月谷唯花が死に至るまで。13
「どうして。兄さんがいるの……?」
現実に引き戻され、思考はこちらの想いに反してクリアに働く。
寒気の襲う身体が、土を被せられて冷たくなった棺桶に押し込まれたようにピクリとも動かなくなる。
「そこの義足の子に教えてもらった。 救急車は呼んであるからもう少しの辛抱だ」
兄は苛立たし気にジャケットの汚れを払うと、元居た場所を一瞥してこちらから見えないように何かを投げ捨てた。
手のひらにはブラウンのハンカチを持っていたが、それも同じように捨ててしまった。
「そんなこと無理。 私は彼女に一度も名乗ってないし、そもそも私がここにいるってアタリがついてないと探せるわけない。」
一度溜息をついて兄はコクリと頷く。
「そうだな。しばらく尾けていた。
当然だろ? もう一週間近く家にも帰らない。
心配だったんだ。」
「……そのわりに、警察に連絡とかしてないよね?」
「父さんと母さんが渋ったからな。
学校にも家庭の事情だと話を付けていた。」
「笑えるね。 今は兄さんの進学で大事な時期だから、下手にことを荒立てたくないんだ。」
「そんなことはない。 立て続けに問題を起こせば、藤沢の時と違って唯花は退学処分だってありえる。
そうなったら……独りになる可能性もある」
確かに、兄さんのいうことは正しい。
私の両親は今度こそ、私に見切りをつけてしまうだろう。
今だってその淵に立っているのだろうけど。
「願ったり叶ったりだよ。
藤沢さんをけしかけたのも兄さんで、……もしかして、そこにいる彼女も兄さんの差し金だったり?」
失言だということは理解していた。傷の具合を見ながらも、こちらへ泣きそうな瞳を向けた湯本紗矢に罪悪感を抱く。
「オマエ、ちょっとおかしいぞ、 俺が気に食わないのはわかる。
だが、彼女はオマエを危険な目に合わせたことを後悔したから、ここまで来たんだ。
俺は、追いかけていたオマエが姿を消したから彼女に聞いた。
彼女の名前だって知らない。」
「嘘。兄さんは私が言うことを聞かないから、怪しいヤクザグループ使って私を追い込もうとしている!
だって、兄さんは藤沢さんの時だって、私の手に負えない問題をわざと用意して、私を助けるフリをする!」
「あるわけないだろ! わざと大事な妹を危険な目に合わせて気を引こうって?
いい加減にしろよ、オマエは疲れてるんだ!」
「じゃ、じゃあ、そこの影で倒れているのは?
さっき私を襲ってたあの男だよね?
私じゃ倒せなかったし、あと数秒兄さんたちが遅れてたら殺されてた。
否が応でも、兄さんが……全部全部解決しちゃった。」
「バカをいうな。俺がこなきゃ死んでたんだぞ……。
………なぁ、唯花。
人には適材適所ってものがある。
唯花は人の立場になって考えられる優しい子だろ?
だから暴力なんて向いていない。 人が痛がれば、無意識に拳を握る力を弱める。
優しいから、そこの彼女のために必死になった。そうだろ?
オマエが気に食わないように、俺は確かに落ちぶれてく人間のことがわからない。
だが腕っぷしならこの場では勝る、
だから暴力は俺がやった。」
「ッそういうのが、全部いらないの!」
憐れんだ視線に何とか抵抗しようと、感覚がない足を無理やり立てて上体を起こす。
つっかえ棒のような左脚が水音を立て、付近に痒みが押し寄せたが構わずに全身を起立させた。
絶え絶えになる呼吸を整えることなく感情をぶつけようとした。
「兄さん万歳な考えに娘を巻き込む母親も、実の息子に劣等感抱いてる父親も、こういう時に都合よく駆けつける兄も、目障り――」
けれどすぐにその言葉は遮られた。
湯本紗矢が間に割って入り、私の身体を支えるようにして抱きしめていた。
「そんなこと言っちゃだめだよ」
……。
彼女とて自身の義足の動きはまだ覚束ない。
こちらの重さを支えようとすれば、自分の態勢が崩れて倒れこんでしまう恐れもあった。
それでも彼女は、私の身体が倒れぬよう必死だった。
それだけじゃない。多分、彼女なりに私の心を気遣ってくれたのだ。
……両親亡くした彼女の目の前で、私は何言ってるんだ。
喉元まで出ていた兄や両親への憤りをこらえる。
けれどあまり余った感情の発露は、結局抑えきれずに涙となって頬を流れてしまった。
「――。
ごめん。 もっと私が皆を好きなら、こんなこと言わなかったのにね。」
今ほど自分が、この世から消えてしまいたいと願ったことはない。
急激に力が抜けて膝から地べたへと崩れ落ちる。
仰向けになると、路地裏のビルに模られた狭い夜空が見えた。
地上が明るすぎて星の一つも見えないそこに、広告用の小さな飛行船が緩いスピードで流れていく。
「すたーだすと、おんらいん」
デカデカとプリントされた英語を読み上げる。
その広告は最近話題になっているVRオンラインゲームの宣伝をしていた。
謳い文句は、”もう一つの世界”だ。
……そんな世界があるならつれていってほしい。
そう願って私は手を伸ばした。




