現実(そちら)
☆
『あぁ……グリムに小言を言われそうな気がする。』
ダメージ自体はさして大きくないが、まさか【ベルンシュタイン】アーマーの初陣が敗北に終わるとは……。
戸鐘路久――プレイヤー名〈ロク〉に地面へめり込むほどの勢いで叩きつけられ、仰向けになったままで上空へ跳躍して逃げる彼を見送る。
〈プシ猫〉が懲りずに狙撃しようと試みるが、アーマーの損壊でまともな態勢が取れていない彼女の射撃はことごとく外れている。
「あぁぁ!! もうっ……」
苛立たし気に地団駄を踏む彼女を見て、その豊かな感情表現に驚く。
〈イチモツしゃぶしゃぶ〉として彼女と〈学院会〉を相手取って戦っていたときは、静かに怒ることはあっても、今みたいに分かりやすい態度はとっていなかったように思う。
その後方ではようやく歩き出すまでに回復した〈リヴェンサー〉が、こちらに手をあげて自身の無事を知らせてくる。
改めて思えば、かつては宿敵といえた〈風紀隊〉の〈リヴェンサー〉と共闘しているのも不思議といえば不思議だ。
「大丈夫……? ”ロク”」
仰向けの視界に小柄な女の子の姿が映る。
名前は〈HALⅡ〉といい、本名は路久の姉・戸鐘波留だ。
そして〈イチモツしゃぶしゃぶ〉(僕)をうみだした張本人でもある。
不思議ついでに、戸鐘路久のあだ名である”ロク”を使うのも不自然だよなぁ。
……こんな他人事みたいな疑問が出てくるあたり、僕は徐々に〈戸鐘路久〉という存在から剥離し始めているのかもしれない。
まぁ、〈ロク〉に対しては思いだすだけでも未だに嫌悪感が酷いが。
『ありがとう。
でも、僕よりも他の仲間のほうが普通に重傷だと思うよ。』
そう返すと、「しまった」といった風に〈HALⅡ〉はビクリと身体を震わせた。
慌てた様子で傷ついた〈プシ猫〉や〈リヴェンサー〉のほうへと目を向けている。
彼女自身、酷く動転しているようだ。
人を喰ったような態度が本来の彼女だと記憶していたが、今は他人を思いやるのに必死という印象が伺える。
彼女は合理的に判断して、傷の酷い〈プシ猫〉のほうへと駆け寄っていく。
『……アーマーを休めている間に考えろ。 僕がすべきことを』
先の戦闘は成り行き上、HALⅡたちへ助太刀したが、彼女らの目的が分からないのではこれ以上、協力するのは危険かもしれない。
けど、――ヴィスカ。月谷唯花が古崎徹に囚われていると知ったなら……。
視線を向けた先にいるのは〈リヴェンサー〉こと月谷芥だ。
意外なことに、彼もこちらを見ていたようで視線と視線がぶつかった。
先に視線を外したのは気まずそうにしている〈リヴェンサー〉のほうだった。
「キミは……唯花ではないな。」
彼は僕が寝ころんでいる付近にまで歩み寄ると、一度溜息をついた。
『え、あぁ、まあ』
一瞬「何言ってんだ」と言ってしまいそうになったが、僕は手甲の反射している箇所で自分の表情を確認して現状を把握する。
この外装をつくったグリムには、クリーチャーという枠組みに属するせいか、僕のヴィスカに対する好意が”=羨望”で結ばれてしまっているらしい。
故に、僕の外見を〈ヴィスカ〉とそっくりに仕上げてしまったわけだ。
あぁ、ヴィスカにこの姿を見られたら恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。
「やっぱりそうか……。
唯花が俺をみて不機嫌にならなかったことは今まで一度もなかったからな。」
彼はどこか安堵したように肩を竦めてみせた。
ヴィスカが〈リヴェンサー〉に対して不機嫌に?
