差しが物語っていた。
もちろん、彼にヴィスカのことを言う気はなかった。
きっと彼女なら、今まさに悔いている人間にそんなことを言うのは許さない。
『リヴェンサー。
僕に協力してほしい。 他ならぬ、妹さんを助けるために。』
「あぁ。もちろん。
オレもお前だけは唯花の味方でいてくれると信じている。」
脅迫的な言い方だった。
でも彼の気持ちはわかる。
仮にヴィスカを助け出したとして、僕が彼女に「行くな」といえば多分、彼女はこの世界に残ることを選んでしまうからだ。




