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菩提樹の葉


 圧倒的質量の塊が左半身を飲み込む。

 袈裟斬りの要領で振りぬかれた【ジェネシス・アーサー】の右腕は、そのまま僕のアーマーの左下腹部を薙いだ。

 身体は反転し、【ジェネシス・アーサー】の手の甲付近に上半身を打ち付けて、宙へと投げ出される。

 あまりの衝撃に、視界を確保するためのセンサーに不具合が生じ、目の前がホワイトノイズでいっぱいになった。


 そのせいで平衡感覚すらまともにつかめない。

 衝撃によって自分が重力落下しているのか、はたまた吹っ飛ばされているのか。

 これではどの方向に姿勢制御をすればいいのか分からず、手の施しようがなかった。



『良いことを教えますね。 今、貴方が私に取りつかないと、私は確実に湯本紗矢という人物をロストさせます。』



 良いことなもんか。

 


『どうでしょう?

 ロストすれば、彼女が〈古崎徹〉を復讐に使うことはできないから、計画自体は確実に失敗する。

 復讐なんて虚しいことさせないほうが、平和な選択かも。』



 ……うるさい。

 そんなの、ただの押し付けじゃないか。

 虚しいだなんて誰が決めた?

 憎いヤツを懲らしめて「意味のないことだった」って、十人一色でそう答えるのか?



『いいね。 私も同じ考えです。

 〈古崎徹〉や〈オフィサー〉、〈学院会〉に所属して私を散々に痛めつけた連中が憎い。

 ――そして、〈ロク〉。 あなたも。』

 

 

 僕も?

 というか、この状況下で当たり前のように話しかけてくるキミは何者?



『貴方には〈名無し〉って呼ばれてた存在。

 元の名前は――〈月谷唯花〉。

 今は……【ジェネシス・アーサー】の中に逃げ込んだ残りカス。』



「名無し? ジェネシス・アーサーが? いや、それよりもどうして僕を――ォォォオォ!?」



 急に自分の声が出て驚く。

 だがその声は風切り音ですぐにかき消された。

 どうやら、センサーのノイズが晴れなかったせいで、アーマーに内臓されたAIが強制的に肉眼視点に切り替えた――つまり、フェイスガードが解除されてしまった。

 生肌を外気に曝した瞬間、頬に風圧がぶち当たり、輪郭が崩れるほどの張力を受ける。


 痛みがないのが逆に気持ち悪い。



『生憎、私はまだこの身体の所有権を〈古崎徹〉から奪い返せてない。

 まぁ取り返せてたとしても、イチモツさんと違って貴方は助けたくないし、湯本さんと仲良くもさせたくないから、やっぱり潰すと思う』



「イチモツ……!?」



 〈イチモツしゃぶしゃぶ〉の名前が出た瞬間、頭の内に血が流れだした。


 ホワイトノイズの走っているそれよち、多少マシになった視界を見渡す。

 まだ中空。

 でも巡る視界のどちらに【ジェネシス・アーサー】がいるのかわからない。



「あいつの名前を出すな!!」



 〈ロク〉という名も、戸鐘路久という本名も、あいつと僕では存在が混同してしまう。

 だが、〈イチモツしゃぶしゃぶ〉というプレイヤーネームだけは正真正銘、アイツのものであり、それはすなわち、僕の不在だった3年間を指さされている気がした。


 

 両脚部のバーニアへ推進剤を過集中させ、無理やり自分の身体を重力落下の方向へ向くよう促す。

 反転を繰り返していた視界がようやく一定に留まり始める。

 それと同時に、地上とは逆方向にスラスターを解放し、わずかに身体を上昇させた。


 姿勢が安定したことで外界センサーが生き返り、フェイスガードが下りてくる。 

 攻撃されて”敵”扱いとなった【ジェネシス・アーサー】の様々な情報が表示され、戦力差を表す《DANGER》だの《Alert》だののフォントが視界を狭くさせた。

 その内の一つであるヤツまでの推定距離の情報を眺める。

 数値はぐんぐん増えている。



「くそっ、全然届かないじゃんかっ」



 だがしかし、地上の方向を確かめるために費やした高度は取り戻せない。

 急降下と急上昇を繰り返したことで、スラスターはオーバーヒートし、本来は飛ぶように作られていないリザルターアーマーは、糸が切れたように力なく落下し始める。


 こちらの高度が下がれば下がるほど、【ジェネシス・アーサー】は遠くなり、可能性はコンマ秒の速さで潰えていく。



「――そうだ! 僕はさっき、【ジェネシス・アーサー】の一撃を喰らったじゃないか!」



 メニュー画面から専用の計器を呼び出して確認すると、HUDに表示された《ショック・ゲイン》に充填されたエネルギーは、タコメーターの指針がこれでもかというほどに”CHARGE FULL”のほうへ傾ききっていた。


 これを解放バーストして跳躍できれば、まだ取りつける。

 でも、エネルギーがあってもそれを受け止める足場が、この宙には皆無である。

 

 キャリバー・タウンの街並みはまだ遥か下方にあり、そこまで落下すれば、追いつくことは叶わない。

 アーマー内臓のAIが認識した【ジェネシス・アーサー】のターゲティングすら、距離が開いたせいで解除される。


 情報過多だったHUDが片付き、殺風景な視界になったところで、隅に緑色のフォントを煌々と輝かせる文字列が見えた。



 《〈Gram`s Stalker〉 STANDBY…》



 考える間もなく宣言する。



「【グラム・ストーカー】起動する! グラム・ストーカー、します!YES! はい!」



 音声認識に漏れないよう、呪詛のようにグラム・ストーカー発動を連呼する。

 すると、アーマー背部のどこかが「ガコン」と外れた音がした。


 視線を巡らせた先に見えたのは、空中をわずかな推進剤噴射で飛行する、逆ハート形の鉄屑だった。


 その鉄屑の表面には、僕が装着している真っ赤な【Ver.シグルド】のアーマー片が合体されている。

 


〈コンバット・アルゴリズム《ショック・ウェーブ》が発動かのry〉



「発動!発動! 発動!!」



 必死である。

 

 こちらの宣言を音声ガイドが認識すると、飛行する鉄屑は、素早く背後へと移動した。

 その直後、突如甲高いブザー音が鳴り響く。



〈カスタムパーツ【グラム・ストーカー】にエラーが発生しました。

 デバイスが検知できません。デバイスが検知できません。〉

 

 

 無機質な声がそう告げ、血の気が引く。

 

 しかし、諦めかけた僕の背には四肢が引きちぎれそうなほどの衝撃が走った。



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