そんな様子はみたことがなかったが……。
一呼吸置いたあと、彼は再度こちらに問い直す。
「キミは何者なんだ?」
『〈イチモツしゃぶしゃぶ〉です』
「……ふざけてるのか?」
『――っ!!』
最早使い過ぎてて違和感なくなってたけど、僕の名前って超変態チックだってすっかり忘れていた。
いやでも、だからといって他に告げられる名前もないというか。
『誤解ですっ。 ふざけてはいませんって。
一応、最近風紀隊にちょっかいだして〈ネームレス〉と呼ばれてたのが僕です。
えっと、その時のプレイヤーネームが〈イチモツしゃぶしゃぶ〉という名称で、この名前には、敵が味方間でそのワードを呼ぶのを躊躇させる効果があって……』
「いや、いや、違うんだ。そうじゃない。
〈イチモツしゃぶしゃぶ〉が戸鐘路久のプレイヤーネームってことは知っている。
だが……さっき俺たちを襲撃してきたのも紛れもなく〈戸鐘路久〉だったわけで。」
互いにしどろもどろな会話を繰り広げるが、〈リヴェンサー〉は途中で黙りこくり、数秒間考えたあとで目を見開きながら一つの答えにたどり着いたらしい。
「つまり……――そうか、驚いた。
ということは、波留さんの言っていたもう一人の戸鐘路久というのが、キミか?」
今度はこちらが驚かされる番だった。
目の前に、実の妹と同じ姿をしたまったく別人がいたら普通、もっと困惑しないだろうか。
しかもその人物がクローンじみた何かだと知った上で、的確に彼は情報を拾い上げて答えを導きだしている。
彼の答え合わせに、こちらは真っ当に頷く他なかった。
『えぇ。
僕の理解できる範疇では、僕は戸鐘路久の”抜け殻”ということになります。
月谷唯花、貴方の妹さんと似た境遇でもあるかもしれません。
――姿かたちは、まぁ諸事情あってこんなですが。』
「抜け殻……、波留さんからも聞いたよ。
唯花は既に死亡し、神経系情報のみがこのゲームでさ迷っている、と。
キミもまた、戸鐘路久の抜け殻という自負があるんだな。
……自分が本体だと言い張ることもできるだろうに。」
生真面目すぎる強面顔の眉間にしわを寄せて、リヴェンサーは視線を落とす。
違和感がある。どうして彼は僕のことを心配しているのか。
『冗談じゃない。
戸鐘路久の役から脱することができて、僕は心底ほっとしていますよ。
それに〈ヴィスカ〉とこのスターダスト・オンラインで生きることのほうが、僕には文字通り性に合ってる。』
「わかるさ。 ヴィスカと仲良くしてくれていたことも。
キミが【モルドレッド】というクリーチャーだったということもね。
――昨夜、俺が謝って〈ヴィスカ〉を斬ってしまったとき、声がきこえた。
『イチモツさんを”とらないで”』ってな。
しっかりと聞き取れなかったから、今まで確信が持てていなかったが、キミが〈イチモツしゃぶしゃぶ〉というのなら話は繋がる。
今まで妹と仲良くしてくれてありがと――」
その言動が気に食わなくなり、僕はリヴェンサーの首元を掴みかかった。
アーマー同士がぶつかり合う音で他の二人が異変に気付き、動ける〈HALⅡ〉が駆け寄ってくる。
『いい加減にしろ、僕の話はどうだっていいんだ。
彼女はまだこの世界で生きていると言ったばかりだろ?
実の兄であるアンタまで、ヴィスカをいないものとして扱うのか?』
こちらの憤慨に対し、リヴェンサーは僕と同じように胸倉へと手をかけてくる。
「それは断固否定させてもらう。
唯花がいなくなったあの日から、俺の高校生活は”彼女の治療”だけに充てたんだからな。
……だからこそ、キミに対しての同情だけが必要なんだ!
キミだけは助けることができない。
遊丹も唯花も助ける算段は出来ていたが、二人の救助に尽力してくれたキミだけは、助けられないんだ。」
助けられない。
そのワードはまさしく自分が守る側の人間だという驕りに満ちているように思えた。
けれどそんな外連味なんかより、僕の思考は”彼女の治療”という言葉に対する疑問だけでいっぱいになっていた。
一縷の希望のようなものを感じながら、僕は疑問を口にした。
『ヴィスカは……そちらで生きてるんですか?』
現実。
なんともまぁ、間の抜けた問いである。




