月谷唯花が死に至るまで。Ⅸ
『兄貴、古崎グループっていやぁ、国内への外資企業進出を助けて儲けてる――いわば範囲が国内に及ぶヤクザみたいなもんでしょう?
そんな輩がどうして今更このシマを荒らそうなんてするんです?』
『さぁな。この場所自体に用はなくても、ここに来る輩に興味があるって線もある。
てめぇも何度か見たろ? 大名行列かってくれぇに人つれてやってくるお偉いさんの集団をよ。』
『あぁ、なるほど。 だからカシラと秘密裏に話付けて、ここで要人の噂探ろうってわけっすねぇ』
『ちっ。 下田の野郎、あのフードのガキ連れてこれなかったか。
これじゃあ、何の証拠もねぇままカシラと話つけなきゃならねぇ。』
『そういえば、兄貴。ここに来る途中で、”古崎”を脅せる材料があるっつってましたね。
なんなんです?』
『…………。
そうだな、言っとくべきか。
聞いたら、てめぇも命かけてもらうことになるが、いいか?
この情報さえあれば、今、仮に組が乗っ取られても再起の可能性が出てくる。
……乗るか?』
『へへ、もちろん。 俺ぁ、兄貴についてくって決めてんすよ。』
『――そうかい。
よし、なら手短に話す。
よぉく聞け。 古崎牙一郎、古崎グループのトップであるあの爺さんには溺愛している孫がいる。
今は中坊の年だがな、実を言うとこいつは、古崎家の――……』
「っ――!!??」
内容が気になり耳を傾けた瞬間、電話口を突き抜けてけたたましい破裂音が響き渡った。
コンマ数秒の差で、電話口にも遅れてノイズ音が入り込む。
「な、なに!?」
電話口の会話に聞き耳を立てていた私と湯本紗矢の二人はスマホを忍ばせてある一階入り口付近を見下ろした。
十数メートルの高さから見る地上には、下手くそな子供の絵みたいに、立体感のない人影があった。
「あれ……?」
非常口の電灯に描かれた駆ける人と同じようなポーズをとった人影は、徐々にその輪郭線を赤く染めている。
私と彼女は揃ってその事態に気づき、悲鳴をあげてしまった。
人が血を流して倒れていた。
しかもあの中年は、私が藤沢さんを庇った際に叩きつけた男の人だ。
でもどうして?
さっきの会話の流れから、あの人はどちらかといえば上司っぽい話しぶりだったのに。
倒れた中年と対峙した部下らしき人物は、手のひらから煙を浮かべつつ、もう片方の手で折り畳み式の携帯電話を取り出した。
『はい。……はい、その通りでした。 漏れてましたね。
こいつの交友関係とここ一カ月の行動を追います。
心配はご無用。 舎弟で通ってますので、名前だけ出せば足取りは掴めるでしょう。
……はい。では俺はここから離れます。
事後処理はお任せしても?
もちろん、通行人にも見られていません。
この斗山ビル自体、メインストリートからは離れた位置にあるので。
――御大はいらっしゃるので? たかが片田舎を支配するだけの会合に?
もちろん、”組”のハゲのほうじゃありません。
”古崎”グループのほうです。
……あぁ、やはり。』
男は血みどろになってピクリとも動かずにいた中年を、つま先で何度か蹴って身体を反転させている。
「酷い……。警察――」
「お姉ちゃん、あたしの言った事故のもみ消し、忘れたの?」
「分かってるけど、さすがに目の前で拳銃ぶら下げた人がいたら逮捕せざるをえないでしょう?
スマホで通報しなよ。」
「ダメ。これ使ったらあたしの場所が知られちゃうかもしれない。
補導されたら今までの頑張りが水の泡になっちゃう」
「まだ自殺するって?
