月谷唯花が死に至るまで。Ⅴ
「痛むか……?」
「足に力入れると痛い。 保健室の先生は平気って言ってたから大丈夫だよ。」
「大会前なのに……災難だな。 痛むなら”駅まで”おんぶするぞ。」
「もう私中学生なんだけど」
「中学生でもけが人はけが人だろ」
はぁ。まあ、いいか。
どうせ散々ネタにされてきた。
兄と恋愛関係になってるとか、Twitterで援交募集してる不良生徒とか、今更兄におんぶされて帰ったところで風評には何も影響しないだろう。
楽したほうが得だ。
兄の背に手をかけるとその背中は熱をもっていた。
先ほどまで走っていた私も変わらないが、彼の背も若干汗ばんでいる。
そういえば、さっき藤沢さんを止めに入った兄は息を荒げていた。
……”必死になって妹を助けにきてくれたのだ”と、そう思えばいいものを私はまったく逆のことを考えてしまった。
「お兄ちゃん、私がどうして殴られたのかわかる?」
「唯花は何も悪くないさ。気に病む必要はまったくない。」
「全部お兄ちゃんのせいだから?」
「……。」
「こうなることが分かってたから、私を迎えに来るフリして見張ってたの?
藤沢さんのTwitterアカウントを学校に通報したのも、警察沙汰にして周りに脅しをかけたのも、全部お兄ちゃんの仕業?」
「違う。 藤沢五十鈴さんがやっていたのは立派な犯罪行為だ。
別の正義感を持った人が学校に報告してくれたんだろうさ。
……俺は何もしてないよ。」
嘘をついていることが手に取るようにわかる。
鼓動の高鳴りが若干早くなるのを、その背中を通じて感じる。
初めて兄に対して得意な気持ちになった気がした。
「……停学明けでこんなことになったら、多分藤沢さんは今度こそ退学になるよね?」
「お、おい。」
兄は抱えられた状態から、下りようとする私を止めようとする。
その手を叩いて背中からずり落ちながら学校へと踵を返す。
こちらの意図を理解したのか、兄は多少の狼狽をみせながら通る声で告げる。
「唯花は彼女に嫌がらせを受けていたんだろ?
助けたのに、”庇おうとする”のはなぜだ?」
「やっぱりやったんだね。
……でも決まってるじゃん。
”兄さん”が嫌いだからするんだよ。」
背後からついてくる足音が鳴りやむ。
もしかしたら、面と向かって兄に嫌悪感を伝えたのは私が初めてかもしれない。
「私が嫌がらせを受けていたから、兄さんが対処してくれた――それは嘘だよね。
だって兄さんが私を迎えに来るようになったのは、校内で藤沢さんが私と兄さんが付き合ってるって言いだした”後”だ。
普通さ、私をそんな噂から守りたいなら、周りが勘違いするように迎えになんてこないよね。
陸上部の友達から聞いたことなんだけど、兄さんが迎えにきたタイミングって丁度、藤沢さんが私の偽Twitterアカウントを開設して間もない時期なんだよ。
多分、兄さんが危惧したのはこの偽アカウント。
ツイートのタイムラインは、私と兄さんが付き合っているって態で呟かれている内容も多かった。」
確証なんてない。
ただ、あの兄に対して、マウントをとっているかもしれないという高揚感が私の口をよくまわらせた。
そしてここからはもっと酷い。
半分、煽りに近い。
「藤沢さんがつくったアカウントのフォロワー数、5万人超えてたんだ。
自分でいうのは気持ち悪いけど、私ってマシな容姿しているらしいから、ツイートに対する反響も大きかったんだって。
で、その人たちが気になるのは、私の兄兼彼氏なわけだ。
当然、藤沢さんは兄さん――月谷芥の写真もアップロードしてしまった。
これが、兄さんの動機。」
走っているときとはまた違う感覚で、今いる世界から剥離していく気がした。
兄が私のために動いてくれた。その可能性は大いにありえる。
普通なら、笑みを浮かべて無邪気な謝辞を述べる場面だ。
なのにどうしてこうも、私は捻くれた返事を嬉々としてしているのか。
「妹と付き合っているなんてこと、世間様に知られたら”これからの選択肢”が狭まる可能性もあるもんね。
校内だけのチャチな噂ならともかく、世界中に発信されるSNSでは黙認するわけにはいかなかった。
逆に藤沢さんを調べ上げて、片思いの相手である3組の三池卓を上手くけしかけさせた。
けしかける方法は正直、想像したくもない。
そして今日みたいな日に、彼女が何かしらのアクションを起こすのを待っていた。
――でも、兄さんの将来だもんね。
母さんもお父さんも、先生も先輩も後輩も同学年のクラスメイトも、インターンにいった先の仕事仲間も、剣道部の戦友も、皆兄さんに期待しているから、壊されるわけにいかないよね?」
(だから、兄さんは私じゃなくて自分のために藤沢さんを追い込んだ。)
その最後の一文を聞くことなく兄はそれを否定した。
「違う! 将来とか、別に考えていない。
それに、オマエを守ろうとしたのも確かだ!」
「へぇ……含みのある言葉だね。 あ、もしかして別の学校に好きな人でもできた?」
一番ありえない問いかけを冗談半分で告げると、兄は押し黙ってしまった。
その反応は火を見るよりも明らかな赤面だった。
やるせなくなって声が漏れてしまった。
「なんか、なんか凄いなぁ……。
兄さんは。」
たかが自分の片思いを成就させるために、障害を完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
本当に、まるで自分が世界の中心にいるような傲慢さだと思う。
結局、私は下校しようと昇降口にいた藤沢さんを蹴り飛ばしていた。
これで月谷唯花が被害者という印象が薄れ、担任の先生は更に頭を悩ますこととなった。




