合法的チーター
――【サウスオーバー地区 月面軍事サイロ基地 ムーンポッド】。
月面の白砂でできた丘の中腹、そこにできたコンクリートの塊は、どうやら地下施設へ繋がる入口らしい。
しかしその入口は無残にも三つの爪痕で抉られ、かつてトビラだった鉄製の何かが捨て置かれていた。
僕が思わず唾を飲み込んでしまった理由は、それがただの爪痕ではないからだ。
明らかに人一人を胴体ごと切り裂けるほどの大きさがある。
そんな巨大な鉤爪をもつ何かが、この基地を襲撃したらしい。
「雰囲気があっていいね。流石はじいさんが推すだけある。なぁ、NPCもそう思うだろ?」
ふいにかけられた声に僕は一度溜息をついた。
振り向くとそこには黄金の甲冑を纏った戦士がいた。
頭には王冠じみたヘッドアーマーを、背中には真っ赤な生地と金色の刺繍がされたマントを羽織っている。
それらは決して飾りではなく、王冠はプレイヤーの遠隔操作によって独立したバルカン砲として動かすこともできるし、マントは真っ赤な生地が飛散させる繊維の粒子によって付近に特殊な磁場をつくりあげ、裏に装着されたスラスターの推進力を爆発的に向上させる役割を担っている。
そのアーマーの名前は【セイクリッド・ロイヤル】、レア度はどの枠組みにも収まらないエクストラランクのリザルターアーマーだ。
兵装は数えきれないほどあるらしい。
ビーム弾系、大口径実弾、接近戦用の対クリーチャーソード、各所に備わっているのはミサイルポッドの数々。
極めつけは必殺技と称しても差し支えない専用兵装。
【王の権威】と呼ばれる磁場発生装置を使うことで一定時間、クリーチャーを地面にへばりつかせることができる。
ロボットモノだったら数分と戦えずにエネルギー切れになりそうなものだが、【セイクリッド・ロイヤル】には最高カスタムパーツのジェネレーターが装備されているため、その心配もないのだとか。
さて、僕こと戸鐘路久改め、プレイヤー名”ロク”は、ついさきほど、今目の前にいるプレイヤーに助けられていた。
「だから、僕はNPCじゃない。れっきとしたプレイヤーだ。
君と同じようにテスターとして参加してるんだって何度もいっただろ」
「はい、ギルティー」
彼の持つ錫杖が白砂を叩いた瞬間、視界が黒ずんで狭まり、ヘッドアーマーの映し出すディスプレイ表示にノイズが走る。
弱い重力によって浮いた月面の土埃が急激に落下したと思った途端に、僕の身体はリザルターアーマーごと地面に引き寄せられた。
「あがっ……」
【王の権威】、そう易々と使っていい代物じゃない機能のはずだ。
なのに彼は躊躇することなくパーティメンバーの”味方”である僕に使用していた。
「NPCがさ、口答えしちゃダメでしょ? 俺が助けに入るまで最初の【モルドレッド】だっけ? あんな雑魚に負けてたのにさ」
最早僕のリザルターアーマーでは頭を動かすことすらできない。
『スターダストオンライン』に痛みはないが、身体が動かない不快感は現実と同じだ。
背中に更なる重みを感じる。視界に現れるのは金ぴかな甲冑の脚だった。
「テスト内容って、【モルドレッド】に殺され続けること? 助けちゃった俺、業務妨害でクレームもらっちゃうかな? マァー、ありえないけど」
「僕は君と同じで『スターダストオンライン』をプレイするためにログインした。
……それに、君の横やりがなかったら、僕は”【モルドレッド】に勝てた”はずだった……!!」
甲冑の脚は一息に僕の頭へと突き落とされた。
たしか、彼の足にはホールド用のスパイクがあったのを思い出す。
《ヘッド部位に深刻な損傷があります。アンテナ機能を使用するには即時修理が必要。 》
案の定、ヘッドアーマー部の装甲が悲鳴をあげている、と警告が表示された。
しかも破格のダメージ量だ。
なんだってこんなにアーマー性能に差があるんだろう?