あの人、おじさんを殺してその死体を足蹴りするようなヤツだよ。
そんなのが、たかが自殺の現場に立ち会ったくらいで”当てつけ”になると思う?」
「……それは……。 で、でも。」
湯本紗矢の表情がここにきてようやく曇る。
そうだ、復讐をしたいという一心なら、相手にノーダメージなことを自滅してまで行う必要性なんてない。
彼女はその一点だけは譲れないはず。
「今は退いて、次の機会に賭けるべきだよ。
大丈夫。湯本さんがやったことは無駄なんかじゃない。
むしろもっと確実に相手を追い詰める方法を”棚ぼた”で知っちゃったわけだし。」
「……さっき男の人が言ってたこと?
”古崎牙一郎の孫には古崎の血が流れてない”って……。
けど、あたしよくわかんないよ。これを知ってたから、さっきのおじさんは撃たれたの?」
「う……。わ、私も分からないけど。
サスペンス映画だと後々、そういう事実が大きな伏線になってたりするし?
財産の引継ぎの分配にも色々影響があったり、……なかったり……。」
「お、お姉ちゃん……。」
うう……、ここにきて一番情けない姿を曝している気がする。
「でも、湯本さんの自殺じゃ、古崎グループはビクともしない。
それは多分、本当。
ちゃんと相手の喉元抉るような復讐をしたいなら今はやめとこ。」
湯本紗矢の手を引いて階下から、こちらが絶対に見えないであろう位置まで移動させる。
男が手に持っていたのはれっきとした拳銃だ。
射程はわからないけど、頭を覗かせれば撃たれる可能性だってあるかもしれない。
彼女はすぐさま私の手を振りほどいた。
杖がないとバランスをとるのが難しいのか、そのまま彼女は尻もちをついた。
金属製の鉄の音が鳴って、階下にバレやしないか不安になる。
「――じゃあ、お姉ちゃんが手伝ってくれる?」
……きた。
彼女と話し込んだ辺りから、こういう頼み事をされるのではないかと予感はしていた。
話しぶりから察するに、彼女はこの復讐をただ一人でやろうとしていた。
だからこそ拙いし、危うさは多分にある。
「いいよ。手伝う。」
けれども私は、自分でも驚くほどに素早く決断していた。
理由はいつもの私が抱くそれと何も変わらない。
つまるところ、兄・月谷芥の手が及ばない。及べないところまでいってみたいと思ったからだ。
そんな私の心を試すかのように、湯本紗矢の持っていたスマホがあの殺人者の声を拾った。
『女の悲鳴――ですか?
そんなの俺には聞こえませんでしたが……いえ、疑うわけじゃなくて。
わ、わかりました。調べてみます。』
神経が張り詰めていく。湯本紗矢と瞳を見合わせて唾をのむ。
話声が聞かれた?
でも階下に置いてあるスマホから声が漏れるなんて普通、ありえない。
そう信じたかったのに、男が湯本紗矢の隠したスマートフォンを見つけるのは早かった。
『電源が入ったスマートフォン……。電話口で話が聞かれた!?
……ちっ、個人データ消えてやがる。 通話状態はどうやって切るんだ?
遠隔操作か?
おい、聞こえるか!? 今聞いたこと公言してみろ?
一生、表歩けねぇようにしてやるからな!!
くそったれ!
――復元だ。近くに携帯ショップが――。』
「復元……。ね、ねぇ!?
さっき湯本さんってお母さんとお父さんのスマホを使ったって言ってたよね?」
「う、ん。 データは全部消したから拾われても大丈夫って思ってたんだけど……。」
それを聞いた途端、私はフードを深く被りこみ、靴ひもをきっちりと結び付けて、いつものパルクールスタイル姿に戻した。
データが復元されれば、湯本の名前を奴らは知ることになる。
そうなれば、湯本紗矢にたどり着くのは簡単なはずだ。
彼女の復讐どころの話じゃなくなる。
「――待ってて。スマホ、あの男から取り返してくる。」
彼女にそう言い残して、私はビルの非常階段の手すりを使って階下へと降りた。
さっきまでは縮こまっていた気持ちが、駆け出した瞬間、不安を一切合切吹き飛ばしていた。




