プシ猫の弄び。
☆
『ねぇねぇねぇ!? わたしの身体どうなってるの?!
わたしどうやって前に進んでるの!?
あと………………なんか漏らしてない? さっきから歩くたびにぴちゃぴちゃ音がするんだけど』
「お、落ち着くです。 大丈夫。ユニは……えっと、その、多少持ち運びしやすいフォルムになっただけで、そこまで変わってないから安心して」
「いや、それはそれでショック大きくない?」
〈プシ猫〉の胸元を体液で汚しながら身体をこすりつける瀬川遊丹こと【ジェル・ラット】。
それを頻りに撫で上げてどこか恍惚に似た笑みを浮かべる〈プシ猫〉。
そんな二人のやり取りを若干呆れた調子で窘める〈笹川宗次〉だったが、内心で敵の襲撃ではなかったことに安堵していた。
男が前に出て戦うべき、なんて古い慣習に縛られているわけではないが、それでも”矜持”というものがある。
……要は守れることなら自分が守りたいというエゴだ。
けどそれに見合う実力もないし、今だってホッと胸をなでおろす自分がいるし、何より守りたいと願う〈プシ猫〉自身が一番戦闘に対しての感覚が鋭い。
今だって瀬川遊丹の接近に真っ先に気づいたのは彼女だった。
『――――あ、あのナナ? そろそろ降ろして。
こう、自分の身体の2、3倍の高さまで持ち上げられるとめっちゃ怖いナー。』
「あ、うん。ごめん。 ……ちょっとだけ懐かしいって思っちゃったです。
昔は嬉しいことがあるたびにこうやって抱き合ってたなぁって……。
――――。」
……それに、現在進行形でクリーチャーに姿が変わって動転している友達を何の躊躇いもなく抱きかかえている。
俺だったら避けてたかもしれない……。
『――あ。ね、ねぇ。 今、手離そうとしなかった?』
「してないよ。 でも、【ジェル・ラット】の体液って滑るから、ユニのほうもしっかり私の手を抱きしめてほしいです。」
『いや、だからね。 滑っちゃう前に降ろしてほしいんだって。
ひぃ!? ま、また離した!』
「ユニがいけないんです。 もっとしっかりと私の手にしがみついてくれないから。」
――あれ。
なんか考え事してる間に一帯に緊張が走っている気がする。
『ちょっ! 見てないで助けろ、キョロ充!!』
「え、俺にどうしろと!?」
『ナナの変なスイッチが入りそうなの。ナナに気があるならどうにかして!』
「なぁっ! 気があるとか本人いる前でいうか、普通!?」
『うっさい、こっちの命の危機だっつってんでしょ……って、あぁ、なんか下腹部に閉塞感が!』
【ジェル・ラット】を掴む〈プシ猫〉の腕に力が入り始めているらしい。
「どうして私と話してる最中に他の男と喋るですか?」
『ごめんごめんごめん、謝るから”高い高い”しないで!』
「――そうです。ユニは私の腕にずぅっとしがみついていればいいんです。」
もはや【ジェル・ラット】の体液で〈プシ猫〉の身体はべとべとになっていたが、それすらも愛おしいみたいに彼女は中型犬程度の大きさである【ジェル・ラット】の顔へと頬ずりする。
傍から見るとドン引きな光景だが、当の本人は恍惚といった表情を浮かべているあたり、笹川宗次もなんと声をかけるべきか分からない。
戸鐘路久が”ッス口調の後輩女子”とできてたって知ってホッとしていた手前、まさか一番の恋敵が釧路七重の親友である瀬川遊丹だったとは……。
いやまぁ、二人の関係は知っていたけども、いざ目の前で病的な好意を見せつけられるとちょっとだけ物怖じしてしまうわけだ。
ん………………物怖じ……?
――いや、別にしねぇな?
むしろ七重にあんなにも抱き着いてもらってるのに退けようとする瀬川遊丹が妬ましい。
腹が立ってきた。
瀬川遊丹の敵ではあるが、彼女の言う通りここは七重を止めるべきなのかもしれない。
笹川が決意を新たにしたところで、〈プシ猫〉の魔の手から【ジェル・ラット】を救う屈強な左腕現れた。
「お前ら、何やってんだ……?」
「あ、会長……うわ、どうしたんですか、その汚れ。」
平然としながら路地裏に足を踏み入れる月谷芥こと〈リヴェンサー〉の姿をみて、笹川は驚かざるを得なかった。
【Ver.ヴァルキリー】の背部両翼ユニットが薄いペンキをぶちまけたかのように黄色く染まっていた。
わずかに可動部へ影響もあるらしく、〈リヴェンサー〉は【ジェル・ラット】を下ろしがてら、そのまま腰を下ろして長く息を吐いた。
「あちらから見れば単なる辻斬りだろうが、5人ほどプレイヤーをキルしてきた。
もちろん、バトルロイヤルモードが起動したのを見越してな。」
瀬川遊丹の状況を察しているらしく、リヴェンサーは地面に降ろして脱力している【ジェル・ラット】の背を軽く撫で上げる。
それを頬を膨らませて眺める〈プシ猫〉。 一応、空気を読んでこらえているようだった。拳が震えている。
「まだ起動して数分だったと思うけど、その間に5人も?
〈学院会〉のプレイヤーだった?」
ヴィスカ(と似た何か)の容態を観察していたHALⅡが、すぐさま消費アイテムであるアーマー修復用キットで回復に取り掛かろうとする。
「いや、ダメージは受けてないんだ。 ただ、敵が”アレ”だったもんでな。」
「……”アレ”?」
問い返す一同にリヴェンサーは一度だけ思いつめた顔を向けると、渋々口を開いた。
「波留さんから聞いたように、バトルロイヤルモードはプレイヤーがクリーチャー化した。
俺がこの場に至るまでにキルしたプレイヤーも当然、吐き気を催すくらいの外見に変化していたわけだ。」
『吐き気をっ、催す!?』
その発言に真っ先にショックを受けたのが他ならぬ【ジェル・ラット】というクリーチャーになった瀬川遊丹だった。
どういう仕組みか分からないが、体液の膜がやや天井に向けて逆立っている。
ショックを受けているらしい。
「いや、遊丹のジェル・ラットは凄く可愛い。
つれて帰ってペットにしたいくらいだ。」
悪びれた様子はないが、すぐさまリヴェンサーはそう告げる。
『それはそれで複雑なんだけど……。』
「本当、遊丹と比べるとあいつは化物だった。
なにせ、首を切り落としてもその首から甲殻類の足が生えてこっちに襲いかかってくるんだ。」
「ひぇ……。」
ついつい状況を想像して笹川は小さく悲鳴を漏らした。
「あぁ。 多分、そのプレイヤーが変化したクリーチャーは【プラネット・シング】だね。
なんと身体を合体ロボみたいに四肢と頭部・胴体で分裂することができるんだ。
見た目はどちらかといえば魚類っぽいんだけど、そっか、変異の直前で頭を斬られたせいで、プレイヤーの外見のままでクリーチャーの能力が解放されちゃったのかも。」
リヴェンサーは何度か頷く。
「頭部はまだフェイスガードを降ろす前だったらしい。
流石に虚ろな表情の頭部に足が生えてこちらに突貫してくるのは……はっきり言ってビビった。
他の分裂した腕とか脚は、アーマーから生えてるみたいになっていたおかげで”ヤドカリ”くらいにしか思わなかったんだが、頭だけはグロい。」
『お疲れー……』
全身を覆う体液の包みの中で、ジェル・ラットはリヴェンサーにそう告げた。
まだバトルロイヤルモードは始まったばかりだ。