それに、モロさんはプレイヤーのプレイ方法を見たいと言っていたはずなのに、僕は絶賛拘束中である。
宇宙に浮かぶ星々と汚染された地球や架空の惑星。
この月面から望める最高の風景を満喫する前に、僕は【モルドレッド】と呼ばれる巨躯のクリーチャーに襲われた。
チュートリアル的な操作説明はないまま、最初から装備していたこのリザルターアーマーと呼ばれる中世騎士の甲冑とデッサン人形を合わせたようなデザインのパワードスーツで戦う羽目になった。
実に姉さんらしい。
最初はそう思っていたが、【モルドレッド】の戦闘力ははっきりいって”高難易度”とかの言葉で表せられないほどだった。
一度攻撃を受ければ死亡。接近戦攻撃をすると装甲が割れる。
兵装のミサイルポッドとマシンガンはまるで歯が立たないし、端的にいえば無理ゲーの域に達していた。
そんなこんなで20回以上死んで、やっと活路が見えたと思った瞬間、黄金のリザルターアーマーのプレイヤー――トールが乱入して【モルドレッド】を”撃退”してしまったのだ。
「あぁ、まったくまたそれだ。 そりゃあいつかは倒せただろうけど、僕は一発で倒しちゃったんだ。
襲われるオマエを庇うつもりでテキトーな銃撃ったら一撃で身体が塵になっちゃった。
こうやって協力プレイすればさー、すぐに倒せるわけ。
チームワークはオンラインゲームの醍醐味だよねー?
……まぁ、ロクさんは何もやってなかったけど」
金属と金属がこすれる騒音が頭の中で反響する。
彼が足裏のスパイクを押し付けて僕のヘッドアーマーを削り取っているらしい。
「アーマー性能のおかげなのに、よくそんなことが言え」
「定型文みたいな負け惜しみはやめろって」
パキンッ。
僕の言葉が癪に障ったらしい。トールは一息に僕の頭をひねりつぶした。
こうして僕は今一度リセットすることになった。
――――――――――――――都内某所、テナントビルの4階にて。
「こんなの中止だ! 古崎会長のバカ孫様が路久くんを一方的にプレイヤーキルしてる! 早く彼をログアウトさせないと」
諸の動転ぶりを周囲はよく理解していた。
物事の道理や周りへの気遣いをよく分かっている坂城諸だからこそ、天才と呼ばれた戸鐘波留の手綱を握れている。
けれど。
「坂城! 滅多なことをいうなよ。 相手はこっちのスポンサーみたいなもんだ。会長はお孫さんを溺愛していることで有名な御仁だろ。
何はともあれ、お孫さんは上機嫌にプレイしてる。
……戸鐘の弟くんなら、あとで話せばわかってくれるさ。」
会長の連絡を最初に受けたであろう”石橋マンタ”が諸にそう告げた。
プロジェクトマネージャーである石橋に歯向かって無傷で済む役職の者はこのスタジオにいない。
唯一の望みである戸鐘波留ですらディスプレイを眺めて”ロク”と”トール”、二人のプレイヤーの動向を見守っているようだった。
その画面の中で実の弟が足蹴りにされているというのに!
諸の憤慨が波留にも及びそうなところになって、彼女はついに笑みを浮かべていた。
「石橋マネージャーの言う通り、このままでいこっか。」
「何をぉ! 元はといえば、あんたがサウスオーバー地区なんぞ選ぶ――?」
諸が口を挟もうとした瞬間、その声量に負けないほどの声で波留は「ただし!」と叫んだ。
「ゲームクリア、あるいはギブアップまで、あたしたちは口を出さない!
石橋マネージャー、約束してくれますか?」
スタジオがどよめく。口を出さないってことは、今の状況を黙認する約束をするようなものではないか。
その場にいる誰もがそう思っていた。
「いいだろう。むしろ願ったりかなったりだ。
私たちはテストプレイに口を出さない。約束だ」
諸がショックで放心状態になっているのも見ずに、波留がオフィスチェアに身体を収めるよう座った。
そしてぼそりと囁いた。
「さぁ、勝負だ。ロク……部外者は早く退場させちゃえ……」




